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サイキック編

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 二人の話は長く続いた。
 最初の注文だけで長時間席を占有するのは気が引けると、一時間経過したところで慎二がメニュー表を見た。少し考えてから、財布の中身とスマホのポイントを確認する。暗い表情をしていると、セレブな雪子がいろいろと注文した。
 自分にはないのだろうと、いじけの境地に陥っていると、雪子からベーグルの差し入れがあった。慎二は拾われて餌を与えられた子犬のように喜んだ。恋愛中のカップルみたいに会話が弾む。
「じゃあ、整理すると、私たちの能力は自分の意思に関係なく発動されるってことね。いつ、どこで、なぜそうなるのかわからないし、制御もできない。サイキックの種類はそれぞれ一つだけで、慎二はテレポーテーションで」
「菖蒲ヶ原さんはプレコグニション」
「そうね」
 店の中で制服を着ている高校生は二人だけだ。コーヒーのおかわりは無料で、店員が注いで回っている。もちろん、二人のカップにもなみなみと注がれていた。
「俺は高一の時に、初めてジャンプしたんだ。女子更衣室のあのロッカーに」
「私の初めても高一の時、ピーピング・トムが更衣室の掃除ロッカーから出てくるのを予知できたわ」
「そのピーピングなんとかっていうのは、やめてもらえないかなあ。すごくヘンタイ的で罪深く聞こえるよ」
「じゃあ、とってもいやらしくて女の子のハダカ大好きな妄想ドヘンタイ男子新条慎二」
「ピーピングなんとかでけっこうです」
 可愛らしい小顔が、勝ち誇ったようにベーグルを頬張った。
「それから俺は何度もジャンプした。行き先もバラバラだった。その場所を特に望んでいたわけではない」
「私は、慎二が危険な場所にジャンプしたのを予知できた」
「トラックのタイヤの件。俺は望みもしないのにあの場所にジャンプして、野球を見ていたんだ」
「そう、私はヘンタイ君の命を救った恩人ね。平伏して、足のつま先にキスしてもいいのよ」
「今度、なにかおごるから、そういう屈辱的なことは勘弁してくれ」
「うな重とかがいいなあ。特上の、うな重ね、うふ」
「難しい申し出だけど、善処させていただきます」
 なんとか激安ラーメンセットに持ち込まなければと真剣に考えていた。
「ねえ慎二、どうやら私たちのサイキックは」と雪子が切り出す。
「関連しあっている可能性がある」と慎二が答えを出した。
 二人同時にコーヒーを一口すすって目を合わせた。
「どうして、見ず知らずの者たちの能力が繋がっているというか、関連しているのかなあ。俺たちは付き合っている恋人同士ではないし、血縁もないはずだけど」
 雪子の家系は、新条家とはつゆほどにも関係がないと確信していた。
「それより、どうして私たちだけがサイキックなのかを考えるべきよ」
「それは、俺たちが特別な存在とか、だったらすごいことだな」
「私が特別なのはわかるけど、慎二はどうなのかなあ。ふつうのショボ男子だし」
 嘲笑したような目線が小憎たらしいな、と慎二は思った。
「菖蒲ヶ原さんが、特別な見せたがり屋なのは確かだけどな」
 負けじと言い返すが、特進階級女子の逆麟に触れる言動は慎むべきであった。
 厳しい表情と同時に、またもや雪子の手が伸びた。皿の上に残しておいたベーグルを強奪されてしまう。
「ああーっ。だから半分しか食べてないって。どうしてそんなに欲しがりなんだよ」
「はあ、おなか一杯。今日は食べすぎちゃった」
 それから二時間近くが経過した。サイキックについての話よりも、お互いのこと、最近の話題、クラスメートや学校のことなどの雑談に大半が費やされた。さすがに居座りすぎなので、二人は店を出て歩きながら話している。
