【第一章】きみの柩になりたかった−死ねない己と死を拒む獣へ−

続セ廻(つづくせかい)

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Ⅲ.墓とかまど

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 イオギオスとオルメロスは、装備も身に着けずに森へ入ってきた同期の男を昏倒させ、彼の手足を縛り目隠しをして拘束した。念のため轡も咬ませる。
「――イオと内勤に代わったこいつが何のためにココに来たんだ?」
「僕に聞かれてもね。地図ももたずにどうやって。まぁそれは後で聞いてみるとしてさ」
 そいつを殺せと怒り狂うレギオンを、白銀の髪の青年が必死でなだめてようやく彼が拳を振り下ろしたのがついさっき。
 今二人は石組のかまどに火を起こして、そこに鍋を乗せて煮込み料理を作っていた。
 そんな彼等の様子を時折確認しながら、オルメロスとイオギオスは死んだ仲間の背嚢から携行食の包みを探して回収する。中身はドライフルーツ、燻製にした干し肉や魚の干物、ナッツ、キャンディ、ショートブレッド、オートミール。
「こいつ……酒持ってきてる」
メロスが背嚢から小さな酒瓶を見付けて呆れた様子で呟いた。詰め所に預ければ良いものを荷物になるのにもってくるなんて。
「あはは。好きなんだねえ」
イオの笑い声もどこか虚しく響く。
 そんな二人を見ていたのは、火の番をするレギオンの隣でじっと切り株に腰掛けた彼のあるじだった。
『……彼等と一緒に食べませんか、レギオン』
 レギオンの顔を見上げて、首を傾げて提案する。あるじの怖いもの知らずな言葉にレギオンは顔をしかめた。
『はぁ? ……なんで』
 鍋の中のスープをかき混ぜながら否定的な態度の彼。
 大きな鍋の中に一杯の野菜や固めた獣の血、内臓も入れた煮込みだった。
『助けてくれた。それに、いつもより沢山作ってるでしょう?』
 立ち上がり、にこりと笑うあるじ。そんな彼にレギオンは赤い瞳を向け、『歩けるか?』とだけ訊ねてそれ以上は止めなかった。
 彼がレギオン以外の人と会話をするのは、一体何十年ぶりの事か。片手に何かの包みを抱えた二人の傍へと近付いて深呼吸をした。
「ス……スープ、タベル?」
 二人が一斉に振り返る。
 アルジから見た二人は、若い大人に見えた。きっと成人はしている。肌は皮を向いたりんごのように白い。一人はメガネを掛けて、頬にそばかすがある。彼は一瞬驚いたみたいに目を丸くして、その後優しそうに垂れ目を緩ませて、瞳は夏の木の葉のような綺麗な緑色をしていた。首には赤色の布で襟巻きをしている。髪の毛はきっと長いのだろう、ひとつ結びにしてその中に押し込んでいる。
「良いんですか?」
「タクサン、スープ、ハイ」
 レギオンから教えられておぼえた現代の言葉を並べ頷いて返し、あるじはかまどの方を指さした。
「……すまない、水も分けて頂けるだろうか」
 そうあるじに訊ねたもう一人は、眼鏡をかけた彼よりも背が高く体付きもしっかりした、兵士らしい大人だった。年齢はもうひとりとあまり変わらないように見える。まっすぐに下ろした襟足より少し上の長さの髪は、秋に黄色く染まるイチョウの葉のようで、スッと凛々しい表情を作る目はコケモモの実のように赤い瞳だ。その顔に朝の夢を思い出して、胸がきゅうっと喜びに熱くなった。
 眼鏡の彼と違って鎧を脱いだ彼は首を出していた。
 ミズ、という言葉だけ聞き取れて水が飲みたいのだと理解した。頷いて手招きする。
「ミズ、スープ、ドウゾ」
 何度も振り返りながら二人がついてくるのを確かめてかまどの前へとやってきたあるじの様子をレギオンはちらちらと繰り返し見上げながら、無関心を装う。
 やがて、イオギオスが先にかまどの前へとやって来た。
「レギオンさん、彼にお誘い頂いたんだけど……ご一緒させてもらえる、ってことでいいのかな」
 イオギオスは鍋から煮込みを木の椀へよそうレギオンへ改めて訊ねた。オルメロスはアルジが水甕から汲んできた水の杯を受け取って一息に飲み、水筒を取出して彼と身振り手振りと片言でやり取りしている。
「ああ、知ってる。……テメェらのこと完全に信用したわけじゃねえが……」
 レギオンが、「寝ぼけ野郎」と呼んだオルメロスの方を一瞥して溜息をついた。
「少し疲れた。……テメェらが敵じゃないなら……その方がいい」
「……そうだね、僕も君たちの敵じゃないと自分のことを信じたい」
 差し出されたスープ椀と匙を受け取って、代わりに回収した携行食を差し出した。
「ありがとう、レギオンさん。いただきます」
 イオはかまど近くに腰を下ろして煮込みに口をつけた。詰所で出された食事より美味い。
「あ…おいし……」
「そりゃどうも」
丁度そこへ銀髪の青年と並んでオルメロスがやってくる。イオが二人へと会釈してゆるりと締まらない笑みを浮かべて自己紹介をはじめた。
「改めて、僕はイオギオス=ガラニス、イオって呼ばれてます。学者の端くれ。金が無いから教会の仕事の手伝いをして、その関係でここに来ました」
「俺はレギオン。……ここにあるじと住んでる。ほら、お前の分」
 名乗りながら、レギオンはオルメロスの分も椀に煮込みをよそい差し出した。受け取るオルメロスの方は律儀に頭を下げる。
