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11.抱き枕とぬいぐるみ
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翌朝起きたときには、すでに久我の姿はなく、朝食であろう料理がテーブルの上に置かれたあるだけだった。
もしも、万が一、彼が本当に勉強を見てくれることになったら……実現したら思うと、やらずにはいられない。僕は朝食を食べ終えて、すぐ勉強に取りかかった。
学年トップにとっては、中の下あたりをうろついているやつが多少の努力をしたところで塵にしかならないと思われるだろう。でも、積もらせなければ落ちていくだけだし、これ以上不甲斐ない真似は見せたくない。
なにより、これ以上久我から嫌われたくない。
嫌われている……はずだ。学校では話しかけないよう言われているんだから。しかしそのはずが、最近は久我のほうから話しかけてくることが増えてきている。帰ってきたら当たり前のように僕の部屋に来て、長いときは何時間も一緒に過ごしたりしている。
この一ヶ月で、以前では考えられないくらい久我と話せるようになった。
これはいったい、どういうことなんだろう。
久我は、僕のことが嫌いじゃなくなったのだろうか。
僕と義兄弟でも構わないと気が変わり始めているのだろうか。
「おーい。昼食わない?」
数学の問題集にペンを走らせていたとき、久我の声がして飛び上がった。
「……あれ? いつ……」
振り返ると、口をへの字にし、眉根を寄せている久我と目があった。
「廊下からバカでかい声で『ただいま』って叫んだし、ノックもしたんだけど」
「本当? ごめん……全然気づかなかった」
「いや、嘘。驚かせたかった」
「えっ……」
久我は最近見慣れてきたあのイタズラ坊主のようなにやりとした笑みになり、部屋へ入ってきた。
「ちゃんと勉強してるようだな……偉い偉い」
入ってきて、デスクのうえに広げていたノートを手に取り、ぱらぱらと眺め始めた。
「……久我くん、嘘ばっかりつくね」
「反応が面白くて……八神さんが来ていたのは気づいてただろ? まだ食べてないのは、俺と食うために待っていてくれたってこと?」
「えっ……八神さん来てたの?」
「なんだ。本気で集中してたんだ。待っていてくれたのかと思ったのに」
久我はノートを置いて、部屋のドアのほうへと向かい始めた。僕もそれを追ってキッチンへ行くと、朝にはなかった料理が並べられていた。
まったく気づかなかった。鍵は掛けていたから、合鍵を使ったのだろうけど、だとしても気付かないなんて不用心すぎる。
冷や汗をかきつつ反省していた僕のまえで、久我は食事の用意をし始めた。僕もそれを手伝い、並べ終えたあと、昨夜に引き続き二人での食事をとった。
久我は気分がいいのか、練習での出来事を面白おかしく話したり、昨夜読んでいた漫画の感想を語ったりと、なんだか楽しそうで、僕は飲み込む間に相槌を打つのが精一杯だというのに、器用にも喋り続けていた。
後片付けを済ませたあとは、久我と部屋へ戻って、午後いっぱいデスクのまえで椅子を並べた。
僕に勉強を教えてくれるというのは本気だったらしく、問題集でミスをした個所を頭から順にチェックして、そのつど理解できているかを確認したうえで、丁寧に教えてくれた。
先生より教え方が上手いと思った。ミスや思い違いを指摘して、なぜ解けないのか、どこを理解していないかを即座に見抜いてくれる。間違えたらバカにされるかと思いきや、理解の仕方を間違えているだけだと言って、理解できるまで辛抱強く付き合ってくれた。
