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第二章 悪意を呑んだ天命
第二十三話
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煌威には、少なくない人数の兄弟がいる。
――いや。歴代の皇帝や、皇族として見た場合の兄弟では数が少ないほうだろうが、煌威が個人的見解で見ているぶんには、少なくない人数の兄弟がいる。
煌威が長兄なので他は弟妹だが、弟が二人に妹が三人の六人兄妹だ。
故人で言うならもう一人、姉となる人物がいたが、それを煌威が知ったのは皇帝に即位する直前であり、相手は既に亡くなっていた為、どんな人物か詳細には知らない。
嗣尤は煌威にとって、その二人いる弟のうちの一人だ。
武官の中では、紅焔に次ぐ実力を持つと評判の皇弟である。
今年二十三になる嗣尤は、先帝の側室である貴妃を母に持ち、文武両道の将軍と名高く、大将軍となった紅焔を慕っていた。
年齢的には嗣尤のほうが、紅焔より三つ歳上にあたる。
地位も、皇帝の従兄弟という立場である紅焔よりも、弟である嗣尤のほうが高い。
だが、嗣尤の紅焔に対する畏敬の念は、兄である煌威から見ても非常に強いものだった。
煌威には、未だ后はいない。国母となる筈の、皇后すら決まっていない。
つまり、皇位継承権第一位は嗣尤にあった。
もし、煌威に子供が出来なければ、嗣尤が次期皇帝候補だ。普通なら、野心に燃えてもおかしくなかった。
しかし嗣尤は、その次期皇帝という立場も、皇弟という地位すら捨てて、継承権も皇族という身分も破棄した上で、紅焔の部下になりたいと公言する程、紅焔を盲信していた。
煌威のように、紅焔に狂った男の一人と考えれば、これほど分かりやすい男はいなかった。
紅焔が初代皇帝である焔帝と、瓜二つな外見をしているのも一役買っているのだろう。
嗣尤の眼が、憧れの英雄でも見るようだと思ったのは、まだ煌威自身十代だった頃の話であり、当の紅焔は十一になったばかりの子供だった、遥か昔のことだ。
対して、抄昊は嗣尤の同母弟にあたる、煌威のもう一人の弟である。
元から文官としての素質は兄弟の間では群を抜いていたが、今は丞相という皇帝を補佐する最高位の官吏だ。
抄昊と嗣尤は同母兄弟だが気質は正反対で、それは武官と文官という違いからも分かるが、何より違ったのは煌威と紅焔に対する態度だった。
嗣尤は紅焔を盲信している為、どちらかというと皇帝である煌威よりも紅焔を優先して物事を進める。
先程、煌威に対する挨拶よりも紅焔の名を最初に呼んだことから、推して知ることができるだろう。
皇帝より大将軍を優先するのは不忠義だと、自分が居ないときに抄昊が嗣尤に直接、苦言を呈していたことを煌威は知っている。
嗣尤がそれに対して、心底面倒くさそうに生返事をしていたことも知っていた。
だが、煌威が本当に面白いと思うのは、抄昊のそれが臣下として皇帝を第一に据えているからではなく、嗣尤を第一に考えているからこその発言だったということだ。
皇帝から不忠義を疑われたらどうなるか。熟考する必要もなく、分かることだ。
だから、抄昊は皇弟として、相応しく。文官として、相応しく。丞相として、相応しく。煌威に対して礼儀を尽くし、嗣尤を守る為に口を開く。
抄昊は、紅焔を特別な存在として見る嗣尤をこそ慕っていた。
抄昊も紅焔を慕っているからではない。
抄昊は、嗣尤を慕い嗣尤個人に重心を置いていたのだ。
それは弟から兄への、同母兄弟愛の範疇だろうが、皇帝に対する忠誠よりも上回る情だと考えれば、 皇帝でありながら紅焔を第一に考える煌威にとって、これほど好感を抱く材料はなかった。
嗣尤と抄昊二人とも、皇族の証である紅い髪と金の眼どちらを受け継いでいるかといえば、紅い髪を継いでいるのが特徴だ。
金の瞳を持っている煌威とは似ても似つかず、似てない兄弟だと噂が流れたこともあった。
考えれば、母親が違う煌威は先帝の血すら引いていなかったのだから、似ていなくて当然である。兄弟ではないのだから。
六人いる兄弟で、確かに煌威と血が繋がっているのは、母を同じとする煌凛だけだ。
