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第4章

第118話 伯爵軍

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 半田千早とアクムスは、もし、並ばされている人たちに、武装勢力側が発砲するそぶりを見せたら、撃つつもりだった。
 アクムスが小声で伝える。
「撃つ構えを見せたら、チハヤは指揮官を撃て。私は機関銃手を撃つ。
 その混乱で、何人かは逃げられるだろう」
 半田千早が呟く。
「みんな助けたいよ」
 アクムスが諭す。
「無理だ」
 半田千早は泣き出しそうな顔をする。
「何人助かるかな?」
 迷彩ペイントをしたアクムスの表情はわからない。
「よくて、3分の1。悪ければ1人か2人」
 小声でも聞こえてしまいそうに感じる距離だ。

 指揮官は、10歳くらいの女の子を抱きしめる女性の前に立つ。
 女性の頭が少し動き、女の子の頭が大きく動く。女の子が何かをいったのだ。
 指揮官は激怒し、女の子を激しく鞭打とうとする。女性、間違いなく母親だ、が女の子を庇って、鞭打たれる。
 ただ暴力に耐えている。
 それにイラついたのか、ホルスターから拳銃を抜く。大型フレームのリボルバーだ。
 母親のこめかみに、銃口を突きつける。

 半田千早がAK-47を構える。ノイリン製AK-47はポーランド製のファブルィカ・ブローニ・ウーチュニク社製ベリルによく似ている。差異はバイポッド(2脚)がないこと。
 7.62×39ミリ弾と5.56×51ミリNATO弾仕様がある。
 半田千早がピカニティレールに取り付けたドットサイトを覗くと、アクムスも構える。
 ドットサイトから目を離すと、指揮官が銃口を下げた。
 震えていた母親がホッとしたように、頭を上げる。
 その瞬間、撃った。指揮官が女性を撃ったのだ。頭が不自然に揺れ、膝から崩れ落ちる。 半田千早は呆然としてしまった。
 だがすぐ隣で発した銃声で我に返る。
 アクムスが撃ったのだ。機関銃手が後方に吹き飛ぶ。
 半田千早も撃つ。指揮官の右側頭をかすめる。連射し、指揮官に4発を命中させる。
 小銃兵は、背後の建屋などに後退し身を隠す。
 並ばせられていた女性と老人は、パニックになる。しかし、誰かの指示で側溝に降り、半身を水につけて伏せる。
 アクムスが姿を現して丘を駆け下り、側溝まで進出。半田千早も続く。
 半田千早が叫ぶ。
「丘に登って!」
 子供は肩まで水に浸かっていた。子供を抱き上げて側溝から出す女性。老いた男が、老いた女を側溝から引っ張り上げる。
 若い女性が勢いよく、側溝から出る。
 半田千早が叫ぶ。
「コウカン!」
 弾倉を交換したのだ。
 弾幕で、制圧しながらずぶ濡れの人々が後背の丘に向かって走る。
 2人は街人に「丘を越えろ!」と叫ぶ。アクムスはフルギアの言葉で叫んでいる。半田千早は、ジブラルタルの言葉を使っている。
 小銃兵は当初、半田千早とアクムスに反撃したが、すぐに目標を街人に変えた。次々と街人が銃弾に倒れる。
 アクムスが命じる。
「チハヤ、下がるぞ。限界だ!」
 アクムスが発煙弾を投げる。半田千早は、発煙弾を持っておらず、手榴弾を使った。

