紆余曲折

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紆余曲折

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 隣の家に同い年のやつが住んでいた。名前を駿太郎といって、引っ越しの挨拶に来た俺とお袋をグリングリンの目で見てきた。

 駿太郎のところのおばちゃんもおじちゃんも共に忙しい人で、駿太郎はよく一人になっていた。
 引っ越してきたばかりで周りのこと―特に暴れまわれる場所を知らなかった俺は、これ幸いと、暇な駿太郎を引っ張って案内をさせた。

 これが俺たち2人がつるみ始めたきっかけである。

「しゅんたろー、県外受けるってマジ?」

 タブレットを右に左に回していた手をとめ、駿太郎がこっちを見た。中学で配布されたタブレットの中でも駿太郎はハズレのものにあたったらしく、本日あえなく息を引き取った。

 日差しのきつい廊下を並んで歩きながら、どうにか息を吹き返さないかと回されていたタブレットが下げられる。駿太郎はでかい目を丸くしたあと、片手を口元にあてて目線だけ斜め上に向けた。

「母ちゃん?」

 ぴっとこちらに指された指を張り落としながら頷くと、駿太郎はやっぱりと言わんばかりに笑った。えくぼが可愛いとかなんとか女子が騒いでいたことを思い出した。

「こないだ回覧板持ってった時にポロっと。」
「口軽くて困るなあ。そ、県外。行きたい大学考えるとね。」

 せんせータブレット壊れましたあ!と職員室に入っていく駿太郎を外で待つ。サイダーの売り切れた自販機から、アイスコーヒーとパックのオレンジジュースを取り出す。オレンジジュースのストローを噛みながらスマホを弄っていると、ぶつぶつと何事か言いながら駿太郎が帰ってきた。

「先生わかんないって。どうすんだよ今日の授業…。」
「サボればあ?」
「や~内申響くから無理。」
「あーね。」

 アイスコーヒーを渡すと、無言で受け取られカシュリと缶が開けられた。これで昨日のこいつの奢りの分はチャラだな。
 
 外からサッカーをしているやつらの怒号が聞こえる。今日の昼は激しいな。次の体育大丈夫かよ。外を眺めながら歩いていると、ねえ、と隣から声をかけられた。

「ゲンちゃんは?」
「なんが。」
「高校。」
「県内の公立。」
「そっか。…そっか。」

 中学2年の夏。進路が本格的に固まるやつが多くなっていく中、俺の幼馴染は県外に行くらしい。

「ゲンちゃーん!見て、青トカゲの尻尾切れてないやつ!」
「すっげえええ!!しゅんたろーまじ器用な!!!」
「あっちでっかいセミの抜けがらあった!いこ!」

 駿太郎は色々な場所を知っているやつだった。セミの抜け殻がたくさんとれる公園、俺らと同じくらいの子たちが集まって石を投げまくる川、おまけをくれる駄菓子屋、でかい犬3匹が塀から覗いてくる道。

 中でも凄かったのが、月が馬鹿みたいにでかく見える廃ビルの屋上で、駿太郎は俺を連れて来ると得意げに笑っていた。ちなみにその夜は二人で二人分の親にしこたま怒られた。

 どうしてこんなに面白い場所を知っているのに暇だったのか聞くと、一人で行く勇気はなかったんだと照れ臭そうにしていた。

 しみじみとした。そうか、あの駿太郎が。駄菓子屋に行くのも照れていた駿太郎が。

 感動しながら回覧板を渡したとき、おばちゃんは駿太郎と似た顔でなぜか少し照れながら駿太郎の進路を漏らしていた。「おばちゃん、びっくりしたのよお。あの子がねえ。」と言っていた。


 進路が決まった駿太郎は、いつもより少しだけしっかりするようになった。授業中寝そうになるのをぎりぎりで耐え、テスト前にゲームをしなくなり、放課後の付き合いが少し悪くなった。図書館に行っているらしい。

 まだ駿太郎が県外に行くことがピンと来ていなかった俺は、じわじわと実感を持つようになった。どこから―十中八九お隣だが、話を聞きつけた俺のお袋は、あんたもそろそろしっかりしなさいよとぼやいていた。父と兄は巻き込まれないようにテレビの前に逃げ、姉と妹は頷きながら同意していた。味方がいなかった。

