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カルロスは重く口を閉ざした。謝罪を受けるも受けないも、応じることなく宙ぶらりんになり、静寂がレオンの声の余韻を床へと沈殿させてゆく。
レオンは言葉を続ける前に小さく息を吐いた。
「実家から連れてきた従者さえもこの家に押しつけて一人で消え去ろうという、君の魂胆に向かっ腹が立っていることに違いはないが、あれは、君を怒らせるために、わざと言葉を選んだ。本当に申し訳なかった」
ずいぶん正直に言ってくれる。本来ならカルロスの足の骨を折ったあと、枕元でこう謝るつもりだったのだろう。そして、こう尋ねるのだろう。
「私は君の希望を最大限叶えると約束したが、君は不平も不満もこぼさない。実にお行儀よく物分かりよく佇んでおきながら、そのくせ、目はどこか知らないところを見つめている。――君は、どうしたら私の夫としてここにいてくれる?」
君は私の夫だ、と何度も突きつけてきた言葉がたわんで、カルロスを捕まえようとしている。
カルロスとしては、ここまでレオンに執心されるような覚えがなかった。以前、後継を産むのはレオンなのだから、夫は誰でもいいと言っていた。カルロスを婿に据えて、レオンが他の男の種を孕んでも、外聞さえ押さえれば、それ以外の問題はないのだ。
(そこまでするほど、おれをどうしても婿に据えたい理由か)
そんなもの一つしかない。カルロスはレオンにたった一つの弱味を握られている。どうあっても抗えないほど。カルロスの矜持の根幹を。
怒りを押し殺すように目を細め、唇を吊り上げた。
「もう首輪をつけられてる。あんたは命じるだけでいい」
「そんなに殺気立って言われたことをやすやすと試せるか」
「夫にしたいほどほしがる男を信じないのか」
「信じているからだ。私の代でアルハイド家を潰すわけにはいかない」
心外だと目を見張った。まるでカルロスがそれをやるというような言い草だ。古くから権勢を保ち、王族とも親しい貴族家を潰す?
「おれは顔だけが取り柄のボンボンだぞ?しかも実家ともほぼ縁が切れてるってのに、どうやってそんなことをやるんだよ」
「保身をかなぐり捨てた人間の底力は恐ろしいものだ。道連れたと肚を決められたらおしまいだな」
レオンは困ったなとちっとも困ってない風に呟いた。すっとぼけも大概にしろと、カルロスの方が半眼になってしまう。
「それから、肝心なところだが、私の望みは円満な関係だ。殺伐としたものは私の趣味ではない」
「真顔で言うから本気なのか冗談なのか全く読めないって、自覚してるか?」
「ヨハネス・ユーラ第三王子。グリーク・ルティエ公子。ティグレ・アルハイド。元々この三人は家の都合でよく顔を合わせていたが、性格が合うのと歳が近いのがあって個人的な親交を深めていてな。私は兄の奔放に連れられて何度もその交流に同行していたし、メルフィナは、女の私一人が男の群れに混じることを懸念してグリーク殿が連れてくるようになった」
反射的に聞けよと文句を言いかけたが黙った。レオンが話しはじめたそれは脈絡がないようでいて、実はしっかり続いている。なにが円満だと、カルロスの投げつけた恨み言は、案外深刻に響いていたのかもしれない。
とか思っていたら、レオンは零れるように笑った。
「しかし、君のあの言葉には驚かされた」
「あ?」
「王子や他の男たちの求婚を断る理由を、家門を守るためと言っていただろう」
カルロスは首を捻った。それのどこに驚く部分があっただろうか。
レオンはアルハイド家の当主だ。そして貴族家の家長の最も重大な命題は、家名と誇りの存続だ。
レオンは今度は「君は察しがいいくせに時々鈍いな」と失礼なことを言って苦笑した。
