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Ⅱ.秘されし神殿

1※R18

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 はじめまして、君。お名前は? そうですか。今生はそのような名前を授かったのですね。ありがとうおれに、気付いてくれて。
 おねえさん? ――いいえ、おれは……ずうっとずっと昔の君の、ふたごの兄です。変なことを言ってごめんなさい。夢だからゆるしてくれますか? ふふ…ありがとう。
 ずっと、君をまっていた。
 綺麗な髪。秋の銀杏の葉っぱみたい。瞳の色はこけももですね。おれの髪は雪が降った日のお外? うれしい……。
 かわいいオルメロス。おれのおとうと。君の世界が幸せであることがおれの誇りです。




 昔みた夢を再度見て目を覚ました。……いい夢だ。ただ、目覚めとともに真っ先に込み上げるのは腹の中をサソリが暴れまわるような痛み。中からはらわたが傷付けられて、耐え難い痛みに背を丸める。
『あ……ぐ…ふ…』
 背中の刻印は今日も変わらず正しく機能し、おれの身体は祝福のとおりに再生する。
『…げほっ、お、ぇッ』
 真っ黒な蟲と少しの血を吐いた。掌で受け止められて良かった。そのまま蟲を握りつぶす。
 古いふるい石の壁に作られた窓に立てかけた板。その隙間から陽の光が差し込んで己達の寝室を柔らかく照らす。
 ここはおれの神殿。あるいは、幽閉のための格子のない檻のなれの果て。
『水、のめるか』
 呼吸を整えていると温かい手が背中を撫でた。濡らした布を持って、動けないおれの口と手を拭ってくれる節の目立つ男性の手。
『おはよう……レギオン。うん、飲み……たい』
 眉を顰めながらおれを見る彼に、消えてしまいたくなる。おれの使う言葉は、長い歴史と異民族に揉まれてもう埋もれてしまった。もう百年以上傍に居てくれる彼も、祖母と母が隠れて使うのを幼い頃に聞いた程度しか通じなかった言葉を根気強くおれに合わせて少しずつ覚えてくれた。そのおかげで、全てではないにしろ会話ができている。
 ゆっくりと身体を起こす。泉の水を注いで差し出された木の杯を受け取って、喉に残った血と穢れの味を流せばずいぶんと楽になった。
『ありがとう、助かりました。朝から少し、苦しかったから』
『ああ。気にすんな』
 石の台に編んだ草とリネンを敷いたベッドからおりて、自分の足で立とうとすると、すかさず彼が手を差し伸べる。手を握り返す力が十分に有ることを示さないと、彼はおれを抱き上げようとしてしまうからしっかりと手を握り返す。
『少し手、熱いな』
 彼はおれ自身よりよっぽどおれの体調に敏感で、驚かされる。
『実はね、いい夢をみたのです。会いたい人に会える夢』
 おれの顔を覗き込んだ彼が目を瞬かせた後にまた口角を下げた。彼はあまり笑ってくれない。おれのせいだ。
『アンタの弟の、生まれ変わりって奴か』
 手を繋いで一緒に泉の水を汲んで、裏手の水浴び場へ運ぶ。
 甕に残っていた水で手を清め、口を濯ぎ、頭から被り身を清める。気休め程度かもしれないけれど、大切な毎日の儀式。
『そう。きっともう立派な大人になっています。何年か前に、キシになると言っていました』
 髪を絞り水気を切る。白い衣が濡れて半透明になり肌にはりつく。天を見上げれば、世界に巡る神と人々の魂の息吹を肌から感じられる。
 レギオンが水甕の中身を入れ替えている間に、おれは最も古く立派に育った大樹の根本で手を組み、目を瞑り祈る。

 陽の光が注ぎますように
 恵みの雨が降りますように
 大地に新しい命が芽吹きますように
 海に魚が泳ぎますように
 人々が心穏やかに皆がすごせますように
 全ての翳りはこの身がひきうけます