 それでも駿太郎とはよくつるんだ。人は急には変われないもので、あいつも例外ではなく、今日は放課後にドーナツ屋に来ていた。近所のじじばばのたまり場で、ドーナツ以外にラーメンも唐揚げもポテトもあるチェーン店で、俺たちは重宝していた。

「きつい。」
「さすがにか。」
「いや、でも授業中耐えなくても寝なくなってきた。」
「えら。」

 ラーメンをずるずるすすり、駿太郎はあ゛あ゛ーとおっさんくさく唸った。顔面の良さで補っていたが、相当きているのだろう。

 ホットのカフェオレを飲むと、冷え込んだ体が温まった。今日はドーナツの気分だったのだ。プレーンのドーナツを完食しきろうとしていると、駿太郎が俺の左手に何かを付けた。ストローの包み紙をねじって作られた輪が、薬指に嵌っていた。

 駿太郎を見ると、達成感にあふれた顔でニコニコしていた。何を勝手にウケているのか。外では雪が降り始めていて、道理で寒いわけだと思った。

「はい指輪ー。」
「あほか。」
「な~んちゃってー、って、あの、ゲンちゃん、冗談だって。」
「後生大事に持ってお前の結婚式で披露してやるよ。」
「最悪の発想だよゲンちゃん。」

 輪っかを外して、最近ついぞ鞄から出て来なくなった財布に入れる。財布には去年の初詣に買ったお守りがそのまま入っていた。

 そういえば、こいつは今年の冬休みはどうするのだろうか。去年は例年と同じく、俺んちで自宅のように年越しをしていて、俺と似ていない双子のような扱いをされていた。おじちゃんもおばちゃんも毎年病院に駆り出されていて、それどころではなかったのだ。

「お前今年の冬どうすんの。」
「あー…塾行く。」

 あ、ミスった。そうか、と言ってスマホに目を落とす。そりゃそうか。しまった、息抜きに来ている奴に馬鹿なこと聞いた。ここ最近、駿太郎に対して話を選ぶようになった。主に進路に引っかかりそうなことは聞かないように、慎重に話題を選んでいた。

 駿太郎に対する気遣いか、自分がしっかりしていないことを見て見ぬふりをしたいのかはわからなかった。ただとにかく、しっかりし始めた駿太郎とではなく、俺がよく知っている、ちょっと抜けている駿太郎と話したかったのだ。

 駿太郎はそのまま、駅近くの塾に通い始める話を始めてしまった。そこには俺の知らない、少し真剣な目をした男が座っていた。


 俺だけが一方的に気まずくなっていても、冬休みはあっさりやってきた。別に駿太郎がいなくたって遊ぶ友達はいたし、俺は俺で進路に向けて勉強を進める必要があった。高校は今の成績で行ける範囲のところにすると決まっていた。

 駿太郎とは、それから結局、初詣に一緒に行ったきりになった。古いお守りを処理してもらって、二人して合格祈願のお守りを買って、財布に潜り込ませて、それっきりだった。

 やつは3年になると、特進クラスへ移っていった。受験のレベルに合わせてたまに何人かの生徒がそうなるらしく、今年は駿太郎以外に2人いた。

 それから俺は、普通クラスのやつらとしょうもない話をしながら1年を過ごした。たまにすれ違う駿太郎は相変わらずきゃあきゃあ言われていて、目が合うとお互い手を上げるくらいだった。駿太郎じゃ~んという周りに、そうだな、と返した。

 たまに使いもしない財布を取り出して、紙のごみを取り出した。いや、ああは言ったけど、要らねえだろ。そのままゴミ箱に入れようとして、仕舞い直す。そうして財布を閉じて机に向き直る。最終学年の1年は恐ろしく早く過ぎ、いつの間にか受験は終わっていた。

 受かった。久しぶりに光ったロケットのアイコンがそんなことを言ってきて、おめでとうのスタンプを送ってやった。やったあと気の抜けたスタンプが返ってきて、なんとなく懐かしくなった。ちなみにこの時、俺の受験はまだだった。やっぱり駿太郎はちょっとアホである。

「お母さん飲み物買ってくるから、ここいなさいね。玄くんは何がいい?」
「同じのでいいっすよ、すみませんいつも。」
「いいのよ~このくらい。」

 ひらひらと手を振っておばちゃんが遠くの売店に歩いていく。今日は駿太郎の出発日で、無事に受かっていた俺は、久しぶりにやつと顔を合わせていた。髪が伸びていて、少しふわふわしている。二人並んで座っていると、なんか久々、と駿太郎が笑った。

