ゲート・チェイン

瀬戸森羅

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第1章 トラディショナル・ゲート

御三家

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「お嬢様、お目覚めですか」
 太陽の光を感じて目を開けると、近くにいたねこちゃんに声をかけられた。
「おはよ……ねこちゃん」
「はい、おはようございます」
「……ずっと見てたの?」
「そんなことはございませんよ。そろそろ起こしに行こうかと思ったところシノ様がお目覚めになられたのです」
「そっか……ふぁぁあ!よく寝た!」
「朝食はどうなさいますか?」
「あ、もらえるの?」
「もちろんでございます。最大限のおもてなしをもって待遇するようにと言いつかっております」
「なぁんか……いいのかなぁ」
「シノ様はこの国の希望であられるとお聞きしましたので、当然のことかと」
「まだ伝授するとは言ってないんだけど…まぁいっか!」
「ではこちらへ」
 ねこちゃんに連れられ着替えを行っていると、いい匂いがしてきた。
「あ、いいにおい」
「朝食の準備が済んだようですね。着替えたら食べましょう」
「それにしても…あたし、着物なんて着るのいつぶりかしら……」
「昨日着ていた服はこの国では見ないものですね。この国では着物やその上に割烹着を着る女性が多いです」
「まぁこれがこの世界なんだから慣れないとか」
「同じ服を着続けていただくわけにはいきませんから……」
「わかったわ。それにこれ可愛いしね!」
「ありがとうございます」
 着慣れない着物に足をもつれさせそうになりながら部屋を出る。
「足許、お気をつけください」
「あ、うん…」
 ……恥ずかしい。

 廊下を進み案内された部屋には豪華な朝食が用意されていた。当然ながら、全て日本料理だ。
「ほえぇ……朝からこんなに豪華なの?」
「客人のもてなしですから、当然です」
「…………んんん!いや!やっぱりおかしい!黒崎!黒崎はいる!?」
「黒崎様は自室にて朝食を摂っておりますが……」
「案内しなさい!」
「朝食は…」
「あとで!」
 ねこちゃんに黒崎の部屋に案内してもらった。
「黒崎ィ!入るわよ!」
「む…シノか。いいぞ」
 返事をきいて襖を開くと、そこには先程用意されていたあたし用の朝食とは打って変わって質素な食事を摂る黒崎の姿があった。
「ちょっと!……って、あんた、それ……」
「朝食だが?」
「あ…あんた!どういうつもり!?あたしにはあんなに豪華な食事を用意して自分ばっかり質素な食事をするなんて!」
「それに関しては文句を言われる筋合いはないと思うがな……」
 たしかに、これと逆の場合にこそ言う文句だろう。
「あたしがそんなにわがままだと思った!?それとも食べ物で懐柔するつもり?なめんじゃないわよ!」
「落ち着け……まさかそんなに怒るとは思わなかった。何が気に食わなかった?言ってみろ。ん?」
 この男の冷静な表情を見て幾らか気を取り直したあたしは深呼吸をして落ち着くことにした。
「……ごめんなさい。ついかっとなって…」
「構わない。それで?どうしたんだ」
「あんたが昨日言ったことと矛盾すると思って怒鳴り込んじゃったの。そしたらあんたは、隠れて質素な食事をしていたじゃない。間違ってなかったから、感情のやり場に困っちゃった…… 」
「ふ…優しいんだな、お前は。悪いが俺はそこまで腐った人間じゃない。そうでなきゃ独占に賛成しているさ」
「でもあんなにたくさんの料理どうしよう……」
「今日くらいは食べればいいさ」
「食べきれないって……あ、そうだ!」
「ん?」
「みんなで食べよう!ね!」
「ふむ……それならまあいいか。よし、そうしよう」
 そう言うと黒崎は食事の用意してある部屋に黒崎の部下たちを集めた。
「今日はみんなも食べよう」
「いいんですか?」
「お嬢さんが遠慮してな。みんなで食べるなら文句ないそうだ」
「むしろ、食べなさい!」
「ありがとうございます!」
「ねぇ黒崎、ここの人たちもやっぱり質素な食事をしているの?」
「俺は別にいいって言ってんだがな…俺の部下はみんな俺と同じ感じだ」
「……いい子たちね」
「あぁ…本当にな」
 そうしてみんなで食べた朝ごはんは、とっても温かくて。黒崎とこの子たちは、なんだか本当の家族みたいだった。

