恋を再び

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リオの憂鬱

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 リオは開園前の庭園を散歩しながら領地にいる間に片付ける仕事について考えていた。

 小川のほとりを歩いていると黒鳥が小川におりたった。

「今日は幸運な日だ」

 リオは微笑む。遠くの国からきた商人から購入した黒鳥は非常にめずらしい。船旅で二ヶ月以上かかるその国にしか生息していないらしい。

 さいわいユール国はその国と気候が似ているおかげで黒鳥は数は多くないがしっかり繁殖した。

 とはいえ庭園内にある旧本邸の芝生を好む孔雀と違い、庭園内を気ままにくらしている黒鳥を見かけることは非常に少なかった。

 アーロンとサイモンは王都での仕事があると朝食を食べたあとすぐに出発した。

 サイモンはヘザーの恋人のジョセフの離婚を最速でなされるよう采配をふるうので楽しみにしていろと、嬉しそうに去っていった。

 サイモンは猪突猛進だ。止めても無駄だ。優秀な部下をかかえているので、言葉通り最速で片を付けるだろう。

 リオは朝の冷たい空気で肺をみたす。樹木の香りが脳を刺激する。

 庭園の経営をまかされているリオは、新しい仕掛けを考えなくてはと試行錯誤をくりかえしていた。

 庭園は国内最大の面積を誇り、豊富な種類の植物だけでなく放し飼いされている小動物の数も多い。そして叔父のダニエルが品種改良した薔薇はこの庭園でしか見ることができない。

 庭園の来場者は安定してはいるが、新しいものがなければゆっくりと経営は傾いていく。

 庭園をのんびり歩いて見てまわるのを楽しんでもらえるように造園しているが、足の悪い人、お年寄りにも楽しんでもらえる仕組みをつくれないかとリオは考えていた。

 馬車を庭園内に走らせてみたが、馬車の音で鳥などをけちらしてしまい、庭園内に生息する動物や蝶などを楽しみたい人達に不評だった。そして馬糞が庭園内にちらばり見た目と匂いの両方で受け入れられず断念した。

 馬車よりも小さく小回りがきき、そして音も静かなもの。そのような物がないかと調べつづけ、大陸から船で一ヶ月以上離れた東の国に人力車というものがあるのをしった。

 椅子に取っ手と車輪をつけ、取っ手を人が引っ張る形になる。リオはとても気に入ったが、人が馬や牛の代わりになることに対する反発と奴隷のようにみえると反対された。

 そのため人ではなく小動物を使うのはどうかといった話になったが、犬は愛玩の対象なので却下され良い方法が思い浮かばなかった。

 バタバタバタ。

 黒鳥の羽音にはっとしたリオは、飛び立った黒鳥を目で追う。

 その時、結婚した当時、いまと同じように黒鳥が飛び立つのをみたヘザーが、「これだわ」といって急に屋敷にもどりピアノを練習するといったのを思い出した。

 黒鳥が飛び立つ姿と羽音にひらめくものがあり、ヘザーはずっと納得がいかなかった曲の弾き方を思いついたと興奮し、ドレスをたくしあげて走っていった。

 貴族の、それも成人女性がドレスをたくしあげて走る姿など初めてみたリオは、ヘザーのその姿におどろいた。子供であればめずらしくはないが、成人女性がそのような姿をさらすことはない。

 そしてこれが彼女がいった才能の呪いというものだろうと納得がいった。

 リオはヘザーのことを婚約する前から知っていた。知り合いから誘われた演奏会で聞いたヘザーの繊細で美しい音に心をうたれた。

 リオは気分が高揚する力強い曲を好むことから、ヘザーがひいた優雅なソナタを好きだと思ったことがなかった。しかしヘザーが奏でる優しい音が心地よく、その曲を初めて好きだと思えた。

 婚約者があのような美しい音楽をかなでる人なのかと気持ちがはずんだ。貴族として結婚することが避けられないなら、相手はできるだけ良い関係が築けそうな人であってほしいと思っていた。ヘザーとならうまくやっていけるかもと思えた。

 しかしヘザーはリオと同じように考えていなかった。ヘザーにはリオと良い関係を築こうという気はなかった。

 結婚初夜。

 結婚の大切な儀式といえるが、リオとヘザーにとってお決まりの一夜とはならなかった。

「最初にお互いの気持ちを確認しておきたいのですが」

 ヘザーはリオのことを人として好意はもっているが、男性として愛することはないと言い切った。

 彼女にとってリオとの結婚は、ピアニストとして結婚後も活動できることと、リオの生家であるコリンズ家とのつながりを求めてのことだった。

「私は政略結婚に契約以外のものを求めておりません。お互いが不快と思わない関係性があれば上等だと思っています。

 もしできるだけ良い関係を築こうと思っていらっしゃるようであれば、申し訳ありませんが私に何も期待しないでいただければと思います」

 リオはこのタイミングでこのような話をするのがヘザーという人なのかと苦笑した。

「君の奏でるピアノは繊細で美しいが、あなた自身は非常に強く大胆な人なのだね。

 結婚をしてからこのような話をすることに、君のしたたかさを感じるよ。もう後戻りできないからね。

 君も理解していると思うが貴族同士の婚姻は血をつなぐためだ。子をなす義務は果たしてもらいたい」

 ヘザーがうっすら笑った。

「もちろん心得ております。子が音楽の才能をもたないことを願います」

 リオは才能ある人間はその才能が子に受け継がれて欲しいと願っていると考えていたので、ヘザーの言葉が意外だった。

「たまに思うのです。自分にこのような中途半端な才能がなければと。誰もが百年に一度の天才だと絶賛するような才能をもっていれば、迷うことなくピアニストの道を歩めます。

