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我輩は猫である(執筆中)
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吾輩は会社の犬である。名前はまだ言えない。いまだに帰宅の途にも着いておらぬ。なんでも薄汚れたじめじめしたところで声を押し殺して泣いていたことだけは覚えている。吾輩はここで初めて幸福な人間というものを見た。しかも、あとで聞くとそれはオタクという人間の中で一番個人に忠実な種族であったそうだ。このオタクというのは時々我々を捕まえては推しの布教をするという話である。しかし当時はなんという考えもなかったから別段鬱陶しいとも思わなかった。ただ彼に手に乗せられて課金をした時、なんだかふわふわした感じがあったばかりである。手の上で転がせられてオタクの顔を見たのがいわゆる推し活というものの始まりである。この時妙なものと思った感じが今でも思っている。第一、給料全ツッパして捧げるべきはずのオタクの顔がまるで大輪の花だ。その後、同僚にもだいぶ会ったが、こんなオタクには一度もでくわしたことがない。のみならず、同担拒否という拒絶をしてくる。そうしてSNSで時々鍵垢からぷうぷうと火を吹く。どうもむせやすくて実に弱った。これが人間の持つ闇というものであることはようやくこの頃知った。
このオタクの掌でしばらく良い心地で転がっておったが、しばらくすると快活な口ぶりで話し始めた。オタクが喋るのか、あるいは自分だけが喋るのかわからないがまあまあ口が回る。胸が踊る。到底推しを好くあまり助からないと思っていると、どさりと音がして目から鱗が出た。それまでは記憶しているがあとはなんのことやらいくら考え出そうとしてもわからない。ふと気づいてみるとオタクがいない。たくさんいたオタクも一人もおらぬ。肝心の界隈の絵師さえ姿を隠してしまった。その上、今までの所とは違って無闇に明るい。目を開けてはいられないくらいだ。はてな。なんでも様子がおかしいと、のそのそ這い出してみると非常に痛々しい。吾輩は会社の重要ポストから急に窓ぎわへと左遷されたのである。
ようやくの想いで、窓ぎわを這い出すと向こうに部長の席がある。吾輩は部長の前の席に座ってどうしたら良かろうと考えてみた。別にこれという分別も出ない。しばらくして静かに泣いたら、オタクがまた迎えに来てくれないかと考えた。しくしくと試しに泣いてみたが、誰も心配しない。そのうち部長の席をサラサラと風が通り過ぎて、日が暮れかかるだけだった。お腹も非常に減ってきた。泣きたくても声が出ない。仕方がない、なんでも良いから食べ物のあるところまで歩こうと決心してそろりそろりと部長の席を離れた。どうも非常に苦しい。そこで無理矢理にでも、体を起こし、這うようにして、一度会社の外を出てしばらく歩くと、ようやくのところでオタク臭い場所に出た。アニメイトである。そこに入ったらどうなると思って人垣を潜り抜け入店した。縁は不思議なものでオタクに出会わねば吾輩の精神はついに道端で死んでいたやもしれぬ。一樹乃蔭とはよく言ったものだ。この人垣をくぐることが今日に至るまで吾輩がアニメイトに入店する時の恒例となっている。さて潜入したはいいもののこれから先どうしたら良いかわからない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒いし、外は雨が降る始末でもう一刻の猶予がない。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな奥へ奥へと歩いていく。今から考えるとすでにお店の策略にハマっておったのだ。ここで吾輩はあのオタク以外の人間を再び見る機会に遭遇したのである。この人は一層オタクがかった人間で吾輩を見るや否やいきなり〇〇のオタクだなとオタグッズを渡してきた。いやこれは吾輩には受け取れんと思ったから目を閉じて時が過ぎるのを待った。しかし、オタクする気持ちと寒さにはどうも我慢が出来ん。吾輩は隙を見て、商品棚から商品を手早く取るとレジに走った。するとまもなく会計を済ませ、購入した商品を見られないように服で隠した。吾輩は推しグッズを買っては隠し買っては隠しで何度も同じことを四、五回繰り返して買い漁ったのを覚えている。その時にオタクというものがつくづく嫌になった。
