• 『社交界の華は、影に咲く毒。〜私を捨てた世界、すべてお返しいたします〜』

YOLCA(ヨルカ)

文字の大きさ
69 / 109
第5章  帝国の女王、覚醒

【暁の微睡(まどろみ)】 ―― 揺らぐ理性と親友の眼差し

午前5時。帝都の空はまだ深い群青に包まれ、星々がその輝きを失いかける「暁」の刻。
ロズレイド公爵邸の正面玄関が開くと、そこには完璧な「淑女」へと仕立て上げられたエレーナの姿があった。
その背後には、影のように寄り添う専属女騎士カミラがいた。彼女は玄関からエレーナの斜め後ろにピタリとつき、周囲の闇を射抜くような鋭い眼光を放っている。エレーナが馬車へと向かう数歩の間すら、彼女の守護に一切の隙はない。
玄関先には、自ら馬車の手綱を握り、主を待つ第2王子クロードがいた。
昨夜、深夜2時まで及んだ狂賢者アルフォンスによる知略、そしてマチルダによる「女王の精神教育」により、エレーナに与えられた睡眠時間はわずか3時間。その疲労を察したカミラは、エレーナを馬車へと促すと、自らも愛馬に跨り、馬車の窓のすぐ横に位置を取った。
「おはよう、エレーナ」
クロードが彼女の手を取り、車内へとエスコートする。カミラは馬を寄せ、クロードが車内に入りエレーナの隣に座るのを、無言のまま見守っていた。

馬車が動き出す。車内には、微かな車輪の音と馬の呼吸音だけが流れていた。
エレーナは膝の上に難解な魔導書を広げていたが、睡眠不足と筋肉の疲労は、彼女の強靭な精神すらも削り取っていく。
(……読まなきゃ……カイル様に、遅れをとるわけには……)
その思考が、プツリと途切れた。
こくり、と小さな頭が揺れ、エレーナは深い微睡(まどろみ)へと落ちていった。そして、その華奢な体は隣に座るクロードの肩へと預けられた。
「……っ!?」
クロードの全身に電流が走った。肩に伝わる柔らかな感触と、規則正しい寝息。
普段は決して隙を見せないエレーナの完全な無防備さに、クロードの理性が音を立てて軋み始めた。愛おしさと、昏い独占欲。
彼は吸い寄せられるように、エレーナの白い頬へと自分の顔を近づけた。あと数センチ、指を伸ばせば、その唇に触れられる――。

「……殿下。」
冷徹な声が、馬車の窓を突き抜けてクロードの鼓膜を打った。
カミラだ。彼女は馬を併走させながら、一切振り返ることなく、しかし車内から漏れ出したクロードの「執着」を完璧に察知していた。
「……過ぎた思慕は、刃と同じです。今の貴方の目は、エレーナ様を守る者の目ではない。次、その不遜な指が我が主に触れれば――」
カミラが馬の腹を蹴り、一気に馬車との距離を詰める。窓の外から放たれる明確な殺気は、クロードを現実に引き戻すには十分すぎるほど鋭かった。
「――たとえ第2王子であろうと、その首、叩き斬りますよ。」
「…………分かっている。分かっているんだ、カミラ。」
クロードは喉を鳴らし、ゆっくりと手を引いた。顔に上った熱を隠すように一度深く目を閉じ、自分の厚手のコートを脱ぐと、エレーナの肩をそっと、壊れ物を扱うように包み込んだ。

学園の正門を潜り、馬車が停車する。
クロードは肩を揺らさないよう細心の注意を払いながら、エレーナの耳元でとびきり甘く、優しく囁いた。
「……エレーナ。疲れてたんだね。ついたよ。」
「……っ!?」
その声で、エレーナは弾かれたように跳ね起きた。
「私、寝てしまって……! クロード、すみません!」
跳ね起きるエレーナを優しく支え、クロードは完璧な王子の微笑みで扉を開ける。
馬車を降りた二人の前に、二つの影が立っていた。
一人は、クロードの弟でありエレーナの同級生でもある第4王子テオドール。
そしてもう一人は、エレーナの唯一の親友、ヒルダだった。

