彼岸の傾城傾国

高嗣水清太

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第二章 悪意を呑んだ天命

第二十一話*

 皇帝の朝は早い。前日何時に床につこうと、いくら睡眠時間が少なかろうと、早朝午前四時には起床が決まっている。
 後宮に住む者は皆、この皇帝の生活に合わせて動く為、皇帝だけが朝早いわけではないことを煌威こういは知っていたが、やはり皇太子だった頃と比べると朝は早いと感じていた。

 皇帝が起床後、最初にすることは何かと言えば沐浴もくよくである。初めに髪、身体を洗い清め、一日に臨むわけだ。
 通常なら、後宮に務める宦官かんがんがその沐浴に付き添うのだが、煌威の場合は紅焔こうえんが付き添いを務めることになっていた。

 紅焔こうえんは武官だ。
 しかも、煌威こういが皇帝となってまず第一にしたことが、紅焔こうえんを国軍総大将である大将軍に任命したことである為、帝国で最高位の武官と言える。

 紅焔こうえんが沐浴の付き添いを務めることに、当初は各方面から少なくない反発にあった。当然と言えば当然だ。最高位の武官に、沐浴の付き添いをさせる皇帝など、帝国の長い歴史の中でも聞いたことがない。そもそも本来なら、後宮に皇帝以外の男は入れない決まりだ。故に、通常は宦官が沐浴に付き添うことになっている。 

 最初は、武官を護衛として常時待機させる必要があるなら、沐浴中の護衛は賤吏せんりを待機させればいいのではないか、と言われた。
 宮女と過ちを犯さない為に、皇帝以外の男は立ち入り禁止の後宮であるのに、それはそれで本末転倒ではないか――。
 煌威こういはそう思ったが、『皇族以外で身分の高い人間を登用して、宮女と子供でも出来たら面倒なことになる』という言い分も確かで、賤吏は使い捨てという貴族の概念がいねんで話すなら、もっともな話だとは思った。倫理的にはどうかと思ったが。

 次に言及されたときには、将軍職についた紅焔こうえんに付き添わせる理由は無い筈だ、とも言われた。
 これも、煌威こういは一応正論だとは思った。
 他に、沐浴の付き添いという仕事を宦官から奪うのは如何いかがなものかと、それらしいことも言っていた気がする。
 だが、これは単純に己が紅焔こうえんを重用すること、そのものが気に食わなかったのだろうと煌威こういは考えていた。

 紅焔こうえんは武官である前に皇族であり、煌威こういの従兄弟だ。元から紅焔こうえんのことを悪く言う人間は少ない。少数、こびを売って皇帝に取り入った、等と陰口を叩くやからがいるのも事実だが、その程度である。
 煌威こうい紅焔こうえんを登用する度に、宦官の面々がやんわり否定から入る原因は、そう考えれば酷く分かりやすいものだった。

 実際のところ、大将軍である紅焔こうえん煌威こういの沐浴に付き添わなければいけない理由は、大義名分があるわけでもなく個人的なものにあたる。皇帝である煌威こういの立場からして、正直に言うわけにもいかず、何ともし難い理由が元だ。
 その理由に、煌威こうい自身も一役買っていたというか……言ってしまうと原因なので、煌威こういも今回は元凶である紅焔こうえんに頑張ってもらっただけのことだった。

 表向きは清廉潔白せいれんけっぱくといったあの紅焔こうえんが、宦官含め反対する臣下一人一人を口八丁手八丁で説得して回ったというのだから笑ってしまう。一体どんな理由と説明で乗り切ったのか。


「……何を笑っているのですか」

 思い出し笑いで頬をゆるませる煌威こういに、沐浴場の出入口付近に立つ紅焔こうえんが片眉を上げて渋面じゅうめんを作った。
 煌威こういが何を考えて笑ったか、察しがついたからだろう。

「いや……、お前があんなに必死になる姿はなかなか見れなかったな、と」
「……陛下」
「く……ふふっ」

 れる笑い声を消す為に、煌威こういは沐浴用の滝に頭を突っ込んだ。
 白糸のような滝から流れる冷たい水が顔や首筋、胸を伝い、下半身に流れることを感じる間もなく、煌威こういの全身を包むように降り注ぐ。

 神聖な河と言われている、姜水きょうすいから直接引かれて人工的に造られた滝は太陽光を弾いて光り、苔生こけむす岩盤の上から降り注いでいて、緑と光の対比は神々しくなんとも美しい光景だ。庭園だと言われれば、信じてしまいそうな造りである。
 しかし足元に一切の土は無く、石板を規則正しく敷き詰め階段を用いて溜池ためいけのように造られた、沐浴場は沐浴場だ。

 身を清める為とはいえ、朝から水で沐浴すると決めた奴は誰だと、煌威こういは密かに心中で独りごちる。
 季節は夏に差し掛かり、気温が上昇し始めているのもあって割りと寒くはないが、これからの季節を考えると、この仕来りも少しばかり遠慮したいものだと思った。


