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15. 風のフルート奏者
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翌々日の午後、オーシャンの家に行くと、リビングでシエルがソファに座ってテーブルに楽譜を広げ、録音する箇所の練習をしていた。
「そうそう、そんな感じ。てか、覚えんの早!」
ソニアが驚いたように目を丸くし、当のシエルは、
「そんな長いわけじゃないし、普通よ」
とさらりと言ったあとで、到着した私に目を向け笑いかけた。
「久しぶり、エイヴェリー。あなたが来るの待ってたわ」
シエルのこのシフォンケーキのように柔らかい笑顔も、耳に心地よい澄んだ声を聞くのも久しぶりだった。
「久しぶりって言っても、1週間くらいのものなんだけどね。あなたが懐かしくて来ちゃったわ」
シエルの演奏の邪魔にならないように、部屋の隅の床に腰を下ろす。
「じゃあ、本番行くよ」
ソニアが声をかけ、シエルがOKと頷く。いつの間にか来ていたオーシャンが、私の横で立って聴く姿勢に入っている。緊張感の漂う中、ソニアがスマートフォンの録音ボタンを押す。
その直後、まるで秋の草原を吹き抜ける風のような透き通ったフルートの音色が部屋に響く。切なげで、郷愁の漂うメロディとともに。
演奏は30秒ほどで終わったが、もっと長く感じられた。シエルはどう?とソニアに向かって尋ねた。
「完璧。これをできたメロディに上手いこと被せれば、きっと最高の曲になる」
その後、オーシャンがマカロンとミルクティーを運んできておやつタイムに突入した。私はシエルの横に腰掛け、テーブルを挟んで向かいにオーシャンが胡座をかいて座り、隣にソニアが腰を下ろしている。ソニアは今日、いつもおろしている緑色の髪を後ろでまとめてアップにしている。オーシャンとソニアが劇の話をしているとき、私は興奮冷めやらぬままシエルに声をかけた。
「シエル、あなためちゃくちゃフルート上手いわよ」
「ありがと。私より上手い人はたくさんいるけどね」
あっさりと謙遜の言葉を口にし、ミルクティーに口をつけるシエル。
「すごい才能だわ、プロになれる」
「またまた、褒めても何も出ないわよ」
テーブルの上のピンク色のマカロンを手に取ろうとしたとき、隣の黄色のマカロンを取ろうとしたシエルと指が一瞬触れ合った。白くて長くて、指先にかけて細くなっていく綺麗な指の形をしていた。
「指……綺麗ね」
思わず口に出した台詞にシエルは「そう?」と首を傾げる。
「うん。羨ましいわ」
「あなたの手も見せて」
「いやよ、私のなんて……」
拒否するのも聞かずにシエルは私の左手を取って両手で広げ、手のひらをじっと見つめた。
「あなたは87歳まで生きるわ。結婚は26歳、子どもは二人。結婚相手はヘビースモーカーで、瞬きの回数よりも煙草を吸う」
「手相見れるの?」
「ううん、適当に言った」
吹き出す私と、してやったりというふうに笑うシエル。
「瞬きの回数より煙草吸うとか、無理でしょ!」
お腹を抱えて笑う私を指差して、「だけど、今信じかけたでしょ?」と揶揄うシエル。
「だって、あなたがすごいそれらしく言うから……」
笑いながら睨むとシエルは、「あなたをいじるのは楽しい」と言って席を立つ。
「来て、あなたに見せたいものがあるの」
シエルは部屋に入るなり、ベッドの下から金色の宝箱のようなものを取り出して、鍵を開けた。中には幼い頃の写真や、緑や青や透明の美しい石、シクラメンのコサージュのついた髪留め、小さなネズミのストラップなどが出て来た。シエルはその中の一枚の写真を手に取って私に見せた。
「これ、小さい頃の私とオーシャンよ」
「よく似てるわ」
