抱かれたいアルファの憂鬱なる辞令

七天八狂

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第三章 ユートピアの片隅で

43.正反対の兄妹

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 風を切る音が近づいている。ロジオンが向かっているのだろうか。そのことを証明するかのごとく、気圧が変わるほどの風も巻き起こっている。
 目を開け、視線を彷徨わせると黒い影を視界に捉えた。同時に身体がオレンジの光に包まれ、安堵に目頭がじわりと熱をもつ。

「……ロジオン」
 
 ぐんぐん近づいてきた影が、少し離れた位置に物凄い音を立てて降り立った。ぐらりと地面が震えるほどの衝撃とともに、着地した影が走り寄ってくる。

「アラム!」

 ようやく会えた。痛みに構わず頬が緩んでしまう。
 あいつも満身創痍のようだ。
 服は焼け焦げてぼろぼろで、露出した皮膚は血にまみれ、火傷のせいか爛れている箇所もある。顔は煤と血と泥でぐちゃぐちゃだ。どっと噴き出した涙が筋をつくっている。

「なんでこんなところに」

 ロジオンは駆け寄ってきて、俺のまえで膝をつき、胸のうえでうずくまった。頭を撫でてやろうとするも、腕は上がらない。ぴくりと指先が痙攣したみたいになるだけで、無力極まりなかった。
 
「おまえに会いたかったからだよ。……キスしてくれ」
「えっ?」

 驚きに見開かれたロジオンの目尻から、ぼたぼたと涙が落ちてくる。
 拭いてやりたい。痛々しげな傷口を消毒して、包帯を巻いてやりたい。抱きしめて、キスをしてやりたい。
 でも──
 
「……動けないんだ」

 なにもできない。触れることすら、今の俺には不可能だった。

「でも……」
 
 口だけなんて情けないが、逸る気持ちを抑えられない。

「早くしろよ」

 睨みつけると、こくこくと頷いたロジオンは、おそるおそるといった様子で唇を重ねてきた。

「……もっと」

 こんなんで足りると思うなよ。身体が動けば、逃げられないよう首に腕を回して押さえつけてやるのに、歯がゆくてたまらない。
 ロジオンはおっかなびっくりの様子で軽くキスをし、びくびくしながらちゅうと唇を食んだ。ぺろと舐めてやると、ようやく舌に触れてくれた。柔かく温かな感触を味わい、ようやくロジオンを感じることができた。
 死ぬのならこのまま、ロジオンを感じたまま逝きたい。
 思い残すことがなければだが、現状心残りは時間が惜しいほどにある。

「ロジオン、聞いてくれ──」
「待って。アラムのその身体、俺の攻撃のせいだよね?」
「違う。これは──」
「俺じゃないなら、攻撃されたっていうの? クジマから?」
「……違う」
「クジマがここへ連れてきたんでしょ? アラムたちのいるところから離れたつもりだったのに、なんで俺を追ってきたの?」
「俺がクジマ様……クジマに頼んだんだ」
 
 敢えてクジマの名を憎々しげな声で言い直し、ロジオンの口を塞いだ。訝しげに眉根を寄せたロジオンが口を開く前にと、彼らの陰謀を口早に説明した。
 驚くのは然り、怒りに駆られるのも当然だ。そう予測して、刺激し過ぎないよう言葉を選んだのだが──

「……そう」
 
 驚かされたのは俺のほうだった。ロジオンは衝撃を受けた様子もなく、意外なほど冷静に俺の話を最後まで聞いていた。

「知ってたのか?」
「いや、知らなかったよ」
「じゃあなんで……クジマもおまえの兄で、もしかしたらマルガリータ様を傷つけたのも彼らの手によるものだったかもしれないんだぞ?」
「……兄だったのは驚いたけど、母上のことはさ……クジマが自分でやったって言ってたの?」
「いや……」

