先生と僕

ぶたこ

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その日から…授業中にやたら宮城が俺を見ている。ような気がする。

ふとした拍子に、もうずっと前からこっちを見ていたことが分かる、穴の空いた奥深い瞳とかち合う。

俺と目が合ってもちっとも動じる素振りもなく…どころか、何か見透かしたように口角を上げるから

心拍が上がる。…生徒30人の前で俺は何をしてるんだ。

分からない。俺が意識しすぎているかもしれない。そもそも、生徒が授業中に教師へ視線を向けるのは当たり前のことだし。

…面談であんな事を言い出す前の宮城は、どんな授業態度だったっけ。

確かによく前を見て話を聞いてくれている印象だったけど、真面目だなと思うだけで特に気にしていなかった。









「何かあった?」


24時過ぎのバー。

カウンターの向こうに店員として立つ飛鳥が、不意にそう聞いてきた。


「…どうして?」


無意識に唇にあてていた人差し指を外す。


「いつもより上の空だから」


…薄暗い店内の照明を味方につけて、笑ってしまうくらいにバーテン姿がキマっている飛鳥。

周りに他にも客がいるっていうのに、店員と客という立場そっちのけな普段の口調で心配してくるもんだから、思わずこっちが苦笑した。

俺は考え事をする時、『静かに』とジェスチャーをするように、唇に指を押し当てる癖があるらしい。

自分でも知らなかったそれを以前指摘してきたのは、目の前にいる飛鳥で。それ以来俺は、飛鳥の前でその癖をすることに据わりが悪くなった。


「ん~…仕事でちょっと、かな?」

「かな?って…。仕事の悩み?珍しいね」

「悩みってほどじゃないよ」


飛鳥が慣れた手つきでシェイカーを振る。

行きつけの半地下バーのオーナーである飛鳥は、もともとは大学の後輩だ。

当時学部も学年も違ったけれど、その頃から自分の店を持つことが夢だった飛鳥が、色んなジャンルの人脈を広げようとしていた頃に出逢った。







飛鳥と出逢って、12年が経つ。

12年前なんて…宮城は小学校入りたての5歳児か。…怖っ!

…って…何故か唐突に宮城を話に入れ込んできた俺の頭の方がもっと怖い。







「サービス」


飛鳥の丁寧な指先が伸びてきて、目の前にカクテルグラスが置かれる。

雲のような、乳白色のカクテル。


「お、サンキュー。これは何てヤツ?」

「…言わなきゃダメ?」


俺が聞きたいのは単に酒の名前じゃない。花言葉なんかと同じように、カクテルにはその時の感情を表す『カクテル言葉』がある。

庶民の俺からしたらキザ過ぎて吹いてしまいそうになるが、こんな小洒落たバーを営む飛鳥は流石で、お任せを頼む女性客には勿論、俺というただの昔馴染みのオッサン客にも大層な気持ちを綴ってくれる。

いつも通り茶化すように聞く俺に、飛鳥はほんの少し間を明けて、微妙な顔で笑った。







「『今宵も貴方を想います』。…だよ」







「…直球ですな」

「忘れないで欲しいからね」


飛鳥と出逢って12年。

いつから飛鳥が俺に、『そう』いう好意を向けるようになったのか、定かではない。

いつも真っ直ぐに、分かりやすく、俺に愛を放つ飛鳥に。







俺は曖昧な笑顔を返すだけで、何かを返してやれた試しがない。




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