太陽の世界

シュレディンガー

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僕の世界

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僕が主役の世界は存在しなかった。
僕は太陽と常に比べられ、一生勝てない劣等感と
それでも太陽に憧れてしまう気持ちとの葛藤を抱きながら
このまま生きていくしかないのだろう。

僕はいつ太陽の呪縛から解放されるのだろう




「おはよう」

行き交う高校生たちが、挨拶をしている。ここは県内有数の進学校である、桔梗学園だ。進学校であると同時に、部活でも優秀な成績を残しており活動は活発的である。今日も朝からさまざまな部活が練習をしているが、グラウンドで黄色い歓声を浴びている男がいる。彼の名は東海寺界である。この学園では東海寺家はもはや有名人であり、いつも注目の的となる。その理由は東海寺家の長男である東海寺陽の存在である。彼は成績は学年トップを死守しながら絵画コンクールで優勝するなどさまざまな才能を発揮していた。そんな彼は突然表舞台から姿を消したのだ。その理由を知るものはいない。そんなこともあり注目の的となっているのだがそれ以外にも理由はある。それは彼ら、彼女らの顔立ちだ。全員が芸能人かと目を疑うほどの美貌を兼ね備えているため、ファンクラブも存在しているという。東海寺界はそんな一家の次男で、高校3年生である。

朝からうるさいくらいの視線を浴びている界はサッカーの練習中で、彼がシュートをするたびに黄色い歓声が上がる。他の部員たちはこの状況に少しくらい憤りを感じそうなものだが、そんなそぶりは一切なく黙々と練習に励んでいる。さすが全国大会に出場するだけの実力を持つチームだ。

そんな光景をつまらなそうに見ながら歩いている人間が2人、東海寺蓮と凛である。末っ子で双子の彼らは常にニコイチで一緒にいる。

「あんなに見せびらかして何がしたいんだが」
「どうせ恥晒しなんだから何にもしないでほしいわ」

そう言いながら横目で界を睨み付ける。界はその状況に気づいておらず黙々と練習をしている。
そんな2人に近づく影が一つ。

「よぉ!」

「あぁ、おはようございます。吉田さん」

彼は吉田歩。界と幼馴染で小さい頃から東海寺家と関わりのある1人だ。蓮と凛はこの吉田という男が苦手である。なんせあの界と仲良くしているのだからきっとロクな人間ではないと考えているからだ。露骨に嫌な顔をする2人をよそに歩は界に向かって手を振る。すると歩に気付いた界は大きく手を振りかえす。勘違いした女子たちが一斉に黄色い歓声を上げ、蓮と凛はさらに機嫌が悪くなる。

「あんなに愛想振りまいてなにがしたいんだか」
「あんなのただのチャラ男じゃん」

いやいや、今のはどう考えても俺に向かって降ったんだから愛想なんて振り撒いてなくね?と思った歩だったが、彼らとの付き合いで何を言っても無駄なことはわかっていたため何も言わずにスルーした。そのままスタスタと校舎に入っていく2人を見つめながらこの家族はめんどくさいなと心底思う歩であった。界の朝練が終わるまでぼーっとグラウンドを眺め、気づいたら目の前に界がいた。

「歩!早く教室行こう!」

そう言って歩の手を引っ張る界。いつの間にと思ったが引っ張る界の力を利用して飛び起き即座に走り出す。

「競争な!!」
「あ!ずるい!」

そう言い合いしながら今日も教室に入る。これはいつもの彼らの恒例行事である。クラスのみんなも騒がしく教室に入ってくる2人を温かく見守っている。1人、教師を除いてであるが…。


放課後、界はいつも生徒会室へと向かう。界はこの学園の生徒会長である。そのため歩はいつも1人で帰るのだが、廊下で東海寺家の長女である春と出会った。

「おぉ、春。元気か?」

「元気ですよー!
 そういえば、界にぃが最近帰り遅いみたいなんですけど何しているか知りませんか?」

「いや知らんな」

「そうですか…。やっぱり女遊びでもしてんのかな…。」

本当は全て知っていたが兄弟達には知られたくないと本人が言っていたし、黙っていることにしたが、その後の爆弾発言に危うく口が出そうになったがグッと堪えた。どうしたらそんな解釈ができるのか不思議でしかないが。

「ま、部活がんばれ!」

「はーい!」

ここも拗らせてんのかよと、不安に思う歩であったが完全に部外者であるため、簡単に口出しできない状況にヤキモキしていた。どうか界がこれ以上傷付かないようにと望むが、この願いは届くことはなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


春が部活を終え、帰宅するとリビングで口論中の兄と双子の声が聞こえた。春は中に入るのを躊躇い扉の前に立ち止まる。

「毎日何してんだよ」
「どうせ女と遊んでんだろ」
「陽にぃは一歩も外出れないのにいいご身分だな」
「なんでお前が生きてんだよ」

否、口論ではなかった。これは一方的に双子に界が詰め寄られている所だった。界はこれから出かけるのか、私服にリュックを背負っている。最近いつもこの時間に家を出ていくが、行き先を誰も知らないため双子はこのように疑っている。