「あまりにすっきりさっぱり言ったから驚いたんだ。ああ言ったからには、君も薄々勘づいているのだろう。アルハイド家には不文律がある。我が一族は断じて時の王族と血を交わらせることはない。数々の王朝の興亡を国の際で見てきた我ら一族の、歴史に散った彼らへの義理であり、国境守りとして我らが領地を一度も他の名に明け渡さなかった誇りゆえ」
ふむ、とカルロスは頷いた。
まさかここに来て、レオンが普通の貴族家のように王家の寵愛と序列の高さを誇るなんて、そんなことをするわけがなかった。もしそうだったら、王子からの求婚など諸手を挙げての承諾になるはずだ。親戚たちだって自分たちのお眼鏡の婿候補を連れてきたりしないで、積極的にその高い能力で高位貴族に繋ぎを取って、お見合いでもなんでもやらせるところだろう。
しかし、アルハイド家は阿りも追従も必要としない。たかだか数十年続くそこらの家門とは違うのだ。古い地盤は強固でありながら今なお影響力を損なわず、実績も積み上げ続けている。
「で、なにが鈍いって?」
「一門の外の人間が、君のようになんでも物分かりがいいと思わないでくれという意味だ。ぜひとも自覚してくれ」
「そういう。肝心の殿下は理解してないってことか?」
「あちらは理解した上でなお踏み込んでくるから面倒くさい。あちらにとって身分違いの恋でも、私にとっては完全に対象外だ。立場抜きにしても私の好みでないが、それすら聞かない」
「……なるほど……」
王子はレオンがいくら求婚を断っても、歌劇のように結びつきが容易ではない恋愛をしていると思い込んで、ますます引かないらしい。国王や周囲が諌めても恋のスパイス程度の認識となれば、レオンがげんなりするのも納得だったし、王子の手紙を国王が握りつぶす許可を与えたことだって「あー」と頷くしかない。色恋は周囲が制動できるものではない。
ここに「間男」という役を強制的に与えられるカルロスとしては、やっぱり「なんで早く言わなかった」と言いたくなるのだが。
「穏便な結婚なんて、端からできやしなかったってわけか……」
「一応まだ穏便には進められている。陛下はこちらの味方だ。それから、君を私の婿に推薦したのはレヴィン・セロー閣下だ」
半ば脱力していたカルロスは顔色を変えて跳ね起きた。その名は、カルロスがかつて所属していた、アステル砦を拠点に置く騎士団の長の名前だった。
「私たちの幼い頃の交流会はほとんど剣術指南と一緒でな。指南役は各地の騎士団持ち回りだが、特に閣下は幼少期の基礎から指導くださった、王子やグリーク殿にとっても剣の師の一人と言える」
「あの方が、おれを指して、推薦したのか」
「訳あって叙勲前に退団することになったが、気質も品格もアルハイド家に迎えるにふさわしいとおっしゃってな」
「訳って言ったって、あれは」
「あの方はそれ以上は、君のことを私に教えることはなかったよ。退団の理由は私の勝手な推理だ」
言葉を切ったレオンが見つめてくるのは、その先を、カルロス自身の口から聞きたいからだ。
だから先に話やがったなこいつ、と半目になる。「円満な関係」へ努力を欠いたのはカルロスも同じだった。この場合は対等対価という意味で。けっこう不平等な対価だが、先に言わせたカルロスの落ち度だ。そっぽを向きながらため息を吐いた。
「……ルーカスは、おれの兄の子だ。状況的にな」
まるで事実は違うと言わんばかりだと、言ったあとにカルロスは嫌悪感あらわに舌を打った。
ルーカス・ドゥオール。カルロスの兄エミリオと、グレックス侯爵家のリネットが婚姻を結び生まれた子だと、家系図には明記されている。間違ってもカルロスの子ではない。
「うちの結婚は当主の意向は絡まない。兄が数ある見合い話から次期侯爵として誼を結ぶと決めたのが相手の家だった。当時おれは騎士団の寮で生活していたから、あの人と顔を合わせたのはその式が初めてだった。……貴婦人の典型のような、お淑やかできれいな人だった。兄との結婚を周囲に祝われて幸せそうに頬を染めていた」
後から父のイサークに聞けば、兄の結婚は家同士の政略がもちろん中心だが、二、三回ほどリネットともやり取りをして打ち解けて、挙式に繋がったらしい。
