彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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五月雨③

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「ん?」

 人家を見下ろすのも苦労しない高さまで浮いた、見慣れぬ制服を着た少女が宙に浮いている。スカートを顧みず電柱を登ったのか、はたまた家の凸凹を頼りにあの高さを実現したのか。その道中は曖昧だったが、朝方の実態もあって声を掛けずにはいられなかった。

「大丈夫かい!」

 声のほとんどが雨に撃ち落とされながら、どうにか意思の確認がしたいと思い、繰り返し叫んでいると、少女は此方に顔を向け何かを呟いた。

 傘は頭の養分を吸って花開き、地面に散る視線が腐葉となって、町は雨の匂いを纏う。近頃の天気予報は雨を示す傘のマークばかりを並べ、わざわざ耳を貸すのも億劫になる。そんな鬱々とした或る日の朝、天気予報士がゆくりなく言うのである。

「頃には梅雨明けとなるでしょう」

 共に朝食をとっていた母の顔が昨日の曇り顔とは似ても似つかぬぐらい、明るくなった。その機嫌に乗じて、僕はゆくりなく尋ねる。

「青い制服にチェック柄のスカートって、どこの学校かな?」

「え? どうしたの急に」

 母は妙に色めき立ち、鼻息を荒くした。安易に言葉を返せば、弱みとなって主導権を握られるかもしれない。ここは濁す程度が望ましい。

「少し気になることがあって」

「ふーん」

 鼻の下を伸ばす下品な母に尋ねたことを後悔しかけたが、身近で確実な情報を得るには丁度よい相手には変わりない。

「向井原中学、多分」

「ここから近いの?」

「車で二十分は掛かるかな」

 あの雨の中、傘も差さずに濡れそぼつ彼女は誰かに会おうとしていた。一体、誰に……。

「アンタも知らないうちに紳士になったのね。ずぶ濡れで帰ってきた時は驚いたけど」

 母の如何わしい思惑を察すると、身体が無性にむず痒くなり、思わず席を立った。

「あら、どこ行くの?」

「トイレ!」

 色気付く母をいなし、便座に腰を落ち着ける。借用した折り畳み傘が他人の手から他人へ渡る、当座凌ぎに頭を悩ませる。体育教師にはありのまま話した方が誠実だろうな。しかし、母のような真似をされても困る。性別は伏せて話そう。どのような状況にあったのかをつぶさに説明する為、僕は今一度回顧する。
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