「午後の授業をさぼって菖蒲ヶ原さんとお茶するなんて、正直いってラッキーかも。赤川に言ったら、さぞやうらやましがれるだろうな。今日はかなりいい日だ」
「ふふふ」
 男子にそう言われて、雪子はまんざらでもない様子だ。
「カバンを教室に置いたままなのが、ちょっと気がかりだけど」
「だれも盗らないわよ。明日は手ぶらで登校ね」
 そのまま話しながら歩いていると、ハッとして雪子が立ち止まった。瞳が右に左に忙しく動いている。眉間に、その美人顔には似つかわしくない図太いシワを寄せていた。
「どうしたんだ。ひょっとして、たれるのか」
「ちょっと黙ってて」
 緘口を求める口調は、鋭すぎて痛さすらあった。一分ほどの沈黙だったが、慎二にはとても長く感じられた。
「私たちは、これからそこの路地に行くのね。その先に小さな公園があって、第三なかよし公園よ。ブランコにでも腰かけながら、サイキックについてもうちょっと理解を深めようという算段で、おしゃべりを続けるの」
「悪くないプランだと思うけど」
 雪子と一緒にいる時がなんだか心地よくて、慎二はまだ帰りたくなかった。
「プランとかじゃないわ。これから起こる現実だから」
 ハッとしたのは、今度は慎二だった。
「プレコグか」
「そう。私は予知した」
「ええーっと、その第三なかよし公園で俺とブランコする未来なわけか。夕焼けがあればステキな画になりそう」
「それだけじゃないのがミソよ」
「というと」
 なにか恋愛的な行事が突発するのかと、夢見がちの高二男子は胸を昂らせる。
「チンピラさんたちが来るのよ。いかにも粗暴で倫理観の欠けらもない凶悪な男どもが五人ばかりやってきて、私たちは壮大に、徹底的に絡まれるわ」
 アベックが悪漢どもに絡まれるという最悪の展開である。慎二の胃の底に、冷たくて重い液体金属が溜まっていた。
「あのう、それで、どうなるの」
「とりあえず、慎二が泣きそうな顔になってオドオドしている場面までしか見られなかった。そのあとを想像するに、あなたはボコボコにされてボロ雑巾みたいに打ち捨てられて、私はどこかに連れ去られて、超絶いやらしいことをされそう」
 まあテンプレね、と雪子の声は抑揚がない。
「絶対に路地にも公園にも行かない。もう、一生行かないから。そうだ、バスに乗ろう。公共の乗り物はセキュリティーが安全だから」
「言葉の意味が被っているから。それと、第三なかよし公園に行きましょう。もし、そういうふうになるなら、私が本当にサイキックであるとの証明になるし、私たちの関連を解明する手掛かりを得られるかもしれない」
「自ら犯罪被害者になりにいくとか、アホなんか。それに菖蒲ヶ原さんがサイキックなのは間違いない。俺が認めているから。俺たちの関連性を探るのは、とりあえず明日からにしよう」
 さあ早くバスに乗ろうと、心配性の男子は気が気ではない。いま立っている場所が第三なかよし公園でもないのに、不安そうにキョロキョロと辺りを見回していた。
「いやよ、確かめに行くんだから」
「はあ?」
 驚きのあまり言葉を失う慎二をおいて、雪子は早足で歩きだした。
「ちょっと、マジやばいって。菖蒲ヶ原さん、これは事件ですよ」
「凶暴で暴力組織所属のチンピラさんたちと戦いなさいよ。あなたは男でしょう」
「いやいや、凶暴で実戦経験豊富なお兄さんたちを五人も相手にするのはムリだって」
「さっき五人って言ったけど、三人かもしれない」
「三人でもムリ」
「じゃあ、何人だったら満足なの」
「いや、だから」
 困惑顔と愛想笑いを交互に見せながら、彼女の無謀を思いとどませる適切な言葉を探していた。
「ようするに、あなたは私を守るために、相手がたとえ0,5人でも闘えないわけね」
「半分の人間は物理的に不可能だって。そういう問題じゃなくて、あえて危ない場所に行く必要性がないということだよ」
「おけつに入らずんば虎児を得ず、っていうじゃないの。危ないことを乗り越えて、人は成長するんだから」
