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アンドロイド編

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 翌日、慎二は授業を休むことにした。
 体調は問題なかったが、風邪であると学校にはウソの連絡をした。昨夜はじいさんになってしまったピーちゃんのこともあり、夜の街を見回ることができなかった。今日は授業をサボタージュしてまでも徹底的に捜索して、もう一人の雪子を探し当てるつもりであった。
「パタパタパタパッタ、ぐっへぐっへ」
 街中をピーちゃんジジイが走り回っていた。慎二は一人で出かけるつもりだったが、昨日まで鳥だった年寄りを家に一人で放置するには不安があった。本人も外に出たがっていたので、思い切って同行させることにしたのだ。 「外はええのう。めんずらしいものが、ぎょうさんあるでえ」
 狭いケージから放たれた年寄りは上機嫌である。パタパタと手のひらをバタつかせながら、とにかく節操なく動き回っていた。
 消火栓を見つけてはイヤらしい手つきで撫でまわしたり、ベビーカーを覗き込んで子供に泣かれたあげく母親に毒づかれたり、スマホに夢中なお姉さんの後ろでしゃがみ、誰憚ることなく堂々とスカートの中を覗き込んでいた。 
「おい、じいさん、なにやってんだよ。こっち来いって、捕まるぞ」
 信二がパーカーのフードをつかんで引きずってくる。年寄りは抵抗しないが不服そうだ。  
「見るだけタダじゃろうが。主はケチくさいなあ」
「それが犯罪なんだよ」
「パンチーを見てるだけで、裸を見てるわけではない。ワシなんて生まれてからずっと裸のハだ。ウンコするときだって見られてたんだぞ」
「それとこれとは違う」
 ピーちゃんジジイは歩道に座り込んだ。マンホールの模様を興味深そうに眺めながら、慎二へ問いかける。
「ところで主よ、学校には行かないのかいな。こんなところでサボッちょったら補導されるぞな」
「もう一人の菖蒲ヶ原さんを探さなければならないんだ。ピーちゃんがじいさんになったこととか、きっといろいろと知っているはずなんだ」
「ワシはこのままでもええがな。鳥はアホなんだ。三回羽ばたいたら、たいがいのことは忘れちょるからな。このぶっ壊れた世の中じゃあ、アホが一番じゃて」
「かってに世の中を破壊するなよ」
 幼女ならいざ知らず、じいさんを養うのはかなりキツイことである。できることなら、まっ白なオウムに戻してあげたいと慎二は思うのだ。
「パタパタパタ、びょーーん」
 ピーちゃんジジイが呆けた顔で走り出した。慎二が止めようとするが、能天気な年寄りは、その手をすり抜けて行ってしまう。
 その繁華街の通りでは、若い男がパーカッションの演奏を披露していた。ドラムセットではなく、幼児用のおもちゃの太鼓や空き缶、ヤカンなど用いていた。
 ミュージシャンが使用するには不釣り合いなアイテムであったが、そういうガラクタ類で素敵なパフォーマンスをするという芸である。路上に置かれたプラスチックのどんぶりには、すでに小銭に投げ込まれており、一枚だけだが紙幣もあった。観客が数人いて、おもに十代の彼ら彼女らがしゃがんで聴いていた。
 そこへピーちゃんジジイがやって来た。ストリートミュージシャンが雑多な物を打ち鳴らす様を、もの珍しそうに見ている。やがて腰と足が動き出した。 
「あはは、なんだよ、このじいさん」
「ノリノリじゃんか」
「リズム感がハンパねえ」
 ステップと腰の振りだけであるが、打ち鳴らされるパーカッションに、ぴったりと合っていた。最初はゆったりとしていた演奏が、ピーちゃんジジイを挑発するかのように早くなった。
 年寄りの下半身がせわしなく動き、一拍たりとも後れをとったりしない。アスファルト路面でなかったら、土埃が舞っていたであろう速さだ。曲はクライマックスを迎え、最後の一叩きでピーちゃんジジイの両足が整った。
「おおー」
「めっちゃスゲー」
 立ち止まって見ていた通行人からの喝采が熱かった。
「じいさん、あんまり目立つなよ。そしてチョロつくな」
 演奏者からスティックを奪い、調子にのって叩きまくるピーちゃんジジイをその場から引き連れようとするが、またもや慎二の手をかいくぐった。あかんべえ、をしながら逃走する。  
「うぎゃ、ほげっ」
 後ろを向いて走っていたので、前から歩いてきた女性にぶつかってしまった。 
「ほら、言わんこっちゃない」
