彼岸の傾城傾国

高嗣水清太

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第一章 偽りの皇帝

第三話

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 煌龍帝国こうりゅうていこくと北方の遊牧民族、北戎ほくじゅとの戦は煌威こういの曾祖父、唐虞帝とうぐていの代まで遡る。

 煌龍帝国こうりゅうていこくは農耕で栄えた国だ。広河周辺に居を構えた当初は、洪水などの水害に悩まされたが、初代皇帝である焔帝えんていが治水事業で農耕を可能にした為、食糧の生産性が高く豊かな国となった。
 対して、北戎ほくじゅは広河の水害を恐れ、河から離れた各土地を渡り歩く、遊牧により生き延びた民族にあたる。わば北戎ほくじゅと帝国は、遠い祖先が同じ民族ということになるが、今は歴史の中でだけ垣間見る関係性だ。

 北戎ほくじゅの生活基盤は遊牧にある。家畜を連れた遊牧生活は食糧の生産性が低いが、農耕可能な永住に適した土地を見つけられなかったのだから仕方ない。農耕が不可能となれば、北戎ほくじゅは遊牧を続けて暮らす他なかった。
 家畜は北戎ほくじゅにとって命綱だ。家畜の乳と肉だけが日々の糧である北戎ほくじゅが多くの家畜を養う為には、必然的に広大な牧草地を移動する遊牧生活しか生きる術はなかった。

 食生活が貧弱な北戎ほくじゅが、食生活が豊富な帝国を知れば、結果は想像するまでもない。北戎ほくじゅは帝国を襲撃して、その食糧を、食糧を生み出す土地を奪おうとした。侵略戦争だ。
 当然、当時の皇帝だった唐虞帝とうぐてい
は防衛体制を構築した。敵の侵入を防ぎ迎え撃つ、いわゆる防衛戦だ。それは、現皇帝の代まで至る戦に発展した。

 お互い、百年以上にも及ぶ戦に疲弊していたのもあるのだろう。特に帝国は農耕で食糧が豊富な為、国庫に憂いもなく幾度かの遠征にも耐えられる情勢だったが、居城を持たない遊牧民の北戎ほくじゅは違った。戦で荒れていく牧草地の数が増えれば増えるほど、北戎ほくじゅは食糧を確保することが難しくなり、騎馬の数も騎馬を扱うことのできる兵士の数も減っていく。
 まさに、悪循環に陥っていた。

 帝国に比べて人口がはるかに少ないにも関わらず、生まれながらの騎兵である遊牧民は確かに強大な軍事力を誇っていた。百年余りの戦に発展したのは、とみに北戎ほくじゅの戦闘部族とも言える民族性が成しえたことだ。
 しかし、いくら戦闘部族として強い肉体を持っていても、ものを食わねば生きていけないのが人間である。充分な食糧を確保できない状況で極度に疲弊すれば、少しの傷や怪我が命に関わるのは当然だ。
 食糧を得る為に侵略して、肝心の北戎ほくじゅの民が皆死んでは意味がない。元々は北戎ほくじゅも生きていく分には問題ない生活水準だったのだ。

 停戦協定の申し出は、帝国側にしてみれば予想の範囲内だった。そもそも戦を仕掛けてきた北戎ほくじゅの統領は、当時の帝国の皇帝と同じく既にこの世にない。いくら当時の統領とはいえ、よく知らない人間の為に尽くす奇特な人間は、どんなに忠誠心の厚い臣下でもまず居ないだろう。
 そこですかさず不可侵条約をチラつかせた、煌威こういの父である当代皇帝は有能と言ってもいい。ただ、帝国を守る皇帝として、ある意味では苛烈さに欠けてもいた。可もなく不可もない皇帝、というものだ。
 けれど、持ち出した条約が相互援助条約でなかったことに煌威こういが安心したのも確かだった。相互援助は北戎ほくじゅに力をつけさせ、後に条約破棄の危険性がある。

 煌威こういや諸侯達から若干煽られる形で、皇帝は自ら北戎ほくじゅとの戦場に赴き、率先して話を進めた。北戎ほくじゅの彼らは文字を持たず、規則や命令は口頭で伝達された為だ。誠意を見せることと並行して、直接会談するしか方法がなかったからである。文字を持たないのなら、条約を文書で交換保管は意味を成さないと、帝国は互いの血族から娘を差し出す、言わば人質交換による条約締結を提案した。

 帝国に北戎ほくじゅの血を混ぜるということは、それはまた逆のことも言える。互いに親戚関係になるわけだが、その為の不可侵条約だ。
 侵略行為は国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権・領土を侵すことを意味する。 それが何がしかの危機に親戚関係を理由にした援助という形でも、間接的な侵略行為と見なして禁じるわけだ。

 何があろうと北戎ほくじゅからの援助はいらないし、過ぎた親切は侵略と見なす。だから帝国側からの援助もしないが、つまりこちら側からの侵略はしない。そういう条約だ。

 互いに、と言えば聞こえがいいが、実際のところ長い戦で帝国以上に疲弊していた北戎ほくじゅがこれを拒否する理由は皆無だった。



「開門――!」

 深く息を吸い込んだ門番が、不可侵条約締結の為やってきた北戎ほくじゅを迎え入れる致声ちせいを上げる。
 北戎ほくじゅの兵達が我が国を侵略以外の目的で初めて訪れたのは、肌と臓腑ぞうふを刺すばかりだった冬を越え、のどかな陽射しが降り注ぎ、花の蕾がほころび始めた幸先がいい麗らかな春のことだった。

 互いの娘を交換する応接会議所として決定した場所は、北戎ほくじゅと帝国の国境に防衛線として築いた帝国側の、言わば前線基地とも言える城郭都市・城陽じょうようだ。
 城壁の上には一定間隔で望楼ぼうろう(やぐら)が設置されている。壁には銃眼じゅうがんが開けられていて、明らかに城塞の作りだ。しかし、設置されてからの百年という年月が周辺に家臣団の他、一般住民の居住区まで増やし、結果一つの城郭都市へと変化していた。

 城を取り囲む城壁である内城と、内城の周囲を囲む形で広がる城下街全体を取り囲む外城の城壁は高く、この城郭都市は、これから観念上においても両勢力の境界線として機能するだろう。

 前門と呼ばれている内城の中央門を北戎ほくじゅの統領に兵士と、恐らく娘を乗せているのだろう屋形の四方にすだれをかけた四方輿しほうごしが、帝国の軍人と通過するのを煌威こういは静かに見下ろした。
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