「午前の僕と今の僕は別人かも」
「別人? 何言ってんだ?」
「数時間前の僕なら解けなかった。久我くんのお陰だよ。ありがとう」
「……別に。あとは一人でできるだろ。重要なのは理解と反復だ。あとはひたすら問題を解きまくればいい」
「うん。ありがとう」
「俺はこっちに取り掛かるから」
久我は僕の部屋のソファに場所を変えて、また昨日のように漫画を積み上げ、読み始めた。
そのあとは夕食の時間になるとまた二人で用意して食べて、順番に風呂を済ませ、昨夜のようにそれぞれの時間を過ごした。
なんだか自然で、居心地がよくて、まるで本当に兄弟のようだった。
積み重ねっていうのは人間関係も同様のようだ。
僕自身も少しずつ緊張が解れている気がする。
久我は僕がへまをしても苛立ったりはせず、バカだなと言いながらも助けてくれて、俺もミスするしと言って笑ってくれる。当たり前のように目を合わせてくれるばかりか、自分から色んなことを話してくれる。
この家にいる限り、僕たちだけで、他に誰もいない。物理的な意味でもそうなんだけど、精神的にもそう感じられた。
そのせいか、久我が後ろで漫画を読んでいても昨日みたいに緊張はせず、午前みたいに集中することができた。
集中して、途中で疲れて、ちょっとタブレットで絵を描いたりなんてする余裕もできた。
するといつの間にかうとうとしてしまったようで、僕は突っ伏したまま眠ってしまった。
それに気づいたのは、身体がぐらりと揺れたからだった。
夢うつつで、まだ夢の中なのか、現実なのかを判別できず、デスクチェアがころころと転がり、がくんと身体が揺れ、投げ出された、と思いきや、誰かの腕に支えられているような感触で気がついた。
小学校の低学年くらいまでは、デスクやソファで寝てしまった僕を母さんが抱っこしてベッドに運んでくれたりしていた。そのときのような安堵感に包まれて、ベッドで横になった。
突っ伏していたせいで強張っていた身体が解放され、なんとも気持ちがいい。抱き枕のように布団を抱いて、そのまま心地よい眠りに落ちた。
しかし、しばらくして、瞼の隙間から光が漏れ入ってくることで、電気を消し忘れていることに気づき、頭が覚醒してきた。
そして、デスクに突っ伏していたはずが、なぜ今はベッドにいるのかを考え、僕は現在高校生で、母はここにいないことを思い出し、不思議に思って目を開けた。開けたとき、驚きのあまり、飛び上がりそうになった。
久我が、目の前にいる。
しかも、吐いた息がかかるほど距離が近い。
いや、実際にかかっている。形のよい唇から規則的に漏れる久我の呼気が、僕の唇をかすめている。
寝ているのだろうか。横になったあと僕は少し眠ったから、数十分ほどは経っているはずだった。
久我の腕が僕の身体のほうへ回っている。首の下にある温かなこれは、もしかして久我の腕なのだろうか。腕枕ってやつをされているのだろうか。
そうかもしれないと気がついて、急激に身体が熱くなった。
あまりのことに、脳が処理できない。どうしよう。
あわあわしていたところ、久我が動いた。一瞬眉間に皺が寄り、それがまるで痛みに顔をしかめたように見えた。
腕枕なんてしているせいで眠りにくいのかもしれない。わからないけど、痛そうだと思った。
どうしようと何度も考えて、ベッドから出れば済む話だと思いつく。
そうするべく起こさないようゆっくりと起き上がろうとしたら、背中に回っていた久我の腕が動き、抱き寄せられてしまった。
寝ぼけてる。完全に寝ぼけている。僕のことを彼女だと勘違いしているのだろうか?