「別に何しててもいいじゃん、出来損ないなんだし」

一言も発さない界に言い放つ凛。それに対しても一切反論しようとしない。流石にそれは言い過ぎだと思い、注意しようと扉を開けようとすると、先に界が開けており春と目が合う。なんの感情もないその顔に春は何もいえなくなった。

「いってきます」

ぼそっと呟いた界の声に応答するものは誰もいない。界は足速に家を出ていった。いつからだろう、こんな環境になってしまったのは…。両親が亡くなった時?いや違う、陽にぃが病気になった時か。そう考えながら、居心地の悪いリビングへと足を踏み入れた。

「蓮見た?さっきのあいつの顔。マジ傑作」
「見た。あいつのことなんて出来損ない以外思ってないわ」

そう言いながら界を貶め続ける双子たち。そしてそれについて何も言い返すことのできない春。春は兄弟の中では一番頭が弱く、すぐに双子にバカにされるためあまり口出しをできないのだ。すぐに自分の部屋に帰ろうとすると、ふと目に入った飾ってある小学生の頃の写真。陽にぃが中学生になったばかりで制服姿で家の前で写真を撮っていた。まだ病気だとわかる前の幸せな時の写真だったが、ここに界はいなかった。風邪でも引いていたのか、と考えたが違う、この頃から界は家族から孤立させられていたんだと気づいた。そして部屋に戻る春。
部屋に戻ると春の机の上にはまだ幼稚園児の頃の春の写真が。誕生日の時の写真でこの頃は界も写真に写っていてとても幸せそうな笑顔を見せている。誰にも聞こえない声で呟く

「…戻りたい」


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「いらっしゃーい」

女性?の猫撫で声の聞こえるこのお店。ここはニューハーフバーである。そこのキッチンで界は働いていた。界は女遊びなどしていたわけではなかった。自宅を出た後すぐにこのお店に向かい夜遅くまで働いていたのだ。桔梗学園はバイト禁止であるが特別に許可を貰いバイトをしている。このお店を紹介してくれたのは陽の主治医の松岡先生である。界にとっては唯一の相談相手であり、良くしてもらっている恩人の1人である。

「フルーツの盛り合わせできました!」

そう言ってテキパキ仕事をこなす界。この仕事を始めて3ヶ月は経過していた。彼らの両親が亡くなったのは1年前。事故だった。双子はまだ中学生だったためしばらくは塞ぎ込んでいたが、界は両親にそこまで良い思い出がなかった。だからか、すぐに現実を見始めた。長男である陽は難病を患っていてベット生活を抜け出すことはできない。実質全ての事務的仕事をこなさなければならないのは界である。遺産の管理からなにから、親族の手助けを借りながらなんとかしていた。そして3ヶ月前気づいてしまったのだ。お金が足りないと。
全員が大学を卒業するためにお金は十分にあった。だが、それは陽の医療費のことを考えない場合だ。医療器具の維持費だけでも相当な金額になる。これに家に維持費や生活費を工面するとなると、どう考えても足りないのだ。そこで生活費だけはなんとかしようと、界は働くことを決めたのだ。そうして働き始めて3ヶ月。平日は毎日24時まで働いている。違法ではあるが松岡先生の知り合いのお店ということで融通を効かせてもらっている。
今日も24時に仕事が終わり帰宅する。そこには夕食がラップして置いてあった。ちゃんと界の分まで作ってあるところを見て、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせる。これがいつか作られなくなった時、本当に終わりだろうと思いながら。無言でご飯を食べ部屋に戻り、勉強に始める。界は秀才と言われるが天才ではない。彼は努力による結果の成績なのだ。人の話を聞いただけで全てを理解できるような人間ではない。小さい頃からそのことを実感させられてきたからこそ、彼は努力を辞めなかった。努力したところで認めて欲しい人はもうこの世にはいないというのに。
そして、就寝する。
起きるのはその3時間後。
次はサッカー部の朝練である。放課後は生徒会の業務が忙しいため、部員の誰よりも早く行き毎朝練習しているのだ。その姿を部員たちは必ず見ているため、界に対する不満なんて出るわけがないのだ。こうして界の1日が始まる。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「ただいま」

界は帰宅した。今は全員自室にいるのか誰の声もしない。自分の部屋に荷物を置いて私服に着替えた後すぐに、陽の部屋へと向かった。

コンコン
「入るね」

扉を開けると陽が本を読んでいた。病院にあるベットと同じ仕様で陽の体からは何本もの管が繋がっている。

「体調はどう?」

「最近はいつも良いよ」

ならよかったと安心する界。陽はこういう時には嘘をつくことは滅多にないので素直に安心する。陽は完治不可能の難病を患っている。発症したのは高校2年生の頃。家族で食事をしている最中になんの前兆もなく吐血したのだ。そして検査をしてあれよとあれよとこの状態だ。このままでは学校に通うこともできないため、卒業することを諦め退学したのだ。それまで陽は、頭で勝てる人間は誰もいないと言わしめるくらいの天才ぶりを発揮し、常にトップであった。さらに運動神経も抜群で出場した大会は軒並み金メダルを奪ってきた。本人は運動より芸術に興味があったようで、絵画を始めたら初作品でコンクール優秀賞と、全ての分野で遺憾無くその才能を発揮した。そんな彼が急に表舞台から消えたのだ。病気のことは家族以外には秘密であったため、聞かれても何も答えられず、未だにこの件は騒がれている。