 しかし私のような中途半端な才能しかもたない人間は、どのように努力しても追いつけない天才の背中ばかりがみえる。それでも負けたくないと狂ったように努力しつづけるのです。

 食べるのもわずらわしいとピアノを弾きつづけて具合を悪くしたことが何度もあります。自分でもなぜ狂った人間のようにここまでしてしまうのかと思うことがあります。中途半端な才能は呪いです。

 自分の子が圧倒的な才能を持つことができないのなら、すっぱり音楽に対し何の才能もなく生まれてきて欲しいと思うのです」

 リオはヘザーをみつめた。リオがヘザーのピアノを初めて聞いたとき、小さな音であるにもかかわらず音量がばらつかず、一音一音がくっきり美しく響いているのを聞き鳥肌がたった。

 新進のピアニストとして注目されるヘザーは明らかにピアノの才能があった。周りから新進と期待されるほどの才能だ。

 その才能を迷いなくいかしていると思っていたヘザーの思わぬ葛藤を聞き、リオは才能があることの痛みをはじめて知った。

 リオは自分に何か秀でた才能があればとずっと思ってきた。周りから優秀とほめられることはあるが、それは優秀と思われる道をまわりからお膳立てされ進んできた結果でしかない。

 恵まれた環境のなか与えられた教育をこなしただけ。

 すでに他の人達によって下準備された仕事をこなすだけ。

 リオは何をしても何を選んでも、自分の力で自分の意志で何かをつかんだと思ったことがなかった。

 ヘザーのように才能があり自分のいる場所をつかみとってきた人達のように、自分にもすぐれた才能があれば努力をしてつかめる成果を喜べるかもしれないと思っていた。

 しかし才能があっても、努力しつづけてもつかめないものがある。ヘザーのその言葉が心に残った。

 リオはヘザーに対し自分の妻としてではなく、ヘザーというピアニストの生き方を近くでみたいと思った。

 ヘザーがいう中途半端な才能がどこまで届くのか。ヘザーが自分の才能や努力に満足を得ることはあるのかをリオは知りたかった。

 そして二人の結婚生活が始まった。

 愛のない政略結婚。文字にすれば冷たい印象をあたえるが、リオにとっては感情をゆらすことのない穏やかな生活を意味した。

 ヘザーに対し結婚前は「もしかしたら」というかすかな期待をもっていた。他の男の身代わりにされ、もう人を好きになどならないと思ったが、誰かを好きになり誰かに好きになってもらいたいという気持ちを捨てきれずにいたようだ。

 しかしヘザーのきっぱりとした割り切りのおかげで、リオは二人の関係に夢をみることはなく、リオはこれまで通りに生きていけばよいのだと分かった。

 ヘザーは結婚後もピアニストとして活動をするので、家政を取り仕切ることは難しい。しかしすでにリオを支えてくれる優秀な使用人がいるのでヘザーが何をしようと影響はない。

 そして結婚しても独身であった頃とほとんど生活は変わらなかった。

 唯一の違いはヘザーと過ごす時間があることぐらいで、ヘザーとの時間はたわいない話をするか、何かしら確認する必要があることを話すぐらいで、子供が生まれてからもそれは変わらなかった。

 貴族の子育ては使用人によっておこなわれる。いかに優秀な人材をそろえるかが肝になる。

 ピアニストとしての活動を最優先させているヘザーなので、子供のことを気にするとは思っていなかったが、意外にも子供の教育に対しリオと話すことが多かった。

 子供達にたしなみ程度の音楽教育をさずけたいと教師をさがしてきた。どうやら三人の子供達には百年に一度といった天才レベルの才能はみられないようだ。

 ヘザーは子をなしたあと浮名をながすようになった。まったく気にならないといえば嘘になるが、そのことによってリオの生活が変わることはなかった。

 もともとヘザーは練習や打ち合わせ、演奏会と家にいることが少なかった。そのためヘザーが恋人とすごすために家に戻ってこなくともリオは気にならなかった。

 リオの生活は滞ることなく平和に過ぎていく。ヘザーが離婚を言い出さなければ波風などたたず穏やかに過ぎていったはずだ。

 調和を保っている生活をくずしたくない。リオが願うのはただそれだけだ。

 ヘザーとの結婚は幸せでもなければ不幸せでもない。問題などなかったのだ。

 姦通罪がある国出身のアーロンはともかくとして、この国の貴族で、それも自身に愛人がいるサイモンがヘザーと別れろというのは納得がいかなかった。

 サイモンの妻にも愛人はおり、それに対しサイモンは妻に愛人がいるのは当然のことで、お互い次期侯爵夫婦として外面は完璧にととのえているので、何の問題もないといっている。

 それならばリオがサイモンと同じようにすることに、なぜ反対をするのか分からなかった。離婚する理由がなければ今のままでよいはずだ。

 離婚をするのをやめようとヘザーがいうなら、リオは面倒ごとが少なくなると受け入れたい。しかしサイモンはジョセフの離婚をごり押ししてでも成立させるだろう。

「面倒くさい。いまの形で十分ほころびなく整っているのに」

 リオはポケットから懐中時計をとりだし時間を確認する。そろそろ開園時間だ。屋敷へむかいながら近くに黒鳥がいないかとさがした。
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