 2人が殿〈しんがり〉で、丘を越えると髪から滴を垂らし、濡れた服が身体に貼り付いた街人が、バギーの乗員によって制止されていた。
 街人は全員怯えていたが、1人だけ怯えた目の中に挑戦的な光を発している少女がいた。指揮官に鞭打たれた女性だ。顔が裂けていて、これが鞭の痕だ。
 彼女以外は、ただ震えている。抱き合う老夫婦。赤ん坊を心配する母親。蹲って抱き合う姉妹。
 天災からかろうじて生き延びた、避難者のようだ。
 挑戦的な光を発する女性が問う。
「あなたたちは誰?」
 カトカは柔らかいが毅然とした声を発した。
「私はサマカタの村役人でカトカ。このヒトたちは、西のヒト……」
 女性がカトカに詰め寄る。
「バルカネルビの役人はみんな逃げた。私たちを残して!
 あなたも逃げたの!」
 カトカは動揺しなかった。
「えぇ、私も逃げた。女の子を連れて……。救世主が何をするか知っているでしょ?」
 女性が臆する。
「なぜ、戻ってきたの?」
 カトカは落ち着いている。
「私たちの希望で、西のヒトが連れてきてくれたの」

 アクムスは、危険な状況であることを理解していた。
 2人に割ってはいる。
「おしゃべりはここまでだ。
 追っ手が来る」
 半田千早が慌てて通訳する。そして、アクムスにいう。
「逃げられないよ。このヒトたちを残して……」
 銃塔のミエリキがいい放つ。
「ならば、攻めればいい!」
 アクムスが同意する。
「それしかない。
 状況はわからないが、街の一角だけでも奪い返せれば、いろいろと状況が動くだろう。
 動けば、全体像がわかってくる。
 パウラ、本隊に連絡だ。
 救世主と思われる武装勢力と交戦。
 現地住民に多数の死傷者あり。
 救援を乞う」

 アクムス隊には、医療班は帯同していない。医療班がいれば、マルユッカがいれば、と王女パウラは涙した。
 幼い女の子が撃たれ、ぐったりしている。止血剤とサルファ剤程度しか、治療できない。
 王女パウラはアクムスに意見をいう。
「医療班に、できるだけ早く、医療班に来てもらうことはできますか?」
 アクムスが頷く。
「そのように連絡してくれ」
 ミエリキは「攻めればいい」とはいったものの、多数の重傷者がいる状況では到底不可能と感じていた。
 ここは、街の外縁から1キロも離れていない。平坦な草原で、身を隠す場所もない。
 襲われたら、皆殺しにされる。
 その恐怖で、震えた。

 偶然だった。
 航路確認のため、マーニはストライク・カニアをマルカラ中継基地まで進出させていた。
 リアナは、ヒューイをマナンタリに戻していた。
 2機のミル中型ヘリコプターは、物資を積んで、バマコに降りる直前だった。
 王女パウラが発した、現地住民の死傷者多数、の一報はバンジェル島を含めて、ほぼすべての基地、中継基地が傍受した。
 マルユッカは、医療班の人員を総動員して、現地に向かう準備を始める。
 一瞬前まで誰も知らなかった街の名、バルカネルビはいまでは最も重要な地名となった。

 城島由加は、ガンシップの出撃を命じる。1400キロを超える距離があるが、ガンシップなら3時間強で到着する。

 マルユッカは、医療経験者を6人集める。そのなかには医療班給水部のミルシェもいた。
 医薬品をヒューイに積み、リアナはバマコに向かう。
 マナンタリからバマコ経由でマルカラ中継基地に向かっていた、燃料の輸送隊は速度を上げた。ヘリコプターの燃料20トンと軽油10トンを輸送している。

