200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち

半道海豚

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第4章

第100話 内憂

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 俺たちが西ユーラシアから西アフリカまでやって来た理由は、単純だ。

 食料と資源……。

 それしかない。西アフリカの人々を助けたい、とか、セロの侵攻からヒトを守る、といった大義があるわけじゃない。
 単純に、食料が欲しい、資源の入手先を失いたくない、物資を確保したい、という権益確保による動機からだ。

 では、食料・資源・物資とは何か?
 金属や天然ゴムなどの製造原料、石油やガスなどのエネルギー、穀物などの食料、か?

 だけど、それだけじゃない。

 バンジェル島の司令部のテントに入ると、テーブルの上に籠に盛られたオレンジが……。
 切り分けられたスイカとメロン。
 やたらとでかいパイナップルもある。
 だが、俺は視覚よりも、臭覚が刺激されていた。
 城島由加が微笑みながらカップを渡す。
 俺は野暮なことを聞いた。
「本物か?」
「正真正銘、本物よ」
 一口飲む。脳は味を覚えていた。
 コーヒーだ。
 本物のコーヒーだ。
 重ねてくだらないことを尋ねる。
「たくさんあるのか?」
 ただの欲深なおっさんだ。
 城島由加の表情が曇る。
「金沢さんが、あらかた持って帰ってしまったの!
 西アフリカ土産だって!」
 俺の精神は崩壊寸前になった。
「豆……。コーヒー豆は捨てずに乾燥させて、もう一度使おう」
 城島由加が微笑んだ。
 いいや、笑われた!

 資源とは……。
 生存に不可欠な物資だけではない。
 キリストいわく「人はパンのみにて生くるにあらず。神の口から出る一つ一つの言葉による」
 キリスト教徒には悪いが、ヒトには、暖かい食事、雨露をしのげる家、清潔な衣服と寝具が必要。神の言葉は不用。

 城島由加が陶器のカップを口に持っていく。
 一口飲み、いった。
「グスタフのマルクスが、クマンのヒトたちを守ってくれたお礼だって、送ってくれたの。
 贈り物ね」
「クマンと俺たちじゃ、この状況でもクマンのほうがいいものを食べている」
「そうなの。
 私たちは、戦いの道具があるだけ。
 ほかは何もない……」
「そうは思いたくないが、事実ではあるね」
「それでノイリン王としての次の一手は?」
「ベルデ岬以南、バンジェル島までの海岸線500キロを守る」
 俺は、テーブル上の地図を鉛筆でなぞった。
 気付くと、城島由加の幕僚数人が、その地図を覗き込んでいる。
「できれば、セネガル川以南を確保したいが、戦力的に無理だろう。
 バンジェル島を撤収して、カザマンス川河口付近への移動も考えたほうがいい。西アフリカとの付き合いは長くなりそうだ。
 それと、バンジェル島は大潮と低気圧がぶつかると、水没することがあるらしい。
 橋頭堡としての役割は、十分にしてくれたが、役割を終えるときが近付いている。
 それと、北には都市機能を残している街があるからね。何もかも破壊されてしまった、この付近から南よりは条件がいい」
 城島由加が説明する。
「大きくはないけれど、少し北には何とか再建できそうな街がいくつかあるの。
 バンジェル島の対岸より北は川が多いので、防衛には適しているし、果樹園やゴム園も多いから、できれば戦場にはしたくない……。
 そう思っている?」
 俺は、城島由加が読んだ俺の内心を肯定する。
「その通り。
 果樹園、ゴム園、広大な麦畑。
 ここには、欲しいものがある。
 だが、俺たちのものじゃない。
 クマンのものだ。
 それを忘れてはいけない」
「で、どうするの?」
「これ以上、青服を北上させない」
 城島由加は、カップについた口紅を右手の親指でなぞる。
「そのためには、航空戦力が必要なんだけど……」
 俺は戦女神のおねだりには慣れていた。
「プカラ8機では不足?」
「不足ね?」
 俺は見慣れた城島由加の顔を見詰める。
「ならば、少しの間、ノイリンに戻ってくるよ」
「……、荒療治?」
「敵は外ばかりじゃない。
 内にもいる」
「果物とか、たくさん持っていって。
 ノイリンの子供たちが喜ぶから……」
 この言葉の一瞬だけ、城島由加の顔はどこにでもいる母親の1人だった。

 俺は、不在の間についてのアドバイスを伝えようとした。
「なるべく早く戻るが、俺がいない間……」
「大丈夫。
 ノイリンの子供たちがいるから……。
 1カ月くらいなら、大丈夫」

 1カ月で戻ってこい、と。城島由加はのたまっている。
 ヒトの心にかかわるゴタゴタを、1カ月でどうにかできるとでも思っているのか?
 いや、できる。
 銃弾1発で。
 しかし、後始末が大事になる。銃弾1発で問題を排除しても、事後処理がかなり面倒になる。1カ月では戻れない。
 ではどうする。
 封印だ。
 霊力のある壷を見つけ、その中に吸い込ませお札を貼って封印する。
 壷とお札は見つけられないだろうが、相手は悪魔や妖怪じゃない。ただのヒトだ。ヒトを封じる最も効果的な手段は、相手の弱みを見つければいい。

 航空班には、4つの部がある。設計部、運用部、整備部、飛行場部。この上部に航空班本部がある。班長がアイロス・オドランだ。
 ブロウス・コーネインは、ヒトを引き付ける魅力的な話術を持っているらしい。1対1でも、数百の聴衆の前でも。
 200万年後の世界において、農業や漁業を除けば、200万年前の仕事はほとんど役立たない。
 農業や漁業にしても、農業機械はないし、魚群探知機や鳥レーダーはない。近代的な農業や漁業ではなく、中世に逆戻りしたような肉体を酷使する労働を強いられる。
 この中世的労働状況の打開に成功した街が、クフラック、カンガブル、シェプニノなどで、これにノイリンが続いた。
 西ユーラシアにおいて、この近代化の再現は止まらない。
 この世界には、200万年前のモノは何でもある。しかし、誰もが飛行機を飛ばせるわけではないし、誰もがコンピュータを修理できるわけじゃない。
 200万年前の道具を運用・維持・管理・再生産するシステムがなければ、短期間で潰えるてしまう。
 どれほど多くを持ち込もうとも……。

 だから、再生産のための技術者は、貴重だし、ノイリンでは重用される。
 だが、200万年前の“仕事”となると、自己申告を信じる以外ない。自動車の整備をしていた。旅客機のパイロットをしていた。遺伝子工学の研究者だった。
 そう申し出てきたら、信じてしまうものだ。俺のようにIT系の営業というありきたりの仕事でも、普通は経歴を偽ることはない。偽っても、すぐにばれる。

