愛の架け橋

ひこ

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青春の1ページ

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 ホイッスルが鳴った。PK戦か。PK戦の練習などしていないはずだったが、部員の顔は達成感に溢れていた。
 ここはサッカー部の中体連会場。中学3年の僕はこれが中学最後の試合となる。弱小弱小と言われ続けていたうちのサッカー部だったが、僕らの代で9人もの部員が入部したため"キセキの世代"などと呼ばれていた。しかし、今回の試合は相手が相手だった。

 「中体連の相手、成城中らしいぞ」
そんな話を誰か部員がしていたのを聞いた。それまで大会で当たる相手なんて気にしておらず、ただ目の前の相手とボールを蹴り合うことだけを考えていたが、この相手が不運だったことだけは分かる。成城中は地元の中学で、前年度の優勝校だ。開会式で優勝旗を返還するところもしっかりと目にしている。

 そんな相手と0-0で後半戦を終えることができたのだ。奇跡としか言いようがない。もうここで敗れても僕としては一向に構わない。きっとみんなも同じ気持ちだろう。部員はいったん監督の元に集合した。
「PKの順番発表するぞ」
相変わらずピリピリとした空気を漂わせている。この人はこんなつっけんどんな言い方しかできないのだろうか。

 「おい芹沢おめえよ!!!どうせやめるからっていい加減にしてんじゃねえよ!」
監督に怒鳴られた。僕はイライラしながら吐き捨てるように、はい…!と答える。周りの部員はまるで聞こえていないかのようにサッカーを続けている。中体連が迫っているのでみんな真剣なのだろう。実はこのサッカー部中3生の中で引退するのは僕だけである。というのも、僕の中学、弘学館は中高一貫校で、他の中3部員は高校からもサッカーを続けるからだ。一方僕は、親の仕事の関係で引っ越すこととなり転校という形になる。それを監督に伝えに行ったときもこっぴどく叱られた。

 「あの…加納先生…今までありがとうございました!」
震えながらもその特徴的なパンチパーマを見つめて、やっと絞り出した言葉なのに監督は突き放す。
「は?お前は順序がおかしい。今度引っ越して!転校することになったので!サッカー部を退部させてください!こうだろ!!」
暗い公民準備室に怒鳴り声が鳴り響く。こちらをチラリとも見てくれない。だが、もっともな指摘に僕は何も言い返せない。授業の準備を終えた監督は、小さいくせに学生時代に鍛え上げたゴツゴツとした体を揺らしながらさっさと部屋を出ていき、僕はその場に取り残された。
 
 思い返せばこの人とは苦い思い出しかない。お前の指揮するサッカー部なんてさっさとやめてやる。
「一番手、イッセイ」
満を辞してキャプテンの山崎がファーストキッカーだ。誰も心配などしていない。それどころか、キーパーの中村に関しては僕は絶対の信頼を置いており、島で培った彼の運動神経を尊敬しているまであるので、正直楽しみでもある。続いて、エースストライカー赤原、司令塔西島。僕はというとずっと後ろの方だ。まさかここまで回ってくることはないだろうとほっとする。一つ愚痴を言うのなら、自分と同じタイミングでサッカーを始めたはずの林田が一つ前のキッカーなのは尺だが。

 林田とは同じ自転車通学で、帰る方向が一緒ということもあり、部活が終わると毎日のように一緒に帰っていた。途中のコンビニで1リットルの紙パックジュースとお腹が空いた日にはチキンを買って、途中にある公園のベンチに座って食べながら夜遅くまでゲームをするというのが日課だった。
「それで下野さんと別れたんだよねー」
自分のサッカーゲームのスーパープレーをスマホで見せながら彼はそう言った。下野さんとは林田と入学当初から両思いの女の子だ。林田に負けず劣らずとても優しくていい人で、僕はとてもお似合いだと思っていた。
「好きだけど付き合うのはなんか違うと思ってさ」
直接それを伝えると相手も納得したようだったので、仲良しの友達に戻ったらしい。
「じゃあまた明日ね!」
いつもの焼き鳥屋で別れ、僕は帰路に着いた。もう20時を回っている。18時に部活が終わって18時半に公園についたとしてもかれこれ1時間半も話していた。いつも母には心配をかけていると思うが、林田と話したいんだ。
 そんな日々が続いたある日、監督から声をかけられた。この監督は僕の大嫌いな監督ではなく、2人いる監督のもう1人の方だ。変に厳しい練習メニューを押し付けてくるが、比較的喋りやすい。
「おい芹沢。お前夜遅くまで林田とだべっとるらしいな」
あ、と僕は隠し事を見透かされたような声を出した。
「受験するんやったら、だべっとる暇なんかないっちゅよ」
もっともなことを言われ、僕はあ、はい、と愛想笑いをするしかなかった。林田が帰りの遅いことを母親から問い詰められ、口を割ってしまったのだろう。その日から、少し早めに公園をあとにするようになったのだった。

