夏コミと女神

りー

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夏コミと女神

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俺は23歳の何の変哲もない、むしろキモオタといわれる部類の人間だ。ハンドルネームはじゅんたそ。
本名は井伊村 純太(いいむらじゅんた)。
アニメが好きでそのアニメが好き過ぎてコスプレイヤーにまで手を伸ばし、最近ではコスプレイヤーのカメコをしている。
カメコというのは専門用語で、コスプレイヤーを撮影するカメラマンという意味である。
カメコ歴は長く、5年くらいになる。元々はコミケやゲームショーなどのイベント専門でカメコをしていた。
「ああ~ヒカリちゃんは今日も輝いてるな。」
俺の推しであるコスプレイヤーの夜空ヒカリちゃんはTwitterに可愛い自撮りをアップしていた。ツイートの内容は「コミケなう!屋上で待ってるね!」と書かれている。
無論俺はヒカリちゃんに会いにこれからコミケに行く。コミケというのはコミックマーケットという名前のイベントで、同人誌や企業のグッズが販売されたり、コスプレイヤーが集まって撮影を行なっている。
夏と冬で年に2回開催される、世界的に有名なイベントなのだ。

ヒカリちゃんは数年前からコスプレイヤーをしていて、芸能事務所に入りたいと言っている。スタイルが良くて可愛い彼女はきっと芸能人にもなれるくらいの美貌を持ち合わせていると思う。

俺とヒカリちゃんの出会いはTwitterで、彼女の投稿を見て一目惚れした。アニメ好きだという彼女が、キャラクターになりきってコスプレをする姿に虜になったのだ。
彼女のつぶやきを見ているうちに、彼女が撮影会というイベントを定期的に開催している事を知った。撮影会ではコスプレをする彼女のことを撮影することが出来るイベントだ。
高額ではあるがヒカリちゃんと接点が持てる貴重な時間である。
今までこういったイベントに参加した事は無かったが、彼女に会いたい一心で勇気を出して参加したのが半年前の撮影会だった。

「はははじめまして、じゅんたそです。ヒカリちゃんに会いに初めて撮影会に参加しました。よろしくお願いしま…す!」
「あ!Twitterでよくメッセージしてくれてるじゅんたそ?!覚えてるよー。よろしくね!」
なんだって!ヒカリちゃんが俺の存在を認知してるだと…?それだけでも嬉しくて幸せだ。
この会話で舞い上がり過ぎて、その後の記憶はなくなったけど、初めての撮影会はとても楽しかった。
その後も何度も通い、段々撮影会の参加者とは顔馴染みとなり、撮影会に参加するのは日課となった。
今回の夏コミは撮影会と違って、近い距離でいつもより長く彼女に会うことが出来る。時間制限がなく、参加費を払うこともないので自由度が高いのである。

1日目に屋上でコスプレをした彼女を撮影した後、2日目はブースで販売している写真集を買いに行く。
ブースにいる時は彼女と時間に制限がなくゆっくり話せるとTwitterのつぶやきに書かれていた。
彼女と会って話す内容を妄想してニヤニヤしていると、気付けば出発する時間となっていた。慌てて荷物を持って外へ出た。

蝉の鳴き声がミンミンミーンと激しく鳴いている。頭の中に響くような感覚だ。
コンビニに向かい、ヒカリちゃんへの差し入れのポカリスエットとAmazonギフトカード1万円を購入して駅へと急いだ。
電車に乗って会場へと急いだ。皆、コミケ会場に向かっているようでいつもの車内よりも浮かれたムードが漂っている。