 ブロウス・コーネインが航空関係の仕事をしていたことは確かだろう。広い意味で、設計者であったかもしれない。
 しかし、だからといって飛行機の設計ができるとは限らない。経歴の申告は、大半が真実で、微妙な虚偽が混ざっている場合は露見しにくい。
 金沢壮一は、「彼は航空関係の何らかの設計をしていたのだろうが、もの作りの基礎的知識が欠けていていて、プロダクトを指揮できるとは到底思えない」と断じている。
 まぁ、彼を嫌っているから、話半分として聞いている。
 さらに、「航空機開発は、ノイリンでの立場を有利にするための最初の“つかみ”で、目的は別にある」とも。
 その目的とは、「単なる自己顕示欲」と。有利な立場にいたい、上位の地位に就きたい、尊敬されたい、といったところか。
 城島由加の見立ては少し違う。
「彼は、自分が本当に優秀な航空機設計者だと信じている、と思う。専門家ではないから判断できないけど、何らかの心の病かもしれない」
「自分の思い通りにならないと、陰謀や嫉妬と結びつけて、被害者になりたがっているだけなのかもしれない……」とも。

 航空班の現状だが、アイロス・オドランとフィー・ニュンが欠陥機とされる偽オルリクを使用させまいと、頑張っている。
 ブロウス・コーネインは、彼を評価できる人物をことごとく排除することに成功している。
 複葉の曲技機ピッツ・スペシャルを保有するサビーナのグループは輸送班警備部に、ジブラルタルの出身者とボックスカー4機は輸送班空輸部に、航空班設計部のベテランたちは車輌班航空機設計部に、航空班運用部の黎明を支えた搭乗員は車輌班航空機部や輸送班空輸部に異動した。
 航空班でブロウス・コーネインの支配下にないのは、飛行場部だけだ。
 実績でも航空班は抜け殻になってしまった。アイロス・オドランが設計主任を務めたボックスカーを原型とする双発双胴のフェニックス輸送機までが実用となり、以後の開発は状況が判然としない。
 車輌班は、スカイバンとアイランダーの両双発輸送機をリバースエンジニアリングで開発。複数機を製造し、ほかの街が数機を買ってくれた。
 回転翼機では、旧ソ連製のミルMi-8中型、ポーランド製のミルMi-2小型の両ヘリコプターをリバースエンジニアリングによって、再設計・再生産に漕ぎ着けている。
 また単発のボナンザをベースに水上偵察機も開発した。このとき、航空班が開発中だったノイリン製オルリクの胴体資材を利用した。
 実質的には異なる機体なのだが、ブロウス・コーネインは航空班の成果として、大々的に宣伝した。
 車輌班航空機部と製造部は、ともに航空班の主張を声高に否定するような大人げない行為はしなかったが、結果、水上偵察機は航空班の設計と誤解されることになる。
 また、航空班は車輌班が製造した2機のフェニックス輸送機についても、あたかも航空班が主体となったかのごとく装った。
 初号機の進空式では、車輌班全員がブロウス・コーネインの「我々が力をつくして開発した……」から始まる挨拶に唖然としたそうだ。“我々”とは航空班の設計者たちなのか、ノイリンの人々ということなのか、どうにでも受け取れるのだが、そこがブロウス・コーネインの狙いなのだ。
 彼は、嘘ではない、嘘をつく。
 嘘はどこにもない。だが、完成させたのは車輌班であって、航空班ではない。にもかかわらず、あたかも航空班が開発したか、開発に深く関与したように聞こえる。
 ブロウス・コーネイン独特の論を歪曲するいい回しだ。
 そのため、2号機の完成式は車輌班のハンガー内で“身内”だけで済ませたという。

 ブロウス・コーネインが設計主務者を務めたノイリン製オルリクは、主要部品のほとんどをボナンザと共有している。
 主翼、水平尾翼、操縦系統、降着装置など。異なるのは、胴体と垂直尾翼だが、胴体は尾部の強度が不足していて、垂直安定板の面積不足で方向安定性に問題がある。
 背面飛行をすると、不意自転に陥りやすい。また、急降下から急激な引き起こしを行うと、尾部がもぎ取れる可能性がある。
 加えて、一度失速すると回復しにくい。
 などの致命的な欠点が報告されているが、報告したパイロットや技術者たちは航空班から追い出された。
 ブロウス・コーネインは、ネガティブな報告や情報は自分に対する嫉妬である、と巧妙に置き換えた。

 彼は、ノイリン北地区の一部住民にも支持を広げている。地区内で発言力を伸ばしている若者のうち、新参者(移住第3世代以内)に人気があるらしい。

 ノイリンには仰々しい“理念”などないのだが、あえていうならば、ヒトが生き残る道を探すこと、だ。
 そのために、平等と博愛を根幹とする統治を考えた。
 平等を具現するために、原始共産制のような体制を採った。少ない食料を平等に分けるためだ。
 博愛は、人口が少なすぎてヒトだけでは経済が維持できないのだから、連携できる異種とは争わず、友好に、を基本とした。
 ヒトに対しては、保護を失った子供たちを積極的に受け入れていた。
 奴隷、強制労働、搾取を否定した。
 結果、ノイリンは住みやすい街になった。ある意味で、ヒトの根源的な業や欲望に向き合っていないので、移住者が集まらない時期が長かったけれど、ほかの街の人々にも理解されるようになった。
 なお、自由についてはどうだろうか。私有財産は否定していない。だが、各地区は、土地の完全な個人所有を認めない。
 富を独占しようとする人物の出現を嫌い、あれこれと制約を設けている。独善的、独裁的、独断的な指導者が現れることを避けるシステムもある。例えば、ノイリンを5つの地区に分けていることもその一つだ。
 だから、飛び抜けて有能なヒトには、つまらない街であることは事実だと思う。

 この世界には、大きく分けると4種類のヒトがいる。
 移住3世代以内の“新参者”、移住後数世代を経た“世代を重ねた人々”。
 ヒトのルーツを記憶または伝承している“異教徒”、完全に忘れてしまった“蛮族”。 移住3世代や4世代で何もかも忘れてしまった蛮族もいるし、10世代以上重ねながら200万年前の世界から200万年後の世界へと移住してきた経緯の記録や伝承がある異教徒もいる。
 さらに、ヒトのルーツを知っているが、蛮族の宗教である精霊信仰を受け入れた人々。ヒトのルーツを忘れてしまったが、知識としてそれを知り、真実と理解している蛮族もいる。