兄の堂々たる花婿姿や花嫁へなにくれと気遣う様子は、少し歳の離れた弟から見て、これからの幸せを信じられるものだった。実際、兄に子が生まれれば、カルロスの実家の爵位継承権は形骸化する。有力な侯爵家との縁談の成立は、次期侯爵として兄の大きな手柄だ。カルロスも家名に恥じぬ働きをと、よりいっそう騎士として身を立てる意欲を掻き立てられた。
邪な思いなど一切抱かなかったと断言できる。
「結婚式の翌日からはまた騎士団の寮に戻った。そのあと、帰省して顔を合わせたのも年に数回程度だ。赤ん坊のルーカスを可愛がっていたら、いっそ騎士団を辞めて子守になるかと言われたりしたな。侯爵家の兵団に入れば毎日でもルーカスと顔を合わせられるってな」
笑って提案したリネットに慌てたのは、カルロスではなく、リネットが嫁ぐのについて来た侍女だった。
領地の治安を守る兵団に領主の次男が所属するのはおかしなことではない。しかし名誉としては、国内外に武力を誇るアステル騎士団の方がより華々しい。
そこを辞めろというのは、アステル騎士団にふさわしくないとカルロスを侮辱しているように取れるし、また、ドゥオール家の栄達を拒むものと意味を取れる。
もちろん、カルロスは冗談だと思って笑い返した。相手は兄の嫁であり、次期侯爵夫人だ。本気でそんな無神経で無責任なことを言うわけがない。可愛い甥っ子に、将来アステル騎士団の騎士として剣稽古をつけてやるのが夢だと言って、話を終わりにさせた。
後に時々、思い返した。あれは、もしかしたら冗談ではなく、本気だったかもしれないと。
だが、当時のカルロスは気づかなかった。兄も父も、多分周囲は誰も気づいていなかった。
「なにを?」
カルロスははっと顔を上げて、俯きがちになっていた自分に気づく。
レオンが対面にいることも、自分がなにをどこまで話したのかも、その静かな声を聞くまで、半ば忘れかけていた。
レオンはカルロスの返事を待っていた。責めるでもなく、心底不思議に思っているのでもなく。確かめるように、湿布の上から傷跡に触れたように、カルロスの心の形をなぞる。
「君は、なにを見落とした?」
「……その時の、あの人の様子を、見ていなかったんだ。ルーカスをあやすのに夢中だったから。返事があったかどうかさえ覚えてない」
見ていたら、気づいたのか。曇がかる星月夜に影を落とす砦、数年かけて愛着を持つようになった狭い四人詰めの部屋に香った、ただひたすら甘いだけの匂い。ぬるりと白く照る細い腕。艶美で醜悪な眼差しに絡め取られることもなく。
「まあ、無理だっただろうけどな」
自嘲の笑みがこぼれた。
それは多分に運の巡り合わせの要素が強かった。たまたまその日は騎士団に有力者やその関係者が団体で訪れていて、リネットがルーカスを連れて遥々やって来ていた。
その日の夜、カルロスは不調を覚えて、部屋割りごとに決められた夜番を交代してもらって、部屋に戻れば一人だった。
深窓暮らしの貴婦人が、騎士団の厳しい目を掻い潜って宿舎まで潜り込めてしまった。
「どうしても言い訳がましくなるが、おれから触れた事実はない。そんな余裕もなかった。ひたすら驚いていたからな」
さっさと休んでしまおうと自分の寝台の掛布を捲ったら、仰向けの義姉とのご対面だ。驚くなという方が無茶だ。
正直なところ、半ば腰を抜かした。悲鳴も上げた。周囲が異変に気づいて駆けつけて来たときだって、カルロスの思考はまるで回っていなかった。男しかいない宿舎の中、閉じ切られた部屋、一つの寝台の上に男女の影。
よくカルロスの面倒を見てくれた数年先輩の騎士見習いが殴り込み直後に「扉を閉めろ!」と鋭く後続に声をかけて、やっと理解が追いついた。そして己の命運を悟った。
「よりにもよって騎士団の砦に侵入者なんて、最悪な不祥事だ。それが非戦闘員なだけになおさらな。それに、あの人は用件を隠さなかった。おれの愛がほしいとかなんとか……」