そういえば、自分の眼の金は一体どこからの血だろうと煌威は思う。煌凛も金の眼をしている為、自分が皇族ではない可能性など疑ったことすらなかった。
――わたしの眼は、正確には金と言わない種類の色なのだろうか。
少しずつズレていた思考が、海のように広がっていたことに煌威が気づいたのは、正面から聞こえた疑問の声からだった。
「――……陛下?」
「――!」
ハッとして眼を見開く。
視線を向ければ、執務殿の扉を開けた格好のまま、眉を下げた抄昊が所在なさげに煌威を見ていた。
抄昊の隣の嗣尤も、怪訝そうな顔で煌威を見ている。
どうやら煌威がぼんやりと歩を進めているうちに、既に執務殿に着いて、尚且つ抄昊が扉を開けてくれていたらしい。
「すまない」
煌威は苦笑して足を進めた。
執務殿は壁に添う形で四方に本棚が置かれ、前中央に配置された皇帝専用の玉座を、左右から挟むように官僚用の執務机が並んだ、華やかさの欠片もない部屋だ。
仕事部屋であることからしてそれが普通だが、無駄な物は一切ない。
少し埃っぽく感じる空気は独特のものだろう。
左手側の机に抄昊、右手側の机には嗣尤が座る。
紅焔は、既に定位置と言っていいほど定着した、煌威の右横に腰を落ち着けた。
「では、報告を。上書によれば租税問題があるようだな?」
「はい。今年は昨年の降雪量が少なかった為、水不足問題が浮上しております。洪水調節が必要ないことは喜ばしいですが、そのぶん屯田から兵戸への変更届が大多数の農夫から出ております」
抄昊が手元の竹簡書類を見ながら、粛々と言う。
租税問題は重要だ。
租税制度は、帝国の財政の根幹、及び政治経済そのものである。
帝国は農耕で大きくなった国だ。当然の如く、租税は作物による徴収が多い。
しかし大きくなった国は、他国からの侵略も受けやすかった。
その為できた律令が、土地を人民に支給して一定の軍糧を税として徴収する屯田制と、それとは区別して、税として徴収する軍糧は屯田制の半分と少ないものの、兵役義務を課す兵戸制だ。
水不足ということは、一律して農夫が納税できる軍糧は減るだろう。兵戸を希望する農夫が増えるのも分かる。
だが、兵が増えて軍糧が減っては本末転倒だ。
いざ戦となったときに、軍糧が足りなくて出陣できない。そんな事態になることも有り得る。
どうしたものか、と煌威が顎に手を添えたときだ。
「新皇帝即位からあらゆる事態を想定し、軍事力を補強しようという案が出ております」
沈黙を破ってさらりと発言した紅焔に、煌威と嗣尤、抄昊、三者の視線が集まる。
「今回、兵戸に変更希望者には、軍事施設を増築する為の労力を提供することを、今年の納税にしては?」
「そうですね! さすが紅焔殿!」
嗣尤が両目を憧憬に輝かせて紅焔を見る。
確かにその提案はうまい。
しかし、一切こちらを見ない紅焔に、煌威は違和感を覚える。
今まで、こんなことは一度もなかった。
――気になる。
だからと言って、煌威の立場上じっと紅焔の顔を見るわけにもいかず、紅焔の案を採用として署名すると、次の上書に眼を移した。
上書は嗣尤からで、諸外国との謁見についてだ。
「北戎棟梁の李冰様から直接、謁見の書状が届いております」
「っそう、か……」
本来なら謁見や外交は、文官である抄昊の分野だが、北戎とは敵対していた過去もあり、未だ担当は武官である嗣尤だった。
何でもないことのように報告する嗣尤だが――、いや、実際に嗣尤にとっては普通の外交業務と同じであり、何でもないことなのだろう。
けれど、皇帝に即位してから何の接触もなかった李冰からの書状に、煌威はつい眉を寄せてしまう。
煌威だけが知る、皇帝は李冰の子供だという真実が、尾を引いているのかもしれなかった。
そもそも北戎は文字を持たない民族だ。それが書状を寄越したということは、帝国の言語をわざわざ習得したことを示している。
何かあるのではないか、と勘繰ってしまうのは仕方のないことだった。
「日にちは一ヶ月後と、こちらの都合も配慮されたもので、姉上も李冰殿と共にいらっしゃるそうです」
里帰りですね、と抄昊が嗣尤の言葉に続ける。
「そうか……、煌凛が……」