 ミル中型ヘリコプターがバマコに降りると、物資を機外に出し、完全武装の男と女が1機に20人も乗り込む。

 バマコとバルカネルビのほぼ中間にあるマルカラ中継基地では、東に150キロ進出して、臨時の航空基地を設営する施設隊が出発した。

 アクムスはどうすべきか迷っていた。
 負傷者がいるので、移動はできない。移動するには車輌が必要だが、バギー2輌ではどうにもできない。
 ジャケットに染み込んだ水を絞りながら、老人がアクムスに話しかけた。
「わしらにできることはないかね?」
 アクムスは半田千早を手招きで呼ぶ。
 老人は、半田千早に同じことをいった。
「できることはないかって?」
「荷馬車か何かないか聞いたくれ」
 老人が答える。
「荷馬車は街にはあるよ。
 でも、ここにはない……」
 赤ん坊を抱えた女性がいう。
「セラさんの馬車は?
 確か街の西に放置してあるって聞いたけど……」
 老人が思い出したようだ。
「あの、ウマが逃げてしまった馬車か。
 まだ、回収していないはずだ。
 その前に救世主が現れたから……。
 でも、ウマがいない」
 アクムスが尋ねる。
「その馬車は、走れるのか?
 どこにある?
 チハヤ聞いてくれ」
 半田千早と老人の長い会話が続く。
 半田千早がアクムスに答える。
「ここから真北に2キロ。
 泥にはまって動けなくなったんだけど、あれこれやっていたらウマが逃げちゃったんだって。
 2頭立ての大きな馬車らしい。
 車輪や車軸は壊れていないって」
 アクムスが即断する。
「その馬車を回収してくる。
 全員がそれに乗って、西に向かう。
 すぐに追いつかれるだろうが、時間稼ぎにはなる」

 だが、馬車を確保しに行く余裕はなかった。

 丘を回りこむように黒いダブルのジャケットに黒い弾帯を着け、ギャリソンキャップ型略帽を被った歩兵が1個分隊現れる。
 5ドアのバギー銃塔が機関銃を発射。各隊員もアサルトライフルを発射して、とりあえず撃退する。
 だが、場所を知られた。
 アクムスは周囲を見渡すが、後背の丘以外何もない。所々地面が見える丈の低い草原と空だけだ。丘は木の密度が多く、バギーは登れない。
 遠くにいくつか森があるが、距離がある。

 ここで戦わなくてはならない。

 ミエリキが銃塔から車外に出た。
 そして、地面にナイフを突き刺す。それは、ブルマンの“死んでもこの地を守り抜く”という意思表示だった。古い習慣だが、ブルマンなら誰でも知っている。
 その行為の意味をフルギアも知っていた。フルギアの天文学者アクムスも知っている。
 草原にあるものを探す。倒木が散見される。
 半田千早と王女パウラが倒木を調べ、持ち上げようとしている。幹の太さが30センチほどもある。2人では持ち上げられるはずはない。
 アクムスが2人に命じる。
「バギーで引っ張るんだ」
 他の隊員にも指示する。
「倒木を集めて陣地を作るんだ。
 救援は必ず来る!」
 隊員は、倒木に牽引ワイヤーを引っかけ、バギーで移動して遮蔽物にした。
 倒木は多く、数十年前までここが豊かな森だったことが察せられる。乾燥化が原因ではなく、開墾途中で放棄された。倒木は自然な枯れ木ではなく、開墾時に切り倒されたもの。建設資材には向かない雑木が、そのまま遺棄されている。

 2輌のバギーは全力で倒木を集める。それを積むのに、街人も協力する。
 陣地を作るのに30分かかった。救世主の分隊を追い返してから、1時間近くが経過している。救援を求める無線を発しいてから、1時間30分。
 アクムスは、救援隊の到着がどんなに早くても、あと8時間はかかると考えている。

 絶望的に長い。

 半田千早は、ミエリキからM60機関銃を受け取った。負傷して後退したウーゴが同じブルマンであるミエリキに託していた。
 5ドアのバギーには、ブレン軽機関銃が積まれていた。これを陣地に配置する。
 王女パウラは、RPK軽機関銃に75発ドラム弾倉を取り付けている。
 ミエリキはミニガンを調整し、MG3と同等の1分間に1000発の発射速度に抑える。あまり速いと、すぐに弾切れしてしまうからだ。
 陣地はあまり広くない。倒木を適当に配置したら5角形になった。各車の銃塔に各1。各辺に1人が陣取る。