『…………』
大樹を覆う蔦と苔に降りた朝露が、陽の光を反射して輝石を散らしたようだった。
 この森の外、瘴気が無限にこの国に広がるのを阻む山々の向こうで、どんな人達がどういう生活をしているのかをおれはほとんど知らない。生を授かった時から名も無いおれの祈りは、世界を変える力も無ければ誰にも届かないけれど、世界を変えないために、おれおれに届けるためにくり返す。
『着替え』
 おれに尽くしてくれる獣のような彼、レギオンに声を掛けられてはっと我に返った。髪をくしゃくしゃと拭われ、腕を上げれば濡れた衣を脱がしてくれる。
『ありがとう、おれの獣』
 レギオンは赤い瞳でおれをじっと見て、そっと手を掬い上げて指の背に唇を数秒押し当てた。おれの時代にはなかった挨拶をレギオンが教えてくれたもの。
 それから畑の世話をこなして、おれ達は糸の飾り細工を作ったり、レギオンは森を廻り獣を狩ってすごす。
 異変は夕方おきた。
『奴らだ。――行ってくる』
 レギオンが狩りを切り上げて戻ってくるなりおれに告げた。
 彼らは、この穢れで覆われた森の中にやってくる。己達には到底理解できないことを繰り返しに。
「――クソッ。二手に分かれてやがる…」
 レギオンが俺には解らない言語で、苛立ちながら何か言っている。
『レギオン、危なかったら帰ってきて。どうせ…みんなここに来る』
「小さい方は……あ…ああ」
 おれが何かを言っても彼が踏みとどまることは無い。ついて行くことも許されない。身を守る魔法の何一つ使えないおれがいるより、一人のほうが良いとはっきり言われている。
 だけど、彼が帰ってこなくなるのは恐ろしい。
『大丈夫だ。約束。俺が死ぬ場所は』
 彼が獣の皮と蔦を纏い、顔を隠し魔物の姿を装う。この森で人間が暮らしていることを悟られないように。
『アンタの前だけだ』
 空が西から茜色に染まる中、森へ消えていく彼を見送った。
 待つ間おれに出来るのは簡単な罠を仕掛けること。木の根にロープを張って転ばせるとか、石をゆわいた振り子を木の枝に仕掛けるとか。
『情けないな……』
 剣を振るにも細く、弓を引くにも弱い腕。それでもレギオンが傍に居てくれるようになって、少しずつ二人で出来ることを探して気休め程度でも抗うことを続けてきた。
 ――そして今日も、彼らがやってくる。
「ああ……う…うあ…生贄よ…」
「おお……供物よ…」
「うぅ……うあぁ…救いの人よ」
 ……八人の、赤い鎧を身にまとった男達。
 目は虚ろでふらふらと体を揺らしながら、この森に隠れているおれの所へとやってくる。何を言っているのか己には解らない。言葉が違う、白い肌の人たち。そしてやってくる皆、兵士なのだろうかおれよりも体が大きく、力も強い。武器も持っている。剣、弓、斧、棍棒。
 怖い、痛い。何度経験しても恐ろしいものは変わらない。
 木登りする腕力さえ無いおれは、小さなナイフを手にじっと身を隠して息を殺すしかない。
 運が良ければ罠で転ぶものも出て来る。入れ違いになってしまったレギオンが戻ってくれば、倒してくれる。
 なのに今日はレギオンが戻ってこない。
『ッ……――…』
 森の中で、彼らに殺されてしまった? 捕まって酷いことをされている?
 そんな想像で手が震える。
 空は真っ赤に染まっていた。
「生贄よ……古き人よ……美しき人よ……」
 鎧の彼らは揃って同じ呪言を口にしている。どさどさと何か落ちる音は、彼らが決まって行う意味の分からない行為の音。
 まるで邪魔だと言わんばかりに防具を脱ぎ捨てるのだ。なぜ? そう考えるのも時間の無駄だ。
 彼等の足音が近づいてくる。
『ハアアアッ!』
 一人目がおれへ伸ばした手を躊躇うことなく切り付けて、喉に突き刺そうとナイフを両手に構えて振り上げる。
『ッ――――!』
 首の根本に突き刺した刃をすぐ引き抜いて、肩で体当りし転ばせる。上手く行った!
『あぐっ!』
けれど次の瞬間、ガクッと頭が引っ張られる。髪を掴まれ後ろに引き倒されて尻もちをついたおれは顎を蹴り上げられた。
『がっ……』
 口の中に血の味が広がり、蹴り上げられた顎と反動で首が痛い。眼の前が花火のようにチカチカした。
『や…めなさい』
 指の背に毛の生えた男の指がおれの頭を地面に押し付ける。別の男が関節の無理を無視して足を開かせる。
『いぎぅ! 痛、ぅ…止めなさい』
 彼等はこの国の民なのか。それとも侵略者なのか。男の剥き出しの股座を蹴り上げれば頭が自由になり、すかさずもう一人の男に振りかぶった頭を叩きつける。
 ガンッと重い衝撃とともにおれの額が裂けて、飛び散る血はどちらのものかも判らない。その隙に立ち上がり走る。森の中に行かなくては。
 レギオンがまだ帰ってこない。どこに居るんだ。レギオ――
『がっ……』
 背中から剣で胸を貫かれた。
「美しき……永遠の…生贄よ」
「供物よ……」
『あ゙……』
 足を縺れさせて転んで、地面の上を引き摺られて衣を引き裂かれる。
『やめろ……』
 わかってる。わかっているよレギオン。何度も何度も何度も何度も何度も何度も呼びかけたって彼らには通じない。
『あ゙ッ――は、がっ……あ゙あッ!』
「お、お゙ッ……おおぉ…」
『アナタたちがッ――死ぬん、だぞ あ゙あああっ!』
 ブツッと中が切れる感触と痛みが響く。胸から溢れ出した血に地面が汚され、根付いた命が死んでいく。
「はあっ…はあっ……はああっ」
 この体が何で出来ているのかも知らないで、頭のおかしな男達がおれを中からも外からも殺そうとする。
『がふっ……あ、がっ』
 痛い、いたい、いたいっ、イタイッ。
 傷口を無理矢理拡げられて何度も裂き広げるように突き上げられる。
『ぉ、あ゙ がはっ』
 内蔵を押しつぶされておれが泡の混じった血を吐いても彼らには関係がない。
 同じ男なのに股座のものは皆見たこと無い大きさと形になる。まるでそれを杭のようにおれの不浄の孔へ捩じ込んで体を裂く。
 両手を、頭を地面に押し付けられ口の中に土と血の味が広がる。鳥の糞のように何かを背中にかけられる。
「ふっ…うっ、ふっ、ふううっ」
『痛いッ い あッ はぐっ ひっ――』
 おれの腹の中で杭がドクドク脈打って、何かが噴き出して注がれる。
「おおぉっ……おおっ…おおおおおっ……」
『ッ――‼ ひ、あぁ‼』
 熱くて、痛くて、苦しくて、にがくて、怖い。
 レギオンがおれと同じ目に遭わないで居て欲しいと願いながら、藻掻き逃げて、また捕まってえぐり引き裂かれて。

 彼の腕に抱き起こされて、おれは彼が無事だったことが嬉しくて、でももう体中が痛かった。

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