彼岸の傾城傾国

高嗣水清太

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第二章 悪意を呑んだ天命

第二十七話

 少々、あからさま過ぎたかもしれないと、煌威こういは後になって思う。
 しかし、自分を保てるか自信がなかったのだから仕方ない。皇帝が臣下の前で取り乱すなど、あってはならないことだ。

 返事を待つこともせず謁見を終了させた対応に、李冰りひょうがどんな顔をしていたか。そう今になって気にしているのは、やはり李冰りひょうを特別な存在として見ているということなのだろうと煌威こういはあたりをつける。

 実際に、父親だと信じていた先帝に対しては思ったことも、感じたこともなかった情が、李冰りひょうに対しては働くのを何とも不思議な感覚で捉えている。

 ――失望されたくない。
 李冰りひょうに対して、そんな感情が自分に芽生えたという事実が煌威こういを驚かせていた。

 随分と、現金な話だとは思う。
 李冰りひょうが実父だと知ったのは、つい最近の話だというのに、既に先帝よりも好ましいと思っている。できれば敵対したくないとも思っている。
 今や李冰りひょう煌凛こうりんの夫だ。それだけでも敵対したくないと思う理由としては十分だが、心中だけとはいえ国を護る義務がある皇帝が、そんなことを思ってはいけないことも真実だった。

 余計な感情は邪魔になるだけだというのに、李冰りひょうの存在は酷く煌威こういの心を乱す。
 紅焔こうえんとはまた違う情が、明らかに煌威をむしばんでいた。

 煌威こういが苦い思いに顔をしかめたときだ。 

「陛下」

 扉の向こうから聞こえてきたのは、たった今連想していた紅焔こうえんの低い声音で、一瞬煌威こういの対応が遅れる。

 窓から差し込む夕日の色が視界の端に映り、煌威こういは謁見終了からだいぶ時間が経っていたことを知覚した。
 これでは謁見から直ぐ様、自分の寝殿に引きこもっていたのと変わらない。
 自分勝手な己の暗君ぶりに、やはり皇帝という立場は自分には荷が重いのかと、煌威こういは自嘲的思考に陥りながらも、紅焔こうえんが傍に居る気配を叱咤しった代わりに気を引き締める。

「……なんだ?」
煌凛こうりん様が面会をご希望ですが、いかがなさいますか?」

 紅焔こうえんから返ってきたのは、予想だにしない言葉で一瞬息を止めた。
 面会の希望ということは、既に扉の向こうに煌凛こうりんが居るのだろう。

 我儘わがままに近い形とはいえ、自分の護衛を紅焔こうえんにして置いてよかったと煌威こういは安堵する。
 悲観的かもしれないが、もし紅焔こうえん以外の衛士えじだったなら煌凛こうりんの希望を伝えるどころか追い返し、北戎ほくじゅに嫁いだのに、と煌凛こうりんを悪し様にののしった悪い噂さえ流したかもしれない。

「……わたしが出向こう」 

 暗に、煌凛こうりんへ部屋に戻るよう告げた。
 紅焔こうえんが「御意」と言って、何か密やかに煌凛こうりんへ告げている声が微かに届く。

 嫁ぐ前に煌凛こうりんが使っていた部屋は、王府おうふにある。
 今や賓客ひんかくとなった煌凛こうりんを王府に宿泊させるわけにもいかず、禁城の外城内にある賓客用の宿泊施設を案内したが、対して煌威こういの住処は今や後宮の寝殿だ。
 妹とはいえ他に嫁いだ女を、後宮に招待するにはいかなかった。

 耳を澄まし、煌凛こうりんと思わしき足音が遠ざかってから、煌威こういは扉をゆっくりと開ける。
 すぐ目の前に紅焔こうえんのみ姿を見つけ咄嗟とっさに微笑めば、ぎこちない笑みだったのだろう。
 紅焔こうえんが苦笑気味に笑った。

