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サイキック編

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「ねえねえ大輝、ちょっとこれ食べて」
「わたしのも。アスパラベーコン巻き作ってきたの」
「私の焼きそばソーセージパン、半分あげるね」
 雪風東高等学校二年二組の教室にて、赤川大輝が相変わらずモテてていた。複数の女子生徒から、いつものようにお弁当のおすそ分けを強要されている。
「ありがとう。うまそうだなあ」
 彼は断らない。なんでもありがたく頂戴する強欲主義者であり、そういう親近感のある性格が好感を持たれている。その光景は二年二組の、お昼時の日常であった。
「赤川、ちょっと話があるんだけど」
 慎二が彼のそばへ来て声をかけた時、三人の女子は露骨にイヤな顔をした。アスパラベーコン巻きの女子は、ハウス、と小さく呟く。
「おう、慎二、どうした」
「ああ、ちょっとな」
「ん?」
「と」
 慎二は、よろしくない間合いであると気づいた。女子たちの目が死んだ魚のそれであり、少しばかり臭っていた。
「いや、悪い。またあとで」
 空気を読んで退散することにする。彼女らに恨まれるよりも、機会の喪失を選択したほうがいいと判断した。
「そうだな、たまに男同士で食うか」
 赤川が立ち上がる。三人の女子が、あからさまに残念無念な表情だ。赤川は焼きそばソーセージパンを丸ごと頂いた。交換条件としてカラオケを約束する。女子たちはニンマリと笑顔だ。
 赤川が慎二の先を歩き出した。女子生徒の不興をかわしながら友人を気遣う、なかなかにできた男である。
「せっかくみんなで食ってたのに悪かったな。なんか、タイミングを間違えたよ」
「まあ、そうだな」
 赤川大輝は人気者である。
 男性アイドル顔負けの美男子であり、身体能力抜群でスポーツ万能、性格もよく、当然のごとく陽キャだ。誰とでも対等に接し、イジメなどの陰湿行為を許さない正義感を有し、ときとして鍛え抜かれた本気の技を、威嚇混じりに披露したりする。さらに生徒会長という重要な職務を担っていた。雪風東高校の奇跡と呼ばれていた。
「それで、どうしたんだ慎二」
 二人は中学校からの付き合いだ。赤川が、なにかとボッチになりやすい友人を精神面で助けていたが、慎二はそれほど恩義を感じていなかった。
「特進クラスの菖蒲ヶ原さんを知ってるか」
「雪風東にいて、菖蒲ヶ原雪子を知らない男はいないだろう」
「そういう意味じゃなくて、そのう、知り合いかってことだよ」
「話したことはあるかもな」
 菖蒲ヶ原雪子とどれくらい係わったか、赤川は少し考えた。
「いや、そういえば、ほとんどないな。ふむ、全然ない。このオレとしたことが、どういうことなんだ」
 接触方法に不備があったのかを考えていたが、どうして慎二がそんなことを訊くのか疑問に思った。
「そもそも、女子に興味なし男の慎二が、どうして菖蒲ヶ原さんのことを訊くんだ」
 焼きそばソーセージパンのソーセージだけを齧りながら、赤川はニヤッとする。
「ああ、そうか、いよいよ覚醒したのか」
 そう言って、ソーセージを包んでいた焼きそばパンを目覚めた友人に渡した。
「ヘンなこと言うなよ。俺だって女の子には興味あるよ。ただ、具体的な相手がいなかっただけだ」
「それはいい話をきいたよ。てっきり、オレに興味があるのではと心配してたんだ」 
「さすがに、そっちのほうには目覚めてないぞ。これからもないからな」
 赤川からもらったパンを不服そうに食う。
「このパン、美味いな」
 安い油分がまったりと舌にまとわりつき、ほどよいうま味を提供していた。相談事を忘れたかのように、むしゃむしゃと食らう。
「菖蒲ヶ原さんとなんかあったのか。いや、なんもないと思うけど」
「なにもない」