「俺はアンディーノ家が次男、オルメロス。ティオスヒュイ国教会の正騎士で、階級は銅二級。若輩者だがよろしく頼む」
「いいから早く受け取れ寝ぼけ野郎」
「あはは…寝ぼけ野郎も呼びにくいだろうから……彼のことは、メロスって呼んでくれるかな」
 イオに助け舟を出されメロスがようやく椀を受け取ると、レギオンは鍋を火からおろし、別の鍋でふやかしたオートミールを温めて粥を作り始める。同時にイオたちが渡した携行食の包みを開いて、燻製干し肉をかじり始めた。
 イオ達から見た彼の肌は浅黒いが、農夫や漁師のように日焼けした跡があるわけでもない。どうやら地肌からダークトーンをしているらしい。不機嫌そうにも見えるツリ目はザクロのような深い赤い色、下がり口角の唇。唇の下に一つほくろがある。袖口から覗く手は筋が浮いて火傷や切り傷の痕がみえた。黒い髪はややうねりながら後ろへ流されてあちこち毛先を跳ねさせながら項の後ろで一束に結ばれている。
「そちらの彼はアルジさん、でいいのかな」
「女神の事か」
 横で煮込みを食べていたメロスがまた地雷を踏んだかとイオは一瞬ヒヤリとしたがレギオンは反応しなかった。
あるじは…名前じゃない。名前は名乗れない」
 そう言われれば深く追求は出来ない。一人だけ名乗れないのは追われている身だからだろうかと思ってしまう。異国の風貌と暮らすには不便な森の中で暮らしているのも、何か事情があるには違いないが、自分たちが目の当たりにした騎士の行動は罪人を捕らえるものとはあまりにもかけ離れた奇行だ。
「そっかあ……」
 藪をつついて蛇を出すこともないだろう。どうやらメロスも同意見なのか、あるいは彼にとって女神だからなのか何も言わずにレギオンがこしらえた煮込みを黙々と食べていた。
「――………」
 渦中の彼はレギオンの隣に腰をおろし、目を細めながらかまどの火を見つめている。メロスが言うように女性のような柔らかな顔立ちで、瞳は二人共初めて見る紫水晶のような色味だった。肌はレギオンよりもさらに褐色を帯びて、乾いた砂のような明るい茶色をしている。その頬を青みを帯びた白銀色の髪が垂れているのだ。年頃は青年に差し掛かった頃だろうか。身につけている衣の生地は使い込んだ様子が見て取れたが肌艶といい髪の艶といい、こんな何も無い所の暮らしぶりの身体には見えなかった。
 エキゾチックな風貌の彼がくてりと隣の青年に寄りかかると青年は粥の具合を見る手を止めてその肩を抱き寄せた。
『辛いのか』
『少し……』
 二人は顔を寄せ合って何かを話しているが、イオ達には聞き取れなかった。
『でも、ここがいい』
 あるじの言い出したわがままにレギオンは少し顔を顰めて、肩を抱く腕を緩めて頭を撫でた。
『任せる』
 もう二つの椀に粥をよそって騎士二人に差し出すと、メロスが受け取りながら首を傾げた。
「君たちの分の椀が無いんじゃないか」
「あ? ああ……鍋から食う。二杯目が要るならいま言えよ」
「そうか、じゃあ貰おう」
「あ、僕も」
 二人共遠慮なく大盛りで煮込みも粥もお代わりした。
 彼らの様子を見てレギオンに寄りかかっていたあるじが笑う。
 火から下ろした鍋に大きな匙を直に突っこんで食べ始めるレギオン。やがてあるじのほうが体を起こすと、レギオンの方を向いて何か催促した。
「ん……」
 イオが粥を口に含みながら二人の様子を眺めていると、レギオンは口に含んだ煮込みを咀嚼しながらあるじへ向き、それを見た彼がレギオンのおとがいに手を沿えて唇を重ねた。
「ングぅ⁉」
 危うく吹き出しそうになったイオをよそに二人は口移しを終えるとそれきり、またレギオンが鍋に残った結構な量の煮込みを食べ続けている。
「どうしたイオ」
 二人の食事風景を見逃したメロスはむせかけたイオへ水筒を差し出して首を傾げている。ありがとう、と受け取り中の水を一口飲んで返した。
「あー……いや、僕たちのせいで二人が食べ損ねてないかなぁ? みたいな」
「それもそうだな。悪かったな二人共」
 大きく口をあけ食事を続けようとしたレギオンが手を止める。
「そのせいで口移しなんてさせたか」
「見てたのかよ!」
見た上で無反応だったのかこの正騎士は。イオも唖然としていたがそれ以上に固まっていたのがレギオンだった。
「…………」
 しっかり噛んでから口移ししてましたよね、とは言わずに心の中へ収めるイオ。三人の様子に、特に隣の青年の動揺に気付いたらしいアルジはこちらとそちらを交互に見ている。
「あー、あはは僕はもうごちそうさまかなあ?」
 イオが一気に椀の残りをかきこんで、匙をキュキュキュと清潔なハンカチで拭き、主青年へ自分が使わせてもらったそれを差し出す。
「アリガトウ。タベル?」
「どういたしましてぇ、美味しかったよぉハハハ…」
 笑うイオの前でアルジ青年はレギオンの持っていた鍋から煮込みを掬い、一口食べ始めて安堵したのも束の間。青年の細い指がイオの両頬を包み――。
「ちょ…待て!」
 レギオンの制止も虚しく、アルジ青年は彼がレギオンにされたように、彼も口に咀嚼した料理を含んだままイオに唇を重ねたのだった。

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