 つまり、多様なのだ。

 だが、ヒトは多様性を認めたがらない。特に根拠のない差別的思想に没入しやすい精神的傾向のある人々には……。
 そして、新参者は比較的均質で、特に移住第2と第3世代は年齢にかかわらず、被差別的信条に陥りやすい。
 つまり、自分たちは差別され、不当に虐げられていると……。
 ドラキュロという食物連鎖の頂点に君臨する非生物的生物が存在するこの世界では、移住第1世代は勝手がわからず苦労する。たいていは生き残れない。
 幸運にも生き残ったヒトは、飢餓の危険に直面する。
 移住第2と第3世代は、第1世代の苦労と辛酸を目のあたりにしている。
 まず、これを不平等だと感じる。先に移住していた人々は、あとから移住してくる人々の誘導を行う義務があるのではないか、と。
 我々が“鍋”と呼んだ特殊な地形を知っていれば、それが無理であることがわかる。しかし、体験していない第2と第3世代には理解しがたい。
 先に移住した人々は、あとから移住してくる人々を見捨てておきながら、彼らが持ち込む物資を回収して利用する。
 これは故意ではないかと。つまり、物資を確保するために、後発移住者を見殺しにしている、と。
 また、ノイリンでは、第1世代の知識を積極的に利用している。
 本来、第1世代の知識は、家族たる第2、第3世代が独占的に継承すべきものではないのか、と。
 知識の搾取を疑うのだ。

 総じて、移住第1、第2と第3世代の生活は厳しい。この世界での基盤が弱いのだから、当然なのだ。
 まず、移住第1世代には、言葉の問題がある。
 また、時折、宗教や環境に依拠する過激なカルト集団が移住して来る。伝承によれば、街がカルト集団の攻撃を受け全滅させられた例もある。
 だから、先行移住者は、まず後発移住者を発見すると警戒する。
 結果として、第1世代の困窮は長引く。その影響を、第2と第3世代は直接的に被る。

 こうして、移住第2と第3世代には、劣等感を根源とするある種の差別思想が生まれやすくなる。自分たちよりも、弱い誰かを探すのだ。
 優位に立てない理由を、実体のない“差別”が原因だとし、200万年前の知識を独占する“権利”を有しているのに、先住者によって“不当に搾取”され、苦境におかれているのだ、と。
 また自分たちは200万年前の世界を知る“血統正しいヒト種”である、と考えるようになっている。
 血統の正しいヒト種とは、200万年前に存在したアトランティス大陸に出自を持つ“アーリア人種”である。アーリア人種の特徴は、白い肌、金髪、碧眼、長身であり、誰にでも見分けられる、と。
 アーリア人種は、もっとも優等な人種であり、劣等な人種を支配すべきだ、と。

 現状の原因を被差別に求め、それを打破するために優越性を生み出す理由をこじつける。
 世代を重ねた人々や蛮族はもちろん、白い肌、金髪、碧眼、長身でない人々を見下すことで、自分たちが優越しているのだと、思い込むのだ。
 優越感は劣等感の裏返しだが、他者に対する差別意識は根拠のない被害者意識的な被差別感から生まれる。

 ブロウス・コーネインは、劣等感、優越感、貧困、不平等感、不満などが強い移住第2と第3世代の歪んだ心情を、巧みに操り、彼が君臨する小さな帝国を航空班内に作り上げていた。

 ことの起こりは、司令部テント内における城島由加の発言だった。
 彼女は純粋に軍事的な観点から、航空攻撃に関する案を提示しただけだった。
 司令部テントには、彼女の幕僚数人のほか、司令部付小隊長のイサイアス、ウルヴァリン戦闘爆撃機を運んできたアネリア、ウルヴァリンのパイロットであるララ、ノイリン西地区の連絡員でボナンザのパイロット、北地区航空班が派遣した戦闘機隊の隊員がいた。
 俺もいた。

 城島由加が問うた。
「オルリクが飛行機として失敗なことは知っているけど、ヒトが乗らなければ大丈夫?」
 戦闘機隊員のティーダーが気色ばむ。白い肌、金髪、碧眼、長身痩躯の18歳の男だ。
「オルリクはブロウス様が開発された優秀な戦闘機だ。
 不当な中傷はやめろ!」
 ボナンザのパイロットが一喝する。25歳ほどの小柄な男だ。黒髪、黒い瞳、癖毛、おそらく世代を重ねた人々だ。
「小僧、黙って聞け!」
 城島由加が続ける。
「オルリクが欠陥機だとしても、飛べるんでしょ。
 ならば、爆弾を詰め込んで、ミサイル代わりに使えないかな?」
 アネリアが問う。明るい赤毛、黒い瞳、やや彫りの深い端正な顔立ちの小柄な20代。
「どこに撃ち込むの?」
 ばっちりメイクの城島由加が答える。
「王都の飛行船駐機場」
 アネリアが微笑む。
「航空撃滅戦を仕掛けるつもり?」
「そのつもりだけど……」
「バトル・オブ・ブリテンみたいな?」
「ちょっと違うかな。
 金沢さんによれば、ニューギニア航空戦みたいになるって。
 距離があるから……」

 城島由加は俺が暴走することを嫌う。だが、彼女が暴走すれば、焼け野原が延々と続く。
 俺は、どうすればいいのかわからない。

 アネリアが答える。
「無理ね。
 あの偽物のオルリクは、真っ直ぐ飛べないの。直進安定性が悪すぎて……」
 ティーダーが大声を出す。
「そのようなことはない!
 中傷だ!」
 ララがアネリアの見解を肯定する。
「真っ直ぐ飛ぶことに苦労します。
 操縦桿から手を離すと、プロペラの回転方向にロールを始め、すぐに背面飛行状態になります。そのまま右に旋回しながら、垂直降下に入り、回復しません」
 城島由加がララに問う。
「でも、墜落していないし、殉職者はいない……」
 ララが答える。
「その通りですが、パイロットが用心しているからです。
 そもそも、時速450キロを超えると胴体が振動を始めるので、急降下なんてできません」
 ティーダーが食ってかかる。
「異形が何をいう!
 方向安定性が悪いのではない。
 機動性を高めるために、ロール率を高めているのだ。
 ブロウス様がそうおっしゃった。
 それに、急降下など必要ない。空中戦は水平面で行うものだ。旋回性能が優れていれば、それでいいのだ!
 そもそも、ヒトではない異形や白い肌、金髪、碧眼を持たない劣等人種が、我ら真のヒトたる優等人種によって生み出された科学技術の成果に対してあれこれ批評するなど、神を愚弄することと同じだ!」
 俺は、珍しく怒鳴った。
「このバカを白魔族に食わせろ!
 ここから叩き出せ!」
 俺は、ヒト以外の種族、精霊族、鬼神族、トーカ(半龍族)を貶めるような発言を容認しない。
 絶対に!
 イサイアスの形相が、かつての無頼に戻っていた。俺でさえゾッとするほどの迫力がある。ティーダーは、言葉通りイサイアスによって叩き出された。いいや、間違いだ。
 サッカーボールのように蹴り飛ばされた!