 ピッチで全員が一列に並び、肩を組む。これしてみたかった…と思いながら全く緊張感のない僕は心の中で少しにやける。最初のキッカーは山崎だ。レフティーの彼だが、コースはゴールの右端。いとも簡単に決めてみせた。山崎がゆっくりと戻ってきて部員と順にハイタッチする。続いて相手のキッカー。どことなく緊張し、体がこわばって見える。いける。僕はゴールのど真ん中で構える中村を見つめていた。ホイッスルが鳴る。勢いよく蹴られたボールはゴールの左端に吸い込まれていくが、ネットを揺らすことは許されない。横っ飛びした中村が見事にボールを弾いたのだ。
「うおー!!!!!!」
歓声があがった。観客席の保護者もどよめいたのだろう。それはかなり大きなものだった。僕らに向けてガッツポーズをする中村。PKが止められることなんて実際にあるのだ。二番手の赤原は無回転シュートをよく披露してくれたが、さすがにここでは安全にシュートを決めてくれた。次は相手キッカーの二番手だったがなんとこれも止めてしまうのがうちの中村だった。やはりあいつはバケモノに違いない。続いてこちらは三番手西島だが、実は部内で一番テクニックがあるのは彼だと僕は思っている。

 「え、康介学校やめんの!?」
外部コートでの練習があった時、ゴール裏でボール拾いと見せかけて2人で練習をサボっていた時に西島はこう聞いた。
「うん、まあね」
実はこの時、引っ越すか、それとも寮生活をして今の中学に残るかなど全く決めていなかったが、いなくなると思わせれば自分の価値があがる気がしてついそう答えてしまったのだ。まだ鳩が豆鉄砲を喰らったような顔のままの西島は、へえ~、とそのまん丸い目をコートのほうに向けてそう呟いた。この時、まだ決めていないと言っていれば、あの家族会議での僕の答えも変わっていたかもしれない。

「突然だけど、父さんは広島に引っ越すことになりました」
夏休みが始まる前の頃、僕と兄が並んで勉強している部屋に家族全員が集められ、父はこう切り出した。
「それで父さんについてくるか、ここ鹿児島に残るかを決めてほしい」
「これガチのやつじゃん…」
思わず兄が声を漏らす。父は続ける。
「今すぐにとは言わないけど、どう思ってる?」
ただ、兄に関しては現在高2なので、大学受験までは鹿児島に残り、母も自動的に受験生の兄のそばでサポートすることはすぐに決まった。つまりこの会議で選択を迫られているのは紛れもない僕だ。(姉は訳あって今日本にいないのだが、それはまたいずれ話そう。)少し考えた、いや、考えたふりであっただろうか。僕は
「行く」
と答えた。この時僕の脳裏には西島との会話がよぎっていたのは確かだが、広島という未知の世界で新しい人生を始めることにも興味があった。
「そっか。じゃあそういう方向性で」
あっけなく僕の人生最大の選択は決定されたのだ。

 コースは右端だった。落ち着いて決めた。いいキックフォームだ。彼はサッカーのセンスの塊でしかない。重要なのは次の一本。これを止めれば僕たちの勝利だが、まさかそんなことはあるのだろうか。相手のキッカーの背中が小さく見える。両手を広げる中村にこのまま押し潰されてしまうんじゃないだろうか。とはいえ成城中の三番手、ボールの威力はすさまじかった。コースはゴールの左端、さっきと同じだ!中村の左手に当たったボールは枠の外に飛んでいった。その瞬間周りの部員が雄叫びをあげながら一斉に走り出した。勝ったのかどうか理解が遅れた僕は慌ててみんなについていく。大きく両手を広げてかけよってくる中村にみんなは抱きついた。「ナイキー、ナイキー!勝ったぞ勝ったぞ!!!!」
この時、初めてあの成城中に勝ったのだと実感した。この瞬間を撮影した写真は、全国の青春の代名詞といえるほどの感動的な一枚となった。あとから聞いた話だが、いつも怒鳴り散らしてばかりいる監督がこの時、大きくガッツポーズしたのを僕たちの保護者は目撃していたらしい。
 試合を終えた両チームはピッチの中央に並ぶ。相手の部員はみんな顔を覆っていた。
「ありがとうございました!!」
ほとんどが僕たちの声で占められていた整列のあと、観客席からの拍手が鳴り響いた。そのまま目の前の名前も知らない相手と握手を交わす。手を重ねた瞬間僕はぐっと引き寄せられ強くハグをされた。
「おめでとう…俺たちの分まで頑張ってきてくれ」
今にも消えそうな声で僕の目の前の選手はそうささやいた。まさかここで姿を消すなんて思いもよらなかったであろう。前年度の先輩たちの思いをどれだけ背負って戦ったのだろう。それを考えると僕は少し申し訳ない気持ちになった。
「ありがとう。任せてくれ」
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