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アンドロイド編

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「フラれた男と一緒に食べるハンバーガー、なんだか味が薄く感じますよ。パテにジューシーさがないというか、ソースが少ないというか、縁起が悪いというか」
「俺が味気ない男だからフラれたとでも言いたいのか、朧」
「僕はぜんぜん思わないですけど、菖蒲ヶ原さんはそうなんじゃないかな」
 慎二と朧がいるのは、学校近くの、よくあるファストフード店の道路を挟んだ向かいにある、なかよし子ども公園だ。ブランコに腰掛けながら、一番安いハンバーガーを食べていた。
「しかし、おごってくれるのなら、もっと豪華なやつがいいのだけども。たとえば、チーズとベーコンが入ってるのとか」
「ピーちゃんジジイが飲み干した母さんの酒を弁償しとかないとならないから、あんまり金を使えないんだよ」
「ペットはお金がかかるんですよ。慎二先輩みたいな小市民は、クワガタムシあたりが妥当だと思います」
「悪かったな、小市民で。あのじいさん、年寄りのくせしてよく食べるから食費もばかにならないんだ」
「僕は食べ頃だと思うけど、どうでしょうか」
 胸を両手でつかんで揺すぶって挑発するが、慎二はチラ見しただけだ。
「赤川にでも言ってくれよ」
「赤川先輩にいじられても楽しくはなさそうです」
 慎二は素っ気ない態度であるが、ちょっとばかり緊張していた。朧は楽しそうに足をぶらぶらしていた。二人は、それぞれ二個目のハンバーガーにかぶりついている。
「ああ~、状況がさらに入れ込んできて、わけがわからなくなってきたよ」
 慎二は頭を掻き毟った。
「じゃあ、また整理してみましょうか」
 ブランコを下りた朧は、ブランコの防護柵に腰掛けて、まだブランコに座っている慎二と対面するような位置になった。
「まずは、震源地の菖蒲ヶ原さんですね。慎二先輩に対する嫉妬が無意識レベルで熟成された結果、自意識過剰なクソ女、いや、アンドロイド女になってしまった。上昇志向が強い彼女は、恋人の陰キャな慎二先輩が邪魔になり一方的に捨てた。ゴミのように」
「う、」
 朧の「ゴミのように捨てた」という言葉に、心をえぐられる慎二であった。
「嫉妬の対象であった、にょ~んな彼女は消えてなくなり、さらにその記憶までもがみんなから失われた。余震はまだまだ続き、ピーちゃんがじいさんになって、僕は女体化してさらにアンドロイドとなった」
 列挙される事実について、慎二はいちいち頷いていた。公園という場所に心が落ち着いたのか、二人はまったりと話していた。
「なお、ほかに生身の朧がいるかどうかは知らないが、アンドロイドの菖蒲ヶ原さんには、オリジナルと思われる菖蒲ヶ原さんがどこかに存在しているはずだ、ということが言える」
「それと北へ行けというメッセージ」
「ありましたね、そんなことも」
 ここで慎二は、朧に伝えていなかった出来事を話すことにした。
「じつは雄別昼子っていう女の人に会って、同じことを言われたよ」
「初耳ですね。誰ですかそれは」
 午前中に街で出会い、そして学校で朧に声をかけられる前まで話していた内容を伝えた。朧は興味深そうに聞いていた。
「待っている人がいるって、誰のことなんだろうな。セルフが何とか言ってたし」
「なんとかって、なんて言ってたんですか」
「セルフとともにあらんことを、とか」
「たぶん、待っているのは宇宙の騎士ですね」
「それは{フォース}の使い手のことか」
「{ソース}、がたれてますよ、慎二先輩」
 安いハンバーガーを食べ終えた慎二だが、飲み物のコーラはほとんど残してしまった。対して朧は、自分のカップのすべてを飲み干してしまい、ストローの内部に空気を噛んだ残り汁を、ズズーっと下品な音を立ててあさっていた。
「ほら」といって、彼女のところまで行った慎二は、自分の飲みかけコーラを渡した。ふふん、と頷いて朧は受け取った。
「これは、慎二先輩との間接キッスということになりますね」
「そう思ってくれれば、彼女なしの俺はうれしいよ」
 アンドロイな校務員女子に、慎二のコーラはあっという間に吸い尽くされた。
「いま気づいたけど、アンドロイドなのに食べたり飲んだりするんだな」