「や、まじで。お前とまともの会ったの初詣以来だろ。」
「そうだっけ?…そうだね、確かに。」
「お前すげーじゃん、ちゃんと受かったし。超がんばったじゃん。」

 へらへらと笑いながら、別に見てもいないスマホを弄る。あまりよくない態度だった。せっかく見送りに来たというのに。

 キャスターが回る音と人の足音が大きく混ざる。ポーンと機械音が定期的に鳴り、どの便にも誰か1人は呼び出される人がいた。空港は似たような人がごった返していて、たまに子供の叫び声がした。

「ゲンちゃん。」

 そんなうるさい中で、駿太郎はそっと呟いた。聞こえなかったらどうする気だったんだ。スマホから目を離し顔を向けると、駿太郎は笑っていなくて、口元が引き攣った。おばちゃん、早く帰ってこないだろうか。

「ゲンちゃん、ちょっと俺の事避けてたよね?」
「…気のせいだろ。」
「全然俺に話しかけてこなかったじゃん。」
「そりゃお前、忙しいだろ、お互い。」
「今までそんなこと気にしなかっただろ。」

 確かに。俺は今まで、こいつの都合を考えたことは余りなかった。ガキの頃に連れ出した日から、なぜか理由もなく、俺が好きなことは駿太郎も好きだろうと思っていた。だから都合なんて考えなかった。多少の好みは違えど、こいつは大体気に入るだろうと訳もなく思っていた。

 うろたえる俺の手を掴むと、スマホを取り上げ俺のバッグのポケットに入れた。じっと見てくるこの男は誰だ。二の句もつけずに見返していると、はあとため息をつかれた。ため息をつきたいのは勝手にスマホをとられた俺の方だ。

「なに怒ってんの。」
「怒ってない。いや勝手にスマホとられたのはちょっと腹立つ。」
「ごめんねー、すげー適当に話すもんだから。」
「…別に、怒ってねーけど。」
「怒ってるよ。俺、今日出発なんだけど。しばらく会えないんだよ?」
「じゃあ行くなよ。」

 ボトッと言葉が落ちた。おばちゃんのことを口が軽いなんて言えない。後生大事にしまっておくはずだった言葉その1が勝手に出てきて、さらに動揺した。口元は相変わらず引き攣っていて、声が少し震えた。駿太郎がフイと目をそらし、遠くを見た。こいつはこういう時に察しが良かった。

「しゅんたろーお前、一言言ってくれても良くなかったか?」
「別にゲンちゃん俺の彼女とかじゃないじゃん。」
「俺はお前の彼女よりすげえ大親友だろうが。見送りに来てんだぞ。」
「す~げえ暴論。」

 やばい、なんか目が熱い。目を見開きながら下を向く。俺は何を今生の別れみたいに悲しんでいるんだろうか。別に会いたきゃ予定を会わせて会えばいいし、普通にスマホで話せるし。

「俺が宇宙関係の仕事したいの覚えてるかと思ったんだよ。」
「いつの話だよそれ、今思い出したわ。人は小学生の時の夢は忘れんだよ。」
「ゲンちゃん警察官だったしね。今全然そんな感じじゃないけど。」
「何言ってんだ今も公務員にはなりてえよ具体性はないけど。」

 そういえばこいつ、異様に細かいこと覚えてるやつだったな。未だに止まる気配がない涙に顔を上げられずにいる。またポーンと機械音が鳴った。こいつはもうすぐ保安検査場を通って、飛行機に乗り込んで、そんで遠くに行く。忌々しかった。

「だから俺どうしても絶対あの高校行きたかったんだよ。」
「わかってんだよおめーの人生だからおめーの勝手だろ。」
「うん。」
「お前、お前さあ…お前…勝手にしっかりしてんじゃねえよ。俺一人ガキみたいでさあ…。」

 はぁーあと顔を上に向ける。危なかった。この薄情な幼馴染のために涙を流すところだった。勝手に大人びやがった男は、ようやっといつもの調子を取り戻した俺に安堵したのか、ちょっと眉を下げて笑った。