拘束するにも貴婦人が相手で手をこまねいている同僚たちを前に、リネットはよく喋った。悪いことはしていないと弁明するように、カルロスへ抱く愛欲を身につけた教養で精一杯に語る。すぐさま引き離されて姿の見えなくなったカルロスに、助けを乞うように愛が欲しいと叫んだ。
己のどこまでも自分勝手な行動が、カルロスの輝かしい未来を閉ざしたのだとは、微塵も考えもせず。
砦への侵入者が寮の寝込みを襲った。
王国屈指の戦闘集団である騎士団が、まさかこんな事態を公にはできない。騎士団の揺らぎは王国の防壁の隙にもなるのだから。些細なことでも油断できないのだ。
だが、起こってしまった騒ぎに、責任は取らなくてはならない。早急に片を付けなければならない。
下手に長引いて困るのはカルロスとて同じだった。不調も吹っ飛ぶ騒動の場から引っ立てられるように騎士団の上層部の前に連れてこられたカルロスは、謝罪も弁明も事の経緯の説明すら抜きにして、跪いて懇願した。騎士団内で最も重い罰、除名処分を、己に課してくれと。
「おれ一人の不始末で片付けるのが手っ取り早い。騎士団に所属しているとはいえまだ見習いの子ども一人追い出したって、特別注目されるようなことじゃないからな。ドゥオール家にしたって、嫡男の婚姻に今さらケチを付けるより、相続権の低い次男坊の醜聞にして縁を切った方が何倍もましだ」
一人で醜聞を負った結果、カルロスが「義姉を寝取ろうとした」と言われることさえ承知の上だった。
ドゥオール家次期当主夫人が「夫の目を盗んで義弟と関係を持とうとした」と言われるよりも、何倍も、何十倍もましだ。
それは、リネットを庇ってのことではない。結果として義姉の名誉を守ることになるだろうが、カルロスが守りたいものはそんなものではなかった。
騎士たちに首を差し出しながら、昼間に少しの間だけ顔を合わせた、次期当主の息子として将来の約束された幼子を思い返す。無垢で純真で、傷の一つも知らないほど大切に育てられていた。
カルロスは、そんな可愛い甥っ子に消せない傷を負わせないためならば、奈落に落ちようとも構わない。
たったそれだけのことだった。
レオンは言葉を続ける前に小さく息を吐いた。
「実家から連れてきた従者さえもこの家に押しつけて一人で消え去ろうという、君の魂胆に向かっ腹が立っていることに違いはないが、あれは、君を怒らせるために、わざと言葉を選んだ。本当に申し訳なかった」
ずいぶん正直に言ってくれる。本来ならカルロスの足の骨を折ったあと、枕元でこう謝るつもりだったのだろう。そして、こう尋ねるのだろう。
「私は君の希望を最大限叶えると約束したが、君は不平も不満もこぼさない。実にお行儀よく物分かりよく佇んでおきながら、そのくせ、目はどこか知らないところを見つめている。――君は、どうしたら私の夫としてここにいてくれる?」
君は私の夫だ、と何度も突きつけてきた言葉がたわんで、カルロスを捕まえようとしている。
カルロスとしては、ここまでレオンに執心されるような覚えがなかった。以前、後継を産むのはレオンなのだから、夫は誰でもいいと言っていた。カルロスを婿に据えて、レオンが他の男の種を孕んでも、外聞さえ押さえれば、それ以外の問題はないのだ。
(そこまでするほど、おれをどうしても婿に据えたい理由か)
そんなもの一つしかない。カルロスはレオンにたった一つの弱味を握られている。どうあっても抗えないほど。カルロスの矜持の根幹を。
怒りを押し殺すように目を細め、唇を吊り上げた。
「もう首輪をつけられてる。あんたは命じるだけでいい」
「そんなに殺気立って言われたことをやすやすと試せるか」
「夫にしたいほどほしがる男を信じないのか」
「信じているからだ。私の代でアルハイド家を潰すわけにはいかない」
心外だと目を見張った。まるでカルロスがそれをやるというような言い草だ。古くから権勢を保ち、王族とも親しい貴族家を潰す?