「アンドロイドであって、ロボットじゃないですからね」
「違いはなんだよ、朧。ひょっとして、栄養をとらないとしぼんでしまうのか」
 朧のもっとも発達した部分をチラッと見て、慎二が軽口をたたく。
「ググれ、カス」
 やや険悪な雰囲気を振り払うかのように、慎二がわざとらしく咳払いをした。
 二人が話しを続けていると、トイレのそばにある茂み付近から、危ういざわめきが聞こえてきた。
「慎二先輩、あそこで何をしているんでしょう。大勢いますけど」
「チンピラ同士の抗争みたいだな。十人はいるから、派手なケンカになりそう。朧、ここを出よう。巻きこまれたくはないからさ」
 慎二はすぐに避難しようとするが、朧の目線はある一点をポイントしたままだ。
「おい、朧、どこに行くんだよ。公園はアブナイやつらが多いんだって」
 彼女は歩き出してしまった。よりにもよって、トラブル臭が濃縮しているトイレわきの茂みへと向かっている。あわてて慎二が後を追う。
「朧、まさかあそこに行くのか」
「そうですよ」
「なんでだよ。手ひどく絡まれるぞ」経験者は語る。
「あれ見て」
 公園の一角で剣呑な雰囲気を醸し出している連中の中に、慎二がよく知っている人物がいた。しかも四人である。
「赤川、それと広末たちか」
 赤川と三人の女子が、七、八人ほどの若い男たちに囲まれていた。赤川は女子たちの前に立ち、両手を後ろで囲んで守ろうとしている。高校生がチンピラ集団に襲われている典型的な場面で、だからこそ赤川と女子三人は絶体絶命の状況なのだ。
 朧は早足になった。つられて慎二も急ぎ足になる。気づけば、赤川たちと一緒になっていた。
「慎二、それと朧も」
 突然走って現れた二人を見て、赤川は驚いていた。その前は厳めしい顔で周囲の男たちを睨みつけていた。怯えているのか、三人の女子はいまにも泣きだしそうである。
「なんだこいつら。乱交しようってか」
「おいおい、このボーイッシュな姉ちゃん、けっこうな巨乳だぜ」
「しかも可愛いじゃんか。だれか車持って来いよ。拉致っちゃおうぜ」
 チンピラ連中は朧の参加を歓迎していた。そのかわり、慎二の存在は気にも留められていない。この状況には既視感があるなと思いながら、慎二は友人にいきさつを訊ねる。
「赤川、これはどういうことなんだ」
 広末ら女子三人とカラオケをして、公園に来たところでこの連中に絡まれた。以前、この中の一人、いまどき鼻ピアスをした男と揉めて、勢い余ってぶちのめしたことがあると、赤川は早口に説明した。
「ふ~ん。じゃあ、仕返しか」ぼそりと朧が呟く。
「もう、やられているのか」 慎二の声は、少しばかり悲しそうだった。
 赤川の顔は、目の周りが腫れて唇が切れていた。それなりの戦いの痕が見てとれたが、まだまだ序の口という周囲のオーラから察すると、その怪我もウオーミングアップ程度といえる。
「まだこんなもんじゃねえぞ。こいつには恨みがあるからな」
 いまどき鼻ピアスが、さも悪辣な顔で赤川を睨んだ。
「なあ、女はどうするよ」
「だから、車で拉致るって言ってるんだって」
 なかよし公園の茂みは、けっこう深い。大きな広葉樹が枝と葉をいっぱいに広げているので、そのあたりは死角になりがちだ。多少の騒動は見逃されてしまのである。
「くっそう、てめえら」
 赤川の戦意は喪失していない。自分がどんなにひどい目に遭っても、女子たちを守りぬく根性を見せていた。ただ慎二と朧の飛び入りは想定外らしく、うれしい反面、ほとんど戦力にならぬであろう友人たちの処遇をどうしたらいいのか定まらないでいる。
 チンピラ集団の輪は、その陰惨な気合と淫らな期待を孕みつつ、徐々に狭まっていた。緊張感が極限に達しようとしている。子犬が屁をしただけで、一気に火が点きそうだった。
「なあ、提案があるんだけど」
 一斉に飛びかかろうとした刹那、慎二が手を上げた。まったく警戒していない相手からの、思いもかけない制止はあんがいと効くことがある。出鼻をくじかれた集団は、やろうとする気勢を削がれた。ものの見事に止まったのだ。
「俺とこの赤川とそこの彼女たちを見逃してくれないか。代わりに、この女を置いていくよ」
 そう言うと、隣に立っている朧の背中をポンと叩いた。一歩前に出た大きなバストの女子を、野獣たちは舐めるように見つめた。
「慎二っ」