「さて、シノ君。今日はどうするのかね?」
「今日は蒼金殿について教えてもらいたいわ。時間あるかしら?」
「今からなら少し時間がある。よし、案内する」
 黒崎は蒼金殿を巡りながら説明してくれた。
 蒼金殿には権力者が複数いて大きな権力を持つ者が部下を抱えて蒼金殿の一部を所有しているらしい。つまり蒼金殿の内部でも群雄割拠の争いが繰り広げられているようだ。
 蒼金殿は大きく分けて三勢力に分けられている。
 一つは黒崎を主とした黒崎派。
 一つはこの間黒崎と対立していた頭でっかちの赤木派。
 そして最後に穏便を貫く真城派の三勢力だ。
 蒼金殿では年に数回各家が御三家のいずれかを選択して所属し、それに併せて住む部屋も勢力毎に割り振られる。
 そのため勢力毎に生活水準も大きく異なり黒崎派は庶民に近い生活をしているのだそうだ。
「いいか。ここ蒼金殿では他の勢力の人間とは考え方が違うんだ。逆に志を持ってうちの勢力に入ってくれたやつは信用できる。だからあいつらには初めから期待するなよ」
「あたし、そんなに短気に見えるかしら?」
「あぁ」
「……」
「まぁ、なんだ。居住区ならいいが蔵書室なんかを利用する際には必然的に他勢力と接することになる。留意しておくといい」
「わかったわ」
 この時私は留意したつもりだったのだが……。

 同日午後、蔵書室でこの国のことについて調べることにした。
「まずは基本的なことからね。この国が辿ってきた歴史を見てみましょうか」
 日本史の纏められた本棚を見つけざっと目を通してみた。
 どうやらこの世界の分岐点は第二次世界大戦のようだ。あたしたちの世界と西暦は変わらないようなのでもうずっと昔の話になる。
 この時代に日本にあったはずの外国由来のものも全て民衆から没収され世界大戦より遥かに前の時代の暮らしを強いている。
 その背景にあるものが資源の枯渇への対策であるとされているが、実際は経済の停滞が目的のようだ。夜間外出禁止法がそれを裏付けている。
 世界的に産業革命をなかったことにし、文明レベルを低水準に保つことで今後の戦争の再発を防ぐことを取り決めたのがこのゲートの特徴のようだ。
「なるほど……つまりはこの世界的な技術の停滞に変化を起こしているものこそが歪みの可能性が高い……?いやでも、それはある種この世界がいずれ辿る道なのでは…?」
 そう。今のこの世界の常識はやがては変わるもの。だから歪みとパラダイムシフトにどのような差があるかのヒントもない状態ではどうしても推測などできない…。
「あーーっ!もうわかんないっ!」
 あたしはつい頭を抱えて叫び出してしまった。
「うるさいぞっ!」
 やはり怒られた。
「ご…ごめんなさい……」
 これはあたしが悪い。
「ふんっ。黒崎の姪っ子がいたと聞いたが…なんだ、ガキじゃないか。やれやれ、蒼金殿にまた阿呆が増えちまう」
「ちょっと!あんたも子ども扱いするの!?それに、あたしは阿呆じゃない!」
「なんだぁ?躾のなっていないガキだな。黒崎のやつは何を教えているんだ」
「……」
「はぁ。あいつは嫌に正義ぶるくせにガキの1匹も世話してやれねぇんだな。全く反吐が出るぜ」
「……っ!許さない!」
 あたしは頭に血が昇ってその男に飛びかかってしまった。
「うおっ…!なにしやがる!」
 その男が懐から刃物を抜き出した。
「ひゃっ!」
「馬鹿がッ!姪っ子だからとはいえ容赦はせんぞ!」
 あたしは男に組み伏せられ首筋に刃物を突きつけられた。そうだ……ここの奴らは帯刀しているんだっけ…まいったなぁ……。
「あの世で反省してな!」
 男が刃物を振りかぶった。
「何をしているっ!」
「ちっ…」
 髪を後ろで結ったお兄さんがその男の振りかぶった手を掴んだ。
「離せよ。悪いのはこいつだ」
「蔵書室での揉め事は両成敗です。よろしいですか?」
「……ふんっ」
 男はあたしから離れた。
「調子に乗るなよ。お前などいつでも殺せるのだ」
 そう言うと男は去っていった。
「大丈夫かい?怪我は?」
「あ……大丈夫…です」
「良かった。いいですか?ここでは不利になることをしないことです。ただでさえあなたはまだ信用がないのですから」
「あの…あなたは?」
「あぁ、僕は幸成ゆきなり。真城派の月島家の長男です」
「あたしはシノ…です」
「敬語に合わせなくてもいいですよ。見たところ僕より年上のようですし」
「えっ!?」
「ん?僕今何かおかしなこと言いました?」
「あ、いや……」
 驚いた……なぜあたしの年齢が自分より年上だとわかったの…?
 あたしは子ども扱いされるのは嫌いだが、それも実は仕方がないこともわかっている。あたしの見た目は12の頃から変わっていないからだ。
 だから本来歳のことで驚かれることとあたしが怒ってみせるのはあたし自身も暗に認めている流れだったのだが……。
「とにかく、助かったわ。ありがとう。あなたがいなかったらあたし……」
「いえいえ、いいんですよ。でも気をつけてくださいね。あの男は赤木派なんですが、赤木派にはあぁいった気性の荒い者が多いのです」
「でも幸成さんも強い雰囲気があったけど」
「暴力に対抗するには同じ力をぶつけなくてはいけないのです。穏便を望むからといって日々の鍛錬無くしては護るものも護れません」
「……かっこいい」
「そうですか?当たり前のことをしているだけです。あなたを助けなかったら、きっと今夜は安心して眠れなかったでしょうし」
「ふふっ。そうかもね」
「ですから、あなたもあまり気になさらずに」
「そんな、命の恩人よ?何かしてあげたいわ」
「それなら……今夜、真城派の月島家をお尋ねください」
「え……?」
「夜のお供をしていただきたいのです」
「そ……それって……」
「では、後ほど」
 そう言うと幸成さんは蔵書室から出ていった。
 えっと……夜のお供って……そういうことだよね…?

