祓い屋トミノの奇譚録

駄犬

文字の大きさ
上 下
6 / 11
祓い屋トミノの狐憑き

尻尾

しおりを挟む
 衣服に穴が空いてしまうのは、身に付けて過ごした日々の歴史であり、蛇蝎の如く嫌うより、愛着をもって付き合うか、ゴミ箱にお暇願うかの二択になる。しかし、その穴というのは厄介この上なく、町中を闊歩すれば尻に視線を生けることになる恥辱の窓であった。

 そんな状態で学校に通うとなれば、揶揄は避けられず、ゴミを投げ入れようとする不埒な一投が、教室の中で日常茶飯になっていた。席に張り付いて過ごせたなら、このような悪戯も避けられるのだろう。しかし、
座しているだけが勉学の全てでもなければ、不意の生理現象を蔑ろにして過ごすのも不可能である。

 だがある日を境に、彼のズボンに穴が見当たらなくなった。奇妙に思ったクラスメイトの一人が、嫌らしい笑顔そのままにズボンをずり下ろす。まるでその穴が、尻尾の為に空けられていたかのような、阿呆らしい判断のもとに下された理不尽な仕打ちであり、辱めることを前提にした彼への悪戯だった。その様子を静観していた他のクラスメイトは、更なる仕打ちに走る生徒の行動を前に思わず目を逸らした。何故なら、ズボンを下ろすことだけに留まらず、下着にまで手を伸ばしたからだ。

 彼は、子鹿のように細い足を畳み重ねて、下着だけは死守しようと目玉を吊るしながら抵抗をする。それは、尊厳を守る人間の体裁をかなぐり捨てて下着に執着した、力のみなぎりであった。脱衣に手をこまねいていると、もう一人の生徒が腕捲りをして、組んず解れつの間柄に首を突っ込んだ。彼を羽交い締めにし、遂に下着に手が掛けられる。

「何やってんだ!」

 すんでのところで、担任教師が教室へ割って入ってくる。二人は悪事の所在を誤魔化すかのように飛び退き、後ろ手に背筋を正した。

「こっちへ来なさい」

 一人の人間を弄んで愚劣な品性を晒していた二人の生徒は、聴従的な姿勢で教師の言う事を聴く。形式的な反省に倣い、やり過ごそうとする小賢しさが浮き彫りになる。そんな二人を教師は廊下へ連れ出した。

 伽藍の静けさがぽつねんとやってきて、彼は脱がされかけた下着の乱れを直すと、半ば脱皮したズボンも腰まで戻した。蜘蛛の子を散らすようにクラスメイトの視線が霧散し、事も無げに日常へ回帰する。

 後日、クラスメイトは異様な光景と相対する。

「すみませんでした!」

 絵に描いたような横暴を働いたあの二人が、彼に跪いてありったけの謝罪に励む。背中に刃物を向けられるなどの脅迫を受けないかぎり、なかなか見る機会がない、土下座の形はやはり異様である。しかし彼は、それを当たり前のように受け入れた。

「謝ってくれてありがとう。こんなことは二度とないようにしたいね」

 ここまでの変化をもたらした教師の叱責が気になった。信心に訴えた敬虔なる言葉の類いなのか。それとも、時代錯誤な鉄拳か。どちらにしても、悍ましいやりとりがあったとしか思えない、心の移り変わりであった。チャイムが鳴り、生徒達は気怠げに自分の机に座していく。そんな雑踏に逆らい、群れを形成するリーダーとして、二人の生徒を捕まえて今し方の行動について問い正す。

「誰に向けて土下座なんかしてんだよ。芝原が居るわけでもねぇのに」

 阿る相手である教師の名前を交えながら、土下座の意図を詰問めいた語気の強さで聴けば、

「俺に間違いはない。俺を間違いだと指摘するお前が、間違いだ」

 凜然たる瞳がひとえにそう語った。
しおりを挟む

処理中です...