彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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隣人②

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「なにこれ」

 学習を終えた我が子が、ポストに投函されていた宛名もない四角い箱を小脇に抱えて、好奇に満ちた眼差しをしながら居間に入ってきた。普段は舌鼓を打つテーブルの上に、得体が知れない箱を置けば、どう調理するかの思案に息を合わせる。

「開けてみようよ」

 子どもは無邪気にもそう言うが、何処の馬の骨とも知れぬ者がポストに突っ込んだことを考えると、おいそれと開くものではなかった。だからといって、そのまま見なかったフリをするのも憚られ、爆弾を取り扱うように慎重を期した。

 箱を開けると、白い紙が目一杯に詰められていた。わざわざ緩衝材を詰める仕事ぶりは、虚を突くだけでなく、見栄えにも気を遣っており、無節操に悪戯を仕掛ける下心は感じない。それ故に、不気味さが立ち込める。だが、向こう水な子どもの手の早さは妥協を知らず、何が隠れているかの探究心から一心不乱に緩衝材を掻き分けた。

「歯?」

 悪戯にしても悪趣味と形容しても過言ではない箱の中身は、家族揃って苦い顔を浮かべ、そぞろに閉口して箱を閉じる他なかった。


 我が社のカレンダーは、苦労を美徳とする近代国家が作り上げた成果の一つである。家畜はその身を売るために太らせられるが、社員は会社を太らせるために身をやつす。この労働構造をひっくり返す為の労力は、指先の手遊びにて四方八方に拡散され、「不幸自慢」「激励」「同調」などの不特定多数の意見を自分の気分に合わせて吸い上げる。その結果、そこはかとない不満と長年連れ添う機運が醸成し、誰もが物を言わぬ労働豚として毎日を過ごす。劣悪と言わざるを得ない勤務体制は極めて非人道的でありながら、暗黙の了解のように賢しら顔をし、年を跨ぐ。もはや、怪我人や死人が出なければ明るみに出ることはなく、まんじりと口を開けてその時を待った。

 今から五年前の夏、プロパンガスボンベを原因とする爆発事故が起きた。時刻は午後二時、作業員がA家のプロパンガスボンベを交換しに来た際に、爆発を起こし重症の怪我を負った。当初は、作業員の何らかのミスによって引き起こされた事故と思われたが、作業員が語る被害の状況は、事故という二文字で片付けられない様相を見せる。

「交換しようとしていた一本のプロパンガスだけに変な印が付いていて、嫌な予感がしました」

 警察も事件事故の両方の可能性を踏まえ、捜査を始めると全国のニュースで取り上げられ、各種メディアは侃侃諤諤と意見を出し合った。A家に対する個人的な怨恨だと報道するところもあれば、杜撰な勤務体制を訴えたガス会社への報復など、多角的に事件と断定し語られた。ある雑誌は、それらに関わる人物の相関図を起こす。そこには全く関わりのない人物すら槍玉にあげられ、犯人が捕まらないかぎり終息の兆しは見られないぐらい世間は加熱した。だが、人間とは罪深いものだ。日を跨ぐ毎に聴衆はあの狂騒を過去のものとし、メディアは次の事件に飛びついた。踏み荒らされた周辺人物の心模様は宙ぶらりんになり、慎ましやかに真相の究明が待ち望まれた。
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