「おれは顔だけが取り柄のボンボンだぞ?しかも実家ともほぼ縁が切れてるってのに、どうやってそんなことをやるんだよ」
「保身をかなぐり捨てた人間の底力は恐ろしいものだ。道連れたと肚を決められたらおしまいだな」
レオンは困ったなとちっとも困ってない風に呟いた。すっとぼけも大概にしろと、カルロスの方が半眼になってしまう。
「それから、肝心なところだが、私の望みは円満な関係だ。殺伐としたものは私の趣味ではない」
「真顔で言うから本気なのか冗談なのか全く読めないって、自覚してるか?」
「ヨハネス・ユーラ第三王子。グリーク・ルティエ公子。ティグレ・アルハイド。元々この三人は家の都合でよく顔を合わせていたが、性格が合うのと歳が近いのがあって個人的な親交を深めていてな。私は兄の奔放に連れられて何度もその交流に同行していたし、メルフィナは、女の私一人が男の群れに混じることを懸念してグリーク殿が連れてくるようになった」
反射的に聞けよと文句を言いかけたが黙った。レオンが話しはじめたそれは脈絡がないようでいて、実はしっかり続いている。なにが円満だと、カルロスの投げつけた恨み言は、案外深刻に響いていたのかもしれない。
とか思っていたら、レオンは零れるように笑った。
「しかし、君のあの言葉には驚かされた」
「あ?」
「王子や他の男たちの求婚を断る理由を、家門を守るためと言っていただろう」
カルロスは首を捻った。それのどこに驚く部分があっただろうか。
レオンはアルハイド家の当主だ。そして貴族家の家長の最も重大な命題は、家名と誇りの存続だ。
レオンは今度は「君は察しがいいくせに時々鈍いな」と失礼なことを言って苦笑した。
「あまりにすっきりさっぱり言ったから驚いたんだ。ああ言ったからには、君も薄々勘づいているのだろう。アルハイド家には不文律がある。我が一族は断じて時の王族と血を交わらせることはない。数々の王朝の興亡を国の際で見てきた我ら一族の、歴史に散った彼らへの義理であり、国境守りとして我らが領地を一度も他の名に明け渡さなかった誇りゆえ」
ふむ、とカルロスは頷いた。
まさかここに来て、レオンが普通の貴族家のように王家の寵愛と序列の高さを誇るなんて、そんなことをするわけがなかった。もしそうだったら、王子からの求婚など諸手を挙げての承諾になるはずだ。親戚たちだって自分たちのお眼鏡の婿候補を連れてきたりしないで、積極的にその高い能力で高位貴族に繋ぎを取って、お見合いでもなんでもやらせるところだろう。
しかし、アルハイド家は阿りも追従も必要としない。たかだか数十年続くそこらの家門とは違うのだ。古い地盤は強固でありながら今なお影響力を損なわず、実績も積み上げ続けている。
「で、なにが鈍いって?」
「一門の外の人間が、君のようになんでも物分かりがいいと思わないでくれという意味だ。ぜひとも自覚してくれ」
「そういう。肝心の殿下は理解してないってことか?」
「あちらは理解した上でなお踏み込んでくるから面倒くさい。あちらにとって身分違いの恋でも、私にとっては完全に対象外だ。立場抜きにしても私の好みでないが、それすら聞かない」
「……なるほど……」
王子はレオンがいくら求婚を断っても、歌劇のように結びつきが容易ではない恋愛をしていると思い込んで、ますます引かないらしい。国王や周囲が諌めても恋のスパイス程度の認識となれば、レオンがげんなりするのも納得だったし、王子の手紙を国王が握りつぶす許可を与えたことだって「あー」と頷くしかない。色恋は周囲が制動できるものではない。
ここに「間男」という役を強制的に与えられるカルロスとしては、やっぱり「なんで早く言わなかった」と言いたくなるのだが。
「穏便な結婚なんて、端からできやしなかったってわけか……」
「一応まだ穏便には進められている。陛下はこちらの味方だ。それから、君を私の婿に推薦したのはレヴィン・セロー閣下だ」
半ば脱力していたカルロスは顔色を変えて跳ね起きた。その名は、カルロスがかつて所属していた、アステル砦を拠点に置く騎士団の長の名前だった。