 赤川が鬼の形相で睨みつけた。この世の中で最も卑しく下劣な人間を唾棄している目線だが、慎二は無視した。
「この子よりたちも胸がはるかに大きいから、大人数でも十分に楽しめると思う。それと、ぶっちゃけ可愛い女のほうがいいだろう」
 胸の大きさと可愛さを朧と比べられた女子たちは、いまはセクハラ大王に罵声を浴びせかける元気がない。あっあっ、と言葉を詰まらせて慎二の背中を見ていた。
「カス野郎の慎二先輩らしくて泣けてきますよ」朧の感想には抑揚がなかった。
 赤川が慎二の後頭部を殴ろうとした時、振り向いた朧と目が合った。小さくうなずく後輩を見て、これはなんらかの作戦なんだと気づいた。
「そういうわけで、僕がおまえたちの相手をしてあげるから、拉致するなりなんなりしてくれ。べつに優しくしてくれなくてもいいんだから。てへ」
 予想外の展開に、チンピラ集団が戸惑う。総意がまとまるのにしばしの時間がかかった。たいして良くもない頭が、自分たちの都合のいいほうへと解釈を練りつくす。
「なんだかしんねえけど、くれるってものはありがたくもらってやるよ」
 彼らのリーダーらしい、スキンヘッドの男が朧の前に出た。いかにも不埒で下衆な岩石顔がニタリとする。朧の胸の付近を舐めつくすように見つめていた。
「でもよう、この女だけってのは物足りねえなあ」
 リーダーが大きな声でそう言うと、取り囲んでいるケダモノたちがゲヘヘと賎しく笑う。
「まずテメエと、そこのイケメン君はボコボコにするぜ。そのあとで、この乳デカ姉ちゃんと、そこの彼女たちを連れていく。そういうことでどうだ、ああ~ん」
 しょうがないなと、慎二は両手をあげた。好きにしてくれとの意思表示であるが、態度はあくまでもシニカルであり、かえって小ばかにしているような仕草でもあり、危機感の欠片もなかった。
「ナメてんじゃねえぞ、ゴラア」
 集団から、いきがった一人が慎二の胸ぐらをつかもうと歩み出るが、その前に朧が立ちはだかった。
「せっかく僕を差しだすって言っているのに、ほかの女も連れて行くとは、傷つくじゃないですか」
「るせえ、クソ女」と叫んで、いまどき鼻ピアスが行動した。
 彼は朧の首をつかんで地面に転ばせて、その豊満な胸を踏みつけてやろうとの邪な行為を企図したが、残念なことに、そうはならなかった。
「どうしました、牛さん。具合が悪いんですか」
 鼻ピアスは朧の首に手をかけているのだが、なにもできていない。力を入れて引きずり倒そうとするが、一ミリたりとも動いてくれないのだ。
「女相手に、なにナメられたんだ」
「巨乳にチビっちまったのか」
 ほかのチンピラから嘲りが投げつけられた。彼らは弱ったものが大好物で、それは仲間であっても変わりはない。
「うっせー」
 頭に血が上ったのか、両手で朧の首を絞め始めた。その暴力の中には、うっすらと殺意が混じっている。勢いによっては暴発する可能性がありそうだ。
 校務員は、それほど遠慮する状況でないと理解した。あまりやりすぎるなよ、と後ろで慎二が声をかけるが、どれほど手加減できるか、とりあえず確認することにした。
 自分の首を絞め上げようとしている鼻ピアスの腕をつかんで、そのままググーっと押し出した。
「な、なんだコイツ。なんだ、離せ」
 鼻ピアスは狼狽していた。まるで重機のような力で押され、両腕が開いていき、さらに上がるのだ。
「ばんざ~い、なんてね」
 たいしておめでたいことがあったわけでもないのに、校務員と鼻ピアスの若者が揃ってバンザイをしていた。
「おい、遊んでんのか」
 岩石顔がイライラしていた。格下が一番おいしいご馳走を勝手に独り占めし、楽しんでいると思っていた。
「くっそー」と叫んで、鼻ピアスがバンザイしたまま頭突きを食らわした。ケンカはあまり強くはない彼であるが、無抵抗な弱者への頭突きには定評があった。
 しかしながら、「ぐっは」と仰け反って意識を失いかけたのは攻撃した鼻ピアスのほうだった。
「頭痛が痛くないので、空を飛んでみなさいな」
「うわあ」
 朧が放り投げると鼻ピアスが空を飛んだ。滞空時間は意外に長くて、つまりそれは彼の受けるダメージが大きいことを意味する。
 着地したのが、最近の温暖化で異常に繁茂したキンモクセイの生垣なのが幸いし、衝撃のわりには大した怪我はなかった。清掃が行き届いたトイレのような、懐かしい芳香が周囲へ放出された。