 結局悶々とした頭では調べ物にも集中することはできず、夜を迎えてしまった。
「ん、戻ったか。どうだ?収穫は」
 廊下で黒崎が声をかけてきた。
「あの…どこから言ったらいいか……」
「何かあったのか?やけにしおらしいじゃないか」
「赤木派の男に殺されかけたの」
「はぁッ!?」
「組み伏せられて、刀を首に当てられて……」
「おいおいおい、さっき約束しただろう!」
「だって!あんたのことバカにするから……」
「なんでお前が命張る必要があんだよ。そんなこと頼んじゃいないぜ」
「……」
「あのな。ここはお前がいた世界とは違うんだ。下手したらお前は俺にも殺されていたかもしれない。大人しくできないなら調べ物もさせるわけにはいかない」
「……」
「だが……お前が無事で良かった」
「黒崎ィ……」
 黒崎は優しく抱きしめてくれて、あたしは泣いてしまった。
「ん?でもそんな危ない状況からどうやって逃れたんだ?」
「あっ……そう、その時ね、ぐすっ。幸成さんって人が助けてくれたの」
「幸成か。命拾いしたな。あいつは真城派の中でも頭の良い男だ。下手なやつなら喧嘩になって死者が出てたかもしれないな」
「それでね……お礼をしたいと言ったら幸成さんが、今夜部屋に来てって」
「え?」
「夜のお供をして欲しいって……」
「…なるほどな。頑張れよ」
「えっと…」
「楽しませてやれよ。命を救ってもらったんだ。一晩くらいは付き合ってやれ」
「ちょ…だって……そんなの……」
「なんだ。経験がないのか?」
「そんなの……あるわよ!」
「じゃあ大丈夫だろう」
「うぅ…」
「楽しませるとはいえ手を抜くことはないと思うぞ。あいつは強いからなぁ」
「え?」
「じゃあまたな」
 そう言うと黒崎は部屋に帰っていった。
「……強い?」