煌威の瞼の裏に浮かぶのは、いつも自信ありげに微笑む妹の姿だ。懐かしくなる。
煌凛は結局、当初の予定通り李冰に嫁いだ。
煌凛に皇位継承権がないのは、その為である。
――いや。歴代の皇帝や、皇族として見た場合の兄弟では数が少ないほうだろうが、煌威が個人的見解で見ているぶんには、少なくない人数の兄弟がいる。
煌威が長兄なので他は弟妹だが、弟が二人に妹が三人の六人兄妹だ。
故人で言うならもう一人、姉となる人物がいたが、それを煌威が知ったのは皇帝に即位する直前であり、相手は既に亡くなっていた為、どんな人物か詳細には知らない。
嗣尤は煌威にとって、その二人いる弟のうちの一人だ。
武官の中では、紅焔に次ぐ実力を持つと評判の皇弟である。
今年二十三になる嗣尤は、先帝の側室である貴妃を母に持ち、文武両道の将軍と名高く、大将軍となった紅焔を慕っていた。
年齢的には嗣尤のほうが、紅焔より三つ歳上にあたる。
地位も、皇帝の従兄弟という立場である紅焔よりも、弟である嗣尤のほうが高い。
だが、嗣尤の紅焔に対する畏敬の念は、兄である煌威から見ても非常に強いものだった。
煌威には、未だ后はいない。国母となる筈の、皇后すら決まっていない。
つまり、皇位継承権第一位は嗣尤にあった。
もし、煌威に子供が出来なければ、嗣尤が次期皇帝候補だ。普通なら、野心に燃えてもおかしくなかった。
しかし嗣尤は、その次期皇帝という立場も、皇弟という地位すら捨てて、継承権も皇族という身分も破棄した上で、紅焔の部下になりたいと公言する程、紅焔を盲信していた。
煌威のように、紅焔に狂った男の一人と考えれば、これほど分かりやすい男はいなかった。
紅焔が初代皇帝である焔帝と、瓜二つな外見をしているのも一役買っているのだろう。
嗣尤の眼が、憧れの英雄でも見るようだと思ったのは、まだ煌威自身十代だった頃の話であり、当の紅焔は十一になったばかりの子供だった、遥か昔のことだ。
対して、抄昊は嗣尤の同母弟にあたる、煌威のもう一人の弟である。
元から文官としての素質は兄弟の間では群を抜いていたが、今は丞相という皇帝を補佐する最高位の官吏だ。
抄昊と嗣尤は同母兄弟だが気質は正反対で、それは武官と文官という違いからも分かるが、何より違ったのは煌威と紅焔に対する態度だった。
嗣尤は紅焔を盲信している為、どちらかというと皇帝である煌威よりも紅焔を優先して物事を進める。
先程、煌威に対する挨拶よりも紅焔の名を最初に呼んだことから、推して知ることができるだろう。
皇帝より大将軍を優先するのは不忠義だと、自分が居ないときに抄昊が嗣尤に直接、苦言を呈していたことを煌威は知っている。
嗣尤がそれに対して、心底面倒くさそうに生返事をしていたことも知っていた。
だが、煌威が本当に面白いと思うのは、抄昊のそれが臣下として皇帝を第一に据えているからではなく、嗣尤を第一に考えているからこその発言だったということだ。
皇帝から不忠義を疑われたらどうなるか。熟考する必要もなく、分かることだ。
だから、抄昊は皇弟として、相応しく。文官として、相応しく。丞相として、相応しく。煌威に対して礼儀を尽くし、嗣尤を守る為に口を開く。
抄昊は、紅焔を特別な存在として見る嗣尤をこそ慕っていた。
抄昊も紅焔を慕っているからではない。
抄昊は、嗣尤を慕い嗣尤個人に重心を置いていたのだ。
それは弟から兄への、同母兄弟愛の範疇だろうが、皇帝に対する忠誠よりも上回る情だと考えれば、 皇帝でありながら紅焔を第一に考える煌威にとって、これほど好感を抱く材料はなかった。
嗣尤と抄昊二人とも、皇族の証である紅い髪と金の眼どちらを受け継いでいるかといえば、紅い髪を継いでいるのが特徴だ。
金の瞳を持っている煌威とは似ても似つかず、似てない兄弟だと噂が流れたこともあった。
考えれば、母親が違う煌威は先帝の血すら引いていなかったのだから、似ていなくて当然である。兄弟ではないのだから。
六人いる兄弟で、確かに煌威と血が繋がっているのは、母を同じとする煌凛だけだ。
そういえば、自分の眼の金は一体どこからの血だろうと煌威は思う。煌凛も金の眼をしている為、自分が皇族ではない可能性など疑ったことすらなかった。