「おけつじゃなくて虎穴だね。一文字間違えるだけで、すごく淫靡なことになっちゃうんだけど」
「うわあ、なに言っての、この男子。ヘンタイ、キモすぎ」
「いや、もう、だから、なんなんだよ、菖蒲ヶ原さん」
「さあ、ダッシュよ」
「あっ」
「キーーーーン」
 雪子が駆け出した。ラーメン屋の角を曲がると、両手を翼のようにひらきながら狭い路地に入って疾走する。そのすぐ後を慎二が追った。
「ふう。第三なかよし公園、ただいま到着」 
 全力疾走のわりには、雪子の呼吸はそれほど乱れていない。浅く息を吸い込んで、周囲を見渡している。やや遅れて到着した慎二は、膝に手を当てながらゼイゼイと息を切らしていた。
「この公園って、生け垣と低木だらけで周囲からは見えにくくなっているのね。これは犯罪の温床にちょうどいい感じだわ。慎二、ほらこっちよ」
 二連ブランコの右側に座った雪子は、もう片方へ目配せする。
「いや、俺は」
 そこに座ったらボロ雑巾のようにボコボコにされる未来を受け入れることになると、車に轢かれた猫の死体を見るような目つきだ。
「どうしたのよ、猫の死体でも見たような顔して」
「ひょっとして、菖蒲ヶ原さんのサイキックにはテレパスも含まれるのか」
「もう、バカなの。とにかく座って。ほら、夕陽がきれいよ」
 女子高生がブランコを漕ぎながら、受け取る風に髪をなびかせていた。
「念のために言っておくけど、まだ夕陽の時間ではないから」
 お日様はまだまだ高く、陽光が赤方偏移を見せるには、しばしの時を必要とする。
「ねえ、慎二」
「なんだよ」
「ご両親が離婚した時のことを訊いていいかな。ちょっと失礼だとは思うんだけど。いやなら話さなくていいから」
「べつにかまわないよ」
 雪子の両親も不仲で危機的な状態なのかと、慎二は予想してみる。
「離婚するときって、お父さんとお母さんはどんな様子だったの」
「どんなって、まあ、ギスギスはしていたかな。家にいたくはなかったんで、なるべく外で時間をつぶしていたっけ」
「それはいつ頃?」
「中三の終わりから、この高校に入学してしばらくの間。母が家を出たら、あっさりと離婚が成立しちゃって、家の中がゴタゴタしなくなった」
「お母さんとは会っているの」
「たまに会って食事くらいはしてるかな。ここ最近はご無沙汰ですけど。母の実家は資産家なんだ。生活には困らないようで、そこは安心というか」
「ふつうは母親が子供を引き取ると思うけど」
「母は、とにかく自由人なんだよ。自分の時間を大事にしたいというか、趣味人というか。父と不仲になったのも、それが原因だと思う。子育てから解放されて、いまはのびのびしてるんじゃないのかな」
「薄情だと思わないの、息子として」
「小学生なら母恋しさもあるかもしれないけど。さすがに高二でそれはない。かえって面倒くさくなくていい感じがする」
「男の子の反抗期は、けな気ねえ」 
「茶化さないでくれ」
 雪子は、よいしょーよいしょー、とブランコを漕いでいた。つられて慎二も勢いをつけた。
「じゃあ、慎二がサイキックになったのは、お母さんがいなくなってすぐということね」
「まあ、そうかな。あれえ、考えてみればそうだな。母さんが出て行って、すぐだ」
 揺れていたブランコの勢いが徐々にフェードアウトしてゆく。雪子のブランコも、彼に合わせて減速した。
「私が予知能力をもったのは、お父さんとほとんど口をきかなくなってからよ」
「口をきかないって、親子喧嘩なのか」
「百パーセント親子喧嘩よ。ほかの理由はないわ」
 雪子は、やや下方を見つめながらボソボソと話していた。
「たまに口をきくと大喧嘩よ。最初は私のほうで避けていたけど、いまは両方が意識して会わないようにしている。どうでもいいような理由でケンカしたんだけど、どうしてか お父さんを心底許せなくて、ムキになってシカトしてた」