 城島由加が微笑む。
「イサイアスってかわいい表情するよね」
 俺の心が叫んだ。
 どういう感覚なんだ!

 城島由加を除いて、イサイアスの表情に寒気を感じたあと、一瞬、テント内に白けた空気が流れる。
 そんな空気をまったく読まず、彼女が続ける。
「方向安定性をよくする方法は?
 真っ直ぐ飛べばいいの」
 アネリアが答える。
「垂直安定板の面積増加、ドーサルフィンの追加。
 そのどちらか、そのどちらも……」
 城島由加がアネリアに問う。
「ここでその改造はできる?」
 アネリアが答える。
「ヒトが乗らない条件であっても。
 テストはヒトが乗らないと。
 あれは安全な飛行機じゃない。
 ダメ。
 絶対!」
 ボナンザのパイロットが提案する。
「もし、よければ何だが……。
 私たちに使わせてくれないか?
 部品が足りないんだ。
 共通部品が多いから、共食いさせてくれれば、ボナンザを維持し続けられるんだが……」
 城島由加が結論する。
「そうしましょう。
 必要なだけ、西地区へ」

 その日の昼食時、突然、滑走路脇のテントから西地区飛行場隊の隊員が飛び出し、サイレンを鳴らした。
 誰もがセロの飛行船による空襲だと思った。
 だが、違った。
 ノイリン北地区が派遣した戦闘機隊の隊員ティーダーが偽オルリクの繋止を解き、滑走路に自走させたのだ。
 この機種の飛行は、司令官城島由加によって禁止されている。アネリアやララの意見を取り入れた処置だ。
 それを破ってティーダー機は、滑走路に向かっている。彼の仲間全員が荷担しており、そのなかには一部の整備員も含まれていた。
 機体の整備・維持・管理は行われていたので、共食いに使っていない限り、状態はいい。エンジンは、定期的に始動している。

 回転するプロペラは凶器だ。自走を始めた航空機を止めるには、破壊しかない。
 だが、誰もそんなことはしたくないし、できやしない。
 ヒトの心の虚を突いて、アネリアたちが“偽”と呼ぶノイリン北地区製オルリクが離陸した。

 ティーダー機は高度1000メートルまで上昇し、ゆっくりと降下を始める。
 降下角30度から45度に至り、そこから反転上昇に入る。
 ポキリ、と割り箸を折るような音が聞こえたように感じた。
 胴体尾部が折れたのだ。
 尾部は、バンジェル島と大陸間の海峡にきりもみしながら落ち、胴体と主翼はバンジェル島南側の開墾中の畑に落ちた。
 機体は機首から垂直に落下するのではなく、上向きのまま激しく水平に回転しながら墜落した。

 ティーダーは即死。
 全身の骨が折れているが、顔は奇跡的にきれいなままだった。

 農業班派遣隊長クルガンが怒りをあらわにして、司令部に乗り込んできた。
 司令部前には、ティーダーの飛行に協力した航空隊員と整備員の全員が拘束されていた。
 俺は当初、クルガンの怒りは畑を台無しにされたことだと考えていた。
 だが、違った。
 農業班も航空機を運用している。エアトラクター2機のほか、新たな農業機導入を検討している。
 農業班では、ノイリン北地区製オルリクの練習機型が使えないか検討し、試乗もした。結果、とても使えるような代物ではないと結論していた。
 俺は、そのことを知らなかった。
 クルガンが大きな声を出す。
「なんで、あんなものを飛ばした!
 正気か!」
 ブロウス・コーネインの信奉者以外は、まったく評価しない機体だったのだ。

 城島由加がテントの脇で俺にささやく。
「隼人さん、ティーダーを連れてノイリンに帰って。
 親御さんに状況を説明してあげて。
 そして、こんな悲しい殉職者を決して出さないよう、隼人さんが“処置”して……」

 城島由加は俺に、ブロウス・コーネインを殺せといった。

 拘束された航空隊員と整備員は、「墜落は劣等人種による陰謀だ」と主張している。
 降下角30度からの引き起こしで、胴体が折れるなんて考えられない、との主張だ。
 だが、アネリアやララは、胴体尾部の強度は縦方向に特に弱く、低いGでも折れる可能性があると主張する。
 拘束された航空隊員と整備員は、「機体に細工がしてあった」といい始める。
 人種差別主義者が都合が悪くなると、持ち出してくる陰謀論だ。
 西地区飛行隊長が仲裁する。
「では、私が飛ばしてみよう」
 俺を含めて、ブロウス・コーネインの信奉者以外全員が反対する。
 だが、ジブラルタル出身の老練なパイロットは、「私が判断する。中立な立場で」といい切った。

 アネリアが主翼の上に立ち、キャノピーを開けて、コックピットを覗きながら、西地区飛行隊長にあれこれと指示をしている。

 ノイリン北地区製の戦闘機は、軽快に飛び立ち、30分以上、島の上空を飛行する。急降下や急上昇などは、一切行わない。
 そして無事に着陸。
 コックピットから降り、ヘルメットを右手に提げて、西地区のパイロットが俺たちに歩み寄ってくる。拘束された航空隊員と整備員もいる。
 一言。
「あれは飛行機じゃない。
 空飛ぶ棺桶だ」
 そして続ける。
「西地区は、あの機種の即時完全廃棄を要求する」

 ティーダーの殉職は、ノイリンに無線で知らされる。
 過去、ノイリンでは、航空機による事故はもちろん、黒魔族が操るドラゴンとの空戦、セロに対する対地攻撃と飛行船との空戦、そのどちらにおいても戦死者・殉職者を出していない。
 つまり、航空機関連の死者はいなかった。
 ティーダーは、不幸な1人目となってしまった。
 アイロス・オドランは用心深く、決して無理をしない。
 だが、ブロウス・コーネインは違う。自分の小さな帝国を築く道具として、航空機開発を利用しているに過ぎない。
 彼の小さな帝国は癌細胞と同じだ。放置すれば増殖し、身体を蝕み、やがて死に至る。早期の外科的処置が賢明な判断だ。