「陽にぃにプレゼント!」

そう言って界は絵の具を陽に渡した。未だに絵を描くことはやめておらず、時間があるときは絵に没頭している。そんな陽を思ってのプレゼントだろう。陽はとても喜んだ。

「ありがとう!またたくさん絵が描けるなぁ」

そう言ってどんな絵を描こうかなぁなどと遠くを見つめながら考えている。こんな人なのだ。陽という人間は。周りが褒め称えても自分はマイペースにしたいことをするだけ。陽の才能に嫉妬した時期もあった界だったが、陽のこんな性格に触れていたらそんな気持ちも馬鹿馬鹿しくなり、いまでは憧れという念のほうが大きい。

「あ、これ界にあげる!」

そう言って差し出してきたのは大きな一枚の絵。海の絵だ。さすがコンクールに入賞するだけあってとても素敵な絵だ。

「ありがとう」

そう言って界はとても喜び、もらった絵を見つめる。ふと顔を上げて陽を見ると、少し悲しそうな顔をしながら呟いた。

「本物を見たことないから、想像なんだけどね」

この言葉を聞いた界は何とも言えない申し訳ない気持ちとともに、きっと海への憧れがある陽にどうしても元気になって欲しくて、つい口走っていた。

「今度松岡先生にお願いしておくね」

界はわかっていた。陽が外に出ることは、ましてや海に行くことがどれほど難しいかを。でも陽の寂しそうな顔を見てしまったらそう言わずにはいられなかった。無駄な希望を与えてしまったかもと、少し焦った界だったが、陽が嬉しそうに笑うので、無理でもいいから一度聞いてみようと決めたのであった。
そしてそろそろ時間だと自分の部屋に戻ると、部屋の壁の空いている隙間にもらった絵を飾る。そして準備をして部屋を出ていった。界の部屋にはさっきもらった絵だけでなく十数の絵が飾ってあり、ほとんどの壁が絵で埋め尽くされている。界が本当に陽のことを慕っている証拠だろうと同時に、この気持ちが仇となることをこの時の界はまだ知らない。


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「おかあ…」

「陽スゴイじゃない!!また100点とったの!?」

自分の言葉を遮られて告げられた言葉は、次の言葉を紡ぐ気力を奪っていった。なぜなら僕は98点のテストを見せて褒められたいと思っていたから。陽にぃの周りには父母そして僕を除いた兄弟が和気藹々と楽しそうに話していた。あたかも僕に居場所はないと言いたいかのように。そして誰か僕の存在に気づいた。

「界にぃ、何持ってんの?」

そう言いながら、意地悪そうな笑顔を浮かべ近寄ってくる凛。きっと馬鹿にされると思って逃げようとしたら、いつの間にか背後に回っていた蓮に押さえられ簡単にテストを取られてしまった。

「何?98点取ったから褒めてもらおうと思ってきたの?」
「陽にぃは100点取ってるのに、本当出来損ないだよね」

僕は涙を出さないように堪えるのに必死で下を向いて俯いている。この状況に一言も言葉を発さない父と母。双子を溺愛しているため、怒るということをしない。双子はさらに暴走し、テストをビリビリに破り捨て、俯いていた僕の頭の上から紙切れを落としながらケラケラと笑っていた。

「ちゃんと片付けて置いてね、“おにいちゃん”」

そう言って家族全員はリビングから出ていく。春と陽にぃは心配そうにこちらを見るが一言も発さずに結局ついていく。父と母は僕が見えていないかのように無視して行ってしまった。

「さて、お祝いに家族みんなでご飯食べにいこうかしらね」

そう言って和気あいあいと話しながら、玄関の扉が閉まる音が聞こえた。その瞬間、先程まで騒がしかった世界が静まり返った。この世界には僕しかいないのではないかと、そう思うくらいの静寂だった。

「僕は家族じゃないのか…」

自嘲気味に呟いた言葉、発した自分に驚いて乾いた笑いが漏れる。何を期待していたんだろう、家族と思われていないことなんて随分前からわかっていたじゃないか。陽にぃが天才だと持て囃され出した瞬間から、劣等生の弟と烙印を押され、どんなに努力しても報われない日々。陽にぃよりも上手くできたことでも、軽々と僕の遥か上を超えていく。きっと僕のことが気に入らなかったんだろう。凡人が努力したところで一生天才に勝つことはできないんだと、結果で僕に伝えようとしていたんだ。何が気に入らなかったんだろう。僕には陽にぃが持っている全てのものを持ち合わせていないというのに。才能も家族すらも。