 駿太郎この野郎、見てろよ。俺は公務員になって安定した給料に安定した職場を手に入れてやるからな。

「東京でも宇宙でもどこでも行っちまえ。」
「ゲンちゃんは?」
「俺はド安定に行くんだよ。公務員になって順風満帆な日々を送りながらグランピングとかかましてやるから見とけよ。」
「ゲンちゃんにしては優雅過ぎない?」
「なんだとお前。」

 適当に話していると、おばちゃんが帰ってきた。丁度最終入場時間の10分前で、ええ~?と言いながら駿太郎はカフェオレを半分飲むと、こちらに押し付けてきた。保安検査場に飲み物は持ち込めないからだ。

「じゃ、またねゲンちゃん。」
「ん。」

 それからやつとは、年始のあけおめ以外の連絡をとらなかった。俺もあいつもそう連絡をする方ではない。あけおめもお互い、恐らくかろうじて送ったものだった。
 
 駿太郎は、おばちゃんとおじちゃんが学会でよく行くからか、親とは向こうで会っていたらしい。年末年始に帰るほどでもなく、挨拶に来たおばちゃんとおじちゃんからたまに近況を聞くくらいだった。

 高校の間に、俺は財布を新調した。財布の中には処理しそびれた合格祈願のお守りと、例の紙の輪っかが入っていて、俺は紙の輪っかだけ新しい財布に入れ直した。


「ゲンちゃん?」
「あ?…しゅんたろーか?」

 駿太郎と再会したのは、大学の図書館の中だった。学部で出回っていたテストの写しを片手に勉強しようと席を探していると、駿太郎がいた。丁度やつの前が空いていたので座ることにすると、相変わらずあいつはにこにことしていた。

「久々。」
「おー。お前もテスト対策?」
「それもあるけど、レポートの見直しとかも。」
「ふーん。」

 ひそひそと話す駿太郎は、髪を染めていた。見送った日くらいの長さの髪が少し灰色がかっていて、こいつアッシュ系とか興味あったんかと思った。

 ちょっと垢ぬけた幼馴染は、変わりなく夢に向かって邁進していた。大学の進路は聞いていなかったが、そういえばうちの大学の工学部には有名な宇宙工学学科があったなと思い出した。経済学部の俺にとっては関係のない話だったが、大学の進路選択の時にやたら目についた。

 それから俺は、駿太郎の家に入り浸るようになった。駿太郎の家は、頻繁に大学に行くためか、大学から徒歩5分の場所にあった。1Kの狭い部屋には資料がひしめき合っていた。

 狭くはないのかと聞くと、帰って寝るだけだし、と答えともつかない回答があった。こいつは高校の1人暮らしで培った生活スキルをすべて捨ててきたようである。

 駿太郎は多忙な男だった。レポートを完成させたと思ったらレポートに手を付け、資料をまとめたと思ったら資料をまとめ始め、朝一で大学に行ったかと思ったらそのまま帰ってこない日もあった。

 俺は血の気が引いた。あの日勝手に大人びた男が、立派なワーカホリックになっていたからだ。

 恐ろしいのがそんな中でも駿太郎はひどく楽しそうだったことだ。俺も大学に入ってそれなりに真面目に将来のことを考え始めたと思ったのだが、一緒に馬鹿騒ぎをしていたはずの幼馴染がさらに進化していて、腰が引けた。

 腰が引けたものの、それよりもあいつは俺が及び腰な態度をとる方がイラつくようだ。なんとなく入り浸るのをやめようかと思ったところを目ざとく察知され、夜食を食べながら延々と止められた。

 俺は俺に言い聞かせた。悩んだところで俺は俺、あいつはあいつ。あいつは確かに凄いが、俺だって俺なりに頑張っている。この間から大学の公務員試験向けの講座受け始めたし。今のところ順調だし。バイトだって頑張ってるし、先輩との仲だって順調だ。何も引け目を感じる必要はない。

 最早お守りのように成り果てた紙の輪を久々に引っ張り出す。大学進学時にもう一度新調した財布にも入れてきたそれは、よれよれになってちぎれかけていた。


「ゲンちゃん、俺留学するわ。」

 そんな中でのこれだ。大学2年の夏のこと、珍しく日中に大学で会ったやつがそう宣った。駿太郎は学んだのか、今度はいち早く自分で言うことを選んだようだ。

 大学内のカフェはがやがやと騒がしく、運よく座れた俺たちは冷たい飲み物をすすりながらお互いの課題を進めていた。

 俺も、学ぶ男だ。そう、こういうときはまず詳細を聞かないといけないんだ。動機とか、理由とか、願望とか。そう思ったのだが、動機なんてわかりきっていたので、結局俺はまたさも気にしていない風に当たり障りなく話を続けることを選んだ。