 俺は、拘束された航空隊員および整備員と話をした。場所は、廃墟となっていた石造り家屋の1軒。天井がない。清々しい青空が見える。拘束はしているが、手足を縛ってはいない。
 1カ所しかない出入口に、見張りを立てているだけだ。
 俺を含めて、全員が立っている。
「なぜ、命令に背いて戦闘機を飛行させたんだ?」
 主に18歳の男性パイロットが答える。金髪・碧眼・白い肌で、明らかに新参者。彼らがいうところの優等人種の特徴だ。
「私たちが不当な評価をされているからだ」
「なぜ、不当だと思う?」
「まず、我々は優等人種だ。なのに、おまえたち劣等人種は、我々の優越性を理解していない。
 劣等人種であるから、仕方ないのかもしれないが、本来ならば我々優等人種の支配を受け入れるべきだ。
 その上で……。
 ブロウス様が設計した戦闘機は、極めて優秀なのに、それを貶める評価をしている。
 明らかに我々優等人種に対する嫉妬だ」
「西地区のパイロットは、空飛ぶ棺桶だと評価したが……」
「あの男も優等人種ではない。
 あの機体の真価を理解できない、劣等人種のパイロットだからだ。
 そもそも西地区には優等人種はいない。優等人種と劣等人種は本質的に違うのだ」
「で、きみたちには真価がわかると……?」
「その通り。
 我々はブロウス様が設計した練習機で訓練を積み、ブロウス様が設計した戦闘機で実戦任務に就いたのだ。
 あの機体の真価をよく知っている。
 優等人種が作った飛行機の真価は、劣等人種には理解できないものなのだ」
「あの機体の系列しか操縦したことがないのか?」
「その通り」
「空中分解したが、それはどう思う」
「ブロウス様と我々を貶める陰謀だ」
「アネリアやララは、あの機体には致命的な欠陥があるといっているが……」
「アネリアは劣等人種の女だ。
 そもそも女は男に劣る。女は男に従っていればいい。
 劣等人種の女にできることは、我ら優等人種の慰みものくらいだ。
 ララは異形だ。
 汚らわしい異種だ。
 意見など求める必要はない」
「俺が誰か知っているか?」
「知っている。
 だが、おまえの仕事は終わった。
 もう、用済みだ。
 これからはブロウス様と我ら優等人種の時代だ」
「きみたち全員、同じ意見か?」
 全員が頷く。
「俺は、間違っていたようだ」
「そうだ、おまえは大きな間違いを犯し続けてきた」
「そうだな」
 俺はため息をつき、続ける。
「ブロウス・コーネインは、どうでもいい小物だと思っていた。
 だが、違うようだ。
 カルト的な扇動者だ。
 放置しておくと、ノイリンを蝕んでしまう。
 きみたちと話をして、よくわかった。
 ありがとう。
 正しい判断ができそうだ。
 それと、きみたちはノイリンの恥だ」

 俺は司令部テントに向かった。そして、城島由加に命じる。命令を発する権限なんて、欠片もないのだが……。
「拘束している連中は、決して解放するな。誰とも接触できないよう、近くの小島にでも移せ。
 そして、絶対にノイリンには返すな。
 西アフリカで、自然死してもらう」
 城島由加は、俺に見事な敬礼をしてくれた。

 ティーダーの遺体を引き取るために、輸送班空輸部は、北地区行政府の依頼を受け、長距離飛行用に機外燃料タンクを装備した双発軽輸送機アイランダーの派遣を決定する。
 ジブラルタル、カナリア諸島テネリフェ島、ベルデ岬諸島サンティアゴ島を経由する。
 別に、当初、サンティアゴ島への物資補給を任務としていた、西地区の小型輸送船がバンジェル島まで南下することになった。

 ノイリン北地区製アイランダーは、500軸馬力ターボプロップ2基を搭載し、燃料増載により、航続距離は2200キロに達した。
 乗員乗客合計10と小型だが、ノイリン→ジブラルタル→カナリア諸島テネリフェ島→ベルデ岬サンティアゴ島→バンジェル島のルートに4機が就航している。
 金沢壮一は、この経路で帰国した。非定期便だが、必要があれば、24時間以内にノイリンを離陸できる。
 同一の用途でより大型のスカイバンを用意しようとしているが、航続距離の延伸がうまくいっていない。航続距離を倍増させようとしているのだから、そう簡単ではない。

 ノイリンに限らず、西ユーラシアのヒトは、西アフリカへの進出という想定外の展開と、西アフリカならば西ユーラシアの苦境を救えるかもしれないという可能性の間で、対応策を模索している。
 そのために、西ユーラシアと西アフリカの時間距離を縮めようと努力している。
 ノイリン西地区は航海速力30ノットの高速輸送船を開発している。クフラックは、同街製ブロンコ双発双胴攻撃機をバンジェル島への航空路に投入しようとしている。
 ブロンコは2200キロの航続距離があり、中央胴体には窮屈だが6人が乗れる。全幅12メートル強の小型双発機だが、貨物なら1500キロも積める。
 ノイリン北地区にプカラ双発攻撃機を売却し、クフラックにブロンコを残した理由がよくわかる。
 ブロンコのほうが、汎用性が高いのだ。STOL(短距離離着陸)性能も優れている。
 なお、雑多ではあるがノイリンはクフラックよりも保有機数が多い。
 競争相手であるクフラックに対して航空優勢を維持するためにも、ブロウス・コーネインを早急に排除しなければならない。

 俺は、ブロウス・コーネインを殺す意思を固めている。追放や権利剥奪では、復活する可能性がある。
 彼が単に無能な航空機技術者ならば、殺す必要なんてない。本来の立ち位置に引き摺り下ろせばいいだけだ。現在は航空班設計部長という地位にあるが、ヒラの設計員にするか機械班で旋盤を操作させればいいだけだ。
 だが、ティーダーたちには明確な優生思想がある。優生学は疑似科学に過ぎない。そんなものに惑わされる愚か者がこれ以上増えないように、臭いものに蓋、ではなく、臭いの元を断つ、つまり殺してしまう解決策が最善だ。
 もちろん、拳銃でバンは愚作だ。彼を英雄、教祖、殉教者にしてしまう危険がある。自分の所業で、できるだけ無意味な死に方をしてもらわなければならない。