「僕は界の味方だからね」

気づいたら目の前に陽にぃがいた。そして僕の手を握って、そう囁いてくる。

いやだ
怖い
やめて

手を振り解こうとしても、力が強すぎて振り解くことができない。必死に振り解こうとしていると視界が真っ暗になった。

「っはぁ!!」

目を開けたら、僕はベットの上にいた。朝日が登る前、まだ暗い外の景色。汗ビッチョリの体。また夢を見ていたのか。まだ小学生の頃の夢、両親に愛されたいと願っていた純粋な自分。あんなのは悪夢でしかない。昔の陽にぃは僕に敵対心でもあったのか、僕が上手くできるようになったことは簡単に追い越して、僕を惨めにさせてきた。そう思えるのは今だからこそで,当時は素直に憧れの目線を送っていた。いつからか、僕は陽にぃに勝てないことを悟り、両親に愛を求めなくなった。そしたら急に手のひらを返したように僕の味方だよと言い出して僕の手を握った。当時の僕は憧れしかなくて、素直に嬉しかったが、今考えると怖い。深い意味はないと考えたいが、それでも怖くなる。でも陽にぃを尊敬している気持ちは変えられないため、今の関係性を壊すようなことはしたくない。結局僕は弱虫だから、逃げることも挑むこともできず彷徨い続けることしかできなのだ。


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「それでさー、結局海行けることになったんだよね」

そう言いながらニコニコ無駄にキラースマイルを振り撒いている界。周りの女子たちは黄色い歓声をあげていることに気づいていない。そんな幼馴染をまじまじと見つめながら歩は告げる。

「海行くのはいいんだけどさ、体調は大丈夫なのかよ」

「松岡先生には伝えてあるし、近くに病院のある海岸に行くことにしたから、何かあっても大丈夫!」

界は自信満々に話すが歩が気になっていることはそういうことではない。

「界のことだよ」

そう歩が言うと、界はキョトンとした顔をする。意味がわからないのだろう。こいつは重症だと思いながら歩はさらに言葉を続ける。

「毎日毎日バイトに部活に生徒会。休みなしで働いてそろそろ体力の限界だろ?自分の体も労ってやれよ。」

「歩、僕は体だけは丈夫なんだよ。それこそ陽にぃよりもね。」

あ、俺が言いたいこと伝わってねぇ、と歩は思ったのか大きな溜息を吐きながら話そうとしたが、話せなかった。界が遠くを見つめながら

「僕が病気になればよかったのに」

そう、呟いた。歩にはギリギリ聞こえるくらいの声量で。界の声が聞こえた瞬間固まった歩だったが、すぐに気を取り直して界に向かってさっきまでの授業で使用していたノートを投げた。

「うわっ、何するんだよ」

遠くを見つめていた界に避けられる訳もなく、顔面にノートがぶつかる界。痛そうに顔をさすりながら歩に悪態をつくが、歩は既にその場にはいなかった。教室を出て廊下に向かおうとしていた歩の跡を界も追う。界が歩に追いつき、2人が横並びで廊下を歩く。すると歩が界にしか聞こえない音量で

「俺はお前が病気なんて死んでもやだ」

そう言った。界は軽く笑って

「お前を残しては死ねないよ」

その言葉に驚いた歩はパッと横を向き、界と目が合う。数秒の間があった後、2人は急に笑い出しなんだよそれ、俺の旦那かなどと軽口を叩きながら爆笑していた。そんな2人を微笑ましい目で見つめる他の生徒たち。界の周りにはあの東海寺家の人間以外にも、こんなにもたくさんの人が居るんだよと伝えたくなる歩だったが、いつか界自身が気付くまで気長に待とうと思い、何も言わず笑うだけだった。


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東海寺蓮と凛は一年生の教室で2人で話していた。彼らは生まれた時からずっと一緒で、お互いが長く離れると言うことはない。男女の双子では珍しいパターンだろう。だが、周りの人間は目の保養と言わんばかりに双子を見つめていた。そんな双子のもっぱらの話題と言えば、東海寺家の次男である界のことである。双子にとって界は陽に何も勝てない出来損ないとしか思っていない。そんな界が毎日夜遅くに帰ってくることに嫌気が差していた。

「毎日女漁りとかよくできるよね」
「界についていく女も女だけどな」

いつものように界の悪口を言う双子。正直、他のクラスメイトはこの話には疑問しかない。なぜなら界と言えば学内で一番の成績を誇りながら生徒会長も務める。さらに一度界と接したものは必ず好意を抱いてしまうほどの人柄の持ち主であることを知っているためである。界への悪口に同調を求めようとしたところ、誰も頷かなかったため、それ以降はこの話題は2人だけでするのだ。そんな双子が話している最中、クラス内で大きな声で話しているグループがあった。