 はっきりと明言していたわけじゃない。ただ、なにもかもがクジマたちの手による計画というなら、マルガリータ様を死に至らしめた爆発事故もクジマの思惑が絡んでいたのではと推測しただけだ。

「クジマじゃないよ。母上の死は俺のせいだ。リザヴェータを殺すつもりで、母上だけを殺してしまったんだ」
「……じゃあ、フョードル様たちの話は事実だったのか?」
「うん。俺は思い違いをしていたみたいで、リザヴェータと話して思い出したんだ。……あいつは、顔だけ見れば母そっくりだけど、俺と同じなんだ。俺と同じで、顔は似ているのに中身はまるで似ていない。あいつと話しているとフョードルだと勘違いするくらい似てるんだ。うざいほど辛抱強くてさ……最初は俺をぎゃんぎゃん口うるさく責めてきていたけど、アラムから遠ざけようとしていたみたいで、離れたとたん別人みたいになってさ……」
「それにしては物凄い魔力で戦っていたじゃないか」
「うん。あれは、ほとんどが俺だ。リザヴェータは人のいないほうへ逃げて、反撃はほとんどしてこなかった。あいつの防御魔法はかなり強くてさ。どれほどの魔力を込めてもまるで効かなくて、俺が疲れるばかりだったよ」
「じゃあ、リザヴェータ様は無事なのか?」
「無事だよ。フョードルから緊急の呼び出しがあったみたいで、平気な顔で飛んでいった。ついてくるか聞かれたけど、防御魔法がまったく破れないことにムカついてて、無視してたら一人で行っちゃった」
「頭蓋内通信を埋め込んでいたのか?」
「いや、魔術の一つみたいだった。どうやっているのか見当もつかないけど。あいつはさ、今なら大きな罪にはならないからって何度も説得してきてさ。最初は俺を責めていたのに、真逆なことを言い出して。仕方がなかったとか、すれ違いのせいだとか、誤解の産んだ悲劇だとか言ってベラベラとさ。フョードルを相手にしているみたいで、母上とはまったく似ていなかった。それで気づかされたんだ。俺は顔こそローギンにそっくりだけど、中身は母上と生き写しみたいだってことに」

 ロジオンは話しながら俺の身体を静かに撫でている。愛撫めいたものではなく、医師のように身体の状態を確かめているようだ。途中、何度かはっとして、痛みを覚えたかのように顔を歪ませた。
 自分で先は長くないとわかっているが、ロジオンがその事実を知って青ざめていくのは言いようのない切なさがせり上がってくる。
 
「……母上はフョードルのことばかりで、他は何も見えていない人だった。人間だけじゃない。世にあるものすべてだよ。この世にフョードルしかいないみたいだった。俺もそうだ。俺の世界には母上しかいなかった。死んでからもずっとだ。母上はもういないのに、俺が殺したのに、どこかにいるかもしれないって、ずっと囚われていたんだ。アラムに会うまでは……」

 言いながら、ロジオンは濡れた睫毛を痛ましげに震わせ、俺の胸のうえに再びうずくまった。

「効いてる? 俺の治癒魔法で少しはよくなってる? ……なってないよな? なんでなんだ? なんで俺は防御や治癒がへたなんだ? ビルは簡単に壊せるし、街も薙ぎ払えるだけの力がある。なのに、アラムを回復させてやることができない……同じ魔術なのに、魔力はあるのに、なんで? ……なんでなんだよ」

 愛しい男は悲痛に声を震わせている。しかし、彼の嘆きを肌を感じながら、俺は安堵していた。
 ロジオンは妹を手にかけていないし、国民も無事であるらしい。街を破壊したことは事実としても、手遅れではない。ものは直すことができる。心から謝罪し、復興に尽力すれば時の経過とともに許される日が来るだろう。
 俺に対しても自責の念があるようだが、ロジオンのせいじゃない。愛してくれているその気持ちも、マルガリータ様への想いを忘れることができたように、いつかは過去となるはずだ。
 だから、もう大丈夫。
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