「まさかこれで終わりではないでしょう。もの足りなくて、おかわりしちゃいますよ」
「ふざけんなっ」
 朧の挑発にリーダーの岩石顔が即答した。言葉だけではなく、威力のある右ストレートの拳で、彼女の頬をぶん殴った。
「どうしました。それだけですか」
 だがしかし、チンピラリーダーの拳は朧の頬で止まっていた。ちなみに彼女はまったくダメージを受けておらず、一センチも動いていない。
「じゃあ、僕もちょっと殴ってみるかな」
 小さな拳が目にも止まるぬ速さで炸裂した。岩石顔のリーダーが、ガクンと膝を落とした。鼻が潰れ前歯の上二本がなくなっていた。戦意と気力とプライドを失い、呆然と跪いていて崩れ落ちる。
「テメエ、なにしやがった」
「くそアマア」
 右から来たチンピラには左フックで、顔をおさえてうずくまっているリーダーを乗り越えて正面からやってくる奴には回し蹴りを、左から踏み潰されたネズミのような奇声を発しながら突進してきたグラサン野郎には、頭突きを食らわせた。瞬く間の出来事であり、三人の男たちが地面に転がったのも瞬時だった。
「朧、いったいどうしたんだ。なんなんだよ」
 赤川が朧の無双ぶりに驚いている。彼の背中へ隠れている女子たちは、まるで手負いの熊を見るような目つきだ。
「なんだこいつ、普通じゃねえぞ」
「格闘技やってるのか」
「ちげえよ。きっと異能力者だ」
 仲間たちが、あっという間にやられてしまった。相手は可愛げな顔をしたごく普通の女の子である。チンピラたちは混乱し、あるいは怖気づいてしまい、一部が夢見がちな中二病の見解を口にするが、それは当たらずしも遠からずである。
「だったら武器を使えばいいじゃん」
 一人が尻のポケットからナイフを取り出した。チンピラ映画ではおなじみのバタフライなそれを、ヒュンヒュンと振り回して朧に向かっていった。
「朧がヤバいぞ」
「待て」
 赤川が前に出ようとするが、慎二が止めた。
「朧なら大丈夫だよ」と言って涼しい顔である。
「いや、そこは僕を助けるシーンでしょう。止めたりしないでくださいよ、カス野郎」
 振り向いた朧が赤川の漢気を止めた男を注意した。慎二は苦笑いだ。
 その時、「危ない、朧」と赤川が叫んだ。
 ヒュンヒュンと、切れ味よく空気を切り裂いたバタフライナイフが校務員の頭上に振り下ろされたが、その切っ先が脳天に刺さる五ミリ前に、朧の後ろ手がチンピラの手首をつかんだ。ナイフを持ったそいつは腕を動かすことができず、下半身はジタバタとせわしなかった。
「離せ、このアマア」
「あのですねえ、さすがにナイフはやりすぎでしょう。僕がふつうの女の子だったら死んでしまう案件ですよ。えいっ」
 向き直った朧が、ナイフチンピラの股間を蹴り上げた。
「ぐっひゃ」という嗚咽と、なにかが割れる不吉な音が響いた。男は口の端から淡黄色の泡を吹き、さらに白目を剥いて崩れ落ちた。
「申し訳ありませんが、ひょっとしたら潰しちゃったかもしれませんね。てへ」
 その蹴りには大型バイク一台分の最大トルクがかかっており、股間のもっともデリケートな部分が破壊されてしまった。これから一生使い物にならなくなった男に、朧は心からの謝罪をした。
 まだ朧と対戦していない連中も、金属バットや鉄パイプなどを持っていた。なかなかに下準備に秀でた集団であったが、「まだやるのかな、にゃあ」と、ネコ招きポーズをとって挑発する校務員に立ち向かおうとする漢はいなかった。
「冗談じゃねえ」
「こんなヤバいの、相手にできるかよ」
 チンピラ連中は去ってしまった。薄情にもケガ人は放置されたが、朧にとどめを刺すつもりはない。かといって介抱する気にもなれずどうしたものかと悩んでいると、退場ぐらいは自力でするとばかりに、全員がほうほうのていで逃げていった。 
「大丈夫でしたか」
 朧が戻ってきて高校生たちに声をかけた。赤川は引きつった表情ながら、なんとか笑みを浮かべることができたが、女子三人の緊張感はまだピンと張りつめたままだった。
「ありがとう、朧。助かったよ」
「お礼は言葉ではなくて、現金でお願いします」
 赤川は苦笑するが、いまだ怯えきっている女子三人が、そろって財布を差し出した。 
「いや、軽めのジョークなんですが」
 慎二が噴き出してしまい、冗談を曲解された朧は戸惑いの顔だ。