「だろうな」
 ウンウンと頷きながら、当然だと腕を組む。
「なあ、赤川。菖蒲ヶ原さんって、どんな感じなんだ」
「どんなって、それを知る男は、だれもがなりたい男だな」
「ちょっと、なに言ってるのかわからないぞ」
「だから、最高の女なんだよ。すんごく可愛くて、スタイルが良くて、胸とお尻が絶妙にエロくて」
 そこまで言って止めた。慎二との猥談は何度試みてもあまり弾んだことがなく、手ごたえがないからだ。
「まあ、なんだ。とにかくいい女なんだ。だけど男子はおろか女子とも、あまり話さないみたいだな。気高いというか、触りがたいというか、誰も手が届かない高根の花ってやつで。なあ、これくらいは知ってるだろう」
「いや、あんまり」
 赤川以外のクラスの連中とは、ほとんど話さない。慎二は孤立しているといっていい状態だ。菖蒲ヶ原雪子を見たことはあるが、ゴシップも含めて、彼女に関する情報を得る機会に極めて乏しかった。
「赤川でも近づけてないのか」
「なんか、日本語が微妙だな。まるで、オレはどの女子にでも付きまとっているイメージじゃないか」
「じっさい、そうだろう」
「否定できないところが、オレはもの哀しい生き物だよ」
 雪風東高校は男子よりも女子の割合が多い。しぜん、男子は女子との間にある程度の交友関係を構築しないと寂しい学園生活となってしまう。
「慎二、特進クラスだからって、たまには廊下ですれ違うだろう。いまさら菖蒲ヶ原さんに一目惚れでもしたのか」
 雪風東高校には、通常クラスとは別に特進クラスが設置させている。各学年に一クラスだけで、超難関大学や海外留学を目指した少数精鋭の優秀な生徒たちが集っている。彼ら彼女らの親はセレブぞろいであり、本人たちの上昇志向と相まって独特の排他性があり、一般生徒には近づき難い傾向があった。  
「いや、ちょっと気になっただけだ」
 中学からの腐れ縁である赤川は、友人の気持ちの向こう側を見透かそうとする。
「やめとけ、やめとけ。ああいう気位の高い女は、たとえその気を見せても、結局は振り回されて終わりだよ。まあ、本気になっちまったのなら仕方がないけどさ。本気と書いて、マジと読むからな」
「ヤンキーマンガかよ」
 赤川は満足そうに微笑んだ。
「もし、彼女が欲しいってのなら紹介してやるよ。一緒にカラオケでもどうだ。じつは、おまえが好きだって女子もいるんだよ」
「いや、俺なんて」
 慎二には自分が嫌われている、あるいは気味悪がられているとの自覚があった。
「いままでのことは、あまり気にするな。かえって、ミステリアスな男だと思われてたりもするんだぞ」
 慎二はたいして本気にもしてなかったが、相槌代わりにいちおう訊いてみた。
「マジか」
「ウソだよ」
「ウソかよ」
「ウソの二乗で、ホントだ」
「マジか」
「ウソだ」
 お互いの顔を見て、クックと笑い合った。
「なあ、赤川」
「なんだ」
 階段を下りる友人の背中に向かって語りかける。
「菖蒲ヶ原さんの屁って、どうなんだろうな」
「へ?」
「屁だよ。オナラのことだ」
 階段の途中で振り返った赤川は、呆気にとられた表情だった。
「慎二、あまりヘンなことを妄想しないほうがいいぞ。マニアックをこじらせると、元の世界に戻れなくなるからな。ふつうのエロ妄想にしろよ」
 妄想どころか、本人から直接言われたのだと慎二は言いたかったが、雪子の名誉を棄損する発言になりかねないので思いとどまった。
 赤川が顎に手を当てて考え事をしている。
「うう~ん。菖蒲ヶ原さんの屁は、きっと花のいい匂いがするはずだ。バラとか百合とか、サフランかもしれないな。ご飯と炊き込めばサフランライスだ。カレーがすすむぞ」
 いや、変な妄想をしているのはおまえのほうだと、慎二の心の声が言っていた。
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