桜と河原と

瀬戸森羅

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桜と河原と

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君と出会ったのは、いつかの春の、よく晴れた昼下がり。河原のベンチで、桜を仰ぐ僕に、君は問う。
「あなたも桜、好きなんですね」
「いや違う。僕は別に桜は好きじゃない」
「じゃあどうして、そんなにこの木をぢっと見つめては、ため息などついているのです?」
「なに、こんなもの、ただ息を吸っては吐いてるだけさ。君こそ、桜の木を好きという。こんなぢゃまっけなもの、どうして君は好きなんだい?」
「あら、あなた、桜の美しさをわからないのね。それに、この桜がぢゃまっけなんて。まあ、わからない人ね」
「わからないのは、君の方ぢゃあないか。このベンチの日差しの当たらないのだって、夏には芋虫毛虫の降ってきて、おちおち眠れもしないのも、こいつの所為なんだぜ?」
「へえ、あなた。夏にもここにいるのね」
「だからどうしたんだい。僕の勝手ぢゃないか。君は何か、不都合でもあるのかい」
「あなたって、なんだかとても、さみしい人ね」
「それは、それは、僕を侮辱しているのかい?なんとでもいうといい。君と僕は出会ったばかりさ。互いに知らなければ君という人の言うことなんて意味のないことさ。いいかい、僕は君に、或いは君は僕にとっての面識を得ていないのだけれど、何か因縁があったなら、僕は怒っていただろうね。よかったぢゃないか。でもなんか、やはり、気にくわない。僕のなにを知ってさみしいだなんて言うんだ、君は。失礼だ、傲慢だ」
「あら、傲慢なのはあなたじゃないの。いやに熱くなっちゃって。短気なのね」
「短気だって?ああ、そうさ。そうさ。僕は短気だ。だから、君に対してもそうであるよ。去れ。去りたまへ。さあ、さあ」
「嫌よ、去らない。そうまで言うなら、去らない」
「何、君は、馬鹿か。僕のやうな嫌な奴が、自ら、去れと言っているのだ。これを良しとして、早々に去ればいいじゃないか」
「そうまで言われたら、引き下がれるはずないじゃない」
「なんだ、なんだ、君だって熱くなってるじゃないか。短気だね、君も」
「短気なんかじゃないわ。あなたがひどいのよ。そうよ、ひどいわ」
「まあ、まあ、座りたまへよ。ふふっ、君はなかなか、退屈しなさそうじゃないか」
「なによ、あなた。去れっていったり座れっていったり。馬鹿なのも私じゃないわ、あなたの方よ」
「ああ、そうさ。馬鹿さ、僕は。だからここにいたんじゃないか。すまなかったね。虫の居所が悪かったんだ。今はもう、どこかへいってしまったけれどね」
「何それ、変なの」
「まあ、まあ、座りたまへよ。君は桜が好きなのだろう?僕は別に嫌いでもないんだ。本当はね。ええ、綺麗じゃないか。うん。そうだ、綺麗だ」
「わざとらしい言い方ねぇ」
「いや、そんなこと、なくは、ないな。うん。ふふっ、なにせ気にもしていなかったことだ。桜の木なんて」
「よく見てみれば、美しいものでせう?」
「ああ、違いない。違いない。」

それから何度か僕たちは、この公園で会った。示し合わせたわけじゃあなかったけれど、気がつけば二人はそこにいた。
「君、君、よく会うじゃないか。どうした?公園など、僕くらいだぜ?今までにやたらに訪れていたのは。なにせ、ここに来るのは、若き母君たちを除けば、何となく人生の不振に立ち寄った孤独な人だとか、愚かで愛おしい子どもたちくらいだぜ。君は若き乙女だ。おっと、何で僕がここにいるかなんて、そんな野暮はおよしよ。まあ、例のうちの前者とでも言っておこうじゃないか。なあ?君だって語らないんだ。僕だって語るまい」
「別に私は大した理由でもないのよ。ほんと。でもあなたにいったら、なんだか違うわ。ええ、違う」
「どうしてだい?あなたに、ってところが気になるね。それじゃなにかい、見知らぬ誰かには言えるってのかい」
「そうね。そうかもしれないわ」
「なんだい、なんだい。君はもしかしてまだ初めて会った日のことを怒っていたのかい?しつこいんだねぇ、まったく。女ってのはいつもこうだ。しつこくっていけない。過ぎ去ったことをいつまでも覚えていやがる。言ったじゃないか、あの時僕は虫の居所が悪かったんだって」
「違うわ、違う。そういうことじゃないわ。ああ、どうしませう。言ってもいいことかしら」
「なにさ、後ろめたいことがあるのだ。だから言えないのだ。どうせ僕は偏屈さ。君になどわかるまいよ」
「だから違うのよ。ええ、私は、その、えっと、あなた、いいかしら?私はね、その、あなたにね、会いたかったのよ」
「え、え、ま、待ちたまへ。君、それってのは」
「ええ、そうよ。私はね、あなた、きっとわかっているのでせうけど、はっきりと言えないものなのよ」
「そうか。そうか。いや、皆まで言わずともいい。寧ろ、僕こそだ。君にいて欲しかった。すまぬ。素直になれる気はしなかった。ただ、いて欲しかった。不安だったんだ。何もかも。君は知らぬだろう。ああ、そうだ。なにせ我々は互いを知らない。語ろうぢゃないか。君が僕と共にいたいのなら」

それから、それから…………
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