「そういうのって、あるあるだよ。反抗期と言われるのは癪だけど、なんかそうらしい。思春期になって俺たちの気持ちが親離れしようとしているんだ。意味もなく親が憎たらしくなってしまう。大人になる過程での心の通過儀礼ってやつみたいで」
「いつから思春期カウンセラーになったの。慎二のくせに偉そうで、なんだか癪に障るわ」
「本で読んだだけだよ。俺で悪かったな」
 雪子と会話するとつねに上から目線の言い方をされるのだが、慎二は悪い気を感じていない。姐さん女房のような心強さがあって、むしろ一歩下がってへりくだったほうがいいのでは、と思ったりもしていた。
「謝ったって許してあげないんだから。あとで焼き土下座十分間ね」
「ホントにドS根性の塊みたいな人だよなあ」
「それほどでも」と言ってから、くすくすと笑っている。 
「ひょっとして俺や菖蒲ヶ原さんのサイキックは、家族のもめ事が原因で発症というか、発揮というか、そういう能力が身についたのかも」
「それだったら、そういう人はけっこういてもいいんじゃないの。家庭環境がゴタゴタするのは、私や慎二だけじゃないでしょう。世の中サイキックだらけになっているわよ」
「だから、俺たちは特別なんじゃないかと」
「私が特別なのはわかるけど、慎二はべつにどうってことない陰キャな男子じゃないの」
「この屈辱的な会話には既視感がある」
 雪子が制服のポケットに手を入れて、ごそごそとやる。レモン味の飴玉を二つ取り出して、一つを慎二に渡した。彼が礼を言ってから包みを開けて口の中に放り込む。
「ううー、すごくすっぱい」
「一粒でレモン百二十個分のビタミンCが入っているの」
「ビタミンC中毒になりそう」
「おしっこが、めっちゃ黄色くなるのよ」
「いちおう俺は男子なんで、そういうことは言わないほうがいいのでは」
「やだ、なに想像してるの。ヘンタイなんですけど。キモいわ」
 慎二は、おばあちゃんが酸っぱい梅干を食べた時のような表情をしていた。
 二人はブランコを漕ぎながら、まったりとした時を過ごしている。
「そういえば、夕陽がきれいね」
「え、ああ、そうだなあ」
 慎二は、ずいぶんと長く話していたことに気づいた。
「ああーっ、ヤッバ」
 ゆっくりとしている場合ではないことを、ようやく思い出した。
「菖蒲ヶ原さん、ここを出よう。すぐに出よう。いま出よう」
「なに、うろたえているのよ。みっともないわね」
 慌てて立ち上がる慎二であったが、雪子は平常心のままだ。ブランコに勢いをつけて、風で足元に転がってきた缶ビールの空き缶を「えい」とばかりに蹴った。
 振り子の力が追加されて勢いのついたそれは信じられないくらい遠くへ飛び、「カッコーン」と小気味よい音を響かせた。
「痛―てえなあ、なんだこれえーっ」
 険悪な声が響いた。雪子が遠くへ蹴りだした空き缶が、ちょうど公園内を横切ろうとしていた男たちの一人、一目見て粗暴だと認識できるチンピラ男の後頭部に直撃したのだった。 
「おおー、ゴラアー、てめえか、これぶつけたの」
 さっそく、五人の男たちがブランコに座る高校生たちのもとへとやってきた。慎二は立ち上がって右や左を探すが、すでに逃げ道はなかった。 
「それ、あなたが飲んで投げ捨てたのだから、ちゃんとゴミ箱に入れておきなさいよ」
 彼らは十分ほど前から公園に来ており、昭和時代のヤンキーよろしく、しゃがんでタバコを吸い酒を飲んでいた。トイレの陰となっていて、話に夢中の慎二は気づいていなかったが、雪子はしっかりと見ていた。缶ビールの空き缶も、公園を出ていこうとして歩き出した男が投げ捨てて、それが突風に押されて転がってきたのだった。
「なんだ、このJK」
「ああ~ん。きっと、オレたちと遊びてえんだよ、なあ」
「おお、車出してやっからよう、これからオレらとドライブしねえか」
「かわいいなあ、女子高生はかわいいなあ、ぐへへ」
 雪子は、拉致・監禁する標的としては適格と評された。枝毛だらけの茶髪ロン毛の顔が、エロチックな妄想を極限まで膨らませている。