「私たちの幼い頃の交流会はほとんど剣術指南と一緒でな。指南役は各地の騎士団持ち回りだが、特に閣下は幼少期の基礎から指導くださった、王子やグリーク殿にとっても剣の師の一人と言える」
「あの方が、おれを指して、推薦したのか」
「訳あって叙勲前に退団することになったが、気質も品格もアルハイド家に迎えるにふさわしいとおっしゃってな」
「訳って言ったって、あれは」
「あの方はそれ以上は、君のことを私に教えることはなかったよ。退団の理由は私の勝手な推理だ」
言葉を切ったレオンが見つめてくるのは、その先を、カルロス自身の口から聞きたいからだ。
だから先に話やがったなこいつ、と半目になる。「円満な関係」へ努力を欠いたのはカルロスも同じだった。この場合は対等対価という意味で。けっこう不平等な対価だが、先に言わせたカルロスの落ち度だ。そっぽを向きながらため息を吐いた。
「……ルーカスは、おれの兄の子だ。状況的にな」
まるで事実は違うと言わんばかりだと、言ったあとにカルロスは嫌悪感あらわに舌を打った。
ルーカス・ドゥオール。カルロスの兄エミリオと、グレックス侯爵家のリネットが婚姻を結び生まれた子だと、家系図には明記されている。間違ってもカルロスの子ではない。
「うちの結婚は当主の意向は絡まない。兄が数ある見合い話から次期侯爵として誼を結ぶと決めたのが相手の家だった。当時おれは騎士団の寮で生活していたから、あの人と顔を合わせたのはその式が初めてだった。……貴婦人の典型のような、お淑やかできれいな人だった。兄との結婚を周囲に祝われて幸せそうに頬を染めていた」
後から父のイサークに聞けば、兄の結婚は家同士の政略がもちろん中心だが、二、三回ほどリネットともやり取りをして打ち解けて、挙式に繋がったらしい。
兄の堂々たる花婿姿や花嫁へなにくれと気遣う様子は、少し歳の離れた弟から見て、これからの幸せを信じられるものだった。実際、兄に子が生まれれば、カルロスの実家の爵位継承権は形骸化する。有力な侯爵家との縁談の成立は、次期侯爵として兄の大きな手柄だ。カルロスも家名に恥じぬ働きをと、よりいっそう騎士として身を立てる意欲を掻き立てられた。
邪な思いなど一切抱かなかったと断言できる。
「結婚式の翌日からはまた騎士団の寮に戻った。そのあと、帰省して顔を合わせたのも年に数回程度だ。赤ん坊のルーカスを可愛がっていたら、いっそ騎士団を辞めて子守になるかと言われたりしたな。侯爵家の兵団に入れば毎日でもルーカスと顔を合わせられるってな」
笑って提案したリネットに慌てたのは、カルロスではなく、リネットが嫁ぐのについて来た侍女だった。
領地の治安を守る兵団に領主の次男が所属するのはおかしなことではない。しかし名誉としては、国内外に武力を誇るアステル騎士団の方がより華々しい。
そこを辞めろというのは、アステル騎士団にふさわしくないとカルロスを侮辱しているように取れるし、また、ドゥオール家の栄達を拒むものと意味を取れる。
もちろん、カルロスは冗談だと思って笑い返した。相手は兄の嫁であり、次期侯爵夫人だ。本気でそんな無神経で無責任なことを言うわけがない。可愛い甥っ子に、将来アステル騎士団の騎士として剣稽古をつけてやるのが夢だと言って、話を終わりにさせた。
後に時々、思い返した。あれは、もしかしたら冗談ではなく、本気だったかもしれないと。
だが、当時のカルロスは気づかなかった。兄も父も、多分周囲は誰も気づいていなかった。
「なにを?」
カルロスははっと顔を上げて、俯きがちになっていた自分に気づく。
レオンが対面にいることも、自分がなにをどこまで話したのかも、その静かな声を聞くまで、半ば忘れかけていた。
レオンはカルロスの返事を待っていた。責めるでもなく、心底不思議に思っているのでもなく。確かめるように、湿布の上から傷跡に触れたように、カルロスの心の形をなぞる。
「君は、なにを見落とした?」
「……その時の、あの人の様子を、見ていなかったんだ。ルーカスをあやすのに夢中だったから。返事があったかどうかさえ覚えてない」