 そして様々な妄想を膨らませながらあたしは月島家に向かっていた。
「強いってやっぱり……すごいってことなの…?幸成さん、かっこいいけど……でも、あたしにはマミちゃんが……うぅ…でもマミちゃんとはちゃんとお付き合いもしてないし……でもあたしは一途で……」
「おや、シノさん」
「あっ!幸成…さん……」
「そろそろ来る頃かと思いましてね」
「う…うん」
「では、行きましょうか」
「……」
 幸成さんの部屋に入った。
「さ、そちらに座ってください。今お茶を入れますからね」
 座布団に導かれ、幸成さんはてきぱきと茶と茶菓子を用意してくれた。
「あ、あたしも手伝うよ。もてなさなきゃならないのはあたしだし……」
「いえいえ、この後のことを考えると、僕わくわくしちゃって…動いてないと落ち着かないんですよ」
「この後……」
「ま、くつろいでてください。すぐに用意しますから」
「はい……」
 とはいえ落ち着かない。命が助かっただけでも良かったとはいえ……こんな……。
「どうしました?」
「あ、いや……」
「……緊張、してるんですか。大丈夫ですよ。はじめてならちゃんと教えてあげます」
「はっ…はじめてじゃないしっ!」
「ほう。それはそれは。期待しても良さそうですねぇ」
「う…」
「では始めましょうか」
「は…はい……」
 ようやく腹を括ったあたしは先に腹を括っている着物の帯を解き始めた。
「ちょ、ちょっとちょっと!何してるんですか!」
「え?」
 もしかして、脱がせたい派だった?
「苦しかったんですか?でも、女の人が急にそんなことしちゃだめですよぅ」
「だ、だって、今から……」
「え?これ、やるんですよね?」
 幸成さんは駒のようなものが収められた木箱を掲げてみせた。
「え……えぇぇっ…と……う、うん!そ、そうよね!うん!あ、暑くて!ほんと暑くて!はは!」
「ほんとに暑そうですもんね。汗だくで顔真っ赤ですよ…?大丈夫ですか?」
「う、うん!大丈夫!大丈夫!あはは!」
 …………死にたい。

「さて、経験があるようなので説明は省きますが……お手並み拝見と行きましょうか。それではよろしくお願いします」
「よろしく……お願いします…」
 駒の並べられた木盤を挟んで向かい合う。
 さて、どうしたものか……ルールが、わからない。
 将棋ではないようだ。おそらくこの世界独自の発展をした盤上遊戯だ。
 漢字の書かれた駒が相手側と自分側に対称に並べられている。
 将棋と似てはいるが書かれている文字は全く違うし駒の並び方もかなり違う。というか駒の形も違う。立体的でチェスに近いかもしれない。その駒の頂点に文字が刻まれていて、王将っぽい装飾の駒の上には『生』と書かれている。幸成さんの駒の上には『死』と書かれている。これはつまり……王と玉の戦いではなく生と死の戦い?相手側とこちら側とでは駒に書かれている文字もかなり違う。生側と死側にはっきりと差のある文字だ。
 知っていると言ってしまった手前あたしの勘違いを悟られないためにも知らなかったなどとのたまうわけにはいかない。
 しかし将棋やチェスのように駒を用いる以上はあの独特な動きの法則性があるだろうから当てずっぽうに動かすことはできない。ならば……。
「まずはここでしょう」
 幸成さんが1番先頭にある『病』と書かれた駒を1マス動かす。
「なるほど……」
 あたしも対称の位置にあった『健』の駒を1マス動かす。
「…え?」
「え?」
「では…」
 幸成さんが『病』を2マス動かしあたしの『健』をとった!
「えっ!」
「…?」
 仕方がないので取られた駒の2つ後ろにある『技』という駒を1マス動かす。
「ふむ」
 幸成さんは『病』を2マス後ろに戻した。
 「えっと……」
 ……なにこれ。2マス動けんの?
「あなたの番ですよ」
「あっ…あぁぁあ!うん!えと…」
「開始直後なのに長考ですか?」
「あー、うん。えと、この後の展開考えててさ」
「ほう!それはすごい!」
 苦しすぎるか…。ここは思いきってこの将棋の歩に近い並びと数の『富』を1マス前に動かす…!
「ん」
 幸成さんもあたしの『富』の対称にある『負』を1マス動かしてきた!
 どうやらこれの動きは歩で間違いないようだ。あ、でも下がれたりするのかな?
 ひとまずは動かした『富』が動く前に斜め後ろにあった『心』という駒を1マス前に出して再び斜め後ろに配置した。
 すると幸成さんはその対称にあった『羅』という駒を2マス動かしてきた。
 つまりはこの駒は前に2マス進めると…。しかしまだわからない。横や斜めにも動くかもしれない。
この『心』『技』『体』という3つの駒は、王将と同じ位置にある大駒『生』の正面を覆うように3マス分配置されている。役割的には金か銀か……名前は違うが動きは同じなのか?幸成さん側の駒には『羅』『鬼』『悪』と書かれている。ひとまずの情報はこれくらいだ。また様子を見るしかないか。