「兄上、おはよう。……エレーナ、今日はずいぶんと『仕上がって』いるな」
テオドールが、エレーナの瞳の奥に宿る戦士の光に気づき、感心したように呟く。
「エレーナ! おはよ……って、あら?」
駆け寄ろうとしたヒルダが、エレーナの隣で立ち尽くすクロードの顔を見て、ピタリと足を止めた。
「ヒルダ、おはよう。今日もよろしくね」
エレーナが凛とした足取りで校舎へ向かって歩き出す。

「テオドール、おはよう。昨夜アルフォンス様から共有された『帝都近郊の魔導流動の乱れ』についての資料、貴方も目を通したかしら?」
エレーナは、馬車での微睡みが嘘であったかのように、凛とした足取りで校舎への石畳を歩き出した。その瞳には、昨夜の深夜講義で叩き込まれた「冷徹な知略」の光が宿っている。
「ああ、もちろん読んだよ。あれはヴァルクレイが動かしている私兵の影だ。……エレーナ、君は以前よりも情報の『読み』が鋭くなったね。まるでアルフォンスが憑依したかのようだ」
テオドールは驚きを隠さず、エレーナの歩調に合わせて歩き出す。二人の間には、学友としての親しみと、同じ目的を見据える同志としての静かな熱が漂っていた。その斜め後ろには、主君の影として専属女騎士カミラが、音もなく付き従っている。


一方、数歩遅れて歩き出したクロードの隣には、獲物を見つけた猛禽のような目を輝かせたヒルダが忍び寄っていた。彼女はエレーナとテオドールに聞こえない絶妙な声量で、クロードの耳元に言葉を流し込む。
「……ねえ、クロード様。そんなに真っ赤な顔をして、まだ馬車の中の余韻に浸っていらっしゃるの? さっきの『疲れてたんだね』っていう囁き。あぁ、思い出しただけでもお砂糖を吐きそうですわ」
「なっ……! ヒ、ヒルダ、貴様……聞こえていたのか!?」
クロードは小声で叫び、周囲を気にしながらさらに耳まで赤く染めた。
「あら、聞こえていたどころか、貴方のその蕩けきった目を見れば一目瞭然ですわ。もしかして、寝ているエレーナに『不適切な接触』でも試みようとしました? ほら、さっきからカミラさんの殺気が、貴方のうなじを狙っていますわよ?」
「ぐっ……! それは……その、彼女があまりに無理をしているから、支えようとしただけで……」
「あらあら、支えるだけなら指先が頬に向かう必要はありませんわよね? クロード様、今の貴方は王子様というより、お気に入りの宝石を隠しておきたい独占欲の塊みたいですわよ。ホホホ、面白いこと」

ヒルダの容赦ない言葉の礫に、クロードは反論すらできず、ただ口をパクパクとさせる。その視線の先では、愛するエレーナが弟のテオドールと親密そうに、かつ高度な政治的対話を交わしながら前を進んでいる。
(エレーナ……。僕は、ただ君を……)
「クロード様、あまりボーッとしていると、テオドール様に『相棒』の座を奪われてしまいますわよ? ほら、エレーナはもう、守られるだけの女の子じゃなくなっているんですから」
ヒルダのニヤニヤ顔が、クロードの焦燥感を煽る。
エレーナの背中を追うカミラが、一度だけ立ち止まって振り返った。その瞳には「二度目はない」という、クロードに対する明確な警告が冷たく光っている。
「……行きましょう、殿下。無駄話はそこまでです」
カミラの冷徹な促しに、クロードは逃げるように歩き出した。
前を行くエレーナとテオドールの、迷いのない背中。その後ろで、顔を赤くしたクロードと、それを楽しげに見つめるヒルダ。
最強の師たちによる「叩き込み」の成果は、エレーナを一足飛びに高みへと押し上げた。彼女の歩く先々で、登校中の生徒たちがその放たれる覇気に圧倒され、無意識のうちに道を空け始める。
それはまさに、学園に君臨する「女王」の誕生を予感させる光景だった。
地獄の特訓を経て、エレーナの「変貌」が全校生徒の前にさらされます!
感想 1