 自分の身体を伝う水が足首あたりで溜まり、排水溝へ向かうのを何となしに煌威こういが目で追っていると、大きな布を広げてこちらに近づいてくる紅焔こうえんの姿を捉えた。
 仏頂面で近づく紅焔こうえんは、 何かを言いたげだ。

「……なんだ?」

 苦笑して問えば、紅焔こうえんが苦虫を噛み潰したような顔で言う。

「……あなたが望んだことでしょう」
「うん? ああ……」

 ――先程の続きか、と笑いながら煌威こういは段になっている沐浴場から足を上げた。石畳を踏み、粗布そふを両手に待ち構えている紅焔こうえんに近づく。

「ああ、確かにわたしが望んだな」

 紅焔こうえんが待つ、足裏を拭う為の敷物の前で止まると、紅焔こうえん煌威こういの濡れた身体を粗布で一度まるごと包んだ。
 柔らかく押さえて、水滴をぬぐってくる。粗布はきめが粗い布なので、気を使っているのが分かる手つきだ。

「……ふふ。お前にこうして、沐浴の付き添いをして欲しいと頼んだし、反対する臣下達の説得も命じた」
 
 だが、な? と、一度言葉を区切って煌威こうい紅焔こうえんを見上げる。
 顔は仏頂面でも、どこまでも優しく触れてくる紅焔こうえんに、ちょっとした嗜虐心しぎゃくしんが芽生えた。 

「元はと言えば、お前が悪いんだぞ?」

 煌威こうい紅焔こうえんの持つ粗布で身体を拭かれながら、膝で布地を開いてあしを持ち上げる。

「こんなあとをつけて……」

 煌威こういが粗布から突き出した左脚には、すねから爪先にかけて大小様々な紅色が散っていた。点々と広がるそれは、どう見ても鬱血痕うっけつこんだ。

「首筋や胸なら、まだ夜に連れ込んだ宮女に付けられたとでも言い訳できたものを」
「……ご冗談を。自分は臣下です。そのような行為、許されません」
「…………そのような行為、ねえ?」

 ――皇帝を快楽で夜毎溺れさせて、忠誠の証だと言って、足に鬱血痕を残すことは許される行為なのか。
 そんな文句を頭で思い浮かべつつ、実際許している煌威こういが言うのでは意味がないので口を噤む。

 煌威こういは皇帝だ。宦官が覚えのない痕を煌威こういの身体に発見しても、『気に入った宮女が居たから手を出した』。そう言えば、大抵はそれで片付く。
 だが、場所が場所である為、その言い訳も使えない。誰が好き好んで脚に痕を残すだろうか。
 宮女なら尚更有り得ないし、煌威こういが直接見初みそめたとなどと言えば言ったで相手の女探しが行われるに違いないと思えば、とても言えたものではなかった。

 大きくため息をつけば、紅焔こうえんは何を思ったのか煌威こういの肩にかけた粗布はそのままに、膝を折ってひざまずいてくる。

「……! 紅焔こうえん?」
「…………」

 問いかけを無視して――。
 紅焔こうえんは持ち上げた煌威こういの左足――ふくはぎてのひらで支え、自分のふところから取り出した布でゆっくりとその足裏を拭う。
 紅焔こうえんの行動の意味が分からず、煌威こういが首をかしげた瞬間だった。

「――ッ!」

 ぢり、とした痛みを足の指に感じ、肩が跳ねる。
 煌威こういが慌てて視線を下ろせば、新しい鬱血痕がそこにあった。

「こっ……!」

 何を、と声を上げる暇もなく、紅焔こうえんは上目遣いに煌威こういを見つめたまま、今度は足の甲に舌を伸ばしてくる。

「ぅあっ!」

 触れたそれはとても熱く、ジワジワと全身に侵食しんしょくしていくようで、煌威こういは思わず紅焔こうえんの肩を掴んだ。
 皮肉にも、その掴んだ肩が支えとなって、煌威こういの震える身体を押し留める。

 夜、とばりが降りた頃に受ける行為と同じ筈なのに、明るい日の下で受けるこれは、なんとも背徳感はいとくかんあふれていて劣情れつじょうを誘った。
 閨事ねやごとではない。閨事ではない筈なのに、紅焔こうえんとの繋がりはそれ以上に煌威こういの欲をあおる。

「……っ、……ぅッん、!」
「…………へい、か」
「……ッ」

 問題は、この場ではそれ以上を望めないことだった。


 それほど、長い時間ではなかったように思う。
 劣情を煽りに煽られ、煌威こういは気がつけば上がった息を紅焔こうえんの肩で整えていた。
 燻った熱が下半身で渦巻いている。

 ゆるゆると背中を撫でられながら、紅焔こうえんの低い声を煌威こういは耳元で聞く。

「……俺がわざと、こうしているとは思われないので?」
「…………は?」
「有り得ないところに痕をつけていたら、宦官には見せられないですからね?」
「……紅焔こうえん、お前……」

 沐浴の付き添いをもぎ取る為に、わざと痕をつけたと。

「……そんなにわたしを独り占めしたいか」
「愚問ですね」

 からかい半分で言った言葉に間髪かんぱつ入れず返され、次いで己の下半身に伸ばされる手に、煌威こういは思わず破顔はがんした。
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