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アンドロイド編

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 雪風東高校二年二組の教室。
 朝のホームルームにて、ちょっとしたイレギュラーが発生していた。担任の後ろについてくる者がいるのだ。
「転校生を紹介するぞ」
 転校生であった。小中学校ならいざ知らず、高校になってからの転校生は稀であり、じっさいにこのクラスでは初めてだった。
「雄別朝子、で~す、にょ~~~~~ん」
 担任が黒板に名前を記す前に、その転校生は自らを名乗ってしまった。
「あさっち、ってよんでくだしぇーー。にょ~ん」
 その昭和時代のオヤジじみたギャグに、とりあえず、クラスの全員がドン引きであった。
「うわあ、なんかヘンなのがキター」
「ヤバいんじゃないか」
「でも、けっこう可愛いぞ」
 転校生・雄別朝子は可愛かった。身長は女子平均よりも若干低く、大きな瞳はぱっちり二重で、小顔でもある。ツインテールが愛らしく なにかの薬物でも使用しているかのようにテンションが高かった。
「つか、乳デカじゃん」
「巨乳だ、巨乳」
 しかも、バストはその可愛い顔をあざ笑うかのように大きく膨らんでいて、豊満さをイヤというほど見せつけていた。少なからずの男子たちが、とくに胸のあたりに注目している。
「さあ、あたしの席は、どこ、にょ~~ん」
「ああ、こら、待ちなさい」
 クラス全員からの視線を浴びても臆することなく、さらに担任の制止を振りきって、転校生は自分の座るべき場所を探しに出かけた。獲物を物色するように、机と机の間をウロウロしている。
「じゃあ、ここにするね」
 そして空いている席を見つけると、彼女は躊躇なく座った。
「あのう、雄別さん。そこは空席じゃないって。持ち主はバスケの全国大会に遠征しているだけで、明後日には帰って来るけど」
 隣の席でくつろいでいるツインテールの転校生に、慎二はそう告げた。
「へえ、そうなにょ~ん。ピース」
「うっ」
 この女はふざけているのか天然なのか、見極めが困難だと思った。
「だから、他の席に移ったほうがいいんじゃないかと」
 人付き合いが下手くそな慎二にしては、がんばって話しているほうである。
「そんなの関係ねえ、にょ~~~んだ。それと、あさっち、って呼んでね。雄別って苗字は、あんましすきじゃねえ、つうか。にょ~ん」
 話しの語尾についてくる「にょ~ん」の言葉に、慎二はイラッとしていた。同時に、そのアンニュイな響きが萌え心を撫でまわし、なんともくすぐったかった。
「雄別朝子さんって、一組の雄別夕子さんの姉妹とか、親戚とか」
 雄別という苗字はなかなかに珍しい。長期休みとなっている雄別夕子と関連があるのではないかと、彼女が自己紹介した時から慎二は考えていた。ひょっとしたら、なんらかのサイキックではないかと、じつは警戒もしている。
「雄別夕子って、だれさ。そんなの知らないにょ~ん」
 あっさりと否定されてしまうが、別角度からの猜疑もあった。
「ひょっとして、雄別夕子さんが変身サイキックをしてるとか。でも、ちょいブサではないよな」
 雄別夕子は姿を変えられるサイキックの持ち主である。ただし、誰に変身しても微妙にブサイクなのが特徴だ。その転校生は、雪子とは違うタイプの美少女であった。
「サイキックって超能力のことかにょ~ん。はは~ん、お主はイタイタしい中二かな」
「いや、そのう、なんでもないよ。思い過ごしだった」
 苗字が同じであるのは偶然だと判断した。慎二は、それ以上の追及をしない。
「ねえ、your name プリーズ」
「えっ。それは、ええっと」
 唐突にまったく予期せぬ質問を浴びると、その答えが自明な場合でも、とっさに返答することができない場合がある。にょ~んな美少女から名前を訊かれて、慎二は戸惑ってしまった。
「慎二、かな」