あなたにおすすめの小説

家族に忘れられていた第五王子は愛され生活を送る

りーさん
ファンタジー
 アズール王国の王宮には、多くの王子や王女が住んでいる蒼星宮という宮がある。  その宮にはとある噂が広まっていた。併設されている図書館に子どもの幽霊が現れると。  そんなある日、図書館に出入りしていた第一王子は子どものような人影を見かける。  その時、父である国王にすら忘れられ、存在を知られていなかった第五王子の才覚が露になっていく。

憧れの召喚士になれました!! ~でも、なんか違うような~

志位斗 茂家波
ファンタジー
小さい時から、様々な召喚獣を扱う召喚士というものに、憧れてはいた。 そして、遂になれるかどうかという試験で召喚獣を手に入れたは良い物の‥‥‥なんじゃこりゃ!? 個人的にはドラゴンとか、そう言ったカッコイイ系を望んでいたのにどうしてこうなった!? これは、憧れの召喚士になれたのは良いのだが、呼び出した者たちが色々とやらかし、思わぬことへ巻き添えにされまくる、哀れな者の物語でもある…‥‥ 小説家になろうでも掲載しております。

夫に欠陥品と吐き捨てられた妃は、魔法使いの手を取るか?

里見
恋愛
リュシアーナは、公爵家の生まれで、容姿は清楚で美しく、所作も惚れ惚れするほどだと評判の妃だ。ただ、彼女が第一皇子に嫁いでから三年が経とうとしていたが、子どもはまだできなかった。 そんな時、夫は陰でこう言った。 「完璧な妻だと思ったのに、肝心なところが欠陥とは」 立ち聞きしてしまい、失望するリュシアーナ。そんな彼女の前に教え子だった魔法使いが現れた。そして、魔法使いは、手を差し出して、提案する。リュシアーナの願いを叶える手伝いをするとーー。 リュシアーナは、自身を子を産む道具のように扱う夫とその周囲を利用してのしあがることを決意し、その手をとる。様々な思惑が交錯する中、彼女と魔法使いは策謀を巡らして、次々と世論を操っていく。 男尊女卑の帝国の中で、リュシアーナは願いを叶えることができるのか、魔法使いは本当に味方なのか……。成り上がりを目論むリュシアーナの陰謀が幕を開ける。 *************************** 本編完結済み。番外編を不定期更新中。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

いらない子のようなので、出ていきます。さようなら♪

ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
 魔力がないと決めつけられ、乳母アズメロウと共に彼女の嫁ぎ先に捨てられたラミュレン。だが乳母の夫は、想像以上の嫌な奴だった。  乳母の息子であるリュミアンもまた、実母のことを知らず、父とその愛人のいる冷たい家庭で生きていた。  そんなに邪魔なら、お望み通りに消えましょう。   (小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています)  

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

モブで可哀相? いえ、幸せです!

みけの
ファンタジー
私のお姉さんは“恋愛ゲームのヒロイン”で、私はゲームの中で“モブ”だそうだ。 “あんたはモブで可哀相”。 お姉さんはそう、思ってくれているけど……私、可哀相なの?

この状況には、訳がある

兎田りん
ファンタジー
 どうしてこんなことになったのか…    ファルムファス・メロディアスは頭を抱えていた。  居なくてもいい場所に、しなくてもいい装いをしている事の居心地の悪さといったら!  俺の関係ない所でやってくれ!  ファルムファスの握りしめた拳の行方はどこに ○更新状況○ 2023/2/15投稿開始 毎週水曜20時頃次回投稿の予定