その写真には、お揃いのイエローのチェックのワンピースを着て、遊園地の観覧車の前に並ぶ二人の姿が写っている。パッと見ただけでは、どっちがどっちか見分けがつかない。
「どっちが私か当ててみて」
悪戯っぽく笑いながら、シエルが難題を出す。
「右」
それほど悩まずに答えたら、「どうして分かったの?」とシエルが目を丸くした。
「目かな」
二人の身長も体型も髪型も格好も、目の色も全く同じだけれど、オーシャンの目はこの頃から鋭い。シエルの目は姉よりも垂れ目がちで優しい。そういえばオーシャンが、二人は二卵性だって言ってたっけ。だから少し違うところがあるのは頷ける。
「じゃあ、当てられたあなたにこれをプレゼント」
シエルは宝箱の中から、三角柱形の青い石を取って私に手渡した。
「これは……」
「鉱石よ。10歳の時に、パパと山に発掘に行ったことがあったの。オーシャンは風邪で寝込んで行けなかったんだけど……」
「そうなの……」
透き通った深い青の鉱石を見つめる。シエルの思い出の詰まった石。そんな大事なものを、 私が簡単にもらっていいものか。
「ママとパパはそれから4年後に別れたわ。ママのアルコール依存が酷くなって、パパは最初支えようとしてたんだけど手に負えなくなって……」
「大変だったわね」
「あの時はね。パパに見捨てられたと思ったママは余計に荒れて、変な占いに依存して大金を注ぎ込んだりするようになった。セラピーに通って今は落ち着いたけど……」
その後でシエルは「暗い話はおしまい」と切り上げて、宝箱を閉じた。
「シエル、こんな大切なものはもらえないわ」
鉱石を返そうとした私を手で制して、シエルは微笑んだ。
「持ってて。お守りよ」
「お守り?」
「劇が成功するようにって、願いを込めておいたから」
シエルのグレーがかった明るい茶色の瞳を見つめる。彼女はオーシャンから聞いているに違いない。私がジャンヌにされたことも、全て。だが、シエルが自分から何かを聞いてくることはなかった。それがとても心地よかった。
「そうそう、そんな感じ。てか、覚えんの早!」
ソニアが驚いたように目を丸くし、当のシエルは、
「そんな長いわけじゃないし、普通よ」
とさらりと言ったあとで、到着した私に目を向け笑いかけた。
「久しぶり、エイヴェリー。あなたが来るの待ってたわ」
シエルのこのシフォンケーキのように柔らかい笑顔も、耳に心地よい澄んだ声を聞くのも久しぶりだった。
「久しぶりって言っても、1週間くらいのものなんだけどね。あなたが懐かしくて来ちゃったわ」
シエルの演奏の邪魔にならないように、部屋の隅の床に腰を下ろす。
「じゃあ、本番行くよ」
ソニアが声をかけ、シエルがOKと頷く。いつの間にか来ていたオーシャンが、私の横で立って聴く姿勢に入っている。緊張感の漂う中、ソニアがスマートフォンの録音ボタンを押す。
その直後、まるで秋の草原を吹き抜ける風のような透き通ったフルートの音色が部屋に響く。切なげで、郷愁の漂うメロディとともに。
演奏は30秒ほどで終わったが、もっと長く感じられた。シエルはどう?とソニアに向かって尋ねた。
「完璧。これをできたメロディに上手いこと被せれば、きっと最高の曲になる」
その後、オーシャンがマカロンとミルクティーを運んできておやつタイムに突入した。私はシエルの横に腰掛け、テーブルを挟んで向かいにオーシャンが胡座をかいて座り、隣にソニアが腰を下ろしている。ソニアは今日、いつもおろしている緑色の髪を後ろでまとめてアップにしている。オーシャンとソニアが劇の話をしているとき、私は興奮冷めやらぬままシエルに声をかけた。
「シエル、あなためちゃくちゃフルート上手いわよ」
「ありがと。私より上手い人はたくさんいるけどね」