「それでさ!界先輩が…」

界のことについて熱く語っているようだが、いかんせん熱くなりすぎて声が大きくなっている。そのため双子たちにも聞こえてしまったのだ。

「ねぇ」
「何の話ししてるの?」

後ろから声をかけられたクラスメイトは、声の主を確認する前に

「界先輩だよ!」

と大声で告げてしまい、振り向いた時に凍りついたような双子の視線を浴びることとなった。どんどんと顔が青ざめていくクラスメイトに詰め寄っていく双子。

「界にぃがどうしたの?」

凛が可愛らしい声で聞いた。ただ顔は笑っていないが。

「界先輩が偉大だなって話」

怖くて端的にしか話せないクラスメイト。それに対して蓮が畳み掛けるように言う。

「あれのどこが偉大なの?勉強もできない、運動もできない。女子にキャーキャー言われたいだけの人間なのに」

嘲笑いながら言う蓮に、クラスメイトは怖さよりも尊敬する先輩を馬鹿にされた気持ちが勝り、言い返す。

「何言ってんの?成績は学内1位、全国大会に出場するサッカー部でレギュラーの打診までされているんだぞ?それに、界先輩が女子たちの歓声に興味ないのはサッカー部ならみんな知ってる」

界はサッカー部で実はレギュラーにと打診されていた。だが、バイトの関係もあり、上に行きたいという野心よりも、楽しくサッカーをしたいと言う気持ちが強かったため、断ったのだ。女子からの黄色い歓声に興味がないことは、側から見ている人間ですらわかることのようで、みんなが一斉に頷く。
それでお怖気付かない蓮はさらに続ける。

「でもお前らサッカー部的にはムカつくだろ、午後の練習にも一切参加しないくせにレギュラー打診なんて」

何を言っているのだろうか、午後の練習に参加しないのは生徒会の業務があるからだ。個人的な理由で練習をサボっているのだとしたら由々しき事態であるが、そうではないのだ。

「界先輩に生徒会の仕事があることくらいみんな理解している。それに界先輩は午後練出られない代わりに、誰よりも朝早くに来て自主練してるんだよ。甲斐先輩の実力は努力の結果だ、みんな納得している」

見事に論破された蓮は黙ることしかできなくなったが、すかさず凛が前に出てきて

「家族にしか知らない面があるのよ」

そう言って蓮を連れて教室から出て行ってしまった。残されたクラスメイトたちは安堵の息をついた後、沸々と双子に対する怒りが湧いていた。界について熱く語っていた彼は

「お前らの気持ちは醜い嫉妬心だろ」

と、誰もいない空間に言い放つ。その言葉を双子が実感するのに、そんなに時間は有さないだろう。双子を見つめるクラスメイトの眼差しが変わっているからである。そして、この出来事はたちまち上級生にも伝わり、学内全体から不審の目で見られるようになる双子だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「界!スゴイよ!全部青い!キラキラしてる!」

そう言いながら車椅子の上から海岸をキラキラした目で眺めている陽。そう、陽と界は、陽の要望どうり海に来ていた。松岡先生に無理を言い、近くに病院のある海岸に場所に行くことにした。病院には事前に連絡して松岡先生を配備している。万が一のことがあっても準備は万端である。流石に長時間に海風にさらされるのは、体調的に危ないので1時間の制限付きではあるが、陽が喜んでくれてよかったと界は心底ホッとした。界は陽の乗る車椅子を押しながら海岸沿いを歩く。

「こんなに綺麗だとは思ってなかったなぁ」

「そうだね、初めて見たけど綺麗だね」

「初めてなので!?」

界の初めてと言う言葉に反応した陽。陽は驚いて声を上げる。

「毎日女の子と遊んでるって聞いたからてっきり行ったことあるんだと思ってた」

そう、何事もなかったかのうように界の傷を抉る陽。きっと蓮と凛が悪意を持って伝えたのだろう。何を言っても界は悪者にされることは目に見えていると考え、その点には触れないことにした。

「初めてだよ、でも陽にぃの絵の方が綺麗だね」

上手く話題を変えるために陽にぃの絵の話に切り替えた。話を無理やり変えことに罪悪感を少し感じたが、さらに言葉を紡ぐ。

「色合いとかよくあんな色出せるよね、きっと何重にも色をかさ…」

界はその先の言葉を紡ぐことができなかった。目の前では陽が自分の手を口に当て、その手からは赤い色の液体が漏れているからである。吐血だ。

「陽にぃ!落ち着いて、すぐに病院に戻るからね」

そう言って陽にタオルを渡し、陽の体が揺れないように慎重に車椅子を押しながら病院へ急いだ。幸いにも病院に近い場所まで来ていたため、直ぐに到着し、松岡先生を呼ぶ。急いで走ってきた先生は陽をすぐに運ぶように看護師たちに要請する。

「陽が吐血したのか」

「はい、何の前触れもなく急に…」

界がそう言うと、松岡先生は界の肩に手をポンと置いて陽の元への走っていった。陽が吐血するのは、本当に久しぶりだった。もともといつ吐血するのかなんてわからないため、運が悪くそのタイミングと海に来るタイミングが重なってしまったのだ。どうしようもできないことだし、界を責めるものは1人もいないが、界の頭に中では、たくさんの人から罵声を浴びせられていた。