 苗字ではなく、名前を言ってしまったことに多少の照れを感じていた。自意識過剰な男だと思われているのではないかと不安になり、最後に保険として疑問符をつけてしまう。
「苗字をきいているのに名前を言うお主は、さては自意識過剰野郎だ、にょ~ん」
 両手を招き猫ポーズにして、ズズーっと慎二にすり寄ってきた。大きくのけ反りながらも、にょ~んとは猫をモチーフにしていたのだなと納得する。
 一時間目の授業が終わり、短めの休み時間となった。転校生を囲むように女子たちが集まって、朝子のいろいろなことを訊きだそうとしている。
「へえ、雄別さんってパソコンに詳しいんだ」
「まあ、パソコンというか、コンピューターというか、プログラミングというか、ハッキングというか、電子工学というか、理系にはやたら詳しい、にょ~ん」
 女子たちの話を、隣の席の慎二は聞いていないフリをして聞き耳を立てていた。
「それと、あさっちって呼んで、にょ~ん」
「じゃあ、あさっち、今度ゲームをやろうよ」
「ねえねえ、あさっち、ハッキングでなにか買ってよ」
「あさっちって、可愛いいよねえ」
 こういうアニメチックな特異キャラは、たいていは避けられる傾向にあるのだが、雄別朝子にはもって生まれた人間力があるのか、そこそこに人気者であった。
「あっ、と」
 慎二がポケットからティッシュをとろうとして、それを落としてしまった。
「にょ~ん、っと」
 朝子が制服のポケットからハンカチを取り出そうとして、一緒に入れていたティッシュを落としてしまった。その動作はほぼ二人同時であり、さらに床に落としてしまったそれぞれのティッシュを拾うタイミングが同期した。
「あれえ、そのティッシュ、あさっちといっしょだ」
 二人が拾い上げたティッシュは同一メーカーであり、まったく同じデザインだった。
「お主、真似したにょ~ん。もしかしてストーカーしてたとか」
 慎二が朝子をつけまわし、身に着けている物品を調べて、同じものを持つことにヘンタイ的な悦楽を感じているのか、という質問だった。
「今日転校してくることも知らない女子の持ち物を、どうやって調べるんだよ。エスパー的な変質者しかできない芸当だぞ」
 慎二は、いつものように抑揚のない声で切り返す。
「いや、新条ならアリかも」
「そうそう。なにやらかすか、わかったもんじゃないから」
「朝礼台でディープキスをするヘンタイだし」
 集まっていたクラスメートの女子たちが、口々に罵りの言葉を吐いた。
 目の前で悪口を言われても、慎二は気にする様子でもなかった。頬杖をつきながらあくびをして、気だるそうに窓の外を見ていた。
「にょ~ん」
 そんな泰然とした態度の男子が、朝子はなんだかとても気になるようだ。
「うわあ、な、なに」
 突然、雄別朝子が慎二の顔の前に自分の顔を寄せた。face to faceな状態のまま、二人の接近は限界まで達した。鼻頭と鼻頭がこすれ合い、唇と唇が触れ合うのも時間の問題かと思われた。
「こ、ちょっと」
 たまらず、慎二のほうからのけ反るように離れた。その極めて親密なファーストコンタクトは、寸前のところで回避された。
「ウソでしょう」
「ちょっと新条、あんたなにやってんのよ」
「チカン、痴漢よ。新条があさっちにキスしようとした」
 女子たちが騒ぎ出し、クラスの視線が慎二と朝子に集中した。
「ち、ちがうぞ。雄別さんのほうからだって」
 さすがにこの状況で誤解されるのは甚だ不本意である。慎二は、違う違うと狼狽えながら無実をアピールした。
「アハハハ、にょ~ん」
 慎二の慌てふためく様子が楽しいのか、朝子は笑いながら猫ポーズを決めた。本人がまったく嫌がっていないことが、慎二の無罪を証明していた。
「なんだよ、悪ふざけか」
「つまんねえな」
 クラスの視線は興味の対象を見失い、女子たちもそれ以上騒ぎ立てることはしなかった。
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