恋を再び

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番外編

ヘザーの闘い

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 ヘザー・ガルシア子爵夫人は、淑女の笑みをはりつけ頭の中でこの後に弾く曲の演奏について考えていた。

 夫、ジョセフの親族があつまった晩餐会は表面上はおだやかだが、親族間の格差や領地経営における問題、感情的なもつれなど、多くの問題を抱えているだけに、さり気ないひとことが誰かの笑顔をひきつらせるといったことが起こっていた。

 ヘザーはジョセフの母国語であるノルン語がまだ流暢ではない。親族間の心理戦や舌戦がわかるほどノルン語を理解できないと侮られているので、それを逆手に話をきいているふりをしていた。

 ヘザーは母国のユール国で夫のジョセフと出会った。お互い違う相手と結婚していたが恋におち、離婚してジョセフの母国であるノルン国へと移住した。

 ノルン国の王都は音楽の都としてしられている。ピアニストのヘザーにとってノルン国は憧れの地だ。

 ジョセフと再婚しノルン国で生活できるようになったのは嬉しいが、ノルン語をおぼえることやノルンの文化に慣れること、そしてジョセフの親族との交流は楽しいとはいえなかった。

 ジョセフの実家である伯爵家とジョセフの前妻の家は、穀物取り引きでの結びつきが深かった。そのため離婚は前妻の感情的なもつれだけでなく、家同士の契約が深くかかわっているので揉めに揉め、ジョセフの実家にかなりの損害をもたらした。

 そのためジョセフの親族からのヘザーへの視線は非常に冷たい。誰ひとりとしてヘザーのことを歓迎していなかった。

 しかしヘザーにとってそのようなことは問題ではない。最初の印象が悪ければ悪いほど、それをひっくり返した時の効果が大きい。ヘザーは状況をくつがえす方法をつねに考えていた。

 さいわいノルン国は音楽家の社会的地位が高い。ヘザーのピアノの実力を見せつけたあとは、好感度がマイナス100であったのがマイナス90ぐらいにはなったようだ。

 音楽に関してノルン国よりヘザーの母国であるユール国は劣っているとされている。しかしそれはお互いの国で好まれる曲や演奏法の違いという部分も多くかかわっていた。

 ヘザーはノルン国へくる前から、ノルン国で好まれる曲や演奏法を研究していた。

 ノルン国の貴族の間で新しいともてはやされている作曲家のことを知り、その作曲家の代表作をノルン国で好まれる演奏法で練習し、ジョセフの親族に紹介された時に披露した。

 ヘザーのことをこきおろそうと手ぐすねひいていた親族達だが、ノルン国の貴族として音楽への造詣が深いという矜持が邪魔をしたようで、渋々ながらヘザーのピアノの才能を認めるしかなかった。

 そのため親族があつまる時はヘザーが余興としてピアノをひいていた。ヘザーに恥をかかせてやろうと、あれを弾け、これを弾けという要求も難なくこなしてしまったので、最近ではピアノに関してだけは何もいわれなくなった。

「ヘザーはピアノだけはお上手よね」
演奏したあとジョセフの伯母に声をかけられた。

 ノルン国にきてからこの手の嫌みをよくいわれる。ノルン語が流暢でないことや、ノルン国の常識をしらないことをあてこすっているらしい。

 しかしヘザーにしてみれば嫌みにもなっていないどころか、逆にピアノが上手いとほめられたとしか聞こえない。

 にこやかに「おかげさまで」とこたえると、相手が望む反応ではなかったようでしらけた顔をされた。

 ほかにもいろいろ言われるだろうと思っていたが、何もいわずあっさり去っていく。拍子抜けだ。

「ヘザーのピアノは最高だ」ジョセフが飲み物を手にヘザーのもとへやってきた。

 ジョセフはそのようにいうが、ジョセフがヘザーがひくピアノに何の興味もないことをヘザーはよくしっていた。

 ジョセフにとってヘザーがピアノをひけることは、ヘザーという女性にくっついてきたおまけ程度の意味しかなかった。それがヘザーがジョセフを愛する理由のひとつでもあった。

 ヘザーはピアノの才能があったため、小さい頃から人から関心をむけられることが多かった。ヘザーのピアノの才能に魅せられた人と、ヘザーという人間に魅せられた人とでは、ヘザーに対する態度が微妙にちがった。

