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この世には不思議な出来事が数多く存在する。そして今、私──ルーナ・ボルツもその世にも不思議な出来事というものに直面していた。
「…………なに、これ……」
人々の頭上に浮き出る数字。
昨日の晩、職場から出て帰宅するまではそんなものはなかった。一人暮らしだから家を出るまでは気が付かなかったが、私はどこかおかしくなってしまったのだろうか。
不安で心臓が早鐘を打ち、脂汗が噴き出る。それでも道のど真ん中で立ち止まっているには行かず、歩みを進める他ない。
「あっ、そこにいるのはルーナじゃないか! おはよう! そんなところに立ち止まって、いったいどうしたんだい?」
「…………サリタおばさん、おはようございます。あの……通りすがりの人たちの頭の上にある数字、なんなんでしょうか?」
そう言って私はサリタの様子を伺う。サリタは私の住居の近所に住むお節介な女性で、昔からよく面倒をみてくれた優しい人だ。
けれどそんな彼女は怪訝な表情を浮かべ、頭を傾けながら口を開く。
「……? 一体何のことを言ってんだい。それよりも聞いておくれよ、ルーナ。うちの甥っ子がさぁ────」
まるで私の言っていることの意味が分からないといった様子のサリタはそのまま世間話を始めてしまった。甥っ子の愚痴をこぼすサリタの頭上には38という数字が浮かんでいるが、一体それが何を意味するのか見当もつかなかった。
諦めた私は長くなりそうなサリタの話をキリのいいところで切り上げさせて、そのまま職場へと足を向けた。
どうやらサリタには見えない様子ということだけはわかったが、なぜ突如このような事態が起こったのかもこの数字が意味するところと何も分からない。
頭の中で考え続けていると、気がつけば私の働いている酒場へとたどり着いた。
ここで六年前から働き続けている私は今年で23歳となった。昼は昼食を出し、夜は町中から酒を嗜む人間たちが集まる。私はそこで17歳の頃から給仕として働き始め、今では店の誇る看板娘となった。
「おはよう、ルーナ。今日もよろしく」
「店長、おはようございます。はい……って、なんですかこれ! 店の中、すごく荒れてますけど……」
「ああ、それが昨晩君が帰った後に一人のお客さんが酒に酔って暴れ出してな。大変なことになったんだよ。お陰で今日は昼の営業が難しくなったから、おとなしく夜から店を開くことにするよ」
「ということは、お昼はここの掃除が業務内容ということですね……」
椅子はあっちこっちに倒れ、割れた酒瓶が部屋中に散乱している。机の一つは真っ二つに割れ、誰かが剣でも振り回したのかと思うほどの惨状だった。
私はその光景に思わずため息をつく。隣に並ぶ店長もどこか遠い瞳をしており、運の悪さを呪っている様子だった。
そんな店長の頭上にも309という数字が浮かんでおり、置かれた状況はちっとも変わっていないのだと悟る。私は恐る恐るサリタのときと同様に頭上の数字について尋ねてみるも、色よい返事を貰うことはできなかったり。
38と309。
これが表す意味とは一体なんなのだろうか。店の清掃に取り掛かろうと掃除道具を取り出したところで背後から声がかかる。
「おはようございますっ、ルーナさん!」
振り向くとそこには私より3つ下のオンナの子が人懐っこい笑顔を浮かべていた。私も笑顔を浮かべて返事を返す。
「おはよう、パティ」
彼女の名前はパトリシア。
一年前からこの酒場で同じ給仕として働き始めた子で、明朗で快活、親しみやすい性格をしていた。パトリシアは私に対して口を開く。
「ルーナさん、店長から聞きました? 昨日の夜のこと!」
「うん。昨晩は大変だったみたいだね。酔っ払いが暴れたって聞いたけど──」
「そうなんですよ! しかもその酔っ払いっていうのが騎士だから余計たちが悪くって。本当なら壊された机とかの弁償をしてもらうはずが、騎士団の権力をかさにして言い逃れされてしまったんです。おかげでこっちは大損!」
パトリシアのいうことは初耳で、私は思わず目を見開いた。
騎士団というのは国の管轄する軍隊だ。騎士団にさえ入れればエリート街道まっしぐらと言われるほど給金も待遇も良く、平民の中でも腕に覚えのあるものはこぞって試験を受けに行った。けれども当然ながら狭き門であり、多くの受験者たちは夢破れて騎士になることを諦めた。それも当然で、騎士団を目指す者の中には貴族の家に生まれた人間すらもいる。本格的に剣を学んできた貴族とただ腕に覚えのあるだけの素人では何もかもが違うのだ。
「…………もしかしてその暴れた人って貴族なんじゃ……」
私の言葉にパトリシアは眉を顰めた。そして嫌悪感を浮かべた面持ちで首を縦に振る。
そういうことか、と納得した私は肩をすくめて掃除を開始する。
やはり騎士と一般庶民じゃ住む世界が違うのだと改めて感じながら箒を動かす。パトリシアも私に習い、粉々になった酒瓶を塵取りを使って取り除いていた。後ろ姿で屈んでいるパトリシアの首元には赤いあざが浮かんでおり、それを横目で見た私は呆れながらも口を開く。
「…………パディ? もしかして昨日も遊んだの?」
振り向いたパトリシアはこちらに視線を向け、にこりと口元を緩める。快活な印象だったパトリシアが一瞬にして色艶の感じさせた雰囲気を纏い、唇に指先を添えながら答えた。
「もちろんです! あんな腹の立つことがあったんですから、気を紛らわすためには男の人を引っ掛けるしかなくないですか?」
「もうっ、パティったら……程々にしておきなさいよ」
「もちろんですっ」
パトリシアはとても前向きでいい子ではあるものの、男癖の悪さには定評があった。ただ他人の男を寝取るということはなく、いろんな男性を代わる代わる相手にしているという意味でだ。よく今日のように首筋にキスマークをつけていたりする。
初めてパトリシアの男癖の悪さを知ったのは乱れた服装で男と共に手洗い場から飛び出してきた時のことだった。致している場面を目撃しなかったことは救いではあったが、私にとっては動揺するほかない場面だった。
なにせ、私はこの歳になって未だに男性経験がなかったからだ。
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