「お前が海に連れていくからだ」
「無理をさせたんだ」
「だから出来損ないなんだ」
「お前なんて産まなきゃよかった」

界はその場で立ち尽くし、動くことができなくなった。頭の中で聞こえる罵声が鳴り止まないからだ。次第に増えていくその罵声に頭が割れたように痛くなり、急に頭を抱えたと思ったら、ふっと糸が切れた操り人形のように足から崩れ落ち、その場に倒れた。最後に聞こえた界の声が届いたものは誰もいない。

「僕の世界はどこ…」


ーーーーーーーーーーーーーーーー


目が覚めたそこは、真っ白な病室だった。界は自分がナースステーション前でいきなり倒れたことを思い出し、陽の様子を見にいくためベットから出ようとした。だが界はそのままベットに押し戻された。松岡先生が目の前にいたのだ。不思議そうな顔をする界にこう告げる。

「界、お前はしばらく絶対安静だ」

「安静なのは俺じゃなくて陽で…」

「お前は過労でぶっ倒れたんだよ」

過労…?俺が?そう考えていたが、確かに最近バイトの時間も増やしてほとんど寝ずに毎日を過ごしていた。体が重く授業中に寝そうになる事もしばしばあった。あんなに歩に忠告されていたのに…。と自嘲気味に笑った界を見て松岡先生は言う。

「理由がわかったみたいだな、しばらくはゆっくり休め、
 あと、陽は無事だ、何事もなかったよ」

それを聞いた界はホッとしてまた眠りに落ちていた。自分の身体よりも陽の身体のことを気にしている様子の界を見て、なんとも不憫な子だと考える松岡先生であった。なぜなら界の体の状態は思った以上に深刻だった。毎日の激務の他にも、家族間で与えられ続けたストレス、これらは想像以上に界の体を蝕んでいた。

コンコン

松岡先生がどうしたものか、と考えていた時病室の扉がノックされた。家族が面会に来たか、と思ったがそれは裏切られた。来たのは歩だった。

「界のお見舞いに来たんですけど」

「失礼だけど、界とのご関係は?」

「幼馴染です」

そうか…と呟いて歩を見る。家族が先に来ないことに心配になったのだろう。

「界は過労だ、命に別状はないが心身ともにボロボロの状態だ」

松岡先生の言葉を聞いた歩は驚いた顔を見せてすぐに界に駆け寄る。すやすやと眠る界に、一旦は安堵した様子だが、すぐに松岡先生に向き直す。

「心身共にと言うことは、あの家族も原因なんですね」

「君は…」

歩の真剣な眼差しに押され、松岡先生は仕方がなと言ったような雰囲気で話しはじめた。

「そうだな、無理に働いていたところ、さらに罵声などの言葉の暴力で気力も体力も奪われた
 そんなところだな」

やっぱりと言うような顔をした歩。そんな歩を見て松岡先生は少し考える。松岡先生は東海寺家とは長い付き合いになる。所謂兄弟たちの主治医と言うものだ。そのため、東海寺家の抱える家族間の問題もよく知っている。実は何度が両親に対応について苦言をしたことがある。界が9歳の頃に熱を出して寝込んだことがあった。その日は陽のピアノコンクールがある日で、大した看病もせず、準備もせず、熱で寝込んでいる界を1人置いて家族総出で出掛けたのだ。その間に界は脱水症状を起こしていた。松岡先生が次の検診のことで電話をした時、界が必死に電話に出ようとして受話器を取ったら、力尽きて気絶してしまった。電話越しのおかしな呼吸音を聞いて、何かあったに違いないと救急車を呼んだため助かった。家族が仲良く帰宅する頃には救急車で運ばれているところだった。本当に偶然、松岡先生が家に電話をしていなければそのまま界は死んでいただろう。その時は盛大に怒鳴り散らかした。医者として、そして2人の子供がいる親として。不服そうな顔をしていた両親だったが、その血はこうして受け継がれているのかと思った。
この兄弟の中にいる限り、絶対に界は幸せにはなれない、一生奴隷のように蔑まれて生きていく他ないのではないか。そう考えた松岡は歩に提案をした。

「え、そんなこと…」

「界を助けたくはないか」

しばらく動揺を隠しきれない歩だったが、松岡の真剣な目に圧倒され、次第に決心を固めた。2人は大きく頷き界を救うために動き出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


陽は真っ白なベットの上に寝ていた。そして周りには春、蓮、凛がいた。陽と界が倒れたことはすぐに連絡をしたため、見舞いに来てくれたはずなのに、誰一人界について尋ねるものはいなかった。陽が心配で心配で仕方がないと言った感じだ。あまりにも界に対して無関心であるため、念のためなんと言って連絡したのかと聞いたところ“2人とも倒れた”と言う内容だった。界が倒れたことを知っていてこの無関心さである。さらには

「体調の悪い陽にぃを海に連れていくとか最低」
「信じられない、殺す気だったんじゃね」

など好き勝手に話している。ちなみにこの病院の関係者は事前に松岡先生が海に来る経緯を話しているため、兄弟の会話に眉を潜めている。次男の悪口に花が咲いた頃、陽が目を覚ました。

