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17.泡沫の日々
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僕を抱きしめてくれていた久我はそっと身体を離し、おずおずと覗き込んできた。
「……俺の勘違いじゃないだろ?」
もう嘘をつき続けることはできない。
「……うん、好きだよ。僕は久我くんのことが好き……」
「早く素直になれよ」
「だって、気持ち悪いと思われてるって、それに彼女がいるし……」
彼女という単語を出したら、久我ははっと目を見開いた。そして目を泳がせ、ぷいとそっぽを向いてしまう。
「あれは……おまえが悪い」
「……僕?」
「おまえが嘘ばっかりつくから……父さんと同じことをしただけだ」
「お父さんと同じこと……」
考えて、もしかして母さんと結婚したことを指しているのだろうかと思い当たった。
「自覚してなかったけど、俺は父さん似らしい……一度好きになると、どうやっても忘れられないみたいだ。……一番タイプだと思った子と付き合ってみたのに、全然だめだった。一緒にいてもおまえのことしか……」
みるみる顔を赤くしていった久我は、僕の手を掴んで引っ張った。
「説明とか無理。恥ずくて死ぬ。……おまえがあのとき素直に答えてくれたらそんなことはしなかったんだし」
ベッドに座らせて、久我もその隣に腰をおろした。
足も腕もぴったりとくっつくように身を寄せられて、これ以上熱くなれないと思っていた身体がさらに熱くなった。
「でも、久我くんが僕のこと……なんて、そんなの知らなかったし、ずっと嫌われているって思っていたから」
「は? 嫌ってるわけないだろ……あんだけしてたら気づくはずだ」
「気づく、わけないよ」
「……鈍感」
呟いた久我は、手で僕の顎をぐいと久我のほうへ向けるようにして、またキスをした。
ちゅっと音がして、久我は離れていく。
赤く染まった頬と、潤ませている目、それらも、今日まで見たことのない表情だった。
久我は、僕のまえでだけ、他の誰にも見せていない表情を見せてくれていた。そのことに気がついて、またも涙が出そうになってきた。
「おまえはずっと俺だけ見ていればいいんだ。これからずっと、他の誰にも目、向けるな」
「……見たことないよ。久我くんだけだ」
見たことがないどころか、見ることもできない。他の誰に目を向けることができるというのか。
久我と出会った瞬間に、人生が変わった。
久我が僕と世界を繋いだ。
虚構の世界に逃避していた僕を、現実の世界へと目を向けさせたのは、久我だ。
ずっと見ていたたけだったはずが、義兄弟となり、久我に存在を知られてしまった。
そのことで、二度と絵を描けなくなった。
描けなくなったのは、久我が幻想の中から現実に現れたからだ。
僕の久我は、絵の中にいる久我じゃない。
僕と目を合わせて、微笑み、そして触れてくれる、本物の久我が、今日から僕だけのものになった。
◇ ◆ ◇
「明日、朝イチで迎えにくるから」
夏休み最後の日、久我は帰り際にそう言って去っていった。
夏休みの間、久我は毎日マンションへ来ていた。僕たちはどちらも塾には通っておらず、久我は、自分の復習がてら僕に夏期講習をしてやると言って、二人で勉強する日々を過ごしていた。
そして翌朝、『下りてこい』という久我からのLINEを見て、エントランスホールへと下りた。すると、久我が毎日通学で乗っているセダンがあり、後部座席のドアが開いた。
「毎日拾いにくるから」
「え……でも途中で下りなきゃならないんなら、電車でいいよ」
「なんで途中で下りるんだよ。学校まで一緒だ」
そんなことをしたら、どんな関係なのかと噂の的になってしまう。
絶句していたところ、久我のほうはきょとんとした顔で首を傾げてきた。
「恋人になったんだから、あたりまえだろ」
「えっ? 義兄弟だったときは……」
「あれは……あのときはわるかった。だから二度とあんなことはしない」
普通は逆だ。
義兄弟であれば同じ家に住んでいるわけで、一緒に登校してもおかしくない。それを嫌がったのは久我で、謝られたけど、空気の僕なんかと義兄弟であることを隠したいと思っても当然だろうから、それも不思議じゃなかった。