コミケ会場に到着し、ヒカリちゃんがいる屋上へと向かった。
日差しが強過ぎて汗が止まらないが、ヒカリちゃんに会う楽しみが勝り、足早に彼女の元へと急いだ。

ヒカリちゃんの周りには行列が出来ており、顔ぶれのオタクたち以外の人も列に並んでいた。
ヒカリちゃんはいつも通り笑顔で写真撮影に応じていた。
ようやく自分の番になり、ヒカリちゃんに話しかけた。
「ヒカリちゃんお疲れ様!差し入れ持ってきたよ!」
「ありがとう。」
「もちろん!ヒカリちゃんのために買ったから受け取ってもらえて嬉しいな。」
ヒカリちゃんと話が終わると、写真撮影へと移った。
ヒカリちゃんは暑さからかいつもより素っ気ないように感じた。
「暑い中、撮影させてくれてありがとう。」
「ううん。またね。」
ヒカリちゃんとは目が合わない感じがして、少し不安になった。何か失礼な事をしたのかな、嫌な事言ったっけ?と頭の中でグルグルと悩んでしまう。

列を外れて、他のコスプレイヤーの撮影に行こうと思い、あたりを見て回っていた。
「じゅんたそ?」
俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると以前推していたヤミちゃんが居た。
ヤミちゃんは大型イベント限定でコスプレをしている大学生だ。有名人ではなくSNSもあまり更新していない、のんびりと活動している子だった。
そんな彼女が物足りなくなって、頻繁に活動しているヒカリちゃんに推し変した。
「ヤミちゃん!来てたんだね!」
「うん!コミケは毎回参加してるから。」
「そっか。このキャラ可愛いね。写真撮っても良い?」
「うん!お願いします!」
ヤミちゃんの列は無く、ヤミちゃんだけが立っていた。彼女は魔法使いのキャラのコスプレをしていて、とても似合っていた。
何となく推し変をしたので気まずかったが、話しているうちにそんな気持ちは無くなっていった。
撮影をし終わると、しばらく話をした。時間があっという間に過ぎていた。とても楽しかった。
「ヤミちゃん、ありがとう。また来るね。」
「じゅんたそ、また会おうね。」
ヤミちゃんは優しい声で俺の目を見てそう言った。もっとヤミちゃんとゆっくり話したいなと思いながら、駅へと向かった。

駅へと到着し、帰りの電車へと乗った。明らかにキャラクターの絵が描かれている紙袋を持った人たちが居て、いかにもコミケ帰りだと分かる人ばかりだった。
ヒカリちゃんとヤミちゃんを撮影してあっという間に夕方になっていた。
最寄り駅に着いてから外に出る。家に向かって歩いた。
夕方だというのにも関わらず、茹だるような暑さで体調が悪くなってきたように感じる。
「しっかりしろ、俺。明日のヒカリちゃん用の差し入れを買ってから帰るんだ。」
心の中では気合いを入れているものの、足が思うように動かない。段々と呼吸も荒くなってきた。
撮影に集中していたから水分を摂ることを忘れていたのを思い出した。
「気持ち悪い…クラクラする…でもヒカリちゃんが俺を待っている…。」
目が回ってきて、意識が遠くなってくる。
その場に倒れてしまった。

目を開けると、自分の部屋のベッドに居た。
急いで起き上がり、時計を見ると次の日の8時半となっていた。
「あれ?朝?さっきは夕方だったのに、朝になってる?!」
まだ寝ぼけてるんだと思い、洗面所へ顔を洗いに向かった。

「え?!誰?!俺?!」
洗面所の鏡を見ると、いつもの俺と違う顔が映っていた。
不細工な自分ではなく、イケメンになっていた。
「これは夢か…?でもヒカリちゃんに会いに行かないといけないから、準備して向かわないと間に合わない。」
思った以上にすんなりと現状を受け入れている自分に驚きながらも、出発予定時間よりも早くに家を出る事が出来た。
「ここまで見た目が変わると、ヒカリちゃんにはきっと気付かれないだろうな。」
ヒカリちゃんの反応を楽しみにしながら、電車に乗って、コミケの会場に向かう。
「ねぇねぇ、見て!あの人イケメンじゃない?」
「芸能人とか?モデルかな?」
若い女性2人がこちらを見ながら話している。もしかして俺のこと話してるのかな。人生でそんな経験が一度もなかったから、なんだか誇らしい。
「ヒカリちゃんに一目惚れされちゃったりして。でへへへ。」
今までにない経験に舞い上がりながら、早くヒカリちゃんに会いたくて仕方なくなった。イケメンだったら、いつもこんな体験をしているのだろうか。
このままだったら、ヒカリちゃんと付き合えるんじゃないかと思えてくる。