「ふーん、すげえじゃん。なんか奢っちゃるわ。」
「やった。じゃあさ、一緒に飯行こうよ。一杯奢って。」

 その日は本当に珍しい日だったらしく、翌日と翌々日の土日にやつは予定がなかった。これ幸いと、金曜の夜にかこつけて、駿太郎を居酒屋に連れ出した。

 こいつは本当にびっくりするほど勉強漬けなものだったので、振り返ってみると、こんな風に普通の大学生らしく連れたって夕飯に行くのも、再会した日以来のことだった。

 駿太郎はハイボールを飲みながら、こう言った。世話になっている研究室の教授の勧めで留学することになったこと。言語をより強化しながら宇宙機械工学を学びに行くこと。2年は帰らないこと。

 3年よりは短いな。べろんべろんに酔っぱらいながらそう思った。昨日は雨が降っていて、アスファルトと雨と夏の熱気が混じった匂いがあたりを漂っている。祝うはずの相手に肩を貸され、俺は第2の家のベッドに放り投げられた。この家にはまともに座れる場所が、駿太郎の作業椅子とこのベッドくらいしかないのだ。

「しゅんたろーお前ええ…ふざけんなよ…」
「あっつ…クーラーと扇風機つけるよ~。」
「1度ならず2度も…2度もお前ってやつは…」
「あとでそのシーツ変えろよー。」

 気づけば俺は決壊していた。酔っ払い特有の大声が制御できず、自分用の枕に食わせながらぶつぶつと恨み言を投げていく。俺はここに俺用の枕まで置いているというのに、こいつはまたどっか行くのか。ぽんと首に冷たいペットボトルが置かれ、飛び起きた。水だ。

「大体お前はなあ!」
「ゲンちゃん声抑えて。」
「悪い。お前はな…しゅんたろー、唐突すぎる。俺は今日あそこに新発売のジェラートを食いに行ったんだ。座れて超気分が良かったんだ。それをお前地獄に突き落としやがって!」
「水飲んでねー。」
「…飲んだ。しかもなんだ、2年。2年?俺大学卒業してるんだけど。」
「ごめんなまた一緒に卒業できなくて。でも高校と大学以外は一緒に卒業したからそれで我慢してよ。」
「ちげえよお前と卒業した過ぎるわけじゃねえよ馬鹿か。いやお前は馬鹿じゃない…わかってるんだ、お前は抜けてもなきゃ馬鹿でもないって…」

 空のペットボトルを床に置き、よろよろと立ち上がる。そのままシャワーに向かうと、後ろから溺れないでよーと声がかかった。溺れるわけ無いだろ馬鹿。

 さっさと上がった俺と入れ違いで駿太郎がシャワーに向かう。俺は駿太郎のスマホを開き、ラジオのアプリを立ち上げ小型のスピーカーにつなげた。深夜帯のポツポツとした語り口が流れ始める。あらかた話終わると、歌詞の意味は分からないが、なんとなく曲調が好きな曲が流れ始めた。

 ガチャガチャとした音と共に、髪をふきながら駿太郎が返ってきた。最近茶色になった髪をふき終わると、駿太郎は自分の作業椅子に座って水を飲み始めた。

 流れている曲の歌詞の意味を聞いてみると、駿太郎は少し聞いた後、めっちゃ女口説いてる曲と言った。俺はまた決壊した。

「しゅんたろー、駿太郎…俺なんもない、お前みたいになんか、これ!ってのがないんだ。」
「なに急に。もう一本水飲む?」
「お前はかっこいいやつだよずっと。」
「本当?」
「本当。目標があって、計画性もあって、努力もできて。お前が羨ましい。俺はお前みたいに一途になれないし、英語もわかんねえ。なんだよ女口説いてる曲って。ちょっといい曲だって思った俺が馬鹿みたいじゃねえか。」
「いい曲なのは本当じゃん。」