――わたしの眼は、正確には金と言わない種類の色なのだろうか。
少しずつズレていた思考が、海のように広がっていたことに煌威が気づいたのは、正面から聞こえた疑問の声からだった。
「――……陛下?」
「――!」
ハッとして眼を見開く。
視線を向ければ、執務殿の扉を開けた格好のまま、眉を下げた抄昊が所在なさげに煌威を見ていた。
抄昊の隣の嗣尤も、怪訝そうな顔で煌威を見ている。
どうやら煌威がぼんやりと歩を進めているうちに、既に執務殿に着いて、尚且つ抄昊が扉を開けてくれていたらしい。
「すまない」
煌威は苦笑して足を進めた。
執務殿は壁に添う形で四方に本棚が置かれ、前中央に配置された皇帝専用の玉座を、左右から挟むように官僚用の執務机が並んだ、華やかさの欠片もない部屋だ。
仕事部屋であることからしてそれが普通だが、無駄な物は一切ない。
少し埃っぽく感じる空気は独特のものだろう。
左手側の机に抄昊、右手側の机には嗣尤が座る。
紅焔は、既に定位置と言っていいほど定着した、煌威の右横に腰を落ち着けた。
「では、報告を。上書によれば租税問題があるようだな?」
「はい。今年は昨年の降雪量が少なかった為、水不足問題が浮上しております。洪水調節が必要ないことは喜ばしいですが、そのぶん屯田から兵戸への変更届が大多数の農夫から出ております」
抄昊が手元の竹簡書類を見ながら、粛々と言う。
租税問題は重要だ。
租税制度は、帝国の財政の根幹、及び政治経済そのものである。
帝国は農耕で大きくなった国だ。当然の如く、租税は作物による徴収が多い。
しかし大きくなった国は、他国からの侵略も受けやすかった。
その為できた律令が、土地を人民に支給して一定の軍糧を税として徴収する屯田制と、それとは区別して、税として徴収する軍糧は屯田制の半分と少ないものの、兵役義務を課す兵戸制だ。
水不足ということは、一律して農夫が納税できる軍糧は減るだろう。兵戸を希望する農夫が増えるのも分かる。
だが、兵が増えて軍糧が減っては本末転倒だ。
いざ戦となったときに、軍糧が足りなくて出陣できない。そんな事態になることも有り得る。
どうしたものか、と煌威が顎に手を添えたときだ。
「新皇帝即位からあらゆる事態を想定し、軍事力を補強しようという案が出ております」
沈黙を破ってさらりと発言した紅焔に、煌威と嗣尤、抄昊、三者の視線が集まる。
「今回、兵戸に変更希望者には、軍事施設を増築する為の労力を提供することを、今年の納税にしては?」
「そうですね! さすが紅焔殿!」
嗣尤が両目を憧憬に輝かせて紅焔を見る。
確かにその提案はうまい。
しかし、一切こちらを見ない紅焔に、煌威は違和感を覚える。
今まで、こんなことは一度もなかった。
――気になる。
だからと言って、煌威の立場上じっと紅焔の顔を見るわけにもいかず、紅焔の案を採用として署名すると、次の上書に眼を移した。
上書は嗣尤からで、諸外国との謁見についてだ。
「北戎棟梁の李冰様から直接、謁見の書状が届いております」
「っそう、か……」
本来なら謁見や外交は、文官である抄昊の分野だが、北戎とは敵対していた過去もあり、未だ担当は武官である嗣尤だった。
何でもないことのように報告する嗣尤だが――、いや、実際に嗣尤にとっては普通の外交業務と同じであり、何でもないことなのだろう。
けれど、皇帝に即位してから何の接触もなかった李冰からの書状に、煌威はつい眉を寄せてしまう。
煌威だけが知る、皇帝は李冰の子供だという真実が、尾を引いているのかもしれなかった。
そもそも北戎は文字を持たない民族だ。それが書状を寄越したということは、帝国の言語をわざわざ習得したことを示している。
何かあるのではないか、と勘繰ってしまうのは仕方のないことだった。
「日にちは一ヶ月後と、こちらの都合も配慮されたもので、姉上も李冰殿と共にいらっしゃるそうです」
里帰りですね、と抄昊が嗣尤の言葉に続ける。
「そうか……、煌凛が……」
煌威の瞼の裏に浮かぶのは、いつも自信ありげに微笑む妹の姿だ。懐かしくなる。
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