そのときとは状況が違う。今はもう義兄弟でもなければ、一緒に住んでもいない。
夏休みの間に恋人にはなったけど、だからって学校で堂々とできるはずがない。
久我は全校生徒に慕われいる、憧れの生徒会長なんだから。
呆然として整理ができないまま、学校へ到着してしまった。
降りろと促され、送迎用のロータリーに降りた瞬間から、僕はこれまでに感じたことのない数の視線を浴びた。
僕の乗ってきた車が久我のものであることは誰もが気づいていて、後から久我が降りてきたことで「まじかよ」と息を呑んでいた。
その場にいるすべての生徒の目が、僕に向いている。訝しげに、意味がわからないといった顔で、じろじろとはばかりもなく見られている。
どこを見ても誰かと目が合ってしまうことに耐えられなくなり、うつむいていたところ、手に何かが触れた。
「校則では、交際は禁止されていない。節度さえ守っていれば大丈夫だ」
久我の声がして、触れていたものが久我の手だと気がついた。
顔をあげると、久我と目が合う。
頬を染め、不貞腐れたように顔をしかめている。しかし、怒っているわけではなく、照れているだけであることを、今の僕は知っている。夏休みの間、二人で出かけたときにも何度も見ていた顔だ。
「……久我くん」
「おまえは、俺のことだけ見ていればいい。もしおまえが俺以外のやつに目を向けたりなんてしたら……俺は追いかけるからな」
久我は、拗ねたように口を尖らせた。
そんなことするはずがない。
そんな表情にも見惚れてしまうくらい、久我のことしか頭にないのだから。
じろじろと見られていても久我はまったく気にせず、僕の手を握って昇降口へと歩いていく。
いつもなら、こぞって久我に声をかけてくるはずが、誰もが唖然として、そんな僕たちを見ているだけだった。
恥ずかしいし、こんなことをして大丈夫なのだろうかと、久我のことが心配になる。だけど、久我は自分だけを見ていればいいと言ってくれた。
僕はこれからも、今までと同じように久我だけを見ていればいいらしい。
それでいいのだろうか。いいと言うなら、僕にとってはそれ以上のことはない。
過ぎ去った泡沫の日々、その代わりに訪れた新しい日々は、今まで以上に幸福な日々となるだろう。
「……俺の勘違いじゃないだろ?」
もう嘘をつき続けることはできない。
「……うん、好きだよ。僕は久我くんのことが好き……」
「早く素直になれよ」
「だって、気持ち悪いと思われてるって、それに彼女がいるし……」
彼女という単語を出したら、久我ははっと目を見開いた。そして目を泳がせ、ぷいとそっぽを向いてしまう。
「あれは……おまえが悪い」
「……僕?」
「おまえが嘘ばっかりつくから……父さんと同じことをしただけだ」
「お父さんと同じこと……」
考えて、もしかして母さんと結婚したことを指しているのだろうかと思い当たった。
「自覚してなかったけど、俺は父さん似らしい……一度好きになると、どうやっても忘れられないみたいだ。……一番タイプだと思った子と付き合ってみたのに、全然だめだった。一緒にいてもおまえのことしか……」
みるみる顔を赤くしていった久我は、僕の手を掴んで引っ張った。
「説明とか無理。恥ずくて死ぬ。……おまえがあのとき素直に答えてくれたらそんなことはしなかったんだし」
ベッドに座らせて、久我もその隣に腰をおろした。
足も腕もぴったりとくっつくように身を寄せられて、これ以上熱くなれないと思っていた身体がさらに熱くなった。
「でも、久我くんが僕のこと……なんて、そんなの知らなかったし、ずっと嫌われているって思っていたから」
「は? 嫌ってるわけないだろ……あんだけしてたら気づくはずだ」
「気づく、わけないよ」
「……鈍感」
呟いた久我は、手で僕の顎をぐいと久我のほうへ向けるようにして、またキスをした。
ちゅっと音がして、久我は離れていく。
赤く染まった頬と、潤ませている目、それらも、今日まで見たことのない表情だった。
久我は、僕のまえでだけ、他の誰にも見せていない表情を見せてくれていた。そのことに気がついて、またも涙が出そうになってきた。
「おまえはずっと俺だけ見ていればいいんだ。これからずっと、他の誰にも目、向けるな」
「……見たことないよ。久我くんだけだ」