「あのう、俺たちは帰りますので」と、ここで慎二が空気を読まない行動をする。失礼しますと言って、雪子の手をつかみながら彼らの横を通り過ぎようとした。
「おいおい兄ちゃん、おめえ、なにとち狂ったことやってんだあ。ああーっ」
「オレらが帰っていいって言うまで、帰れねえんだよ」
 肩に入れ墨がある筋肉質の男が抱きついてきた。斜め後ろから首に腕を回し、絞め上げるように顔を近づけている。
「さっき、JKに怪我させられってっからな。慰謝料もらわねえとすまねえんだよ」
「いくらぐらいにしようか」
「そうだなあ、オレの後頭部がすげえ痛えから、とりあえず五十万でいいんじゃねえか」
「安すぎだろう、それ」
「まあ、足りねえ分は体で払ってもらうか」
 ぐっはっはっはと、下卑た笑いが沸き起こる。この粘着具合は致命的だと、粘着ワナにくっ付いてしまった慎二は涙目になっていた。
「もう、なんなの、このやっすい展開は。ねえ、あなたたちバカじゃないの。女の子を拉致したら即刑務所行きなんだけど。ニュースになって、ネットでさらされるけど」
 黙ってしまった男子に代わって、雪子が漢気を見せていた。
「ああ、心配すんなよ。こういうことは何度もやってっから」
「そうそう、ネットにさらされるのは、お姉ちゃんが泣き叫んでるさまだって」
「気持ちよくて、ヒイヒイ言ってな」
 再び下品な笑いである。慎二は具合が悪そうに青ざめ、雪子はウンザリしたような表情だ。
「はいはいは~い」
 なにを思ったのか、雪子は元気のよい小学生のように手を挙げた。
「ああ、なんだあ」
「私、ロナウドしちゃいま~す」
 軽やかで茶目っ気のある声だった。右足を後方に引いた雪子は、瞬時に、さらに鬼の加速度をもってロン毛男の股ぐらを蹴り上げた。
「ぎゃぎょぐっ」
 元気いっぱいな女子高生の脚力を過少に見積もるのは誤りだ。睾丸がえらいことになっているロン毛の男は、少なくともそう悟ったことだろう。
「クソアマあ、なにしやがる」
「ゴラア」
 残りの四人が一斉に雪子へ向かっていった。腕や髪の毛をつかまれた女子高生は激しく抵抗する。ヘッドロックされていた慎二も、無理矢理に巻き込まれてしまった。六人が一塊になって、わちゃわちゃと蠢いていた。
「慎二、飛べ」雪子が叫んだ。
「へ」慎二が?の顔だ。
「いいから飛ぶの」と言って、もがく雪子の左足が慎二の股間を蹴った。
「はぐっ」
 突き上げる苦しさに高校生男子が顔を歪めた刹那、ブランコ周辺の空間がギュッとしぼんだ。
「だはー」
「おわー」
「ぎょ」
「ぐよえー」
「なんだっ」
「はい、よっと」
 六人一塊が、少し高い位置から落下した。六弁の花びらが咲き開くように、それぞれがあおむけに倒れた。いち早く起き上がったのが雪子で、「いててて」と腰と下腹部に手を当てていた慎二の両脇に手を入れて強引に立ち上がらせた。
「やわらかい」
 抱き上げられる格好だったので、女子高生の胸が背中に押し付けられた。ひと時の極楽味わい、股間の痛みと相殺したことを知る。
「ちょっとう、いつまでも私に寄りかからないでよ」
「あ、ごめん。うっわ、ここどこ」
 慎二が周囲を見渡した。荒涼とした光景が地平線まで続いている。足元には乾燥しきった礫と砂があった。枯れ草がところどころにあり、空気が尋常ではないほど乾いていた。第三なかよし公園のブランコエリアではないことは、シロウト目にもわかった。
「タクラマカン砂漠よ」
「たく、たくわん砂漠、え?」
「タクラマカン砂漠。くわしい場所とかは後でググってよ。説明するのが面倒くさいから。ていうか、私もあんまり詳しくないから」
 慎二はポカンとして立ちすくんでいた。同じような姿勢は、周囲を見渡している四人のチンピラ連中も同じだった。
「おい、なんだよ、ここ」
「夢か、これ」
「どこだここ、オレどこにいるんだよ」
「やべえ、やべえよ」