 アネリアからの情報。
「降下角45度、全力で加速しながら降下を始め、時速550キロに達したら、上昇角45度で全力上昇を始めるの。
 降下中、時速450キロに達すると機体が小刻みな振動を始め、時速550キロ付近ではスティック(操縦桿)を抑えられないほどの縦揺れになる……。
 その状態で機体を起こしながら、降下角と同じ上昇角で全力上昇を始めると、数秒後には後部胴体、垂直と水平尾翼がついたまま、もぎ取れると思う。
 実際、もぎ取れる直前までは、実験飛行しているから、空中分解はほぼ間違いない。
 ティーダーは、降下角30度強で降下と引き起こしをしたと思う。それでも空中分解しちゃうんだから、完全な欠陥機だね。
 ティーダーは、急降下でも、垂直降下でもなく、戦闘機や戦闘爆撃機にとっては緩降下ともいえる降下角30度前後での飛行をしたということは、やはり知っていたんだろうと思う。
 機体尾部の強度が低いことを……。
 ただ、降下角は浅くても、おそらく時速550キロを超えてしまった。
 そこで、激しい縦揺れに驚いて、急激な引き起こしをしてしまった。
 結果、尾翼が後部胴体ごともぎ取れた……」
 俺は根源的な疑問をアマリネに尋ねる。
「ブロウス・コーネインは、なぜ補強しないんだ?
 補強すればいいだろう」
 アネリアは一瞬黙ったが、はじけた性格の彼女からは想像できないほど、言葉を選んだ回答がある。
「ブロウスは、他者から問題点や改善点を指摘されることが嫌なんだ。
 プライドが傷つくんじゃないかな。
 想像だけど……。
 強度不足は設計段階でアイロスが指摘していて、機体完成後の試験飛行では、テストパイロットも詳細な報告書を提出しているの。
 後部胴体の補強を主張するアイロスに対して、ブロウスが若い航空班員を巧妙に煽って、孤立させたわけ。
 そんなことがあって、私たちは輸送班にさっさと移ったんだけど……」
 俺は今回のこととは直接関係ないことを問うた。
「アイロスをサポートしなかった?」
 アネリアが笑う。
「アイロスは当初、ブロウスが有用な人材だと考えたんだ。
 ところが、奇妙な考えに取り憑かれていた……。その奇妙な考えを、アイロスは嫌った。すごく嫌った。
 ブロウスの考えは、私には理解できないんだけど……。
 サビーナがいうには、ヒトには優位な民族と劣位な民族がいて、劣った民族を優れた民族が支配できる、と思い込んでいるんじゃないかって……。
 ただ、私もだけど、サビーナもよくわからないって……。
 セルゲイは、病気だっていってたけど……。
 セルゲイ、外科医なのに、ブロウスが病気だというときは完全に精神科医気取りなの。
 セルゲイがブロウスを嫌いだということは伝わるけどね。
 どちらにしても異常な考え方なんだと思う。だとしたら、一緒に仕事はできない。飛行機の開発は、死と隣り合わせなんだから……。
 アイロスは、人的損害を恐れて、班員をほかの班に積極的に移動させたわけ。
 現状は、アイロスの計画通りなの。
 で、ブロウスの考えって?」
 俺はしたくもない解説をした。
「う~ん。断定はできないけど……。
 優生思想、っていうんだ。
 19世紀後半に生まれて、20世紀後半まで世界に何らかの影響を与え続けた。
 チャールズ・ダーウィンは、アルフレッド・ウォレスとともに進化論を発表したイギリスの学者だけど、彼らが導き出した生物進化の原動力である突然変異は、適者生存と自然淘汰によって自然環境下において選択が働き、種の分岐に機能するんだ。
 だけど、それを個体レベルに落として考える輩〈やから〉が現れる。フランシス・ゴルトンというイギリスの学者で、チャールズ・ダーウィンの従兄弟だ。チャールズ・ダーウィンの著書『種の起源』に影響されたといわれている。
 優秀な親から優秀な子が生まれるって、考え方だね。これが、優生学という学問のジャンルになるんだ。
 優生学は、完全な疑似科学、あるいは似非科学なんだけど、政治家や軍人などの単細胞系は深く考えられないから、簡単に欺される。
 結果、残酷なことが世界中で行われた。
 最悪は、民族浄化だ。
 法律にも間違いがあった。俺の国では、優生保護法というとんでもない法律が、第二次世界大戦後にできたんだ。
 この法律には二つの目的があった。1つ目は優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する、2つ目は母性の生命健康を保護する、こと。
 後者は当然なことだけど、前者は完全に似非科学に欺されている。
 前者は、先天性疾患や障害を持った子が生まれてこないようにすること。優秀でないヒトとされたら、生殖能力を奪うなんてことまでやらかしていた。
 平たくいえば……。いわなくてもわかるか?」
「優生思想、って残酷ね」
「まぁ、似非科学だから……。目的があって、その目的に合わせるために、一見科学的と思える理由付けをしているだけだからね」
「だけど、優秀な科学者夫婦から、優秀な科学者は生まれるでしょ。
 天才アスリートの男女の子だって……」
「その実例知っている?」
「……」
「優秀な学者は、問題の提起とその解法の導き方を知っている。
 自分の子に、問題提起の仕方と、提起された問題の解法の導き方を、論理的に教えられれば、その子は一定の論理的思考を身に付けられる。
 親が優れたアスリートならば、効率的な練習の仕方や効果的な筋肉の鍛え方を知っている。
 それを自分の子供に実践させれば、一定の成功を収められるアスリートになれる。
 つまり、親が優れたアスリートであることよりも、優れたトレーナーであることのほうがより重要なんだ。
 そうであれば、優秀なトレーナーと生まれれながらに出会えた子は、一定の成果を出しやすい。
 親の訓練や勉強の成果が遺伝するのではなく、いいトレーナーにめぐり合えて、効果的な訓練を受けることができれば、後天的に才能を伸ばすことができる。
 子が示すものは、親からの遺伝ではなく、子の努力による後天的な成果だ。
 それと、平均回帰の法則がある。
 どうであれ、種は平均に戻ろうとするんだ。
 遺伝子は。
 遺伝子は“普通”が最も生存確率が高いと考えているみたいだね。
 ヒトの能力は、素質はあるけれど、基本は後天的な教育や訓練だ。
 誰もが普通で、素質を延ばせば優秀、素質を潰せば凡庸となる。
 優秀なアスリートの子でも、親が優秀なトレーナーでないならば、効率的で効果的なトレーニングが受けられないから、凡庸になる確率が高くなる。
 つまり、獲得形質が遺伝するのではなく、生まれながらに優秀なトレーナーがついていたから、後天的な訓練によって、才能を開花させたんだ。
 しかし、遺伝子は“普通”に戻ろうとするんだ」
「フツ~!
 でも、イヌとか、トイプーは大きなスタンダードプードルから品種改良されたんでしょ?」
「それは、ヒトが介在するから。
 小型個体が生まれたら、ほかの小型の個体と交配する。
 母イヌと子イヌもある。
 不自然な近親交配を続けて、ようやくヒトが望む品種ができる。
 だけど、それでも頻繁に先祖返りする。
 生命として進化しているわけではなく、単にヒトの都合に合わせて品種を作り出しているだけだ。
 メンデルの遺伝の法則を使ってね。
 だけど、種は存続のために普通に戻ろうとする。
 平均回帰の法則が働く。
 トイプーだって、ヒトが介在をやめれば、元のスタンダードプードルに戻ってしまう」
「優生思想のヒトたちって……」
「母親と男子の実子、女子の実子と父親。
 近親相姦でがんばれ、って感じかな」
 アネリアは嫌悪を顔に出す。
「気持ち悪い~。
 で、それをブロウスに説明する?」
 俺は言下に否定した。
「いや、無駄だ。
 優生学のような似非科学を信じるようなタイプは、何をいってもどうにもならない。
 科学と非科学の区別がつかないんだから……。
 ある種の宗教だと考えたほうがいい。
 決して、考えを改めないだろう」
 アネリアは俺を見た。
「じゃぁ?」
 俺は笑った。
「いわせるな」
 アネリアは、目を伏せた。

