夏と竜

sweet☆肉便器

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48 汚れた階段

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 「鮫肌くん悪いものに憑かれたみたいな表情をしてるけど、夏くん何かあったのかい?」

 じいちゃん家に到着して車から降りると庭で待っていた吹田さんが秘書さんを見て僕にそんなことを訊ねてきた。

 もちろん太郎さんを引き摺っている秘書さんは聞こえないようにこそっとだ。

 さっき太郎さんにまったく逆のこと訊かれたんだけど。

 僕はとりあえず車内で起こった出来事を吹田さんに告げると。

 「ああ、それは太郎くんが悪いよねぇ、女性にその手の話題は厳禁だ。太郎くんは明るくて好青年なのだがそう言った女性の機微に疎い面があるからね、彼はもっとデリカシーを学ぶべきだろうね」

 とのお答えが返ってきた。

 そうだよね、僕だってあんな言い方は秘書さんに悪いと思ったもん。もっとオブラートに包んでって言うか、相手の気持ちに寄り添った言い方があったんじゃないかなって思うよ。
 前に太郎さんが自分の働いてる職場が内緒じゃなくなったら自分も結婚できるんじゃないかみたいなこと言ってたけどさ、それよりも先に吹田さんの言う『デリカシー』ってのを何とかするべきなんじゃないかなって僕は思うんだ。
 そうすればさ、太郎さんだって結婚できるよ、きっと。たぶん。もしかしたら。
 あ、もちろん花子さんが言ったみたいに無制限にってのは無理だろうけどね。

 「鮫肌くんは堅物過ぎるが確りと芯を持ったいい子だよ、尤も真面目過ぎて肩の力を抜くって事を知らなくてね、夏くんにお願いすればいい気晴らしにもなるかと思って散歩を許可したんだが、裏目に出てしまったかな?
 ああ、夏くんにこの事を知らせなかったのは悪かったね」

 「いいえ、それは別によかったんだけど」

 それに散歩をして車に乗るまでは秘書さんもリラックス出来てたみたいだし、きっと迎えに来てくれたのが太郎さんじゃなかったら吹田さんの考えたことも成功していたんだろうなって思うし。

 「お騒がせしました。吹田室長、それでこれからのご予定なのですが…」

 じいちゃん家に車が到着して早々に運転席から太郎さんを引き摺り出して農機具置き場兼駐車場の小屋の裏手へと行ってしまっていた秘書さんが戻ってきた。
 実は僕と吹田さんが話をしている脇で秘書さんは山田さんにお説教をしていたみたいなんだ。
 ってのは極力僕も吹田さんもなるたけそっちを気にしないように話をしていたから。
 だってさ、太郎さん号泣しながら秘書さんに謝ってるんだよ?
 確かに太郎さんは涙もろいひとだけど、あんないい大人が大声でひと目も憚らないで泣くってどれだけ秘書さん太郎さんを追い詰めたんだろう?
 ああ、いや、考えない考えない。それは考えちゃいけないことなんだ。
 例え小屋の陰に心の擦り切れた太郎さんが正座をしてブツブツと謝罪の言葉を呟いてるのが見えたとしても、それは幻なんだ、CGなんだ。
 僕はこの歳にして世の中には関わっちゃいけないものがあるって思い知らされた。
 都合の悪いものには蓋をして目に入れない様に振る舞う。
 そーゆーのを汚いって思うだろうけど、誰だって余計な事態に関わって面倒事に巻き込まれたくなんかないでしょう?
 きっと大人ってこうやってなって行くもんなんだろうね。
 
 今夜僕は汚い大人の階段を一歩昇ったんだ。

 もちろんアオちゃんとシャノンにはまだ早いだろうから、先に家に入ってもらってるよ。
 今ごろばあちゃんがふたりをお風呂に入れてるんだろうね。

 さて、今僕たちが話題にしていた秘書さんが戻ってきて吹田さんにこれからの予定を告げようとした訳なんだけど。

 「ああ、今日はこのまま日守さんのお宅に泊まらせていただくよ。夏くんのお祖父さんに進められてね、ちょいと一杯ってね」

 そう言って吹田さんはお猪口をクイっと口元で傾ける仕草をした。
 つまりじいちゃんと一緒にお酒を呑もうって話なんだね。

 「室長」

 あわわ、太郎さんへのお説教でひとまずは落ち着いていた秘書さんの眉間の縦じわがまたまた復活した。

 それでも吹田さんは動じずにサッと手のひらを突き出して秘書さんの言葉を遮る。

 「これも保護対象者の保護者とのコミニュケーションの一環さ、なに、調査局には既に一報をいれてある、あちらには優秀なスタッフが居るから一晩位は心配ないだろう」

 「…そう言ったことでしたら。ですが室長、あまり呑み過ぎません様に、お強くは無いのですから」

 秘書さんの縦じわが消えて何時ものポーカーフェイスに戻った。

 おや? てっきり反対して吹田さんも小屋の陰に連れていかれると思ったんだけど、けっこうアッサリと許可をした。
 吹田さんもその反応が意外だったのか驚いたみたいな表情をしてる。

 けど、何を思ったのか、ニッコリと微笑んで。

 「いいね、鮫肌くん、その柔軟さ、得難いモノだよ。君も今晩はお世話になる。都会の夜とは違った空気を楽しみたまえ」

 って秘書さんの肩をポンっと叩いた。

 「そうですね、室長のお相伴に与らせて頂きます」

 かくして吹田さんと秘書さんはじいちゃん家のお客として迎えられたんだ。

 え? 太郎さんはどうなったかって?
 大人の階段を昇った僕の目には未だ小屋の陰で正座をしている彼は見えてなんかいないよ。

 
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