 カトカが救世主の分隊が現れた方向で、何かを調べている。
 小銃2挺と拳銃1挺を回収してくる。
 小銃には、3発と4発が残っており、銃は故障していなかった。
 拳銃はトップブレイク式リボルバーの6連発で、3発が未発射だ。半田千早がナンブM60から38口径スペシャル弾を抜き出し、装填されていた弾と比較する。38口径スペシャル弾のほうが薬莢長が1ミリほど長く、弾丸も1ミリ長い。
 その銃のシリンダーに38口径スペシャル弾を入れると、すんなり収まる。
 半田千早が叫ぶ。
「誰か38口径使っていない?」
 拳銃は高級品だし、拳銃の多くは44口径リボルバーだ。彼女自身、確率が低いことは承知していた。
 意外な人物が手を挙げた。
 アクムスだ。
「マルユッカが持って行けって……」
 半田千早には、はにかむアクムスがかわいく見えた。
「ミリタリー&ポリスだね。
 どんな状況でも確実に動作するいい銃だよ」
 アクムスが少し落ち着く。
「50発ある」
「じゃぁ、4発、いい?」
「あぁ、いいよ」

 半田千早は、シリンダーに1発装填し、鹵獲した拳銃を倒木に細いロープで結わいつける。
 撃鉄を起こし、引き金にロープを通して、1メートルほど離れてロープを引っ張る。
 撃鉄が落ち、発射された。
 銃を点検する。異常はない。シリンダーに6発入れる。3発はオリジナルの弾、3発は38口径スペシャル弾だ。
 アクムスに渡す。
「シリンダー1回分なら発射できると思う」
 アクムスが不安な顔をする。
「銃を使い慣れている方はいますか?」
 街人全員が手を挙げる。
 老人がいう。
「動物が畑に忍び込むんじゃよ。
 それに2本足のワニも怖いしね」
 アクムスが老人に鹵獲した小銃と拳銃を渡す。
「弾数は少ないですが、一緒に戦ってくれるヒトがいれば……」
 老人がいった。
「もちろん、わしらも戦うよ。
 生命がけでね」

 アクムスは、「包囲して、全周から仕掛けてくる。一方向からの攻撃は、陽動だ。持ち場を離れるな!」と命じた。

 足を撃たれている幼い女の子が「痛いよ。ママ、痛いよ」と泣いている。言葉がわかるもの、わからないもの変わりなく、意味はわかる。細いふくらはぎのなかに、銃弾か銃弾の破片が残っているのだ。
 彼女の苦しみはわかるが、どうすることもできない。

 陣地を作ってから1時間後、ようやく黒服の軍が現れた。1個小隊規模だ。
 ミエリキが呟く。
「50対7、か」
 それを隊内無線を通じて、すべての隊員が聞いている。
 我々に銃口を向けるのはヒト。我々もヒトに銃口を向ける。
 ヒトとヒトは争うべきではない、というノイリンの大原則を曲げて、ヒトと戦おうとしている。
 半田千早は、子供を抱きしめている無抵抗な女性の頭を容赦なく撃った指揮官の顔を忘れられない。
 勝ち誇ったような顔だった。武器を持たない相手を撃ち殺して、誇れるのだろうか?
 誰に誇るのだろう?
 我が子にだろうか?
 そんなメンタルは、ノイリンにも、フルギアにも、ヴルマンにもない。西ユーラシアにはない。
 半田千早は、腹の底から怒りが湧き上がっていた。
 武器を持たないヒトは、2輌のバギーの間に座った。もちろん、土の上だ。
 小さな陣地。その中心でアクムスが指揮をする。

 接近してくる黒服軍兵士は、歩兵だ。車輌は伴っていない。
 ミエリキが報告する。
「機関銃2を確認」
 小銃はボルトアクションの5連発。
 黒服軍、リットン伯爵軍とは確認していないが、街人によれば救世主であることに間違いはない。
 彼らは、我々を視認しているはずだが、不用意に近付いてくる。
 兵は散開せず、いくつかのグループに固まっている。
 戦う意思がないようにも感じる。