この間、吾輩はオタクのデスクに飾りしフィギュアたちを自分の好きなフィギュアとすり替えて反応を楽しんだ。吾輩、してやったりという悪い顔をして、吾輩が摘み出されようとするとき、部長が騒々しいなんだと言いながら出てきた。オタクは吾輩の襟首を掴んで、この犬はオタクの風上にも置けない。布教してやったのに、恩を仇で返すような人ですという。部長は鼻の下の黒い毛をひねりながら、吾輩の顔をしばらく眺めていた。やがて、それなら会社の余ったデスクに置いてやれと言ったまま仕事に戻ってしまった。部長はあまり口を聞かぬ人と見えた。オタクは悔しそうに吾輩をにらみつけ、デスクの端へと追いやった。かくして吾輩はこのデスクの端を自分の住処と決めることにしたのである。
吾輩の部長は滅多に吾輩と顔を合わせることがない。オタクでもある部下にも寛容的な態度を示せる数少ないリーダー像をしていた。会社から帰宅すると、終日書斎のパソコンに向かったきりほとんど出てくることがない。部長のことを家族は大変な勉強家だと思っているばかりだ。当人も勉強家であるかのように振る舞っているが、実際はその限りではない。吾輩が時々電話をすると大慌てで出ることがある。ある日に発覚したのだが、配信音声を垂れ流しであったことがある。聞き耳を立てると、YouTubeで女声Vチューバーとして、生配信をしていると判断できた。かくいう部長も公言はしていないが、自らV界隈にたっぷり染まったオタクだったのである。
吾輩は会社の犬ながら時々考えることがある。オタクというものは実に妙なものだ。人間に生まれたらオタクになるに限る。こんなにも幸せなことはないからだ。会社の犬をしている吾輩にはそれだけはわかった。それでも、部長によるとオタクほどつらいものはないそうで、足音が書斎のある二階に近づくたびに冷や汗をかいてパソコン画面を別な画面に切り替えことなきを得るという。
吾輩が部長の家を訪ねた当時は、吾輩には頼れる人間というものがおよそなかった。どこに行ってもお前は会社の犬だからと相手にしてくれる者などいなかった。いかに雑に扱われたかは、今日に至るまで名前で呼ばれることがないのでも分かる。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を気にかけてくれた部長の側で仕事を手伝うことにしていた。朝、部長がデスクに座ると新聞やお茶を出す。部長が寒そうにしていると膝掛けを渡す。これはあながち部長が好きというわけではないが、同僚から疎まれていたからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、部長に気に入られ、部長と秘密を共有するようになったのである。それも一番心地の良いのは夜になって仕事を上がると、部長と吾輩でオタクの夢集うアニメイトに潜り込んで一緒にオタグッズを買い漁ったことである。しかし、オタクは主張がでかいとタチが悪い。犬が来た、犬が来たと言って夜中でも何でも声を張り上げる。すると、吾輩と同じくオタクでもある神経衰弱な部長は必ず眼を見開いて、怒号を飛ばそうとしてモジモジする。現にアニメイトをたむろするオタクどもは吾輩らを差し置いて、意気揚々とオタグッズを買い占める。吾輩は部長と共に彼らを観察すればするほど、彼らは我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾輩が部長と寝食を共にするような戦友のごとくとなっては言語道断である。彼らオタクの風上にも置けないオタク崩れの人間どもは、自分勝手によって言論を歪めて、吾輩らを悪者扱いして、店から追い出そうとする。しかも吾輩が少しでも手を出そうとしようものなら、店内にいるオタク崩れの仲間が、全員でひっついて迫害を加えるのだ。
吾輩の尊敬する筋向に住むシロくんなどは、会うたびごとにSNSをたむろする野生のオタクほど酷いものはないと話している。シロくんの画塾では先日四人の絵師が誕生した。ところが、その絵師らの絵を解釈違いだと難癖つけて攻撃してきたのである。泣く泣くその新米絵師らは投稿した絵を削除してシロくんに報告してきたそうだ。シロくんは大変心を痛めて涙を流しながらその一部始終を吾輩に話すとどうしても我らオタクは、公式の供給なくして推しへの愛を貫けぬ。ゆえに、不足分を補うために描かせるというのにと、こぼしていた。また、推しの安定供給のためには一部の過激な輩と戦って殲滅せねばならぬと。一々最もな議論だと思う。