 そうこうしているうちになんとなく駒の動きはわかってきた。天才シノちゃんの名は伊達じゃないのだ。
 まず歩と似た感じの位置で両側に3枚配置されている『富』の駒。これはまさしく『歩』のように1マス前にのみ動くようだ。しかし中央線を越えると『財』になり縦横に2マス、斜めに1マス動けるようになる。ちなみに相手側は『負』から『愚』になる。
 そしてこの『心・技・体』。これらは共通の動きをして『財』と同じく縦横2マス、斜めに1マス動ける。
  あとは双方の『富』の中央1マス下にそれぞれ『愛』、『夢』と書かれた大きめの駒がある。
 これらは周囲2マスに動けるようだ。相手側には『傷』、『苦』と書かれている。
 そして大将駒の両隣に1枚ずつ存在する『希望』。相手側は『絶望』と書いてあるが未だにこの駒と『死』の駒は幸成さんも動かしていない。
 大将周辺の駒だ。何か特殊な動きをするに違いないのだが……。
「ふう、そろそろ終盤ですね」
 互いの駒は残り少ない。ここまでに取られた駒は既にあたしの方が多い。その上こっちの陣には『愚』が2体。……そりゃね、ルール知らなかったんだから仕方ないじゃん!!
「もうだめかなぁ…」
「諦めるのは早いですよ!シノさんは愛と夢を逃がしていましたからねぇ……」
 ……逃がしていると、どうなるの?
 あたしは、相手側の『傷』を取っている。代わりに失った駒は多いが、未だにこの大きめの2つの駒を残しているのだ。
 とはいえ結局は周囲に2マス動けるだけのようだから、わからない。飛車角のように縦横無尽に動けるわけでもなければ相手陣に入っても代わることもない。
「さて、そろそろこいつの出番ですね。僕のは2マスしか動けないからなァ……」
 そう言って幸成さんは『絶望』を2マス動かした。
 ……僕のは?あたしのはもっと動けるの?
 初めは駒が詰まっていて出にくい『希望』がここに来て3マス前に進めるとなると、途端に活路が開ける。
「よし!希望を前に進めるんだ!」
 あたしは開けている箇所を狙い3マス前方に『希望』を進める。
 ……幸成さんは何も言ってこない。どうやら3マス進めることに誤りはないようだ。
「ふぅむ…」
 幸成さんは『絶望』を斜めに2マス動かした。
 こいつは斜めにも動ける!
 相手側に近かった他の駒と協力して追い込もうとするも連続して『愛』と『夢』が取られてしまう。
 だが、こちらにはまだ『希望』がある!
「あ~らら、これじゃあもう1マスしか動けませんねぇ」
 …………え?
 だって、『希望』は3マス動けるんじゃないの?
 『絶望』に打ち勝てるから『希望』なんじゃないの?
「さて、それじゃあ……反撃開始といきましょうか」
 移動が1マスになったという『希望』は先程まで狙っていた駒を取る事は出来ず逆にとられてしまった……。
「うぐ…」
 そしてやはり愚者の群れに追い詰められてしまう……。
「さぁ、絶望がやってきます」
 幸成さんはわざわざ盤の端にいた『絶望』を進めて遂にあたしの『生』を奪った。
「もうっ!意地悪じゃないの!」
「おや?これがこの遊戯の規則ではありませんか」
「え…えっと……?」
「ふむ……薄々おかしいとは思っていましたが……あなた、この活殺盤戯を遊ぶのは初めてではありませんか?」
 へぇ~活殺盤戯って言うんだぁ~……じゃなくて!どうする!?いや…今更嘘をついたって……。
「…………はい。そうです……」
「素晴らしいっ!」
「え?」
「初めてで何も聞かずに駒の動きを全て理解したというのですか!」
 ……全てではないんだけどね。
「まぁ……ね!」
「この調子ならきっともっと強くなります!もっとしっかり教えて差し上げます!さぁ!さぁ!!」
 こ……この人……このゲーム好きすぎでしょ!
「よぉし!まだまだやるぞー!」
 この後あたしはこれでもかと言うくらい活殺盤戯に付き合わされた……。

「ふぅ……堪能しました。いやぁ、僕に付き合って盤戯をしてくれる人、なかなかいなくてですね。こうして一緒に打ってくださってとても楽しかったですよ」
「……う、うぅ~……」
「おや、どうしました?」
「ね…眠い……」
「もうすっかり夜も更けましたからね。そうだ!どうです?今日はこちらに泊まっていかれては……」
「それは……だめっ!」
「そうですか。それではまた打ちましょう」
 あっさり…この人に下心がないのはよくわかった。
 はぁ……さっきまでのあたしの緊張を返して欲しい。
 酷使した頭を抱えながら部屋に戻った。

