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ボジェク19
しおりを挟むヘドヴィカは瞳を揺らしてボジェクの顔を覗き込んできた。
苦しげな面持ちだが、紫色に変わっていた唇にも赤みが戻り始めている。
「ぶじ、で……よかっ、た」
「……っ」
血を吐いた時は死んでしまうのかと思った。
頭は働かないというのに、本能なのだろうか。
失うかも知れない恐怖に心臓が冷たく凍る。
ヘドヴィカを完全に失ってしまうことがなにより恐ろしく、絶対に受け入れられないことだと気がつけた。
それでも今、彼女は自分の足で立ち上がり、普通に会話をできている。
なにより安堵すべきことだった。
こうして安心した今、一つの疑念が浮かび上がる。
一時は死に違いど感じるほどの顔色をしていたのに、30分もしないうちに回復しているこの現状。
ボジェクの身体も同じで、一度身動きを封じる薬を使用すれば数時間は微動だにできなくなる代物なのに、数十分も経たないうちに指先や唇も動かせるようになっていた。
一体どういうことなのだろう。
頭を悩ませていれば、ヘドヴィカがソファから腰を浮かせた。
「私、使用人を呼んで参ります。周囲に待機させていたのですぐに駆けつけてくれるはずです」
ヘドヴィカは部屋から飛び出した。
扉越しでも「早く医者を呼んでほしいの!」と聞こえてくる。
戻ってきた彼女が視界に入ってきて近くに来た瞬間、ボジェクはヘドヴィカの細腕を掴んだ。
ようやく動かせるようになったボジェクの腕はまだ力が入らないが、気力でどうにか動かす。
驚いたようにヘドヴィカは目を見開いていた。
「……あなたの口にした紅茶にも毒が混ざっていた可能性もあります。今医者を呼びましたから安心してください」
「俺のこと、は、かまわ、ない……それより、ヘドヴィカの、診察、を」
「……分かってます。私もきちんと医者に診てもらうつもりです」
彼女が呟いた後、沈黙が部屋に流れた。
それを壊したのは急ぎ部屋へと駆けつけた執事や使用人たちだった。
街に医者を呼びにいったことを伝えてきた執事に「今は落ち着いてるから、少し待機していてほしいの」とヘドヴィカが伝えてくれる。
追加するようにボジェクは懸命に言葉を紡いだ。
「アダム──あいつの仕業だ。一部の護衛を、この近辺に、派遣して、捜索、させろ」
途切れ途切れの言葉に最初は驚いていたが理解が早い執事はすぐに頷き、急いで部屋を飛び出す。
ヘドヴィカはというと大きな瞳をさらに丸め、驚嘆を顔に貼り付けていた。
「ど、どういうことですか。私が気を失っている間に一体何があったのでしょうか」
「それは──」
ようやく口が滑らかに動き始めたボジェクは、詳細をかいつまんで説明した。
エスメの娘、コリーはアダムが捕えていたこと。それを脅しに使い、エスメにボジェクとヘドヴィカ2人のそれぞれに異なる薬を盛らせたこと。
アダムが胸の内に何かを隠し、なにかしらを企んでいることを。
「あいつはいつも通りの態度だった。気味悪いほどにな。何を考えてこんなことをしたのか皆目見当がつかない」
「……ええ、そうですね」
ヘドヴィカは神妙な面持ちで頷く。
同時に何かを考え込むように口を結んだ。
しばらく黙り続けたと思えば、突如「そういえば」と話し始める。
「──この紅茶。最初、なんとなく懐かしい味がしたんです。不思議に思っていたんですが、ようやく思い出しました。きっとこの中には『ケル』が混ざっています」
「『ケル』? それはあれか、バリーク領でしか取れない万能の果物といわれるやつだな」
慎重にソファから身体を起こしていたボジェクは彼女の言葉に応答する。ヘドヴィカはうなずきいて顎に手を当てた。
「その通りです。『ケル』はうちの領地原産の果物で、食材としても染め物としても優秀な特産品です」
「『ケル』なら俺も何度か口にしたことがあるな。甘くて爽やかな喉越しがして……平民はもちろん貴族も好んで口にするも聞く」
「ええ。舌触りだったり、鼻に香る感じが『ケル』としか思えなくて。昔から『ケル』はおやつ代わりでしたから間違いありません」
ヘドヴィカは語った。
『ケル』には限られたものにしか知らされない秘密の効果があったこと。それは──。
「実は一部の毒に対してに限りますが、解毒の作用があるんです」
「なんだと? 解毒?」
頷きながら彼女は続けた。
「けして強い解毒作用ではありません。ですが、『ケル』の弱い解毒作用は恐るべきことに身体に蓄積されていくんですよ。私が毒を飲まされたのにこうして平然としていられるのは、きっと昔から『ケル』を食べ続けたおかげかもしれません。旦那様に関しては──」
「俺はお前ほど『ケル』を口にしたことがあるわけではない。だが……俺が飲んだ薬は毒ではない。死に至らしめるわけでもなく、たった数時間身動きを取れなくさせる程度の軽いものだ。だからかか、うまい具合に薬の効果を相殺させてくれたのかもしれないな。こればかりは専門家に効かないとわかんねぇが」
ヘドヴィカが最初に喀血したときにはひどく焦った。
きっと突然異物が体内に侵入してきたから、身体が強い拒否反応を示したのかもしれない。
彼女の考察は今の状況から鑑みて当たっている可能性が高いだろう。
先ほど体感したばかりの謎の説明がこの仮説により説明がつく。
「……なぜこの効果を公表しないんだ?」
「それは……そもそもこの事実がわかったのがほんの一年ほど前のことなんです。そのときは『ケル』の流通量はかなり減っていて、公表すると余計な混乱を招く可能性がありました。どうやら父は陛下とも相談していたみたいです」
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