とある護衛の業務日記

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とある主人の語り――拉致

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 自分が情けなくって涙が出そうだ。泣かないけど。
 こんちくしょうめ。
 両手足首は縛られて、猿ぐつわも巻かれたけど、目隠しだけはされなかった。だからめいいっぱい睨んでやった。

「はぁー、泣かないのか。偉いな、お坊ちゃん」

 馬鹿にしやがって。でもそれ以上に、せっかく鍛えられていたのに、手も足も出ずあっという間に気絶させられて連れ去られた自分が情けない。またあの男に馬鹿にされるんだろう。
 ああ、でも、サリーをあいつの所に送り出しておいて、よかった。あの男の怪我で変に意気込んでたから、おれの傍にいたらどうなっていたかわからない。

「怖くないのか?」

 拉致した張本人がなにか馬鹿なことを言っている。怖いに決まってるだろう。あの男よりよっぽど犯罪者の匂いがして、正直傍にいられたくない。手足が動いていたら全力で距離を取っていた。
 こいつ、見た目はへらへらしてるのに、目の奥に血の匂いがたくさんこもってて、本当に気色悪いんだ。どろっとして、重たくて、くどい。

「まあ、大変だよなあ。お貴族さまになると、こんなガキでも体面気にしなきゃいけないのか。それに加えて、災難だよなあ、兄貴に続いて自分までお家のために死ぬことになるんだから」
「――!」
「お、それは何が言いたいんだ?お前の親父はそうしないって?一回やったなら二回目もあるもんだろ。ああ、それとも、お坊ちゃんもお家のためにってもう頭に刷り込まれてるのか?可哀想だなあ」

 言い返せない自分に腹が立った。どいつもこいつも。
 おれを道具としてみるか哀れむかの二択しかしない。あの男は、あの夜会が終わった翌日、兄と兄のいた戦場のことを教えてくれた。
 兄は、死の危険があったのに自分の意志で友人たち人質の救出を決断して、命と引き換えに助け出した。その決意を、誇りを、「家のため」という枠に括るな。兄の命を汚すな。 

 拉致犯はにやにや笑うだけだ。
 半年くらい前におれを連れ去ったやつらと同じ顔。こいつらがおれを盾にディオ家を潰そうとしてるのは、わかってる。お披露目の前からおれに目をつけてて、終わったら本格的になった。前はおれを誘導してったのに、今回は強引に屋敷に踏み込んでまで。焦ってる。余裕がない。つまり、時間がたてば経つほど、ディオ家は潰されにくくなる。今が絶好の機会なのだ。

(あいつはどう動くんだろう)

 前回は、拐われたおれの前にひょっこり顔を出すだけで、なにもせずにおれと肩を並べて拘束されて、助けにきたのはディオ家の守兵と王都警備隊。あいつが何をしたかったのか全くわからなかった。
 今回も同じように動くのだろうか。でも、相手は焦ってる。こないだののんびりした展開にはならないだろうから、あいつが現れた時点で斬り合いになってもおかしくない。いや、おれが人質になるならあいつが一方的に……斬られる。信じられないけど、あいつはおれの護衛で、その任務を遂行しようとしてるのは、確かなんだ。
 あいつは絶対におれのもとまで来る。そしておれを守ろうとする。

 半月前の夜会で、バルコニーで上着に口付けられたとき、鳥肌が立った。はじめは意味がわからなくて顔をしかめたけれど、その夜更け、手当てされていたあいつの無惨な傷を見て、ようやくわかった。
 あいつは、おれがみっともなくても、情けなくても、生意気でも、何があろうと……ディオ家嫡男ではなく、従者なんだ。一方的で、報われようなど微塵も考えてない、重くて、温かくて、冷徹なまでの忠誠心。

 ――それなら、主人おれは、どう動くべきだろう。
 おれは、何をすればあいつの忠誠に報えるのだろう。

『レオ。お前は私にならなくていいんだ。弱いお前の代わりに私が生まれてきたんだから。お前の大切なものも全て、私が守るよ』

 そう言ってくれた優しい兄は、もういない。
 代わりにおれが嫡男としてお披露目された。

「静かになったな。……怖くなったか?」

 誰が。
 そう思うが、もう、相手にするつもりはなかった。

 おれは筆頭貴族ディオ家の次期当主。
 助けを待つだけの非力な子どもに成り下がるなんて、死んでも願い下げだ。

「おっ――いいねぇいいねぇ!いい目をしてる!ひゃー、今回の仕事、つまんねーことになるかと思ったがとんだぼた餅だ」

 ……いやでも、こいつ気色悪っ。めっちゃ恍惚としてるんだけど。抜き身のナイフ舐めはじめたんだけど。

「これも怖がんねーか。じゃあこれは?」
「っ!」

 ズガンって、耳元で響いた。視線だけで追うと、さっき舐めたくってたナイフ。漆喰に突き立ってるんだけど……ええ。

「ほー、これもか。じゃあこれは?」

 同じ音が今度は反対の耳に響いた。ついでに頬に熱が走る。
 どくん、と心臓が嫌な音を立てた。ごぽりと胃の奥から気泡がせり上がってきたのは猛烈な不快感。ずいぶんと懐かしいような気持ちになったのは一瞬だった。

 ――あ。吐く。

「うおっ!?」

 猿ぐつわが邪魔で、吐瀉物が口内で渋滞してる。口端の少しの隙間からぽたりぽたりと胃液が滴って、首を伝う。滞る酸の匂いでまた吐きそう。

「やっべ、遊びすぎたか?外すから吐け。窒息するぞ」

 猿ぐつわの感覚がなくなった瞬間、吐いた。男が背中を押してくれたから自分の膝に吐瀉物がかからなかったのはよかった、けど。

(久し、ぶり、なのに……全、然、進歩できてない……)

 滲む涙の理由に情けなさも五割くらいある。この間の夜会では気絶したし。無様すぎるこんな自分が嫌になる。

「熱は……ねーな。むしろ冷てぇ。なんで急に吐いた?」

 狂気が鳴りを潜め、はじめて男の目に柔らかいものを見つけた。殺したがりに見えたんだが、気狂いというわけではないらしい。

「病とか聞いた覚えねーしな。意外に繊細かお坊ちゃん」

 あ、なんか緊張のあまり吐いたって思われてそう。ぼんやり、抗議しようか悩んだときだった。

「どうせこの後戦争に巻き込まれるんだから、いっそ、人質なんぞするより今のうちに死んでた方が楽なんじゃないか?」

 ……なんだって?
   
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