「お供します。陛下」



 賓客用の宿泊施設は、賓客用と言うだけあって禁城の豪奢ごうしゃな内装とは違い簡素なものだ。
 だが、そのぶん快適に過ごせるよう、他国の習慣や仕来りにも合わせることができる給仕を揃え、内装も臨機応変に対応できるようあつらえられた、簡素と見せかけた機能的で華美なものになっている。
 禁城が全てにおいて贅沢を極めたものなら、賓客用の宿泊施設は華やかな美しさの中に実用性を込めた内装をしていると言えた。

 しかし今回の賓客は、李冰りひょうと帝国の皇女だった煌凛こうりんだ。
 煌凛こうりんの為に用意した部屋は、彼女が使用していた部屋と似た内装のものを用意していた。
 

「兄上……いえ、すみません陛下」

 部屋に入って直ぐ、煌凛こうりんに頭を下げられ煌威こういは目を丸くしてしまう。
 皇帝に足を運ばせた、そういう意味合いであるなら不要だと笑い、兄上と呼んだことに対する謝罪なら尚のこと不要だと、昔のようにその頭を撫ぜた。

「別に兄上でいいぞ?」

 己が皇帝になろうと、煌凛こうりんが他家へ嫁ごうと、自分達が兄妹であることに変わりはない。
 そう煌威こういが言えば、煌凛こうりんはその双眸そうぼうを潤ませた。
 涙を堪えるかのような仕草で、何度か瞬きを繰り返す。

「あの……」
「……煌凛こうりん?」

 珍しい、と。煌威こういはただそう思った。
 煌凛こうりんの性格を一言で表すなら、明朗快活だ。それが、こんな風に言い惑うことなど、帝国に居た頃は無かったのに、と。

「…………」

 煌凛こうりんは無言で、板張りの床を見ている。
 心做しか、その両手は震えているようだった。

「……煌凛こうりん?」

 まさか、何かあったのかと不安になる。
 あの、武将として名高かった煌凛こうりんを、これほど悩ませるなど、余程のことが無ければ有り得ないと煌威こういは思っていた。

 李冰りひょうに何かされたのか、と。
 つい、それが口をついて出る。

「……まさか、李冰りひょう殿が何か?」
「ッ! 違います!!」

 煌凛こうりんの反応は早かった。
 弾かれたように顔を上げて、しかし口を開いたはいいものの、音に乗せることが出来ぬ、といった風情で口ごもる。
 しばらく、無言の沈黙が続いた。

「…………違い、ます……。李冰りひょう殿は……李冰りひょう殿は優しいです。その、優しくして……下さいます……」
「…………」

 やっと言葉を音に乗せたかと思えば、ぽつり、ぽつりと語り始めた煌凛こうりんはやはりどこかおかしい。

 夫となる男が母親の夫だった。
 それは、確かに驚くどころか微妙な感情を抱いたことだろう。
 しかし煌凛こうりんは、それを割り切って嫁いだものと煌威こういは思っていた。
 実際、そうだった筈だ。北戎ほくじゅを国にすると言ったときの、決意と覚悟に溢れた煌凛こうりんの眼は、李冰りひょうと母親である玉環ぎょくかんのことを知っても変わらなかった。
 ならば、煌凛こうりんのこの異変は何が原因だろうと思考を巡らせて、

李冰りひょう殿が、離縁りえんしたのです」

 続いた煌凛こうりんの言葉に煌威こういは目を見開く。

李冰りひょう殿が、正室や側室の方をご実家に返したのです」
「そっ、れは……!」

 それは、一夫多妻が常識で普通の習慣である北戎ほくじゅでは、珍しいどころか有り得ないと言ってもいいことだった。

 棟梁とうりょうは、その血を後世に残す義務がある。
 これは、北戎ほくじゅだけの話ではない。帝国の皇帝も同じだ。血筋を残す為に、妻は多いほうがいいとされている。
 それが、煌凛こうりん一人を残して、李冰りひょうは他の妻達を全員離縁した、と。

 煌凛こうりんが言い惑う理由が分かった気がした。

「……何か、企みがあるのではないかと」

 やはり、兄妹だなと煌威こういは密かに思う。自分でもそう考える。

 しかし、煌凛こうりんの様子から、煌威こういが考える状況とはまた少し違うのだということがうかがえた。
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