 シーツを変え終わると、俺はまたベッドに突っ伏した。パイプがぎりぎりと鳴ったが、気にしなかった。

 やばい、今日こそ泣くかもしれない。気のせいじゃなければ目が熱くなってきた。泣くまいとぐううと唸っていると、腹の横あたりがグンとへこんだ。薄情者の幼馴染が座ってできた重みだった。

「今回はちゃんと言ったじゃん。」
「そうだよお前は本当に律儀なやつだよ。けどな、そういうことじゃねえんだよ。」
「結局機嫌悪くなるんだからもー。今度は避けないで、俺の出国当日までちゃんと入り浸れよな。」

 こいつは薄情じゃない、人でなしだ。せっかく再会した幼馴染がすぐどっかに行く俺の気持ちにもなれ。せっかく頑張って引け目を感じないように努力してきた俺の身にもなれ。

 こんなことなら再会なんかしたくなかった。こいつの結婚式に呼ばれるまで、会いたくはなかった。またこの突き落とされるような感覚を味わうくらいなら。

 今回はさすがに我慢できなかったらしい。酒の力も働いてゆるみまくった涙腺から涙が出てくる。文句を言ってやろうと起き上がり、隣の人でなしの顔を見る。やつはなぜか、ぎょっとして、まじまじと俺の顔を見てきた。

「泣いてる!?」
「おう泣いてるわ。よく見ろこの薄情もんが。」
「ええ、嘘…え、泣いて、泣いてる。すごい。」
「言うに事欠いてすごいってなんだよ。」
「なんで泣いてるの?」
「幼馴染が人でなしだと思い知った悲しみと、俺じゃ一生お前にかなわないと思い知った悔しさで泣いてる。」
「思ったより具体的だねゲンちゃん。自己分析完璧じゃん。」

 ぐずぐずと鼻が鳴るので、おもむろにティッシュをとりビーッとかむ。そのままゴミ箱にシュートし、駿太郎の飲みかけの水を奪い取る。

 まだ涙は止まらない。こいつは俺が自己分析完璧だと言ったが、そんなことはない。未だに酒が残っている感覚がするし、なぜかまだ泣けそうだし、財布を求めて目がうろうろしていた。わけもわからずあの紙の輪を求めていた。

「何探してるの?」
「財布。」
「財布?ゲンちゃんの?」
「そう。」
「バッグでしょ。ほら。」

 駿太郎はためらいなく俺のバッグに手を突っ込むと、俺の財布を差し出した。ノロノロと受け取り、財布をあける。

 財布の隅の方、札も入れていないところから紙の輪が出てくるのを、駿太郎がでかい目を真ん丸にしてみていた。気づいてはいたが、俺はこの時そんなことはどうでもよかった。

「え。まてそれ、もしかしてアレ!?は。ゲンちゃん!?」
「声抑えろ。」
「あ、ごめ…え?いやそれ、え、凄い補強してる。別物?」
「これはお前が中2の時に俺にうっかり渡した呪物だ。」
「やっぱアレじゃん。ていうか呪物って。」
「なんだよ文句あるか。別にいいだろお前に迷惑かかってねーんだし。」
「いやそれ俺の結婚式?でからかう用のネタなんでしょ?」
「こんなガッチガチに補強されてるもん出せるわけねーだろ。」
「じゃあなんでまだ持ってるのさ…。」
「わかんねえよ俺にも。」

 ただあると落ち着く。そうつぶやきながら、テープで紙とも言えなくなった輪を眺める。未だに涙が止まらず、ラジオはまた静かに何かを語るターンに入ってる。ねえと声をかけられた。知らない男が話しかけてくる。

「なんで落ち着くの。」
「わかんねえ。」
「わかるよ。じゃあそれ持ってると何思い出すの。」
「中2のお前。」
「具体的に。」
「中2の頃のちょっと抜けてるお前。」
「中2の頃の俺を思い出すとどう思う?」
「一緒に馬鹿やったなと思う。」
「今の俺は一緒に馬鹿やらないの?」
「やってくれただろ。この間夜中に蒙古タンタンメン食べたろ。」
「あれはひどかったね。ゲンちゃん、でも俺、お前と一緒に馬鹿やりたかったからやったんだよ。『やってくれた』じゃない。」