ヒカリちゃんの写真集を販売しているブースへと到着した。ヒカリちゃんはブースの最終準備をしている様子だ。
昨日とは違って私服姿のヒカリちゃんが見れてとても新鮮だ。
「ヒカリちゃん、遊びにきたよ。購入したいんだけど。」
「初めまして!来てくれてありがとう!まだ人も来てないし、写真集あげようか?」
どうやら写真集をタダでくれるそうだ。いつもは当たり前にお金を出していたので戸惑いを隠せない。
「いや、応援したいからさ、買うよ。」
「ありがとう。…じゃあ仲良くなりたいから、1日うちのブースのお手伝いをしてほしいの。イケメンだからコスプレイヤーのみんなも喜ぶし!」
まさかのヒカリちゃんからのお誘いだ。
イケメンだからコスプレイヤーのみんなも喜ぶという言葉はなんだか引っかかるな。
販売側の席に座れるだなんて思いもしなかった。
コミケではよくカメコとコスプレイヤーで写真集を製作したり、販売することがある。
決して珍しくない事だけど、自己紹介もしていないのにお手伝いのお願いが来るのはレアケースだと思う。
「ありがとう。お手伝いさせてもらうね。」
本当の自分では出せない爽やかさ100%の笑顔でヒカリちゃんに喜びを表現した。
ヒカリちゃんは頷くと笑顔で俺の手を握った。
いつもよりも特別に美しく感じた。手を握られたことなんてない。イケメンに対して露骨にいい態度を取るんだなと感じる。

ヒカリちゃんと同じブースに座りながら、アニメの話をしたり、写真集を運んだり、お金の準備をしたり、飲み物を買いに行ったりした。
写真集を買いに顔馴染みのファン達が来ていた。
俺だとは勿論知らずに、こちらを見て話している。
「ヒカリちゃんの彼氏かな、あのイケメン。」
「ヒカリちゃんのブースに男が居るとか萎えるわ。」
2人の男性が睨みつけてきたが、俺はどうでも良かった。
ヒカリちゃんにも聞こえているだろうが、無視しているようだった。
「気にしなくて良いのよ。どうせまた撮影会には来るのよ、あの人たち。」
「どうして?」
「オタクはそういうものなのよ。」
ヒカリちゃんは冷たい目をして彼らを見ていた。
「君はオタクとは違うと思ってるから。大丈夫だよ?」
ヒカリちゃんはそう言って俺に微笑んだ。俺には関係ないと思ってしまい、今を楽しむことにした。
こんなに幸せな日が俺の人生に訪れるなんて思わなかったから、イケメンに変身できたことに感謝した。
幸せな時間には終わりは来るわけで、コミケの営業時間が終了した。