また、隣のポチくんなどは、世のオタクどもがその絵を持つべき所有権を理解していないと言って大いに憤慨していた。元来我々オタクの間では、落書きであろうが非公式カップリング絵だろうが、一番先に目をつけたものが、その絵を愉しみ拡散する権利があると話す。もし相手がこのルールを守らないなら実力行使したいほどだ。然るに、厄介オタクというものは微塵もこの観念がないと見える。我々オタクが見つけたご馳走とも言うべき推しの供給に必ずと言って良いほど彼らは湧くのである。また、シロくんは立派な絵描きの家におり、ポチくんは弁護士の家を継いでいる。吾輩は会社の寮に住んでいるだけ。こう考えると吾輩は少々惨めに感じる。だが、その日その日をどうにかこうにか送られれば良い。いくら会社の犬とて、そういつまでも栄えることはあるまい。まあ、気を長く犬生を過ごすのが良かろう。
我儘で思い出したからちょっと吾輩の部長がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この部長はなんと言っても人より優れて出来ることもないが、何にでもよく手を出したがる。パソコンを買ってデジタルでお絵描きしたり、物書きを突然始めたり、またある時はVの身体を絵師さんに描いてもらいVチューバーになったりするが、気の毒なことにどれもこれも物になってはおらん。そのくせやり出すと胃弱なくせにやけに熱心だ。趣味がバレて同僚から部長は、裏で女声オタクとあだ名がつけられているにも関わず、我関せず。一向平気なもので、社内では堂々とオタグッズをデスクに置いている。ついには、みんながそらオタクだわ、と吹き出すぐらいである。この部長がどういう考えになったものか。吾輩が会社で激務をこなすようになってからひと月ばかり後のある月給日に、大きな包みを提げてデスクの足元にあわただしく隠すのを見た。なんでもワコムの液タブやタッチペン、お絵描きソフトを購入したは良いものの、家族にはまだ言えなくてね、と頭を掻いて言葉を漏らした。部長が購入した製品を見れば絵を描く決心をしたと見えた。果たして翌日から当分の間というもの毎日毎日書斎で絵を描き続けるものとみた。大変に根気のいる作業だなと吾輩は目を細める。しかし、部長の性格を鑑みればやはり家族に黙って描くのだろうなと思う。故に何を描いたかを家族は知るよしもないだろう。何を描くかはてんで検討がつかない。当人もあまり甘くないと感じたのか、ある日絵描きを得意とする部下にこんな話を持ち出していた。
「どうもうまく描けないものだね。人のを見るとなんでもないようだが自ら筆をとると今更のように難しく感じる」これは部長の胸中である。なるほど嘘偽りのないところだ。部下は黒縁のメガネ越しに部長の顔を見ながら、「そうはじめから上手には描けないと思います。第一、室内の想像だけで絵が描けるわけではないかと」
このオタクの掌でしばらく良い心地で転がっておったが、しばらくすると快活な口ぶりで話し始めた。オタクが喋るのか、あるいは自分だけが喋るのかわからないがまあまあ口が回る。胸が踊る。到底推しを好くあまり助からないと思っていると、どさりと音がして目から鱗が出た。それまでは記憶しているがあとはなんのことやらいくら考え出そうとしてもわからない。ふと気づいてみるとオタクがいない。たくさんいたオタクも一人もおらぬ。肝心の界隈の絵師さえ姿を隠してしまった。その上、今までの所とは違って無闇に明るい。目を開けてはいられないくらいだ。はてな。なんでも様子がおかしいと、のそのそ這い出してみると非常に痛々しい。吾輩は会社の重要ポストから急に窓ぎわへと左遷されたのである。
ようやくの想いで、窓ぎわを這い出すと向こうに部長の席がある。吾輩は部長の前の席に座ってどうしたら良かろうと考えてみた。別にこれという分別も出ない。しばらくして静かに泣いたら、オタクがまた迎えに来てくれないかと考えた。しくしくと試しに泣いてみたが、誰も心配しない。そのうち部長の席をサラサラと風が通り過ぎて、日が暮れかかるだけだった。お腹も非常に減ってきた。泣きたくても声が出ない。仕方がない、なんでも良いから食べ物のあるところまで歩こうと決心してそろりそろりと部長の席を離れた。どうも非常に苦しい。そこで無理矢理にでも、体を起こし、這うようにして、一度会社の外を出てしばらく歩くと、ようやくのところでオタク臭い場所に出た。アニメイトである。そこに入ったらどうなると思って人垣を潜り抜け入店した。