 そうなのか。じゃあこいつは、俺のよく知っている駿太郎だ。俺の好きなことが大体好きな、たまに照れの入る、妙に器用な目のでかい幼馴染。

 扇風機の首が回って、知っているはずの男の茶色い髪を持ち上げていく。俺はまだ紙の輪を手放せなかったが、どうやら涙は止まったらしく、目元に風が当たって冷たくなった。

「ゲンちゃん、そんなにだったんだ。」
「なんが。」
「幼馴染の俺好きすぎ。」
「悪いか。」
「ちょっとキモいけどお互い様だし。」
「何言ってんだ、俺はお前ほど人でなしじゃねえわ。少なくとも国内にはいる。」
「俺最速2年で国内に帰ってくるよゲンちゃん。」

 しょうがないなあ、と言いながら駿太郎が離れていく。すぐそばの机の、これまた無駄に面積をとっている引き出しの一番大きい段から、謎の平べったいカンカンを取り出した。それは駿太郎のとこのおじちゃんが時たまお土産に買ってくるお菓子の箱で、俺の家の小道具入れの一つにもなっていた。

 戻ってきた駿太郎がバカリと蓋を開ける。その中には、平べったいでかい石と、割りばしで作られた三角と四角を繋げられた何かが入っていた。

「お前の呪物か?」
「まあそう。これ、覚えてる?」
「え、いや…え、俺関連!?」
「この石は月で、この割りばしはロケット。で、ゲンちゃんは宇宙飛行士で、俺はオペレーター。」
「は?…あ!?」
「あの頃、俺本当引っ込み思案でさあ。で、超かっこいいゲンちゃんがオペレーターの俺すげえかっけえって言うもんだから、コロッと。」

 卒倒しそうになった。こいつの言う通り、キモいのはお互い様だったらしい。とある写真を思い出した。まだ仲良くなりたての頃、まだ写真を撮り飽きていなかった俺の親が、俺と駿太郎を撮ったものだ。そこには確かに、このロケットもどきが写っていた。

「え、俺?お前の進路決めたの。」
「さすがにキモいかと思って言わなかったけどそう。」
「なんで言ったんだよ!」
「ゲンちゃんが俺と同じくらいキモくなってたから良いかなって…」

 一緒に宇宙見て回るって言ったのになあ。ノホホンと駿太郎がそう言う。いつの話だよ、それ俺が警察官になりたいとか言ってた時より前の話だろ絶対。酔いもさめ、俺の呪物である紙の輪をベッドに投げ捨てる。代わりに駿太郎の両肩を掴んだ。

 やっぱり会話は大事だ。動機も、理由も、願望も、それから色々絶対に本人の口から聞かなければまずい。特にこいつが国内にいるうちにだ。いざというときに殴れるようにするためだった。

「お前それ俺以外に言ったか?」
「言ってないよ。」
「よしよくやった。そのまま絶対に話すな。そんで早急に彼女を作れ。俺も作るから。」
「ゲンちゃんたぶん無理だよ。俺もお前も絶対彼女よりこっち優先するし。」
「お前そんなんで高校どうしてたんだよ。」
「勉強して勉強してたまに彼女出来て振られて勉強して勉強した。」
「お前の青春それでいいのか!?」
「いいよ別に。ゲンちゃんいるし。大体そっちは長続きした彼女いるわけ?この間振られたんでしょ、俺優先しすぎて。」
「こっちはいいんだよこっちは!」

 ラジオから愉快なジャズが流れてきた。俺はもうパニックで笑いだしそうになっていた。なんだそれ、こいつ、全然アホだ。

 駿太郎もクツクツ笑いだす。ベッドに置かれていた紙の指輪をヒョイと取り上げると、俺の左薬指にはめた。

「またかっこいいって言われたかったんだよね。今日言われたけど、なんかちょっと違う感じだったし。」
「しゅんたろー、これどうすんだよ、どうしようもねえぞ俺たち。」
「いいじゃん似たもの同士で。一緒にこうして馬鹿な人生送っていこうよ、ゲンちゃん。」

 大丈夫、職はお互い堅いみたいだし!ケラケラと駿太郎が笑う。もういいか。どうやら俺たちは一生馬鹿をするみたいだし。じゃあ、とりあえずこいつの出国を見送って、2年待ってやろう。10年以上呪物を抱えていた駿太郎に比べれば短いものだ。

 その日は二人しておかしくなって、そのまま寝た。次の日はお互い2日酔いで、それでも記憶がしっかり残っていた俺たちは、それでも一緒にいたままだった。
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