「お疲れ様!突然手伝ってくれて有難う。お礼にご飯ご馳走させて?」
「お礼なんて大丈夫だよ。一緒に過ごせて楽しかった。ご飯は俺がご馳走するね。」
「じゃあとりあえずご飯行こっか!」
「うん!そうしよう。」
ご飯に誘われる日が来るなんて思いもしなかったから、イケメンになれて幸せだな。このままで居られたら良いのに。
心躍りながらコミケ会場の近くのお店へと向かった。店が混んでいたので、椅子に座って順番を待つことにした。
「コミケとかいつも来てるの?なんかオタクとは程遠い感じだけど。」
「そうだね。アニメが好きでそこからコスプレにも興味があったんだ。」
「あー!コスプレする側か!通りでイケメンだもんね!カメコっぽくないもん!」
「そう…かな?」
「カメコってさ、マジで気持ち悪いのよ。差し入れとか持って来たり、ラブレターとかくれるんだけど、要らないからすぐ捨てるんだ。」
「え?そうなの?なんで?」
「だってキモい人から貰っても嬉しくないもん。私はイケメンしか勝たんって思ってるからさー。」
ヒカリちゃん…?本当にヒカリちゃんなの?
いつもは笑顔で優しい言葉をかけてくれるのに、これが本心なの?
「そのカメコたちはヒカリちゃんを応援してくれてるんじゃないの?」
「応援されるのは有難いけど、ガチ恋が多くてダルい。ただ売れたいだけだから養分になってくれりゃ良いのにね!」
「そっか…。そういう風に思ってたんだね。…ごめんちょっとトイレ。」
「うん!ここで待ってるねー!」
ヒカリちゃんは悪びれる様子もなくスマホに目線を移した。
ヒカリちゃんの本性を知り、吐き気がしてトイレに向かった。
「ヒカリちゃんはそんなふうに思いながら俺と接してたんだ…。酷すぎる。あんまりだ。」
涙が止まらなくなり、気がつくと大きな声を出しながら泣いていた。涙が止まらなくてしばらく時間が分からないぐらい泣いていると、体が痛くなってきた。
「痛い…。どうしたんだろ、泣き過ぎかな。」
洗面所で顔を洗おうと鏡を見ると、元の自分に戻っていた。
「どうしよう。これじゃあヒカリちゃんには会えない。…会ったところでキモいって言われるから帰ろう。」
トイレから出るとヒカリちゃんが同じ場所でスマホを見ながらあたりを見回して慌てている様子だ。
元の姿に戻ったので、俺の存在には気付いてもいないようだ。
ヒカリちゃんは女神なんかじゃなかった。
イケメンになって彼女と関わることで分かってしまった。
彼女の前をそのまま通過するとヒカリちゃんは青ざめながら独り言を話している。
「どうしよう…あの人まだ帰ってこないの?」何かあったようだが、俺には関係ない。
急いで帰路へと向かった。
イケメンでも幸せになれる訳じゃない。今回の不思議な体験でそう感じた。

「あれ?じゅんたそ?」
「ヤミちゃん…?なんでここにいるの?」
ヤミちゃんとは昨日ぶりに会ったため、イケメン姿は見ていない。
「泣いてるの?大丈夫?」
ヤミちゃんの優しい声で涙が溢れてくる。
「はい、ハンカチで涙を拭いて。」
ヤミちゃんはハンカチを渡してくれた。涙を拭っていると、頭を撫でてくれた。
レストランの入り口で少し恥ずかしい気持ちもあるが、涙が止まらないのでその場に留まっている。
「…ヤミちゃん、なんでそんなに優しいの?俺、推し変してヤミちゃんを裏切ったのに。」
「そんなの関係ないよ!じゅんたそが泣いてるのに放っておけない。何かあったの?」
「実は好きな人が居たんだけど、裏切られて悲しかったんだ。」
「それは辛かったね…」
「うん。俺が思ってるような人じゃなかった。」
「じゅんたそを裏切る人なんてその程度の人だったんだよ。今はそう思えないと思うけどさ。」
「…ありがとう。」
「話が変わるんだけど、コスプレイベントに一緒に参加しない?」
ヤミちゃんは俺を気遣うかのように話題を変えてくれた。
そんな気遣いに救われるし、誘われるのは嬉しい。
「良いね。俺も参加したい。」
「よーし!イベントの打ち合わせも兼ねてご飯に行こう。おすすめのお店があるの!」
ヤミちゃんは俺の腕を掴んでそう言った。涙はすっかり止まっている。

ブーッ ブーッ ブーッ
スマホが鳴り止まないので見てみると、Twitterでヒカリちゃんが炎上しているようだ。
どうやらイケメンに変身した俺と楽しそうに話しているのを盗撮されていて、拡散してしまったようだった。
店内にいるヒカリちゃんが電話をしている。泣きながら話している声が聞こえた。
今は元の姿に戻っているから助けてあげることは出来ない。そもそもカメコが気持ち悪いって言われたから助けないけどね。

ヒカリちゃんには裏切られてしまったけど、ありのままの俺を受け入れてくれるヤミちゃんを大切にしたいと思う。

しずかにひぐらしが鳴いて、夏の終わりと共にヤミちゃんとの再会に感謝したいと思う。
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