 どちらもヘザーに好意を持っているのは確かだ。ヘザーの持つピアノの才能はヘザーの一部といえる。しかしヘザーの才能に魅せられた人達は、たとえヘザーが殺人鬼であってもヘザーの奏でるピアノが素晴らしければ問題ないというだろう。ヘザーがどのような人間であるかなど彼らには興味がない。

 そのような意味でジョセフがヘザーにむける愛が、ピアニストのヘザーではなく、ヘザーという女性に対してであることは、ヘザーにとって大切だった。

 しかしジョセフの愛は、ピアニストとしてのヘザーの枷になることに気付いた。ヘザーがピアニストとして演奏会でひくこと、人脈をつくるために社交に励むことに、ジョセフは口をだすようになった。

 夫となったジョセフはヘザーを束縛するようになった。とくに社交の場で男性と交流することを嫌がった。

 それに対しヘザーはジョセフの束縛をある程度は受けいれつつも、ヘザーがピアニストとしてノルン国で成功することが二人にとって必要であり、それがジョセフの実家にも利をもたらすことを説いた。

「父からユール国のハムについてほめられたよ」

 ジョセフがヘザーに口づける。ヘザーをみつめる薄茶色の瞳によろこびがみえる。

「ヘザーがホワイト家を紹介してくれたおかげだ」

 実家の穀物取り引きの仕事からはずされたジョセフに、ヘザーは叔母の嫁ぎ先であるハムを製造しているホワイト家を紹介した。

 ジョセフが前妻と離婚したあと、ジョセフはそれまでの仕事をはずされただけでなく、伯爵家の家名を名のることを禁じられ、伯爵家が保有していたガルシア子爵を名のるようになった。

 ジョセフは実家からあらたな仕事をあたえられることはなかった。そのためジョセフはあたらしく扱う品目としてユール国のハムに目をつけた。ノルン国でもハムはよく食べられるが、ユール国にくらべ種類がすくなかった。

 ユール国はハムの輸出に消極的だったこともあり、これまでユール国のハムはノルン国で知られていなかった。

 ジョセフの話を聞き叔母に連絡をとったところ、ノルン国へ輸出することを承諾してくれた。

「ハムだけでなく、ユール国からほかの物も輸入できるようにしていきましょう。あなたの実力をみせつけるべきよ」

 ヘザーはジョセフの闘争心に火をつける。

 ジョセフは伯爵家の家名にかんしてこだわりはなく、ガルシア子爵を名のることに不満をしめさなかった。

 しかし実家の仕事をはずされたことへの動揺ははげしく、ジョセフのプライドは大きく傷つけられた。ジョセフの兄が将来、爵位と事業をひきつぐことになっているが、事業の肝となる部分をになっていたのがジョセフだった。

 それだけにジョセフは自分が新しく手がける事業で、自身の能力を周囲にしめし再び実家の事業にかかわろうとしていた。

 前妻との離婚で伯爵家がうけた損害をうめるだけでなく、新しい取引先や新しい取り引き品目でこれまで以上の利益をだす。ジョセフがそれらを達成できるようヘザーも心をくだいた。

 ヘザーはジョセフに自信を取り戻させたかった。そしてジョセフとヘザーの関係は一時的に負をよびよせたが、そのような負をしのぐ利があると周囲にしめす必要があった。

 ジョセフが再び伯爵家の事業で采配をふるようになるまでに、ヘザーもピアニストとしてノルン国での地位をつくりあげるつもりだ。

 さいわいなことに前夫、リオの伝手がこの国でも大いに役立っている。リオと離婚する時に離婚の条件ではなく、ヘザーがピアニストとして活動するのを支援する後援者として、リオの生家であるコリンズ家がもつノルン国の伝手を紹介してもらった。

 この国でピアニストとして必ずチャンスをつかむ。そのために出来ることは何でもやる。

「みなに挨拶をして、そろそろ屋敷へもどろう」

 ジョセフがヘザーの手をとり口づける。つまらない晩餐の時間はおわったようだ。

 ヘザーは今宵いちばんの笑みをうかべ別れの挨拶へむかった。
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