 俺とアネリアの会話は終わらなかった。飛行場に隣接する司令部のテントを出て、夕暮れ時の心地いい涼風を感じながら、背もたれのないベンチに座り、滑走路を見ている。
 傍から見ると若いお嬢さんを誘惑している、中年男に見えるだろう。
 アネリアが問う。
「どうやって……?」
 俺はその答えを持っていなかった。
「完膚なきまでに叩きのめさないと。
 その方法を考える……」
「あるよ」
 俺はアネリアの顔を見る。彼女にはホモ・ネアンデルタールレンシスの遺伝子が濃いという。
 だが、外見ではわからない。普通の女の子だ。
 原日本人は3万5000年前に日本列島にやってきた。その時代、ホモ・ネアンデルタールレンシスは繁栄していた。
 出アフリカを果たした時点での現生人類の肌は黒かったが、14万年前にコーカソイドが分岐し、7万年前にモンゴロイドが分岐したとされ推測されている。コーカソイドの一部とモンゴロイドの肌は白いが、この形質は別の遺伝子によるものだとされる。
 なお、ホモ・ネアンデルタールレンシスの肌は白かった。
 死ぬか生きるかの200万年後の世界では、人種は無意味だ。そもそも、見かけで区別する人種に意味はない。
 人口が少なく、遺伝的に均質になりやすいこの世界では、多様性こそが生存確率の向上に役立つ。
 俺は、撃ち殺す以外のブロウス・コーネインの“処理方法”を思い付けないでいた。
 アネリアが話を続ける。
「ハンダとブロウスが乗り込み、機体が空中分解した直後にハンダだけベイルアウトする……」
 俺は耳を疑い、アネリアを凝視してしまった。
「俺はパラシュート降下の訓練なんて、受けたことはないぞ」
「大丈夫。パラシュートは自動的に開くから。でも着地のときに両足骨折があるかも。
 運がよければ無傷で地上に戻れるし……」

 俺は、アネリアの指導の下、バンジェル島の南に残る高さ1.5メートルほどの石垣の上から飛び降りて、自ら転がる受身の練習を繰り返した。

 着地訓練の合間、アネリアが射出座席の構造を教えてくれた。
「初期のマーチンベーカー製射出座席と同じ程度の性能はあると思う。
 全体的にはピラタスPC21が装備していたゼロ/ゼロ、つまり高度ゼロ、速度ゼロでも安全に射出できる座席の改良型、ではなくて相当なモンキーモデルなんだけど、この世界の技術的現実に合わせて生み出したものなの。
 20ミリ機関砲の薬莢と雷管、発射薬は実験によって最適量に調整してあるけれど、基本的には機関砲弾の空砲と同じ。
 座席の左右に引き上げレバーがあり、両方を上げないと作動しない。
 右のレバーを上げると、座席下の薬莢につながる撃鉄が起きる。
 左のレバーを上げると、キャノピーを投棄するワイヤーにつながる。
 左右両方のレバーを持ち上げ、左右どちらかのボタン、ハンドブレーキの解除ボタンと同じ位置にあるんだけど……、を押すとキャノピー(風防)が機体から外れて、その2秒後に座席が射出される。
 射出後、座席が身体から離れ、パラシュートが自動的に開くようになっている。
 ゼロ/ゼロでは使えなくて、最低高度100メートルは必要……。
 降下を始めたら、左右のレバーを引く準備をすれば、脱出できるかもしれない……けど、どうする?」
 俺はうつむいてしまった。
 ヒトを殺す算段は平気でするのに、自分が死ぬことは真に怖かった。
 安全に他者を殺す方法なんて、存在しないのに……。

 アイランダーが飛んできた。巡航時速260キロの10人乗り双発機は、総飛行時間20時間をかけて飛来した。
 夜間飛行ができる環境ではないので、2日がかりの行程だ。
 明日は整備。明後日には、ノイリンに向けてティーダーの遺体とともに出発する。

 アイランダーでのノイリン帰還は、相当な酷旅だった。機内にトイレはなく、尾部にカーテンの仕切りがあり、そこで小用ならできる。女性には無理だ。
 それに巡航速度は時速260キロ。新幹線の最高速度よりも遅い。もっと大型で、高速の機体が必要だ。
 それを痛感させられる空の旅だった。

 アイランダーはカナリア諸島テネリフェ島で1泊。
 テネリフェ島は、たいへんなことになっていた。滑走路以外の建造物はないが、すでにテント村ができあがっている。
 テントは数日使う簡易なものではなく、鉄骨の骨組みや、空気で膨らませるかなり大がかりなものだ。
 ホテル、レストラン、カフェ、その他、日常生活に必要な施設は何でもある。
 バンジェル島よりもはるかに“発展”していた。
 青く澄んだ海、清々しい空気、青い空、快適な気候。
 驚いたことに観光客がいた。カラバッシュは、レシプロ4発双垂直尾翼の大型旅客機を運航していて、カラバッシュやクフラックから続々と要員を派遣しているだけでなく、観光客まで運んでいた。
 この4発輸送機だが、コンソリデーデットB-24リベレーター4発爆撃機によく似ている。前車輪式の降着装置、縦長四角断面の胴体、グライダーのように細長い主翼、1200馬力の9気筒ガソリンエンジン、小ぶりな双垂直尾翼、というスタイルだ。
 最大航続距離は4000キロに達し、カラバッシュを離陸すると、2トンの積荷があっても、どこも経由せずにテネリフェ島まで飛んでこれる。これの縮小版双発タイプもあるらしい。
 ブロウス・コーネインの問題で、ノイリンが寝床でグダグダとしている間も、クフラックやカラバッシュはしっかりと起きて仕事をしているということだ。