縁は不思議なものでオタクに出会わねば吾輩の精神はついに道端で死んでいたやもしれぬ。一樹乃蔭とはよく言ったものだ。この人垣をくぐることが今日に至るまで吾輩がアニメイトに入店する時の恒例となっている。さて潜入したはいいもののこれから先どうしたら良いかわからない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒いし、外は雨が降る始末でもう一刻の猶予がない。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな奥へ奥へと歩いていく。今から考えるとすでにお店の策略にハマっておったのだ。ここで吾輩はあのオタク以外の人間を再び見る機会に遭遇したのである。この人は一層オタクがかった人間で吾輩を見るや否やいきなり〇〇のオタクだなとオタグッズを渡してきた。いやこれは吾輩には受け取れんと思ったから目を閉じて時が過ぎるのを待った。しかし、オタクする気持ちと寒さにはどうも我慢が出来ん。吾輩は隙を見て、商品棚から商品を手早く取るとレジに走った。するとまもなく会計を済ませ、購入した商品を見られないように服で隠した。吾輩は推しグッズを買っては隠し買っては隠しで何度も同じことを四、五回繰り返して買い漁ったのを覚えている。その時にオタクというものがつくづく嫌になった。
この間、吾輩はオタクのデスクに飾りしフィギュアたちを自分の好きなフィギュアとすり替えて反応を楽しんだ。吾輩、してやったりという悪い顔をして、吾輩が摘み出されようとするとき、部長が騒々しいなんだと言いながら出てきた。オタクは吾輩の襟首を掴んで、この犬はオタクの風上にも置けない。布教してやったのに、恩を仇で返すような人ですという。部長は鼻の下の黒い毛をひねりながら、吾輩の顔をしばらく眺めていた。やがて、それなら会社の余ったデスクに置いてやれと言ったまま仕事に戻ってしまった。部長はあまり口を聞かぬ人と見えた。オタクは悔しそうに吾輩をにらみつけ、デスクの端へと追いやった。かくして吾輩はこのデスクの端を自分の住処と決めることにしたのである。
吾輩の部長は滅多に吾輩と顔を合わせることがない。オタクでもある部下にも寛容的な態度を示せる数少ないリーダー像をしていた。会社から帰宅すると、終日書斎のパソコンに向かったきりほとんど出てくることがない。部長のことを家族は大変な勉強家だと思っているばかりだ。当人も勉強家であるかのように振る舞っているが、実際はその限りではない。吾輩が時々電話をすると大慌てで出ることがある。ある日に発覚したのだが、配信音声を垂れ流しであったことがある。聞き耳を立てると、YouTubeで女声Vチューバーとして、生配信をしていると判断できた。かくいう部長も公言はしていないが、自らV界隈にたっぷり染まったオタクだったのである。
吾輩は会社の犬ながら時々考えることがある。オタクというものは実に妙なものだ。人間に生まれたらオタクになるに限る。こんなにも幸せなことはないからだ。会社の犬をしている吾輩にはそれだけはわかった。それでも、部長によるとオタクほどつらいものはないそうで、足音が書斎のある二階に近づくたびに冷や汗をかいてパソコン画面を別な画面に切り替えことなきを得るという。
吾輩が部長の家を訪ねた当時は、吾輩には頼れる人間というものがおよそなかった。どこに行ってもお前は会社の犬だからと相手にしてくれる者などいなかった。いかに雑に扱われたかは、今日に至るまで名前で呼ばれることがないのでも分かる。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を気にかけてくれた部長の側で仕事を手伝うことにしていた。朝、部長がデスクに座ると新聞やお茶を出す。部長が寒そうにしていると膝掛けを渡す。これはあながち部長が好きというわけではないが、同僚から疎まれていたからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、部長に気に入られ、部長と秘密を共有するようになったのである。それも一番心地の良いのは夜になって仕事を上がると、部長と吾輩でオタクの夢集うアニメイトに潜り込んで一緒にオタグッズを買い漁ったことである。しかし、オタクは主張がでかいとタチが悪い。犬が来た、犬が来たと言って夜中でも何でも声を張り上げる。