 銃塔のミエリキが叫ぶ。彼女は、黒服の兵士が一斉に小銃のボルトを操作する動作を見た。
「撃ってくるぞ!」
 アクムスが命じる。
「撃つな!
 敵が撃つまで、決して撃つな!
 できるだけ引き付けるんだ!」
 黒服の兵士は、距離300メートルで発射を始める。
 その時点で、散開は不十分だ。西ユーラシアでは、考えられない戦闘隊形だ。散兵でも、戦列歩兵でもない、単なる団子状態で近付いてくる。
 アクムスは、「陽動ではないのか?」と声に出して自分に問うた。明晰な頭脳を持つ、フルギアの天文学者にはそうとしか思えなかった。
 M60機関銃を持つ半田千早に、王女パウラと並んで配置に付くよう命じる。
 これで、黒服兵士の正面に機関銃が2挺。バギーLの銃塔を旋回させ、これも南東に向ける。
 銃弾が、陣地のなかに飛び込んでくる。
 彼我の距離は200メートル。
 アクムスが命じる。
「テッ!」
 4挺の7.62×51ミリNATO弾を発射する機関銃から、1分間に500発から1000発の銃弾が吐き出される。
 黒服の兵士は、全員が地に伏せたが、何人かが、拳銃を持ち突っ立っている。
 アクムスは、AK-47をセミオートにして、拳銃を持って突っ立っている男を狙い撃つ。
 そして叫ぶ。
「立っている男を狙え。将校だ!」
 将校と思われる4人が、見えなくなっていた。
 ミエリキは、1人が仰向けに倒れる様子を見ている。
 そして、地に伏していた黒服の兵士が立ち上がり、退却していく。
 機関銃に対する兵士の反応は素早く、2挺の軽機関銃は的確に応射してきた。
 退却する際は、無秩序に逃げ帰るのではなく、発煙弾を投げて視界を遮り、軽機関銃の援護を受けて、整然と後退していった。
 軽機関銃兵が後退する際は、小銃兵が援護している。
 半田千早は、将校はともかく、下士官・兵は手強いと感じた。

 アクムスがはっきりした声でいう。
「すぐに、また攻めてくる」
 それは誰もが承知している。弾倉と弾帯を交換し、銃に故障がないか点検する。

 アクムスが制止するより一瞬早く、挑戦的な目をしている少女が陣地から飛び出す。
 それを半田千早が追おうとしたが、王女パウラがボディアーマーを強くつかんでやめさせる。
 少女は四つん這いで、黒服の兵が現れた方向に向かっていく。
 半田千早が王女パウラにいう。
「援護して、あの子が何をしようとしているのかしらないけど、放ってはおけない」
 半田千早がワルサーPPを抜き、スライドを引いて装弾する。
 そして陣地の外に出る。アクムスは別の方向を注視していて、半田千早の行動には気付かなかった。

 半田千早は身を屈めてジグザクに走り、すぐに少女に追いついた。
 そして、覆いかぶさるように身を伏せる。黒服の兵が投げた発煙弾の煙が、風がないので薄く漂っている。
 少女が半田千早をはね除け動こうとする。
 半田千早が小声でいう。
「動かないで、誰かいる」
 親指を動かし、拳銃のセイフティを解除する。少女の束縛を解く。
 少女は不満を身体で表し、勢いよく立ち上がる。
 ドン、ドン、と重い2発の発射音がする。
 少女が俯せに倒れる。
 半田千早が膝立ちする。大きなリボルバーを両手で構える小柄な男に、2発を発射。
 ワルサーPPの軽い発射音が、晴れた空の下、発煙弾の煙が消えかけの朝霧のように舞う空間に響く。
 男の上体が揺れ、前屈するように頭から倒れる。

