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一章

3.初めてスラムから出た夜

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「しようにん?」
「ああ、話を通しておくから君はここに行くんだ」

 カインはその場で小さい紙に地図を書き、私に手渡す。

「西の港に黒い馬車が止まっているはずだ。その人に地図の場所に行きたいと言えば良い。じゃあねフィオネ」

そう言うと、カインは私にベッタリだったジーンを抱き上げた。

「あっ危ない危ない、忘れるところだった」

 そう言ってカインは自身の手にはめていた指輪を私に渡した。よく見ると指輪には何かの模様が彫ってある。

「じゃあね。幸運を祈ってるよフィオネ」

 そう言って私の返事も待たずにおじさんは行ってしまう。
 カインが二十メートル先の角を曲がるまでジーンだけが寂しそうな顔で私を見ていた。

(ムカつく犬......。もふもふ......)

 とりあえず港まで行くと本当に馬車があるのが目に入った。私は御者の男に地図を渡すと馬車に乗り込む。

「お代は?」
「えっ?」

そういえば私はお金を持っていないけど?でもカインは地図を渡せば良いって......。

「無いなら降りてもらいますよ」
「じゃ、じゃあ、これで!」

 私はとっさにカインからもらった指輪を出した。きっとこれを売ってお金にでもしろということだったのだろう。

「......」
「あの、駄目?」

 すると御者は何も言わず馬車を走らせ始めた。とりあえず大丈夫みたいだ。

(ふぅ......。良かった)

 私はその夜初めてスラムから出た。

 どうせあのままスラムに居たところで毎日這いずりながら最低の日々を過ごすだけだから未練は無い。
 それに、この地獄から逃げ出せるなら何でもいい。

 もしかしたら私は心の何処かでこういう出来事が起きることを望んでいたのかもしれない。

 にしてもあのカインとかいうおじさん不思議な人だったな。会ったこと無いのになんだか少し懐かしいような雰囲気がしたのは気のせいだろうか。

 スラムには人情のにの字もない。
 この手の話は大抵人身売買やクスリの売人とかそんなもんだ。それなのにどうして私はカインを信用したんだろう。

(......なんか、どうしても悪い人に見えなかったんだよなあ)

 今日は走り回って疲れた。
 それにすごい眠くなってきたし、馬車は着いたら起こしてくれるだろうから、ちょっと寝ても良いよね。

 私は揺れる馬車の中、胸に静かな期待を抱いて眠りにつくのだった。
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