すると、吾輩と同じくオタクでもある神経衰弱な部長は必ず眼を見開いて、怒号を飛ばそうとしてモジモジする。現にアニメイトをたむろするオタクどもは吾輩らを差し置いて、意気揚々とオタグッズを買い占める。吾輩は部長と共に彼らを観察すればするほど、彼らは我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾輩が部長と寝食を共にするような戦友のごとくとなっては言語道断である。彼らオタクの風上にも置けないオタク崩れの人間どもは、自分勝手によって言論を歪めて、吾輩らを悪者扱いして、店から追い出そうとする。しかも吾輩が少しでも手を出そうとしようものなら、店内にいるオタク崩れの仲間が、全員でひっついて迫害を加えるのだ。
吾輩の尊敬する筋向に住むシロくんなどは、会うたびごとにSNSをたむろする野生のオタクほど酷いものはないと話している。シロくんの画塾では先日四人の絵師が誕生した。ところが、その絵師らの絵を解釈違いだと難癖つけて攻撃してきたのである。泣く泣くその新米絵師らは投稿した絵を削除してシロくんに報告してきたそうだ。シロくんは大変心を痛めて涙を流しながらその一部始終を吾輩に話すとどうしても我らオタクは、公式の供給なくして推しへの愛を貫けぬ。ゆえに、不足分を補うために描かせるというのにと、こぼしていた。また、推しの安定供給のためには一部の過激な輩と戦って殲滅せねばならぬと。一々最もな議論だと思う。また、隣のポチくんなどは、世のオタクどもがその絵を持つべき所有権を理解していないと言って大いに憤慨していた。元来我々オタクの間では、落書きであろうが非公式カップリング絵だろうが、一番先に目をつけたものが、その絵を愉しみ拡散する権利があると話す。もし相手がこのルールを守らないなら実力行使したいほどだ。然るに、厄介オタクというものは微塵もこの観念がないと見える。我々オタクが見つけたご馳走とも言うべき推しの供給に必ずと言って良いほど彼らは湧くのである。また、シロくんは立派な絵描きの家におり、ポチくんは弁護士の家を継いでいる。吾輩は会社の寮に住んでいるだけ。こう考えると吾輩は少々惨めに感じる。だが、その日その日をどうにかこうにか送られれば良い。いくら会社の犬とて、そういつまでも栄えることはあるまい。まあ、気を長く犬生を過ごすのが良かろう。
我儘で思い出したからちょっと吾輩の部長がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この部長はなんと言っても人より優れて出来ることもないが、何にでもよく手を出したがる。パソコンを買ってデジタルでお絵描きしたり、物書きを突然始めたり、またある時はVの身体を絵師さんに描いてもらいVチューバーになったりするが、気の毒なことにどれもこれも物になってはおらん。そのくせやり出すと胃弱なくせにやけに熱心だ。趣味がバレて同僚から部長は、裏で女声オタクとあだ名がつけられているにも関わず、我関せず。一向平気なもので、社内では堂々とオタグッズをデスクに置いている。ついには、みんながそらオタクだわ、と吹き出すぐらいである。この部長がどういう考えになったものか。吾輩が会社で激務をこなすようになってからひと月ばかり後のある月給日に、大きな包みを提げてデスクの足元にあわただしく隠すのを見た。なんでもワコムの液タブやタッチペン、お絵描きソフトを購入したは良いものの、家族にはまだ言えなくてね、と頭を掻いて言葉を漏らした。部長が購入した製品を見れば絵を描く決心をしたと見えた。果たして翌日から当分の間というもの毎日毎日書斎で絵を描き続けるものとみた。大変に根気のいる作業だなと吾輩は目を細める。しかし、部長の性格を鑑みればやはり家族に黙って描くのだろうなと思う。故に何を描いたかを家族は知るよしもないだろう。何を描くかはてんで検討がつかない。当人もあまり甘くないと感じたのか、ある日絵描きを得意とする部下にこんな話を持ち出していた。
「どうもうまく描けないものだね。人のを見るとなんでもないようだが自ら筆をとると今更のように難しく感じる」これは部長の胸中である。なるほど嘘偽りのないところだ。部下は黒縁のメガネ越しに部長の顔を見ながら、「そうはじめから上手には描けないと思います。第一、室内の想像だけで絵が描けるわけではないかと」
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