ヒルガエル

駄犬

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教授致します

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 彼に初めて声を駆ける際の注意点を授けよう。決して、向かい合ってはならない。脱兎の如く逃げられて追い付くことすらままならないからだ。彼の足の速さは、陸上部のトラック選手に比肩する。周囲の変化をつぶさに観察し、常に注目を避ける傾向にある彼が養い育てた鋭敏な反応の前では、声を掛けようと目論み視界の中に入ってくる人間は、警戒をもって睨みを利かせる対象になり、死角となる背後を取らざるを得ない。ここで気を付けなくてはならないのは、後ろを取ったからと油断し、不用意に足を進ませることである。まるで野生動物を出し抜くかのような忍び足を最後まで貫徹しなければならない。

 人の気配を抜け目なく知覚する彼の意表を突くには、鶯張りの廊下を歩いているかのような慎重さが欠かせず、恐らくその外聞は白い目で見られて当然の不審な姿になる。ましてや、教室の一角でそれを拝めば、失笑は避けられない。だからといって、体裁を保つ為に彼から逃げられてしまうぐらいなら、初めから関わり合いを持つことを考えてはならない。白眼視上等、蔑称は数日で治る切り傷と変わらず、彼との接触を成功させる上で、あらゆる万難は享受して当たり前なのだ。

 鉄球を引いて歩く鈍重な歩みで俺は前進し、確実に彼との距離を縮めていく。間も無くして、拙速な歩幅を誘惑させられる間合いに入る。その瞬間、これまで前を向いて着席していた彼の首が、やおら回転を始める。空気の揺れや、床に落ちる影、周囲に及ぼす影響を捉えて離さない彼の警戒心は、物音一つ立てずに接近する俺を感知しかかっているようだった。グッと息を押し殺し、凝然と固まる。客引きの如く粗野に声を掛けに行くのも、寸暇に頭をよぎったものの、気受けの悪さを受け皿とした人付き合いの発端は、きわめて困難な道が待ち受けているはずだ。ならばここは、忍耐強く固まる他ない。

 ただし、マネキンさながらに頭の天辺から足の爪先まで微動だにしない行為は、愚鈍な歩行で奇異な姿を晒すより、遥かに不自然であった。クラスメイトの視線に引っ掛かれば、数奇な耳目を集めるきっかけになることは明白だろう。そしてそれは、教室全体に感染していき、回り回って彼に悟られることを意味する。これまでの道程が徒労に終わる最悪の結末を迎えるのは、なかなかに耐え難い。彼と懇ろになるには、様々な障害を乗り越える必要があり、全ての事柄を恙無くこなすことで、“友人”という肩書きを得ることが出来る。

 俺は、クルリと独楽のように身体をあやなし、半身になった後、窓の外の風景に黄昏れるキザな姿へ擬態する。この小さな教室の中にも貴賤はあって、対等な関係を自称する群れをいくつも作り、目の前の動静に手一杯なクラスメイトらは、皮相と言わざるを得ない俺の所作など、まるで目に入らないようだ。それでも、好奇な眼差しが向くかもしれない恐怖は常に付き纏い、自暴自棄めいた豪放磊落さとは縁がなかった。
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