そうに違いないと思いつつ、久我の彼女はどんな人なのだろうと考え、そもそもがいるのだろうかとはっとした。
驚いたことに、今の瞬間まで考えたことがなかった。久我に想いを寄せている話や、告白されたなんて噂はよく耳にするけど、誰それと付き合っているという話までは聞いたことがない。
毎日部活が終われば家に直帰する久我は、友達とすら遊んでいる様子もなく、毎日僕と過ごしている。
混乱のなか動揺していたところ、額に何かが触れた。柔らかくて温かいなにか。なんだろう、と考えた直後に、それが今度は眉のあたりにきて、思わず目をつぶった。すると今度は目尻に、頬へと来て、息を飲んだ瞬間にそれが唇に触れた。
もしも、万が一、彼が本当に勉強を見てくれることになったら……実現したら思うと、やらずにはいられない。僕は朝食を食べ終えて、すぐ勉強に取りかかった。
学年トップにとっては、中の下あたりをうろついているやつが多少の努力をしたところで塵にしかならないと思われるだろう。でも、積もらせなければ落ちていくだけだし、これ以上不甲斐ない真似は見せたくない。
なにより、これ以上久我から嫌われたくない。
嫌われている……はずだ。学校では話しかけないよう言われているんだから。しかしそのはずが、最近は久我のほうから話しかけてくることが増えてきている。帰ってきたら当たり前のように僕の部屋に来て、長いときは何時間も一緒に過ごしたりしている。
この一ヶ月で、以前では考えられないくらい久我と話せるようになった。
これはいったい、どういうことなんだろう。
久我は、僕のことが嫌いじゃなくなったのだろうか。
僕と義兄弟でも構わないと気が変わり始めているのだろうか。
「おーい。昼食わない?」
数学の問題集にペンを走らせていたとき、久我の声がして飛び上がった。
「……あれ? いつ……」
振り返ると、口をへの字にし、眉根を寄せている久我と目があった。
「廊下からバカでかい声で『ただいま』って叫んだし、ノックもしたんだけど」
「本当? ごめん……全然気づかなかった」
「いや、嘘。驚かせたかった」
「えっ……」
久我は最近見慣れてきたあのイタズラ坊主のようなにやりとした笑みになり、部屋へ入ってきた。
「ちゃんと勉強してるようだな……偉い偉い」
入ってきて、デスクのうえに広げていたノートを手に取り、ぱらぱらと眺め始めた。
「……久我くん、嘘ばっかりつくね」
「反応が面白くて……八神さんが来ていたのは気づいてただろ? まだ食べてないのは、俺と食うために待っていてくれたってこと?」
「えっ……八神さん来てたの?」
「なんだ。本気で集中してたんだ。待っていてくれたのかと思ったのに」
久我はノートを置いて、部屋のドアのほうへと向かい始めた。僕もそれを追ってキッチンへ行くと、朝にはなかった料理が並べられていた。
まったく気づかなかった。鍵は掛けていたから、合鍵を使ったのだろうけど、だとしても気付かないなんて不用心すぎる。
冷や汗をかきつつ反省していた僕のまえで、久我は食事の用意をし始めた。僕もそれを手伝い、並べ終えたあと、昨夜に引き続き二人での食事をとった。
久我は気分がいいのか、練習での出来事を面白おかしく話したり、昨夜読んでいた漫画の感想を語ったりと、なんだか楽しそうで、僕は飲み込む間に相槌を打つのが精一杯だというのに、器用にも喋り続けていた。
後片付けを済ませたあとは、久我と部屋へ戻って、午後いっぱいデスクのまえで椅子を並べた。
僕に勉強を教えてくれるというのは本気だったらしく、問題集でミスをした個所を頭から順にチェックして、そのつど理解できているかを確認したうえで、丁寧に教えてくれた。
先生より教え方が上手いと思った。ミスや思い違いを指摘して、なぜ解けないのか、どこを理解していないかを即座に見抜いてくれる。間違えたらバカにされるかと思いきや、理解の仕方を間違えているだけだと言って、理解できるまで辛抱強く付き合ってくれた。
「午前の僕と今の僕は別人かも」
「別人? 何言ってんだ?」
「数時間前の僕なら解けなかった。久我くんのお陰だよ。ありがとう」
「……別に。あとは一人でできるだろ。重要なのは理解と反復だ。あとはひたすら問題を解きまくればいい」