 ピーちゃんジジイが小柄なので、見事な膝蹴りを食らってしまった。女性は年寄りを気遣うことなく慎二の前に来た。
「やあ少年、元気してますか」
 若い女性であった。服装含めて見た感じはどこにでもいそうなOL風である。慎二とは初対面だが、親しげに話しかけてきた。 
「すみませんでした。ぴーちゃんが、いや、祖父が不注意でぶつかってしまって。けして痴漢ではないです。少しボケているので悪気はないんです」
 慎二が頭をかいて、頭を下げた。飼い主としての謝罪であったが、女性はおだった年寄りが体当たりしてきたことには無関心であり、気にもしていない態度だ。
「悩んでいますか、少年」
「え、あ、まあ」
「それは朗報です。セルフを感じていますか」
 唐突に重要な単語が投げかけられた。ハッとした慎二が二歩ほど後退して身構えた。
「あんた、誰だ」
「わたしは雄別昼子です」
「ゆうべつ、ひるこ?」
 雄別というオブジェクトには反応せざるを得ない。
「ひょっとして、雄別夕子さんか。変身サイキックで社会人のお姉さんに化けているのか」
 慎二は雄別昼子の顔をよく見た。ほどよく整っていて、美人の範疇に入っているといっていい。雄別夕子のように、ちょいブサではなかった。雰囲気も地味というより質素であり、小奇麗にまとまっている感じだ。
「北へ行きなさい」
 昼子は、北の方角を指さして言った。
「セルフとともにあらんことを」
「あ、待って」
 昼子は背中を見せて歩き出した。慎二が追おうとするが、歩道に転がっていたピーちゃんジジイを踏んづけて転んでしまう。
「イタタタ。主よ、足元には気いつけろや。キンタマがつぶれたぞ」
「タマどころじゃないんだ」
「ワシのタマタマは大事にせいよ。ぶふぇ」
 慎二が急いで立ち上がり、再度年寄りの股間を踏みつけて進むが、すでに昼子の姿は雑踏の中へ消えてしまっていた。
「何度も踏むな。年寄りには敬意を払え。屁をたれてしまったじゃろうが」
「じいさん、いまの女の人を探すんだ。俺は歩くから、とりあえず飛んで上から見てくれ」
「じじいが飛べるかっ」
 翼のないオウムは、ただの腰痛持ちジジイだ。臭い屁もたれる。股に手を当てている年寄りを頼ることはできなかった。
 慎二は自分だけで行こうとするが、ピーちゃんジジイを一人にしておくと、なにを仕出かすかわかったものじゃない。連れて行くしかないと決心する。
「あ、こりゃ、引っぱるな。わしゃ、ションベンしたいんじゃ」
「いいから一緒に来てくれ」
 二人は街の中を歩けるだけ歩いた。カフェやラーメン屋、ファストフードなどの飲食店を覗き込み、その他の、たとえばレディース専門のブティックなどもチラ見した。
 高校生男子とジジイという組み合わせが不審がられたりしたが、店員が注目する前に素早く逃げた。OL風の女性はたくさんいたが、雄別昼子の発見には至らなかった。もう一人の雪子も同様である。
 夢中で捜索を続けて、いつの間にか昼を越えていた。腹が減ったと不平を言う年寄りに激安スーパーの半額弁当を与えて、自分は菓子パンを食べながら公園のベンチに座った。
「せっかくの手がかりを見失っちゃったか。もう一人の菖蒲ヶ原さんも、いそうにないし」
「主よ。この世界はアノマニーだらけなんじゃ。焦ってしまうとこんがらがって収拾がつかなくなるぜよ」
「だったら、どうすればいいんだよ」
「押してもダメなら引いてみるっちゅうことやな」
「向こうからくるのを待つってことか」
「そういうこっちゃ」
 公園の地面で餌をあさっていたハトの一群が、突如として一斉に飛び上がった。二人で見てしまったので、会話が一瞬途切れた。
「ところで、アノマニーってなんだよ」
「パタパタパタパタ」
 気を取り直して話を再開した慎二だが、腹を満たしたピーちゃんジジイのテンションが上がっていた。両手のひらで小ざかしく羽ばたいて、若い女性の尻をポイントしながら追いかけてしまう。
 今日は夜まで捜索を続ける気であったが、いったん帰宅することにした。想像していたよりも疲れてしまったことと、やはり年寄りと一緒ではやりにくい。家に置いて一人で捜索したほうがいいと考える。
「じいさん、帰るぞ」
「え、なしてじゃ。まだまだもの足らんぞ」
 慎二は、女子大生の尻に注目している元オウムの襟首をつかんで家路についた。パタパタパタパタと、年寄りは引きずられながらも羽ばたき続けていた。
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