 ジブラルタルは、アシュカナンとクラシフォンの管理下にあった。フルギアには見えない男が指揮官で、アシュカナンがクフラックから引き抜いた人物らしい。
 フルギアは急速に変わりつつある。彼らの哲学者は“異教徒化”と呼ぶらしい。かつて日本が“欧米化”とした呼称と重なる。
 コーカレイとティッシュモックは、すでに撤収していた。

 アイランダーは飛行場ではなく、車輌班管理下の車輌のテスト用直線路に着陸した。
 直線路は、1500メートルと2500メートルの2本があり、ハンガーには多数の機体が駐機していた。
 実質的な管制塔もあり、ここがノイリン最大の航空施設であることは、誰の目にも明らかだ。
 金沢壮一とルサリィが出迎えてくれた。2人の子を抱っこして、待機室と名付けられた飛行場待合室に入る。
 俺が金沢壮一にいった。
「滑走路が2本になったんだな」
 彼が笑う。
「テスト用直線路が2本だ。
 詭弁だけど……。
 飛行場の使用を、輸送班空輸部や車輌班航空機部が嫌がるのでね」
「なぜ?」
「整備に不安がある……。
 航空班整備部の技量に疑問がある……。
 ということになっているが、感情的に嫌っている。
 航空班の連中は、ヒトを外見や身なりで差別的な言動をするだ」
「ブロウスは優生思想を植え付けているようだな」
「何とか思想なんて大仰なものじゃない。
 ただのバカ!」
「そうだな」
 俺はため息しか出なかった。
 俺は話題を変えた。
「カラバッシュの4発機を見たか?」
「リベレーターに似た双垂直尾翼機。
 早くフェニックスの3号機と4号機を就航させないと……。
 焦るよ。
 で、いつまでノイリンに?」
「由加が1カ月で戻ってこいと……。
 今回の仕事は……」
 金沢壮一が俺の言葉を遮る。
「知っている。
 相馬さんが、もうし訳ない、って」
「ブロウスも知っている?」
「どうかな。
 カンのいい男らしいが……」
「ややこしい画策はしない」
「支持者は、結構いるよ」
「どの辺に?」
「政治家系、武闘派いや軍人系、一部の役立たずな科学者系、商人のなかにも……」
「ノイリン街人の大半は?」
「傍観、かな」
「それがダメなんだ」
 金沢壮一がいう。
「ラマルク進化論は否定されている」
「その通り。
 用不用説は否定されている。
 親が獲得した形質は遺伝しない。
 親が優秀でも、親が優秀となるべく努力した結果は、子に遺伝しない。
 キリンの首は、長くなろうとして長くなったのではない。
 突然変異によって生まれた、首が長い個体が食物獲得に有利で、生存確率が高まり、その連続によって新たな種が生まれていく。
 獲得形質は遺伝しない。
 また、遺伝子は多様だ。一見、不利とも思える遺伝的特性であっても、別な環境では有利に働くことがある」
「それは、斉木先生もいっていた」
「斉木先生は?」
「撃ち殺したがっている……、が俺が止めた」
「斉木先生の仕事じゃない」
「その通り。
 半田さんの仕事だ」
 金沢壮一の言葉を聞き、ルサリィが笑った。

 俺は車輌班のクルマで、農業班の試験圃場に送ってもらった。
 そこに斉木五郎がいるからだ。
 夕暮れ間近の圃場は、美しい。圃場を歩きながら斉木五郎とこの風景には似つかわしくない会話をする。
 斉木五郎が問う。
「やるのか?」
「はい。先生」
「私は、支持する」
「ありがとうございます」
「健太と翔太には会ったか?」
「いえ、まだです」
「きみは父親だ。
 父親としての任務も果たさないと」
「承知はしているんですが……」
「西アフリカはどう?」
「拠点は安全ですが、セロの侵攻は止まっていません」
「由加さんは?」
「打てる手が少なくて……」
「そうだろうね。
 補給だってままならない。
 遠すぎて……」
 斉木五郎が空を見上げる。
 そして、問うた。
「西アフリカの空はどんな色?」
「青です。濃くて透き通った青……」
「西アフリカ如何で、西ユーラシアの運命が決まる……」
「承知しています」
「セロの侵攻を食い止め、農地を奪還し、新たな農地を開墾して、食糧を増産し、それを輸入する。
 遠大な計画だよ」
「はい……」
「大事の前の小事、といってしまったら半田さんにもうし訳ない。
 だけど、事実だ」
「十分に理解しているつもりです」
「彼の支持者は、意外に多いよ。
 嫌悪している人々も多いけど……」
「ですが、差別的思想は排除しないと……」
「その通りだ。
 こっちの状況だが、カンスクがカラバッシュの衛星街になりつつある」
「え!」
「どちらも、ヒトと精霊族の混血の街で、どちらも工業に重点を置いている。
 だけど、カラバッシュにわずかな長がある。
 それが原因なんだと思う。
 徐々に、いやぁ急速にかな、カンスクはカラバッシュに飲み込まれているんだ」
「先生は……?」
「ノイリンが停滞を始めたいま、このまま放置していくと、やがて自壊を始める。
 自壊しきる前に、ノイリンはクフラックに飲み込まれる。
 カンスクがカラバッシュに併呑されていくように……」
「先生は反対ですか?」
「統合は悪いことではないけれど、クフラックとノイリンは違うからね。
 違いも大事にしないと。
 多様性がなくなっちゃう」
 斉木五郎が話題を変える。
「今夜、きみの帰還祝いをやる。
 北方低層平原で越冬した仲間で、ノイリンにいる全員が参加する。
 真希さんが企画したんだ。
 半田さんが主役だから……」
 能美真希医師が俺のために北方低層平原時代のメンバーを集める……、といっても相変わらず同じ建屋に住んでいるのだが、それぞれに仕事があり、仕事場に寝泊まりすることも多いので、集まり具合は悪くなっていた。
 誰もが忙しいのに、集まってもらうことは本当にありがたい。

 俺は、居館に向かった。健太と翔太、須崎金吾と水口珠月、アンティとユリアナ、相馬悠人とウルリカ、その他、苦楽を共にしている家族に会うために。
 俺は、ホームエリアに戻り、完全に油断してしまっていた。 
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