「おかえりなさいませ。お嬢様」
「ね…ねこちゃん……」
「お疲れ様です」
「もう…眠い……」
「入浴は……お済みのようですね」
「はは…先に入っといたんだぁ」
 詳しく聞かないで欲しい……。
「では、お布団の支度をしますので」
「お願いねぇ」
 ねこちゃんはすぐに準備してくれた。
「その様子なら今日の添い寝は不要でしょうか」
「だ、だめっ!だめなのっ!」
「わかりました」
 ねこちゃんはくすりと笑いながらあたしの傍に来てくれた。
「うぅん…怖かったよぉ……」
「何かあったんですか?」
「赤木派のやつに殺されそうになった…」
「えっ!本当ですか!?」
「その時幸成さんが助けてくれて…お礼に夜のお供をしてたの……」
「夜の……お供……」
 ねこちゃんが息を呑む。
「あたし、初めてだったから……」
「そ、それは……その……なんというか……」
「ねぇ、ねこちゃん。ねこちゃんは、やったことある?」
「え、ええっ!?」
「ねぇねぇ、どうなの?」
「そ、そそそ…それは……」
 ふっふっふ……あたしの勘違いをねこちゃんにも味わってもらうわよ…。
「もちろん、ありますよ」
「あ、あぁ…そうなの」
「多い時には一晩に何人もお相手して、数十回に及ぶこともありました……」
「え、ええぇっ!?」
 そんなに!?やっぱり使用人は大変なんだ……。
「でも、慣れてくると気持ち良いっていうか…じわじわ責めていくのがたまらないっていうか……そんな感じでどんどん夢中になっちゃうんですよね」
「あ……あぁ…」
 オトナだ…この子……あたしなんかよりずっと……。
「ね、ねこちゃんて、すごい経験豊富……なんだね…」
「はい!楽しいですよね!活殺盤戯!」
「…………」
「あれ?もしもーし?寝ちゃいました?」
 …………悔しい。

 そうしてふて寝したあたしはまたエトロテスとの会話に導かれた。
「出たわね、エトロテス」
「まだ喋り出してもいないんだが……」
「はやく状況を教えなさい!」
「あぁ…マミだが、あいつはどうも吉田家という店で働くことになったらしいぞ」
「働く!?」
「あぁ。生活する場がなければ夜を明かせないからな。住み込みで働くそうだ」
「……エラいなぁ。あたしはこの国の頂点のお城で自由に動けるのに」
「いやお前が特殊なんだよ。お姫様かお前は」
「うるっさいわね!こんな場所から始まるからじゃないの!」
「しかしその状況はかなり有利だな。何かを調べるには打って付けじゃないか」
「ふふん!そうでしょ!わかったことも幾らかあるのよ!」
「それは一体なんだ?」
「えーっと……」
 あたしはエトロテスに今日調べたことを報告した。
「なるほど……第二次世界大戦から分岐した世界……となると歪みの原因もそれ以降に絞られるか」
「あ、そう!歪みって言うけどさ!それってこの世界が変わっていくことと違うの?」
「違うな」
「どこが?」
「例えば……その世界にはなかったものが唐突に現れることがある」
「ふんふん」
「それはその世界が辿った軌跡ではなく別の次元から送り込まれた歪みの産物だ」
「なるほどねぇ~」
「逆に今まであったものがとある時期から急になくなることもある」
「そういうのもあるのか」
「歴史はこれをうまく捻じ曲げて表記されるかもしれんがな」
 ……急になくなる…ん?
「他には?」
「世界の概念自体が違うこともあるぞ。この場合はまた特殊な条件が歪みの解決法になるだろう」
「じゃあこれは今回は違う、と…」
 「そうだな」
「まぁなんとなく気になったのはこの世界から何かがなくなったというところね」
「どうなったのだ?」
「この世界からは他国の文化がなくなっているわ」
「そうなのか?」
「この世界では戦争の再発を抑えるために文化を退化させて他国との接触を制限したらしいの」
「あぁ、それならこの世界の常識、ゲートの特色に当てはまるから歪みではないな」
「……ふんっ」
「まぁ時期に見えてくるだろう。引き続き頑張ってくれ」
「わかったわよ。じゃあね」
「あぁ」
 そう言うとエトロテスの気配は消えた。
 大変だったから今日はもう早く寝たい……。
 また明日から調査を頑張ろう。
 あたしはそのまま深い眠りへと落ちていった。
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