 女子高生に性的強要をする目的など忘れ呆然としていた。体中の力が抜けきったように立っている。彼らに向かって、雪子が勝ち誇ったように言い放つ。
「まだお日様はあるけど、夜になったら、すっごく寒くなるよ。昼間は灼熱で夜は極寒。お兄さんたち、サバイバル頑張ってね。ここは、さすがのベアも泣きたくなる場所だから」
「え、ベア、ヤバッ」
 ベアと聞いて、クマがいるのかと慎二は恐怖する。
「有名なサバイバーのことでしょ。なにビビっちゃってんのよ、なさけないわね」
「さば、鯖?イカ?」
 サバイバル番組に興味のない慎二には、雪子が言っていることの見当がつかなかった。
 男たちは横一列になって、寂寥感漂う砂漠の絶景を見ていた。全員が口を半開きにして、鼻水が垂れている者もいた。思考力ゼロのアホ面ばかりだと、雪子は心の中で吐き捨てる。
「慎二、公園に戻るよ」
「え、どうやって」
 状況認識がままならない慎二は、雪子の意図することがわからない。
「ジャンプするのよ。あ、ちょっと待って。しっかりと手をつないでいないとね。こんなところに置いて行かれたら、たまったもんじゃないから」
 雪子の右手が慎二の左手を握った。華奢なくせに、熱量だけは豊富な女子の手が温かい。慎二の血圧が上昇し、汗ばんだ手の平を嫌がられるのではないかと心配した。
「早くしてよ。もたもたしてたら、あいつらが抱きついてきちゃうじゃないの」
「ああ、それじゃあ、ええーっと、どうすればいいんだっけ」
「っもう、しょうがないわね。ちょっと痛いけど我慢しなさいよ」
「え、ちょっと待って菖蒲ヶ原さん」
「えいっ」
「ぐえっ」
 半回転してからの左膝による股間への打撃であった。神聖不可侵な部位に対する本日二度目の衝撃に、へっぴり腰の姿勢で嗚咽を洩らした刹那、空間がクシャッと縮んだ。
「うわああ」
 次の瞬間、慎二は砂まじりの堅い地面に着地した。雪子は尻もちをついていたが、すぐに立ち上がり、スカートの尻の部分についた汚れを払い落とした。
「ふう、戻ってこられた。大丈夫だとは思ったけれど、やっぱり、なかよし公園は第三にかぎるわ」
 慎二も立ち上がり、股間を押さえつつ、キョロキョロと不安そうに辺りを見回している。
「あのバカはどこかに行ったみたいね」
 雪子に股間を蹴られて悶絶していた男がいなくなっていた。
「菖蒲ヶ原さん、これはどういうことなんだ。説明してくれよ」
「見た通りよ。チンピラに絡まれて絶体絶命だった女の子を、慎二のテレポーテーションが救ったってこと。ナイスね」
「俺はボコボコにされるって言ってたじゃないか。あれは噓で、こうなることをしっかりと予知していたのか。しかも、どうして蹴るんだよ。ここは太古の昔から蹴っちゃいけないルールがあるんだって」
 慎二は、いろいろなことに憤慨している様子だ。
「ウソが上手い嫁は金のワラジ虫を食べてでももらえ、って江戸の昔から言うじゃないの」
「嘘だ」
 ニヤッと微笑んだ雪子は、なぜか手足と体を珍妙に動かしていた。
「なんだよ、その謎の踊りは」
「私が可愛いアピールよ」
「いや、意味のないアピールなんだけど。それより、いまのことをしっかりと説明してくれよ」
 可愛い踊りを止めた雪子が腕を組んだ。
「私が予知したのは、私たちが一塊になってタクラマカン砂漠にジャンプしたってこと。でも頭に浮かんだ映像がちょっと断片的だったのよ。とりあえず慎二を蹴ったところは見えたから、そうしたまでよ」
「蹴る場所は、もっと慎重に吟味してほしかった」
 まだへっぴり腰の男子が言う。
「検討しておいてあげるわ」
 雪子は、ぺろりと舌を出した。
「それにしても、どうしてタクアン何だかの砂漠にジャンプしたんだろう」
「それは、私がそう願ったからじゃないかしら」
「?」
「人間のクズみたいな連中は、月の砂漠ではるばるすればいいと思ったから」
「俺のサイキックに菖蒲ヶ原さんの考えが影響したってわけか。これは不思議だぞ。てか、その歌詞を知っているのはおばさんだよな」
