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第八章 貿易街イスロール Isrore
第8-2話「彼女の幸せのために」
しおりを挟む次の日になる。
抗菌薬投与のタイムリミット当日。
ついに、その時が来た。
「ゴほっ!! ううっ――!」
早苗は地獄の真っただ中にいた。
息苦しく、喋るのもつらい――
高熱で、体が痛い。
「ま、マズイ……間に合わなかったか……」
血圧も低下している。まともに立てない。
「重症化がはじまった。意識が保てない……最終局面に達している……」
つまり、死に瀕した状態だ。
すぐにララが駆けつけてくる。
「さ、早苗さま――っ! 唇が、紫になっテ……!」
早苗は震える指で、テーブルの上を指す。
「昨日、書いておいた……点滴……蘇生方法……単独CPR……」
「……っ! さ、早苗さま……!」
パニックになり、急いで控え帳を読むララ。
すぐにゾッとする。
そこには、彼の呼吸が停止した場合の対処法だけじゃない。
心臓が停止した場合、ショック状態になった場合……
さらには、彼が死んだ後の死体の処理方法まで書かれている。
これから起こるであろう、ありとあらゆる最悪なケースが……
ララは涙を止められない。
「い、いやだよ……早苗さま……ッ!」
「……もう、一つ」
早苗は、使用済みの注射器をララに渡した。
「ペニシリンのテスト、今日、終わるから……使い方も書いた……」
「あっ! ペニシリン使えば、早苗さまは死ななイ!?」
だが早苗は答えを言う前に、意識を失う。
ララは急いで、何枚も置かれているテーブルの紙を読みあさる。
「……あった、まずは生理食塩液の点滴」
指示通りにやるが、ララには自信がない。
書いてあるとおり、液体が垂れ出す。
「かなり早い気がする。大丈夫なノ……!?」
わからない。でも、ショック時の対応として急速輸液がある、って書いてある。
ララは泣く。わからない。自分のミスでもし彼が死んだら……
「つ、次は、ペニシリンのテスト方法……」
ララはマニュアル通り、五つの寒天培地の元へ向かう。
中には病原菌が入っていて、昨日テストで作ったペニシリンを垂らしてある。
もし菌が死んでる容器があれば、そのペニシリン試作体は成功……
早苗さまに、注射できる。
「……1番目。だめ、失敗」
1個ずつ、丁寧に見ていく。
五つもあるんだ。いくつかは必ず成功しているはず。
「……2番目……これは成功? 違う……」
額から汗が流れた。
プレッシャーから、微熱すら感じる。
「……3番目。ダメ」
どうしよう、胸が苦しい……
瞳孔が開き、視線がぶれる。
「はぁ、はぁ……4番目……」
ダメ、ダメ……
4番目も、ダメ……
視界が歪んでいく。
「はぁ、はぁ………」
あとたったの1個だけ……
息苦しい、倒れそう。
だ、大丈夫。最後のは絶対に……
落ち着いて。そう言いながら、ララは震える手を最後の容器に伸ばす……
「さ、最後のは……っ!!」
ララは膝をついた。
「……い、いやだ、いやダ」
5番目のペニシリン試作体も――
菌を駆逐していない。
震える両手で口元を押さえる。
「い、いやだ……あああッ……」
全部、失敗していた。
どのペニシリンも、菌を駆逐できない。
彼は死ぬ。確定だ。
7日もかけて作ったのに、効果がない。
「あ、ああ……いやだ! あぁあああっ!! 助けテ……!!」
いやだ、いやだ、いやだ………
目の前が真っ白になっていく。
今日、ペニシリンを注射してもギリギリなのに……注射すらできない。
早苗さまの予想だと、今日打たないと、彼は死ぬ。
「あ、ああぁあぁ!!! ……ど、どうすれば……早苗さま……!」
だが彼は答えない。顔が青い……彼が言った、死ぬ前の症状だ。
わたしはなんて、無力なのだろう。
テーブルの上の紙を、震える手で持つ。
めくり、めくる。
「心停止したら、肺の血管から全身に菌が回った、菌血症が原因……」
いやだ。
「呼吸器も血圧の薬もないから、元々死ぬ可能性が高い。死んでも自分を責めるな……」
いやだ! 知りたくない……!
めくり続けると、次第に全く関係ない情報ばかりになる。
「な、なにこレ……」
清潔な水の確保の仕方。
効率的に農作物を取り続けるサイクル。
火薬の製造法。ダイナマイトの作り方。
そして最後のページには……
「ララへ。僕が死んだ時に備えて、獣人たちに必要な知識を残す。早苗より」
ひっく、と涙が溢れる。止まらない。
彼は……最初から死ぬって、知っていたんだ……
だから彼は、わざわざ亜人の島のことを聞いて、いろいろと知識を残してくれた。
彼が死んだ後の世界の為に。
「い、いやだ! ……いやだよぉ! さなえさまぁあああ! 国なんていらない……! さなえさまがいれば、それだけでよかった……!! いやだよ! いやだよぉおおオ!」
泣きながら、真っ青な顔に近づく。
致命的なほど青い……その口元に近づく。
「……どうして! い、息をしてなイ……」
手を口にかざす。間違いない、息は止まっている。
うそだ。やめて、うそ。
首元を触る。胸に耳を当てる。
心臓が、止まっている……
「あ、あああああっ!! いやだ! いやだああぁぁ!!!」
取り乱しながら、周囲を探った。
なにかないか……どうか、誰か……
「あ、あア……」
そして紙を拾う。
そこには蘇生法――人工呼吸と、心臓マッサージについて書かれていた。
なにこれ、聞いたことがない。でモーーー
「……ううう、おねがい! おねがいだよオ……!!!」
ララは即座に、必死に処置を行った。
胸の真ん中(胸骨)を強く圧迫する。5~6cmほど、強く押し込む。
その循環(心臓)を30回した後、呼吸(換気)を2回……
ララは口を合わせて、息を吹き込んだ。
「……はぁ、はぁ、はぁッ!」
何度も繰り返す……
「……ううう!!」
繰り返すが、やっぱり息がない。
心臓も……だめ、止まったまま。死んでいる。
「……はぁ、はぁ、はぁッ!」
再度、ふーっと息を吹き込む。
すると―――――
「…………っ!」
早苗が、息を吹き返した。
「あ、あぁあァ……」
奇跡が起きたのだ。ララは泣きながら彼を抱きしめる。
涙が止まらない。
「あああぁ……神様……」
脈も弱いが、ある。呼吸も安定してないけど、ある。
「……明日はタイムリミット、運命の日」
彼は一時的に命が戻っただけかも。
あと数時間の命かも。
話すことは、もう二度とできないかもしれない。
それでも、最後まであきらめない。
「……だってわたしは、彼のことが」
早苗さまを、愛しているかラ。
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