 半田千早は、少女を見た。胸に2発。息絶えている。
 男も調べる。仕立てのいい軍服だが、顔は子供だ。思わず「私よりも年下?」と呟く。拳銃を奪い、仰向けにして、弾薬盒を物色する。
 拳銃弾を見つける。それを、ズボンのポケットに落とす。
 陣地に戻ろうと匍匐の前に、わずかに上体を起こした。
 ドン、と銃声が1発。

 半田千早は、背中の左肩を棍棒で殴られたような衝撃を感じる。
 俯せに倒れ、小声で「イッタ~イ」と。背後にヒトが近付く気配を感じる。
 拳銃はしっかりと握っている。
 一瞬で仰向けになり、3発を発射。大柄な男が俯せに倒れてきて、這って避ける。
 その男の顔も若い。半田千早と同年齢ほどだ。
「ヒトとヒトは争ってはいけないんだよ」
 半田千早は、死体に向かって諭した。

 半田千早が陣地に転がり込む。
「あの子、助けられなかったよ。
 背中が痛いよ」
 王女パウラが問う。
「撃たれたの?」
「うん」
 アクムスが血相を変えて歩み寄る。
「チハヤ、愚かなことを、なぜ……」
 半田千早はアクムスをまっすぐに見る。
「ごめんなさい。
 あの子を助けたかったの」
 王女パウラが知らせる。
「左肩に弾がめり込んでいるよ。
 鎧がなければ、大怪我だった」
「イタイヨ~」
 アクムスが伝える。
「痛いのは生きている証拠。
 胸を打たれていたお母さんが死んだ……」
 王女パウラが問う。
「女の子はどうなるの」
 アクムスが答える。
「わからない。
 この地方のことは、何も……私たちは知らない。
 わかっていることもある。
 救援要請から2時間半が過ぎた。6時間頑張れば、助けが来る」
 アクムスの見通しが希望でしかないことを、隊員のすべてが知っている。
 王女パウラが疑問を口にする。
「最初は1個分隊、次は1個小隊、だとしたら今度は1個中隊?」
 半田千早はあり得ると思った。尾てい骨から脳髄に向かって悪寒が走る。
 アクムスが微笑む。
「大丈夫。
 我々は精霊に守護されている」
 フルギアが“精霊”を口にする場合、それはヒトの努力では如何ともしがたい状況に陥った事態を意味する。
 フルギアの若き天文学者アクムスは、死を覚悟していた。

 半田千早が陣地に戻ってから、30分が経過する。太陽光が地上から完全に消えるまで、あと8時間はある。日没後もしばらくは、明るい。明るいうちに、救援部隊は到着するだろうか?
 不可能だ。
 半田千早を含めて、隊員全員が、そう考えている。ミエリキは「精霊の川を渡る、心の準備を終えた」といった。
 王女パウラは、太陽神に「遥か北の地には日が没しない夜があるそうです。太陽神にお願いします。この地の夜も照らしてください」と祈った。クマン王家は太陽神の守護を受けているとされる。

 東の丘を北から回り込んで、例のピックアップトラック3輌が姿を現す。荷台にルイス軽機関銃を搭載している。1輌は連装だ。
 街人のリーダー格の老人が説明する。
「騎兵じゃ。
 救世主の騎兵は、歩兵よりも何倍も残酷なのじゃ」
 アクムスが命じる。
「パウラ、新型弾頭のRPGを持って来い」
 RPG-7のロケットの燃焼時間を3倍まで延ばした新型弾頭は、パンツァーファウスト3並の固定目標400メートル、移動目標300メートルの有効射程を誇る。
 アクムス隊の“秘密兵器”だ。
 老人がいう。
「あの女性、乗馬服を着た女だ。
 子供を走らせてヒト狩りをするんだ。
 リットン伯爵の娘だと聞いた」
 王女パウラが意地悪な顔をする。
「なら、殺しちゃってもいいかな?」
 アクムスの発射許可を待たなかった。
 バックドラフトをバギーLの車体に噴き付けて、発射される。
 クルップ式の無反動砲で発射され、10秒後にロケットに点火される。発射時の初速は秒速120メートル程度と低速だが、ロケットで加速し、秒速450メートルまで加速。オリジナルのロケットは2秒ほどしか燃焼しないが、ノイリンの新型は6秒間燃焼し、弾頭を加速させ続ける。加速力も強く、飛距離500メートルで最大速度に達する。
 王女パウラは、距離400メートルの目標に向けて発射したが、命中時の弾頭は加速中だった。