「そういうあなたも知っているじゃないの、おっさん」
「音楽の授業でやったから」
「私もよ」
 落ちかけていた夕陽が、光の赤方偏移でより朱色を増していた。カラスたちが鳴く時刻であると高校生たちは認識する。
「そろそろ帰りましょうか。今日は楽しかった」
「夜になるし、ほんとにいろいろと、って、ああーっ」
 安心した慎二は、忘れてはならないことを思い出した。
「あの連中はどうしよう。さすがに砂漠に置き去りはマズいだろう」
 雪子は両手の平を上に向けるアメリカンなポーズで小首をかしげる。さほど気にしていない様子だ。
「もう一度ジャンプして連れ戻してくる」
 両手を力いっぱい握って踏ん張るが、なにも起こらなかった。
「あれえ、ジャンプしない」
「慎二の意志ではどうにもならないのよ。なんていうか、無意識的な衝動みたいのがスイッチなんじゃないの」
「アソコを蹴られるのが無意識的な衝動ということか」
「知らない」
 雪子はそっぽを向く。その可愛い仕草に見とれてしまい、慎二は一瞬、大事なことを忘れていた。
「いやいや。だから、あの人たちを連れ戻さないと」
「いいのよ、あのままで。あいつらは砂漠に放置されるようなヒドイことを散々やらかしているんだから。ああいうクズは暑さと寒さに苦しまないと悔い改めないのよ」
 タクラマカン砂漠は、立ち入ると二度と出られないと言われている過酷な環境だ。水や食料や装備を持たぬ人間は数日ともたないだろう。
「菖蒲ヶ原さん、そのドSっぷりはシャレにならないよ」
 たとえ悪党といえども、人命は尊重したいと思っていた。
「近くに村があるし、ケイタイは通じるでしょ。私も鬼じゃないわ」と言う顔は無表情だ。
「ええーっと、そうか。わかったよ」
 彼女の言っていることが本当かどうかはわからない。気まずくなりそうな空気を嫌って、それ以上を訊かなかった。
「家まで送っていくよ」
「瞬間移動で?」
「いや、それは」
 思わず股間に手をあてがってしまう男子を、眼を細くした女子高生が見ていた。
「一人で帰れるから、けっこうよ」
 そう言って、ブランコを囲む鉄の柵に腰かけた。慎二は彼女の前にいて、帰ろうかと歩き出したところに、なぜかさっきの空き缶があった。ぐっしゃっと踏み潰してしまって、そのさいに足をくじくようにバランスを崩した。
「おっとっとっと」
 酔っぱらった中年オヤジみたいなセリフと千鳥足で、とびとびの値をとりながら前進した。
「あぶないっ」
 そのまま前のめりに転倒すると鉄柵に激突してしまう。雪子は慌てて立ち上がり、量子力学的な値で接近してくる彼を支えようとした。
 だが、ある程度の勢いのついた男性を一回り小柄の女性が支えるのは難しい。そもそも、おさえる個所とタイミングを合わせなければならないのだが、急ごしらえのカップルが瞬時に呼吸を合わせるのは無理があった。
「うわっ」
「きゃっ」
 慎二が雪子にぶつかって、そのまま押しまくった。鉄柵に足が引っかかって後ろにひっくり返る寸前で、逆エビ反りになった雪子がなんと持ちこたえた。
「ごめん、菖蒲ヶ原さん」
 倒れ込むことはなんとか防いだ雪子だが、そのためにある程度の防御力を犠牲にしなければならなかった。
「あっ」
「・・・」
 慎二の両手が、雪子のほどよく盛り上がった両胸をつかんでいた。転倒を防止するための止むを得ない位置取りなのだが、意図せずその温もりと柔らかさを体験してしまう。
「うっわ、ありえないくらいやわらかい。どうしてこんなにやわらかい」
 三度ほど揉んでしまったところで、猛烈に怒れる女子のグーパンチが飛んできた。
「ぐおへっ」
 不埒な男子の頬に強烈なる一撃がさく裂した時、辺りの空間が収縮し、次の瞬間二人はジャンプした。

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