見ていたら、気づいたのか。曇がかる星月夜に影を落とす砦、数年かけて愛着を持つようになった狭い四人詰めの部屋に香った、ただひたすら甘いだけの匂い。ぬるりと白く照る細い腕。艶美で醜悪な眼差しに絡め取られることもなく。
「まあ、無理だっただろうけどな」
自嘲の笑みがこぼれた。
それは多分に運の巡り合わせの要素が強かった。たまたまその日は騎士団に有力者やその関係者が団体で訪れていて、リネットがルーカスを連れて遥々やって来ていた。
その日の夜、カルロスは不調を覚えて、部屋割りごとに決められた夜番を交代してもらって、部屋に戻れば一人だった。
深窓暮らしの貴婦人が、騎士団の厳しい目を掻い潜って宿舎まで潜り込めてしまった。
「どうしても言い訳がましくなるが、おれから触れた事実はない。そんな余裕もなかった。ひたすら驚いていたからな」
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正直なところ、半ば腰を抜かした。悲鳴も上げた。周囲が異変に気づいて駆けつけて来たときだって、カルロスの思考はまるで回っていなかった。男しかいない宿舎の中、閉じ切られた部屋、一つの寝台の上に男女の影。
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「よりにもよって騎士団の砦に侵入者なんて、最悪な不祥事だ。それが非戦闘員なだけになおさらな。それに、あの人は用件を隠さなかった。おれの愛がほしいとかなんとか……」
拘束するにも貴婦人が相手で手をこまねいている同僚たちを前に、リネットはよく喋った。悪いことはしていないと弁明するように、カルロスへ抱く愛欲を身につけた教養で精一杯に語る。すぐさま引き離されて姿の見えなくなったカルロスに、助けを乞うように愛が欲しいと叫んだ。
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砦への侵入者が寮の寝込みを襲った。
王国屈指の戦闘集団である騎士団が、まさかこんな事態を公にはできない。騎士団の揺らぎは王国の防壁の隙にもなるのだから。些細なことでも油断できないのだ。
だが、起こってしまった騒ぎに、責任は取らなくてはならない。早急に片を付けなければならない。
下手に長引いて困るのはカルロスとて同じだった。不調も吹っ飛ぶ騒動の場から引っ立てられるように騎士団の上層部の前に連れてこられたカルロスは、謝罪も弁明も事の経緯の説明すら抜きにして、跪いて懇願した。騎士団内で最も重い罰、除名処分を、己に課してくれと。
「おれ一人の不始末で片付けるのが手っ取り早い。騎士団に所属しているとはいえまだ見習いの子ども一人追い出したって、特別注目されるようなことじゃないからな。ドゥオール家にしたって、嫡男の婚姻に今さらケチを付けるより、相続権の低い次男坊の醜聞にして縁を切った方が何倍もましだ」
一人で醜聞を負った結果、カルロスが「義姉を寝取ろうとした」と言われることさえ承知の上だった。
ドゥオール家次期当主夫人が「夫の目を盗んで義弟と関係を持とうとした」と言われるよりも、何倍も、何十倍もましだ。
それは、リネットを庇ってのことではない。結果として義姉の名誉を守ることになるだろうが、カルロスが守りたいものはそんなものではなかった。
騎士たちに首を差し出しながら、昼間に少しの間だけ顔を合わせた、次期当主の息子として将来の約束された幼子を思い返す。無垢で純真で、傷の一つも知らないほど大切に育てられていた。
カルロスは、そんな可愛い甥っ子に消せない傷を負わせないためならば、奈落に落ちようとも構わない。
たったそれだけのことだった。
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最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
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