 王女パウラは、狙った目標に命中しなかったことが不満だった。発射と同時に目標のピックアップに重なるように、別の車輌が移動したのだ。
 その移動中のピックアップに命中する。車体が空中に跳ね上げられ、榴弾の威力を見せ付ける。
 他の2輌が慌てて後退する。

 同時に、南東方向から歩兵が現れる。1個中隊はいないが、2個小隊は確実。半田千早のデジタル双眼鏡を取り上げていた、アクムスが「軽機関銃が増えている。2個小隊と1個機関銃分隊規模だ」と告げる。

 丘を挟んで北東方向から救世主の“騎兵”が現れる。ピックアップトラックが10輌も。
 乗馬服の女は、先頭の車輌にいる。
 半田千早は王女パウラに「冗談抜きで1個中隊以上だよ」と伝える。
 王女パウラは、寂しそうに笑った。

 アクムスは、隊員だけでの撤退を考えた。だが、賛成する隊員はいないと判断。この案は、最後の最後で使うと決める。

 陣地は完全に包囲された。
 だが、包囲の輪は大きい。大きいため、ザルの目のようになっている。包囲の輪よりも、兵員が少なすぎるのだ。
 理由は簡単。立て続けに4発、ピックアップトラックを狙ってRPG-7を発射したからだ。全周どこに撃っても敵がいるのだから、車輌に命中しなくても幾ばくかの被害が出る。
 結果、包囲の輪は大きくなり、半径800メートルにもなってしまっていた。
 全長5キロの包囲網を250人ほどで囲む。単純計算だと、20メートル間隔でヒトが1人立っている計算になる。
 実際は、5人ほどの隊かピックアップトラック1輌が、大雑把に取り囲んでいる状態だ。
 RPG-7で包囲の輪を広げることに成功したが、残りの弾頭は7発しかない。射程の長い榴弾1発と有効射程100メートルの対戦車榴弾が6発。
 7人の隊員でできることは、限られる。接近されてしまうと、白兵戦は避けられない。運がよければ戦闘で死に、運が悪ければ捕らえられて拷問にかけられ殺される。
 そう街人から聞き、半田千早たちは彼らの説明を疑っていなかった。
 半田千早は、養父の書類箱から持ち出した5連発のナンブM60リボルバーを取り出す。
 すでに1発を鹵獲拳銃の発射テストで使い、残り4発。
 彼女自身と王女パウラ、そしてミエリキの自決に使える。日本製旧式警察用拳銃が希望の塊のように感じる。

 突然、無線が入る。
「アクムス隊、応答せよ。
 こちらガンシップ」
 ミエリキが銃塔から降り、応答する。
「バギーS」
「現在地を知らせよ」
「赤の発煙筒を焚く」
 ミエリキは、グローブボックスから発炎筒を取り出し、マッチのようにこすって着火し、地面に投げる。
 何が起きたのか、誰にもわからず、彼女の行動に当惑する。
 ミエリキは助手席側のドアを開け、再度交信する。
「発炎筒が見えるか?」
「確認した。
 全員、その場に伏せろ。
 制圧する」