「朧、凄く強かったんだな。はは、びっくりしちゃったよ。オレはいい後輩をもったよ」
 後輩女子の異次元の強さに困惑しながらも、赤川は危機を脱したことに安堵していた。慎二を見て軽く笑みを浮かべ、親指をあげてから女子たちに耳打ちをした。
「あの、ありがとう」
「用務員さんって、すごく強いんだ」
「なにか手伝うことあったら声かけてよ」
 女子たちは朧へはお礼を言って、慎二に対しては敵意のこもった目線をぶつけた。赤川が再度礼を言って、女子たちを連れて帰った。
「あんがいといい人たちですね」
「なぜか俺には冷たいけどな」
 そういう扱いに慣れてしまって、じつはしっくりくると、本人はそれほど落ち込んではいない。
「それにしても慎二先輩は僕を見捨てようとしましたね。カス野郎を通りこして、ゴミクズ野郎です」
「三階から落ちても怪我一つしないアンドロイドなんだから、無敵だと思ったんだよ」
「僕はか弱き女の子になったんですよ。少しくらい、漢気を見せつけたらどうですか」
「俺が漢気を見せたら、俺がボコられるだろう。いい男は金と腕力には縁遠いんだよ」
「それは赤川先輩のことであって、慎二先輩には当てはまりません。金も腕力もないし、いい男ですらありません」
 後輩女子からの散々な物言いを受けて、がっくりと肩を落とす慎二である。
「いちおう、不本意ながら慎二先輩も助けてあげたんだから、お礼は受け取らなければなりません」
「とりあえず、現金はないからな。今度たい焼きでもおごってやるよ」
「チューでいいですよ」
「はあ?」
 なにを言っているのだと、慎二が言う前にそれは為された。
「んーーーーーー」
 朧の唇が慎二の唇へ触れた。約三秒間、二人は永遠の時を共有していた。
「う、うわあー。お、おま、なにするんだよ」
 先に離れたのは朧であり、慎二は一歩も動かず顔全体を口にして喚いていた。
「冗談ですよ」
「じょ、冗談でキスするなよ。な、なんなんだ。びっくりするなあ、もう」
 自分の唇に指を当てて、後輩女子の柔らかな感触を反芻していた。心臓の内部から熱く猛った拳がボコボコと突き上げていた。キスをして、なんとも言えぬ多幸感を得たのは雪子との場合と同じだと、慎二は動揺しながらも思っていた。   
「いまの僕はアンドロイドなんです。ブルース・チェンなみの格闘術を身につけているし、心も強くなっている。生身の僕にはできなかったことを仕出かしてみました」
 アンドロイドらしく抑揚のない声で言う。感情の高まりを見せないクールな態度であり、恋愛的なエモーションを感じさせなかった。いまのキスは、あくまでも冗談なのだと慎二は理解することにした。
「朧、ブルース・チェンじゃなくて、ブルース・リー、またはジャッキー・チェンだから」
「べつに、ステイサムでもグレイシーでも、エクスペンタ君でもいいですよ。とにかく、羽間朧は最強であって、しかもちょっとエモい」
 朧は胸を張り、腰に手を当てて格好いいポーズをキメた。さらに体勢をかえて、今度は手を招き猫な形にして、こう口ずさんで、その場を締めた。
「にゃあ」
 どこかで見た光景だなと慎二は思う。
「それと、キスは俺なんかじゃなくて好きな相手としろよ」
 朧は答えない。相変わらずのポーカーフェイスで慎二を見ていた。

 二人は公園を出た。しばし歩いて交差点の信号で足踏みする。それぞれの家路に向かう心構えをしていると、ふと朧が言った。 
「今日は帰りたくない心境です。慎二先輩の家に行っていいですか」
「えっ」
 慎二は焦る。キスされたばかりなので、思春期にありがちな妄想が起こってしまうのは仕方ないことだ。朧は男という認識が捨てきれず、かといって実態は女性であり、しかもバストの大きな美少女であり、だからエモい要素が入り込んでいた。 
「なに期待しちゃってるんですか。オッサンになったピーちゃんを見たいだけです。幼女の時は背中に乗せて走りましたからね」
 そんなこともあったかと、慎二はやや冷静になった。ピーちゃんの件とは別に、朧はまだ話したりないのだろうと考えて了承した。
「じゃあ、行こうか」 
 先に歩く慎二に遅れないように朧は急ぎ足でついてゆく。彼の背中が思った以上に大きく見えて、抱きつきたい衝動に駆られていた。

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