「うん。ありがとう」
「俺はこっちに取り掛かるから」
久我は僕の部屋のソファに場所を変えて、また昨日のように漫画を積み上げ、読み始めた。
そのあとは夕食の時間になるとまた二人で用意して食べて、順番に風呂を済ませ、昨夜のようにそれぞれの時間を過ごした。
なんだか自然で、居心地がよくて、まるで本当に兄弟のようだった。
積み重ねっていうのは人間関係も同様のようだ。
僕自身も少しずつ緊張が解れている気がする。
久我は僕がへまをしても苛立ったりはせず、バカだなと言いながらも助けてくれて、俺もミスするしと言って笑ってくれる。当たり前のように目を合わせてくれるばかりか、自分から色んなことを話してくれる。
この家にいる限り、僕たちだけで、他に誰もいない。物理的な意味でもそうなんだけど、精神的にもそう感じられた。
そのせいか、久我が後ろで漫画を読んでいても昨日みたいに緊張はせず、午前みたいに集中することができた。
集中して、途中で疲れて、ちょっとタブレットで絵を描いたりなんてする余裕もできた。
するといつの間にかうとうとしてしまったようで、僕は突っ伏したまま眠ってしまった。
それに気づいたのは、身体がぐらりと揺れたからだった。
夢うつつで、まだ夢の中なのか、現実なのかを判別できず、デスクチェアがころころと転がり、がくんと身体が揺れ、投げ出された、と思いきや、誰かの腕に支えられているような感触で気がついた。
小学校の低学年くらいまでは、デスクやソファで寝てしまった僕を母さんが抱っこしてベッドに運んでくれたりしていた。そのときのような安堵感に包まれて、ベッドで横になった。
突っ伏していたせいで強張っていた身体が解放され、なんとも気持ちがいい。抱き枕のように布団を抱いて、そのまま心地よい眠りに落ちた。
しかし、しばらくして、瞼の隙間から光が漏れ入ってくることで、電気を消し忘れていることに気づき、頭が覚醒してきた。
そして、デスクに突っ伏していたはずが、なぜ今はベッドにいるのかを考え、僕は現在高校生で、母はここにいないことを思い出し、不思議に思って目を開けた。開けたとき、驚きのあまり、飛び上がりそうになった。
久我が、目の前にいる。
しかも、吐いた息がかかるほど距離が近い。
いや、実際にかかっている。形のよい唇から規則的に漏れる久我の呼気が、僕の唇をかすめている。
寝ているのだろうか。横になったあと僕は少し眠ったから、数十分ほどは経っているはずだった。
久我の腕が僕の身体のほうへ回っている。首の下にある温かなこれは、もしかして久我の腕なのだろうか。腕枕ってやつをされているのだろうか。
そうかもしれないと気がついて、急激に身体が熱くなった。
あまりのことに、脳が処理できない。どうしよう。
あわあわしていたところ、久我が動いた。一瞬眉間に皺が寄り、それがまるで痛みに顔をしかめたように見えた。
腕枕なんてしているせいで眠りにくいのかもしれない。わからないけど、痛そうだと思った。
どうしようと何度も考えて、ベッドから出れば済む話だと思いつく。
そうするべく起こさないようゆっくりと起き上がろうとしたら、背中に回っていた久我の腕が動き、抱き寄せられてしまった。
寝ぼけてる。完全に寝ぼけている。僕のことを彼女だと勘違いしているのだろうか?
そうに違いないと思いつつ、久我の彼女はどんな人なのだろうと考え、そもそもがいるのだろうかとはっとした。
驚いたことに、今の瞬間まで考えたことがなかった。久我に想いを寄せている話や、告白されたなんて噂はよく耳にするけど、誰それと付き合っているという話までは聞いたことがない。
毎日部活が終われば家に直帰する久我は、友達とすら遊んでいる様子もなく、毎日僕と過ごしている。
混乱のなか動揺していたところ、額に何かが触れた。柔らかくて温かいなにか。なんだろう、と考えた直後に、それが今度は眉のあたりにきて、思わず目をつぶった。すると今度は目尻に、頬へと来て、息を飲んだ瞬間にそれが唇に触れた。
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