「あれ…ここは…」

各々が陽にぃと言いながら駆け寄り、口々に大丈夫かと聞いている。

「大丈夫だよ、全然元気」

陽は体力は奪われたものの、命に別状があるわけではなかった。そして一番最初に界の存在に気づいたのは陽だった。

「界はどこにいるの?」

そう聞く陽に対して、界の居場所を全く知らない兄弟たちはしどろもどろで答えられない。むしろ、そんなことはどうでもいいとでも言わんばかりに蓮が言う。

「あんな奴はほっといて良いんだよ、陽にぃは殺されかけたんだから」

全くもって事実と異なることを堂々と言い張る蓮に、流石にそろそろ止めないとと思った看護師が前に出たが、それを遮って松岡先生がやってきた。

「目覚めたのか」

「松岡先生、俺吐血したような気がする」

「そうだ、正直これに関しては予知できないからな、タイミングが悪かったとしか言えない」

そっか…となったくした様子の陽。だが凛が突っかかる。

「それ本当?あの出来損ないと仕組んだんじゃないの?」

この言葉にはさすがに手が出そうになったが、感情を抑えて淡々と話す。

「そんなわけないだろ、何度か家でも吐血していたはずだが、予知できたことなんてあったか?とにかく今回は陽の海に行きたいと言う要望を界が事前準備をしっかりした状態で行ったことで、大事にはならずに済んだんだ」

「なにそれ、意味わかんない」

頭の弱い春には難しいのだろう、1人置いてきぼり状態になっている。どうにかして全てを界のせい、ないしは病院側と界が結託して行ったことにしたい蓮と凛。そのため話が進まない。

「ねぇ、界はどこ?」

陽がもう一度聞いた。松岡先生の目をじーっと見つめる。

「過労で倒れたんだよ、陽が吐血して気を失った後な」

過労??と言う感情が一同に浮かぶ。そんなに体を酷使するようなことをしていたのか?誰も思いつくことがない。そして、一つの結論として兄弟に中にできた認識は女遊びであった。夜にコソコソ出掛けて女遊びをしてたせいで過労で倒れたのか、と考えると怒りと同時に嘲るような笑い声が出ていた。

「馬鹿にも程があるだろ」
「さすが出来損ないね」
「流石にそれはないね、界」

コンコン

そんな最悪な勘違いをした状態の病室へ訪問者が1人。入ってきたのは歩だった。歩の姿を見てうわっというような顔をした双子。春は遠慮気味に会釈をし、陽は懐かしそうに手を振っていた。歩はゆっくり陽の元に歩いていくと、急に話し出した。

「あなたたちにとって、界はどんな存在ですか」

そう静かに聞いた。

「出来損ない」
「クズ」

そう言い放つ双子。何の迷いもなくいう2人に本当に救いようがないと思ってしまう。

「お兄ちゃん?」

そう疑問系で返す春。春にはこの話の流れがよくわからないのだろう。答えられただけでも良しとしよう。

「可愛い弟」

ニッコニコの笑顔でそういう陽。歩はこの顔が最も嫌いだ。平気で嘘をつくこの顔が。

「そうですか、陽さんは知ってましたか?界には家に居場所がなかったこと。」

歩の言葉に一瞬、陽の顔が歪んだ。

「界はそこの双子に会うたびに馬鹿にされ蔑まれ、さっきのような言葉を浴びせられて生きてきた。出来損ない?そこの天才に勝てないだけでお前ら下の兄弟より全てにおいて勝ってる奴に何言ってんの?ただの嫉妬心の塊だろ、まぁ言い返さなかった界も悪いとは思う」

何黙りこく双子。春も陽も声を出さない。

「俺知ってんだぜ、界が惨めになるように当てつけて界が努力した結果を簡単に超えていったんだろ?本当、サイテーだよな」

「違うよ、そんなことするわけな…」

「俺は別に誰のこととは言ってないけどな」

否定しようとした陽の言葉を遮る歩

「違うっていうなら、あんたは界のために何をした?双子から罵声を浴びせられている界を庇ったことが一度でもあったか?自分がチヤホヤされている間、家族から虐げられてきた界を見てただ、黙っていただけだろ?それとも優越感に浸って、もっと罵倒しろとでも思っていたのか?どちらにしても大罪であることは変わらないがな」

「でも、あの出来損ないは…」

「だから出来損ないじゃないって言ってんだろ!」

それでも歩の言葉に食ってかかろうとする蓮、そんな蓮の言葉に歩が大きな声で反論する。一瞬ビクッとなったが、それでも怯まず話を続ける蓮。

「でもあいつは女遊びしてたんだろ、別にそのことについてこっちが文句を言っても別に良いじゃん」

「どんだけ嫉妬を認めたくないんだよ。潔く自分は界への嫉妬心で罵倒してしまいましたって言えば良いのに」

「あんな奴に嫉妬なんてしていないし」

そう言って視線を歩むから逸らす蓮。

「じゃあ言わせてもらうが、本当に界が女遊びをしていたと思うか?あの真面目で女子たちからの歓声にも全くもって興味のない界が?」

自信を持って頷く双子、春と陽は少し首を傾げていた。

「んなわけねぇだろ!あいつはな、お前らの生活費を稼ぐために毎日夜遅くまでバイトしてたんだよ。うちの高校はバイト禁止だが、特例で認められている。すなわち、バイトをしていたという証人はたくさんいるんだよ」