見たことがないどころか、見ることもできない。他の誰に目を向けることができるというのか。
久我と出会った瞬間に、人生が変わった。
久我が僕と世界を繋いだ。
虚構の世界に逃避していた僕を、現実の世界へと目を向けさせたのは、久我だ。
ずっと見ていたたけだったはずが、義兄弟となり、久我に存在を知られてしまった。
そのことで、二度と絵を描けなくなった。
描けなくなったのは、久我が幻想の中から現実に現れたからだ。
僕の久我は、絵の中にいる久我じゃない。
僕と目を合わせて、微笑み、そして触れてくれる、本物の久我が、今日から僕だけのものになった。
◇ ◆ ◇
「明日、朝イチで迎えにくるから」
夏休み最後の日、久我は帰り際にそう言って去っていった。
夏休みの間、久我は毎日マンションへ来ていた。僕たちはどちらも塾には通っておらず、久我は、自分の復習がてら僕に夏期講習をしてやると言って、二人で勉強する日々を過ごしていた。
そして翌朝、『下りてこい』という久我からのLINEを見て、エントランスホールへと下りた。すると、久我が毎日通学で乗っているセダンがあり、後部座席のドアが開いた。
「毎日拾いにくるから」
「え……でも途中で下りなきゃならないんなら、電車でいいよ」
「なんで途中で下りるんだよ。学校まで一緒だ」
そんなことをしたら、どんな関係なのかと噂の的になってしまう。
絶句していたところ、久我のほうはきょとんとした顔で首を傾げてきた。
「恋人になったんだから、あたりまえだろ」
「えっ? 義兄弟だったときは……」
「あれは……あのときはわるかった。だから二度とあんなことはしない」
普通は逆だ。
義兄弟であれば同じ家に住んでいるわけで、一緒に登校してもおかしくない。それを嫌がったのは久我で、謝られたけど、空気の僕なんかと義兄弟であることを隠したいと思っても当然だろうから、それも不思議じゃなかった。
そのときとは状況が違う。今はもう義兄弟でもなければ、一緒に住んでもいない。
夏休みの間に恋人にはなったけど、だからって学校で堂々とできるはずがない。
久我は全校生徒に慕われいる、憧れの生徒会長なんだから。
呆然として整理ができないまま、学校へ到着してしまった。
降りろと促され、送迎用のロータリーに降りた瞬間から、僕はこれまでに感じたことのない数の視線を浴びた。
僕の乗ってきた車が久我のものであることは誰もが気づいていて、後から久我が降りてきたことで「まじかよ」と息を呑んでいた。
その場にいるすべての生徒の目が、僕に向いている。訝しげに、意味がわからないといった顔で、じろじろとはばかりもなく見られている。
どこを見ても誰かと目が合ってしまうことに耐えられなくなり、うつむいていたところ、手に何かが触れた。
「校則では、交際は禁止されていない。節度さえ守っていれば大丈夫だ」
久我の声がして、触れていたものが久我の手だと気がついた。
顔をあげると、久我と目が合う。
頬を染め、不貞腐れたように顔をしかめている。しかし、怒っているわけではなく、照れているだけであることを、今の僕は知っている。夏休みの間、二人で出かけたときにも何度も見ていた顔だ。
「……久我くん」
「おまえは、俺のことだけ見ていればいい。もしおまえが俺以外のやつに目を向けたりなんてしたら……俺は追いかけるからな」
久我は、拗ねたように口を尖らせた。
そんなことするはずがない。
そんな表情にも見惚れてしまうくらい、久我のことしか頭にないのだから。
じろじろと見られていても久我はまったく気にせず、僕の手を握って昇降口へと歩いていく。
いつもなら、こぞって久我に声をかけてくるはずが、誰もが唖然として、そんな僕たちを見ているだけだった。
恥ずかしいし、こんなことをして大丈夫なのだろうかと、久我のことが心配になる。だけど、久我は自分だけを見ていればいいと言ってくれた。
僕はこれからも、今までと同じように久我だけを見ていればいいらしい。
それでいいのだろうか。いいと言うなら、僕にとってはそれ以上のことはない。
過ぎ去った泡沫の日々、その代わりに訪れた新しい日々は、今まで以上に幸福な日々となるだろう。
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