お願いです!ワンナイトのつもりでした!

郁律華

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本編

ビールのタイミングは要注意

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ビールはまだか。

私の救いの飲み物をお届けください、店員さん!
でも、ご飯もの頼むしかないけど、手早く逃げるならビールのみにするか……迷う。
空きっ腹にビールは酔いが回るの早くなるんだよな。
こういうときばかり酒飲みなのを自覚させられるが、友人の一人にバーを連れ回してくる人がいるから、もはやこれは私の性分なのだ。

「俺よりも厄介なやつを相手にするとは、桐川さんも面倒事が好きだねぇ。」
和人が先に頼んでいたビールを飲みながら、ケタケタと笑う。
「和人、お前は黙ってなさい。」
にこやかに琢磨がそう言うと和人は黙りこんだ。
普段なら、そんなこと言わずにと琢磨に絡む和人が大人しく従ってしまったのである。
これは、本格的に魔王が降臨なさったのだ。
背中の嫌な汗が止まらない。
店員さん、早くとりあえずビールください!

「で?」
「で?とは……」
恐ろしいことに、この魔王の笑顔は背後がブリザードなのである。
猛吹雪が見えております。
昔、ふざけて魔王ってあだ名つけた私の友人……君はまだひよっこの優しい子だ。
頼むから、そのままでいてくれ。
この魔王よりも君はまだまだだったわ。
こんな風に進化しないでおくれ。
「弁解したいならどうぞと思ってね。無いなら俺からいくつか言うけど。」
「いや、あの……酔ってたし……お互いにいい大人じゃない?」
暗に無かったことにと伝えるものの、琢磨の笑顔は崩れない。
寧ろ艶然としてきている。
顔がいいから迫力がありますね。
反対に私の背中には冷や汗が流れ落ちる。
「ふうん?他には?」
もはや誤魔化しはできないということだ。
よし、覚悟を決める。
私は勢いよく頭を下げた。
「許してください!お願いします!ワンナイトのつもりでした!」
謝るしかない。潔く。
負けても生き残れば勝ちなのである。たぶん。
そしてワンナイトだから、見逃してこれからも友人関係続けてくれたら御の字です。
あの日の夜は夢であればそれでいい。
「ワンナイトねえ……」
指でテーブルをトンと叩く。
その仕草はおそらく多くの女性が見惚れるだろうに、私にとって今は恐ろしい。

「はい、ビールお待ち!」

ドンとテーブルにジョッキが2つ置かれる。
店員さん、そこのタイミングじゃないんだわ。
いや、ある意味、このタイミングなのか?
そしてジョッキ2つとか、琢磨が来るの見越して和人が頼んでたな!
このジョッキ大きいな!これすぐに飲みきれない大きさだよ?
でも、この重い空気をどうにかやり過ごすために、とりあえず飲むしかと手をジョッキに伸ばそうとすると、私の右手をそのまま琢磨に握りこまれる。
「ヒエッ!」
琢磨の手のひらで包み込まれたことで、思わず奇声が出てしまった。

「俺さぁ、朝起きたら隣に夜はいてくれたはずの人がいなくて寂しかったんだ。」
「さ、左様でございますか。」
琢磨が視線をテーブルに落としながら、話し始めるが、私はありきたりの返事しか出来なくなる。
むしろ、転職前の職場で叩き込まれた接客口調に戻ってしまった。
琢磨が視線を私の方に上げて、力強い瞳で見つめてくる。
「昔から大切に、こわがらせないように距離を縮めて、相談とか乗れるようにして、頼られるようにってしてたんだけどねぇ。本当は甘えたいんだろうなって思って、徐々に甘やかそうともしてたんだ。そしたら、嬉しそうな顔をしてもっとと動こうとしてたんだよね。最近は仕事柄忙しくなってて、構えなかったのは認めるけど、それで横からかっさわれてたとか思わなかったなぁ。いつの間に男を作ってたのかな?」
「お、おお?」
握りこまれた私の右手が、琢磨の左手の親指でゆっくりと撫でられる。
ぞわぞわして、あの日泣かされた記憶が思い出されてしまう。
思わず、あの快感を引きずり出されそうになり、振り払ってしまいそうになるが、罪悪感と琢磨の力の強さで押さえ込まれる。
こりゃあかんのである。
本能が逃げろと言っている。
ちらりと和人を見てみるが、知らないふりで携帯をいじっている。
くっ、逃げ道が見つからない。
「ちゃーんと躾とかなきゃなんだね。一晩じゃ無理だったし。気付いてないなら気付かせるべきだったし、言葉にしないと確かにダメだった。でも……」
「でも?」
「俺にこの感情を気付かせるとはなぁ。あの日がなければ気付かないまま退くのもありかと、試しに街コンとやらに行ってみようかとも思ってたのに。
残念な桐川さん?これで見逃してあげれなくなった。あそこまでの気持ちを理解したのに、こちらが退くわけが無いじゃないか。もう逃げ道はないよ?」
魔王の降臨した原因私なの?
こんな状況になるとは思わなかったんだけど?
「ワンナイト……」
一縷の望みにかけてがんばって絞り出してみた。
無理な気はするけど。
「無し。あんなにかわいいも言ったのにね。まだ足りないかな?それともまた誉めて欲しい?」
あのイイコ発言か!
創作物でヨシヨシセッなるものはよく見たけど、まさか自分がされるとは思ってもみなかった。
あれは、ダメだ。
そして、私は創作物のヨシヨシセッはもう見れない。
「足りております!いや、あの、本当に許してください…」
「ふうん?まあ、怒ってるわけではないし……強いて言うなら、俺はあの朝寂しかったってことなんだよね。ああ、でも、今度こそ朝まで起きれないようにしようか?」
琢磨の左手の動きが指を絡ませてきたり、撫でてきたりしてとても卑猥である。
なんで居酒屋で手の愛撫始まってるんですかね。
こら!指の間のとことかやさしく撫でたり、緩急つけて指をつつつと撫で上げたりとかしてはいけません!
見ないようにしても、感覚がそちらに向くので勘弁して欲しい。
「大学生のときからいいなぁって思ってくれてたんだよね?後押しだってしてくれるんだっけ?」
「お、お許しを……酔ってたんです……」
今は素面なので、あのときの言葉を出されると恥ずかしいことこの上ない。
これ以上、本当に言わないでほしい。
「ふうん?こんな素直な桐川さんは珍しいからって言ってたのにね。ああ、そういえば俺、勤務地こっちにできるように今回の出張でお願いしてきたんだよね。」
にっこりという言葉がふさわしい様に、魔王がお笑いになった。
もう、逃げられない。

「で、俺と付き合うよね?」
「……え?付き合う?」
「ね?」
「喜んでお付き合いさせていただきます!」

和人は隣でとうとう大爆笑した。
私を罠にはめたこと、彼女に言いつけるぞ。
てっきり、何かしら罰でも受けさせられるのかと思っていたけれど、まさかの形に落ち着いてしまった。
思わず、遠い目をしてしまう。




でも、大学生のときに蓋をした私の片想いの感情は心の隅で喜び、震えていた。

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