  巨大な飛行機が接近してくる。王女パウラはその飛行機を知っている。ノイリンの輸送機で、胴体に20ミリ機関砲と76.2ミリ砲を搭載している。この飛行機が“大砲の船”と呼ばれていることも知っている。
 包囲の輪を狭めつつあった救世主軍の上空を通過する。
 高度はかなり低いが、小口径の機関銃弾は、届かないだろう。そういう高度を選んでいるのだ。

 ガンシップによる上空アウトレンジからの攻撃が始まる。

 王女パウラは、鉛の雨を始めて見た。それは、ヒトがヒトに行う行為ではない。鉛の雨に打たれたヒトが潰えていく。ヒトの胴がちぎれ、頭がなくなる。

 ミエリキは、次々と着弾する中口径榴弾の威力に震えていた。
 リットン子爵軍の騎兵車輌を、上空から狙い撃ちだ。抵抗の術がない、リットン子爵軍将兵が哀れだ。

 半田千早は、5連発のリボルバーを使わなくてすむことに安堵していた。どうにもならなくなる前にミエリキと王女パウラを殺そうと思っていた。

 街人は上空を見上げ、手を合わせている。悪魔か荒神の所業としか思えない、残虐な行為に震えている。

 ガンシップは30分間、陣地上空を制空し、去っていく。
 同時に、逃げ散っていたリットン子爵軍が再集結し始める。
 意外なほど多くが生き残っている。当初のショックからは抜け出ていて、復讐に燃えている。

 半田千早は、目を閉じ「やっぱりダメなんだ」と呟く。
 街人の子供たちが騒ぎ出す。
「何か来るよ!」
 西を指差す。大人たちが座らせようとするが、子供たちは何度も立ち上がる。
 バギーLのガンナーが叫ぶ。
「西からヘリ4機接近!」
 西ユーラシアでさえ滅多にはないヘリボーン作戦の始まりだった。
 先頭はマーニが操縦するストライク・カニア、その後方にドアガンを装備したヒューイ、さらに2機のミルが続く。

 アクムスが叫ぶ。
「発炎筒をもう1本焚け!
 誤射されるぞ!」
 ミエリキがバギーLのグローブボックスから発炎筒を取り出し、着火しようとする。
 焦りが、それを邪魔する。
「点いた!」
 それを手に持って、振る。誤射されたくない一心から……。

 ストライク・カニアには新兵器が搭載されている。6銃身を3本に減らした20ミリバルカン砲の軽量型を搭載している。
 それに5連装ロケットランチャー2基も装備している。
 ロケットが次々と発射され、包囲の一角を完全に制圧する。
 仕上げは、バルカン砲の掃射だ。
 ストライク・カニアが離れると、ヒューイがドアガンで残敵を掃討する。
 そして、いきなり着陸した。
 機内から5人が飛び出し、すぐに離陸する。
 ミルも着陸。後部ランプドアが下がり、完全武装の隊員が降りてくる。
 2機で40人が降り、ミルもすぐに離陸する。

 王女パウラは、こんな光景を想像したことがなかった。
「空から兵士がやってくるなんて……」と呟く。
 45人の兵士がまっすぐ陣地に向かってくる。

 マルユッカが問う。
「負傷者は?」
 手当てがすぐに始まる。

 半田千早は、眼前の人物に驚いていた。
「フィーさん?」
 ノイリンの戦女神の1人、フィー・ニュンが目の前にいる。
 フィー・ニュンが命じる。
「これより、街の西側1区画を占領する。
 隊員5を残す。
 バギーも同行する。
 行くぞ!」
 ノイリン出身者全員が「おー!」と歓声を上げる。
 ミエリキは「誰なの?」と誰とはなしに尋ねる。アクムスが「知らないが……。たぶん、ノイリンの大将軍だ」と答える。

 陣地を囲っていた倒木の一部を撤去し、バギーが囲みを出る。
 リットン子爵軍への反撃が開始される。
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