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第二章 辺境での冒険者生活~農民よりも戦士が多い開拓村で一花咲かせます~

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 足を止めた僕の左肩に、誰かの手がぽんと置かれた。僕はびくりと体を震わせ、振り向く。視線の先では、マルクスさんがにやりと笑っていた。

 ……え。まさか、本当は人さらいとか、じゃない、よね?

「思ったよりでかくてびっくりしたか? 大丈夫だから心配すんな。ここは、色んな事情があるやつばかりが集められた開拓村だ。悪ささえしなけりゃ、お前らのこともちゃんと受け入れてくれる」

 僕の心配をよそに、マルクスさんは肩にあった手を僕の頭に載せてそう言った。ぐしゃぐしゃと荒っぽく撫でてから、僕の背中をぽんと軽く押す。下り坂で前のめりになった僕は駆け下りるような形になってしまい、大空と徹の背中に手をつくことでなんとか止まる。

「なにやってんだ?」

「あはは、ごめんごめん」

 怪訝そうな徹に、僕は苦笑いで答えた。ちらりと後ろを見ると、マルクスさんは頭を掻きながら、すまんすまんと言って笑っている。

 ……騙されてはない、みたい?

 僕たちは斜面をゆっくり降りていく。太陽の色がだんだんと赤みを帯びていき、門や櫓では、かがり火の準備がされている。家屋が集まっている中央では、煮炊きか何かの煙が登り始めた。

 やがて僕たちは村の前にたどり着いた。特に咎められることもなく門をくぐると、沈みかけの太陽が開拓村を茜色に染めている。

 異世界に来て初めて見る、人里の美しい光景に足がとまる。人々が家路を急ぐ姿、どこからか聞こえてくる笑い声に、なぜだかわからないけど胸が高鳴る。顔がほてり、目頭が熱くなる。この数か月間、頭のどこかにずっとあった緊張の糸が切れたような気がした。

「ったく、何泣いてんだよ」

「優太かーちゃんは、おおげさだなー」

 徹と大空が左右から肩を組んできた。僕は鼻をすすり、顔を左右に回して二人の顔を見る。

「ぐすっ……二人もじゃん……」

 二人の頬を伝う涙もまた、この村と同じ茜色に輝いていた。
     ◆

 次の日の朝、僕はマルクスさんの家の一室で目を覚ました。ランプを探し、小さな火精霊にお願いして火をつけてもらう。ぼんやりと明るくなった部屋を見渡すと、大空と徹はまだ眠っている。僕は、二人を起こさないようにそっとベッドから下りて部屋を出た。
 
 ――昨日、僕たちは、「今日は遅いから俺んちに泊まれ」というマルクスさんの言葉に甘え、マルクスさんの家に一晩お世話になっていた。マルクスさんのお嫁さんのミレイさんは、僕たちの突然の来訪に怒ることもなく、食事、体を拭くお湯、寝床等をてきぱきと用意してくれた。僕たちは、それを勧められるがままに受け入れ、今に至る――

 部屋から出た僕はランプの光を頼りに廊下を進み、階段を下りて一階にある台所へと向かう。台所からは光が漏れていて、昨日はおろしていた金髪を頭の後ろに結っているミレイさんが食事の準備をしていた。

「ミレイさん、おはようございます。昨日は本当にありがとうございました」

 僕は台所にいたミレイさんに声をかけて、ぺこりと深く頭を下げた。突然声をかけられたミレイさんは、大きな青い目をぱちぱちとさせて少しびっくりした様子だったが、すぐに笑顔で挨拶を返してくれる。

「おはよう、ユータ君。よく眠れた?」

「ベッドで眠ったのは久しぶりで、今までぐっすりでした! 何かお手伝いできることはないですか?」

「ふふふ、ユータ君はお客さんなんだからゆっくりして良いのよ。夫から大体の話は聞いているし、森を歩き通して疲れてるでしょ? それに今日は夫が村の中を案内するって言ってたから、またたくさん歩くことになるんだから」

「え? そんなことまでしてもらっては……」

「良いの良いの。あの人そういうお節介が好きだから。ほら、そこに座って?」

 ミレイさんの視線の先には、木製の小さな丸テーブルと背もたれのない椅子が2つあり、僕は近い方の椅子に腰を下ろした。ミレイさんはテーブルに木製のカップを2つ置き、透明な茶色の液体を注ぐ。棚から小さな壺を取り出し、中身をスプーンで掬ってカップの中でくるくると回す。そして、微笑みながら「どうぞ」と言って、カップの1つを僕の前に差し出した。

 漂ってくる湯気とともに、嗅いだことのある甘い香りが僕の鼻をくすぐる。僕は息を吹きかけながら、音を立てないようにすする。

 わあ、これ麦茶だ。へえ~、温かい麦茶にハチミツって意外と合うんだね。今度二人にも作ってあげよ。

 僕はハチミツ入りの温かい麦茶を夢中ですすっていた。ふと顔を上げると、にこにことしたミレイさんが僕のことを見つめている。

「気に入ってくれて嬉しいわ」

「ぐふっ!? がはっ、ごほっ」

「ユータ君!?」

 優しい眼差しにびっくりした僕はむせてしまった。ミレイさんは僕の背中をさすって介抱してくれる。少しすると落ち着いたため、僕はミレイさんに大丈夫と伝え、こぼしてしまったお茶をポケットに入れていたハンカチでふき取る
 
「せっかく淹れてもらったのに、ごめんなさい。……ミレイさん?」

 謝罪した僕が顔を上げると、ミレイさんの視線は僕の顔ではなく、手元へと向いていた。

「あ、ごめんなさい、お茶は大丈夫よ。それ、べたべたになっちゃうから洗いましょうか」

 ミレイさんは、はっと顔を上げて優しく微笑み、手を差し出してきた。

「大丈夫ですよ。それくらいは自分でやりますから」

「遠慮しないで、ね?」

「えっと、じゃあ、はい。すみません。お願いします」

 ぐいぐいとくるミレイさんの気迫に負け、僕はハンカチを差し出した。ミレイさんはにこりと微笑んでハンカチを受け取ると、ランプからの光に透かすように広げ、まじまじと見る。

「……凄い。とても細かな縫製だし、ユータ君がいたところは優秀な職人がいたのね」

「え?」 

「あ、ごめんなさい! 夫から詮索はするなって言われてたのについ。洗って乾かしておくね」

 ミレイさんは慌てた様子でそう言い、僕のハンカチをとても高価なものを扱うような丁寧さで洗い始めるのであった。

 ……え~と、神様? あれって、神様が代用品にくれたやつなんですけど大丈夫ですよね?
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