あっさりと謙遜の言葉を口にし、ミルクティーに口をつけるシエル。
「すごい才能だわ、プロになれる」
「またまた、褒めても何も出ないわよ」
テーブルの上のピンク色のマカロンを手に取ろうとしたとき、隣の黄色のマカロンを取ろうとしたシエルと指が一瞬触れ合った。白くて長くて、指先にかけて細くなっていく綺麗な指の形をしていた。
「指……綺麗ね」
思わず口に出した台詞にシエルは「そう?」と首を傾げる。
「うん。羨ましいわ」
「あなたの手も見せて」
「いやよ、私のなんて……」
拒否するのも聞かずにシエルは私の左手を取って両手で広げ、手のひらをじっと見つめた。
「あなたは87歳まで生きるわ。結婚は26歳、子どもは二人。結婚相手はヘビースモーカーで、瞬きの回数よりも煙草を吸う」
「手相見れるの?」
「ううん、適当に言った」
吹き出す私と、してやったりというふうに笑うシエル。
「瞬きの回数より煙草吸うとか、無理でしょ!」
お腹を抱えて笑う私を指差して、「だけど、今信じかけたでしょ?」と揶揄うシエル。
「だって、あなたがすごいそれらしく言うから……」
笑いながら睨むとシエルは、「あなたをいじるのは楽しい」と言って席を立つ。
「来て、あなたに見せたいものがあるの」
シエルは部屋に入るなり、ベッドの下から金色の宝箱のようなものを取り出して、鍵を開けた。中には幼い頃の写真や、緑や青や透明の美しい石、シクラメンのコサージュのついた髪留め、小さなネズミのストラップなどが出て来た。シエルはその中の一枚の写真を手に取って私に見せた。
「これ、小さい頃の私とオーシャンよ」
「よく似てるわ」
その写真には、お揃いのイエローのチェックのワンピースを着て、遊園地の観覧車の前に並ぶ二人の姿が写っている。パッと見ただけでは、どっちがどっちか見分けがつかない。
「どっちが私か当ててみて」
悪戯っぽく笑いながら、シエルが難題を出す。
「右」
それほど悩まずに答えたら、「どうして分かったの?」とシエルが目を丸くした。
「目かな」
二人の身長も体型も髪型も格好も、目の色も全く同じだけれど、オーシャンの目はこの頃から鋭い。シエルの目は姉よりも垂れ目がちで優しい。そういえばオーシャンが、二人は二卵性だって言ってたっけ。だから少し違うところがあるのは頷ける。
「じゃあ、当てられたあなたにこれをプレゼント」
シエルは宝箱の中から、三角柱形の青い石を取って私に手渡した。
「これは……」
「鉱石よ。10歳の時に、パパと山に発掘に行ったことがあったの。オーシャンは風邪で寝込んで行けなかったんだけど……」
「そうなの……」
透き通った深い青の鉱石を見つめる。シエルの思い出の詰まった石。そんな大事なものを、 私が簡単にもらっていいものか。
「ママとパパはそれから4年後に別れたわ。ママのアルコール依存が酷くなって、パパは最初支えようとしてたんだけど手に負えなくなって……」
「大変だったわね」
「あの時はね。パパに見捨てられたと思ったママは余計に荒れて、変な占いに依存して大金を注ぎ込んだりするようになった。セラピーに通って今は落ち着いたけど……」
その後でシエルは「暗い話はおしまい」と切り上げて、宝箱を閉じた。
「シエル、こんな大切なものはもらえないわ」
鉱石を返そうとした私を手で制して、シエルは微笑んだ。
「持ってて。お守りよ」
「お守り?」
「劇が成功するようにって、願いを込めておいたから」
シエルのグレーがかった明るい茶色の瞳を見つめる。彼女はオーシャンから聞いているに違いない。私がジャンヌにされたことも、全て。だが、シエルが自分から何かを聞いてくることはなかった。それがとても心地よかった。
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