そんなバカな…という気持ちが抑えられない顔をした兄弟たち。誰もが唖然としていて女遊びだと信じて疑っていなかった証拠だろう。

「あいつがそんなことする奴じゃねぇことは、界の周りにいる人間ならよく知ってるよ。お前ら兄弟を除いてな。界はお前らと家族になりたかった、家族だと思っていた。だから身を粉にして働いて、馬鹿だから加減がわからずに体壊して…。お前らはそんな界に何をした?」

双子を見つめる歩
「出来損ないと罵倒し、」

春を見つめる歩
「何も知ろうとせず苦しむ界を傍観し、」

陽を見つめる歩
「自分の優越感を得るために都合の良いように扱った」

そして全員を見ながら
「そして家族として界の存在を認めなかった」

歩が言葉を言い切ると、しばらく沈黙が起こる。歩が顔を見る限り納得していない双子。春は未だに自分の何が悪かったのかすら理解していない。陽は無表情で黙っている。

「ここで、改心して界への謝罪とか、心配の言葉とかが聞けたらまだ考え直す余地があったんだが、もう無理そうですね」

そう言って松岡先生を見る歩。それに応えるように松岡先生は静かに頷く。

「お前らみたいなクソな兄弟に界は勿体ない。お前らと界の縁は切らせてもらう」

そう言い放つ歩に最初に反応したのは陽だった。

「なんで、界は俺たちの家族だ、それに界だって…」

「僕は良いよ」

陽の言葉を遮って出てきたのは界だった。いきなり現れた界に驚く兄弟。そして先ほどの言葉に信じられないという顔をしている陽。陽は界が自分のそばを離れたいと思うはずないと思っていたからだ。実は先程までの音声は全て、歩のスマホと界のスマホを電話で繋げていたため筒抜けだった。界はずっと病室の外で兄弟たちと歩の会話を聞いていた。

「君たちと必死に家族になりたいと頑張っていた自分が馬鹿に思えてくる。もう僕に君たちは必要ないよ。そう気づかせてくれてありがとう、さようなら」

「ちょっとまっ…」

引き止める陽を背にして、病室を後にする界。そして後を追う歩。

「これで二度と顔を合わせなくても済むんだよ、良かったな、元兄弟…いやずっと赤の他人だったか」

そう言って歩は病室に扉を閉めて出ていった。残った病室内は誰も口を開かず沈黙だった。そんな沈黙を破ったのは松岡先生だった。

「陽はもう退院しても、問題ない。だから帰る支度をしておいてくれ、俺ももうすぐ帰るから送って行こう」

「ちょっと待って」

そう淡々と告げて部屋を出て行こうとする松岡先生。それを呼び止めたのは陽だった。

「本当に界はもう帰ってこないの?」

「当たり前だろ、全てお前達の責任だ」

そう冷たく言い放つ松岡先生。やっと気づいた周りの反応のおかしさに震え出す双子と春。周りの視線は全て冷たいものだった。当たり前だ、界は人当たりが良く自分を顧みない性格で、病院の人間からもたった数時間で信頼を得ていた。そんな界を罵倒し、本人を前にして謝罪もしない。そんな奴らに愛想を振りまく人間なんていないだろう。松岡先生はいつのまにか病室から出ていた。残ったのは血のつながった兄弟を自分の意思で縁を切らせてしまった、最低最悪な一つの家族だけだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「界!!早く行こう!」

「おう!」

界は現在、歩の家で暮らしている。養子縁組を行い、界は両親が亡くなった際にお世話になった親戚の子供となった。親戚夫婦には子供はいなかったため喜ばれたが3人で住むには手狭な家だったため、引っ越すまでと期限付きで歩の家に居候しているのだ。
高校は転校することにして、完全に縁を断ち切った。バイトは続けているが小遣い稼ぎ程度で、今までよりも短時間しか働いていないため、体調もかなり良くなった。もともと受験をする気がなかった界だが、お金に縛られる必要は無くなったことから進学を決意したようだ。界の学力であればどこの大学でも問題ないだろう。なにより、陽と離れたことで自分にも自信が持てたようで、毎日の生活を楽しく過ごしている。

東海寺家はというと、界が行っていた家計の管理を別の親戚が行うことになったようで、毎日揉め事が絶えないそうだ。陽に回す金額や自分達の学費など、全てのことを界に任せたことを実感して双子たちは何とか界を連れ戻そうと画策しているらしい。陽は自分のおもちゃのような存在を失ったことで、気力もなくなり、一日中ベットの上で何も考えずにぼーっとしている。春はたまに界の部屋に入り、陽が書いた絵を眺めては深くため息をついて戻りたいと呟いている。自分の部屋に戻ると飾ってある子供の頃の写真を見えないように倒す。見ていると後悔しか募らないから。もうこの頃の“家族”には一生戻ることができない。なぜなら、自分達家族によって壊してしまったのだから。



めでたし、めでたし。
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