彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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目覚め④

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 屑を体現する父の血が身体に流れていることは悔やんでも悔やみきれず、その血を色濃く受け継いだ兄の存在の疎ましさといったらない。傾げた首がなかなか戻ってこず、俯き加減に拍車が掛かった。雨風を凌ぐ為にある家の上空には四六時中、暗雲が漂い、白いフローリングに幾度となく落とした呼気によって、すっかり薄汚れて見るに堪えない色に退色している。連綿と続く血筋を清める方法はなく、全身の血を一度抜き、天皇陛下の血と入れ替えるなどの対処療法に頼るしかない。

 耳がタコになるほど、幾度となく元気の有無を確かめられてきた。不健康な顔の色合いが恐らく、無味乾燥な受け答えの原因となっており、ボクはそれに対してなす術がない。雑多に集まる学校の教室では、あらゆる悩みを抱えた人間が多く在籍し、健康に難のある一人として席を埋めていた。大人が過去を振り返った際に、「青春」と呼んで尊ぶ時間をボクは過ごしているようだが、全くもって関係のない話であった。今日も今日とて、ボクは独り机に座して、無為に時間を潰す。

「ちゃんと、天気予報見とけばよかったなぁ」

 前の席に座る女子生徒が、窓の外に向かって大きな独り言を吐いた。ボクはそれに釣られて、景色の様子に目を傾ければ、確かに黒い雲が空に張り出していて、いつ雨粒を落としてもおかしくない按配であった。

「どんな時期だろうと、折り畳み傘ぐらいは持っておかないと」

 ボクは思わず、見通しの甘い彼女に静かに叱責してしまった。

「え、じゃあ下野君の傘に入れてもらおうかな」

 きわめて親しげに上記の提案をする彼女とは、初めて会話を交わした。馴れ馴れしいと一蹴しても、此方に非はないだろう。とはいえ、わざわざ故意に軋轢を生む気はないし、回避方法を心得るボクは、軽やかに返す。

「いや、持ってきてないよ。そう思っただけだから」

 思わぬ肩透かしに失笑する彼女は、曇天模様を蹴散らす躍動感と活力に溢れ、ボクとは似ても似つかない性質の持ち主だ。

「下野君って、面白いね」

 冗談を言った覚えはない。それでも彼女は、ボクの発言に対して哄笑し、涙を拭う始末だ。逆上がりする血液の流れを感じ、ボクは少し顔を傾け、なるべく目と目が合わないように努めた。

「そんなに面白いことは言ってないよ」

「どうして? 私はそうは思わない」

 劇的な言葉や風景はない。そこにあったのは、偽りのない純然たる瞳だ。自虐的な自分を自覚できても、本質が変わるわけでもない。ただ、彼女の前では、自分らしくありたい。そう思えた。
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