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モンブラン・ブレッセル
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ここで例え話をしよう。仮に読者が意識を失い。目覚めた先がモンサンミッシェルに相似する、孤島に聳え立つ城の中だとしたら、七割の読者は異世界転移だと信じ、自身は選ばれた勇者なんだ! とさぞ心躍らせることであろう。
又、現実主義な残りの読者は「これは夢の中だ」と己を疑い。これ見よがしに自身の局部が正常か、縦縦横横丸書いてチョンで確認した事であろう。
恥ずかしがらんでいい。吾輩だってそうだった。
だが、腫れ上がるジョニーとは裏腹に現実は一味も二味も違った。
そう、味が違うのだ。
吾輩が目覚めたこの城。モンサン・ミッシェルと名前を掛けて、モンブラン・ブレッセルとでも名付けようか。それはそれは大きな大きなお菓子で出来た城であった。
〇
天井が二十メートルはあろうか。広い吹き抜けと思い見上げれば、テカテカと茶光りする壁一面のレンガ。その全てはカカオ香る板チョコレート。間接照明は色彩豊かな水飴ガラス。小麦色したエントランステーブルは肘を付いたらめり込む程柔らかい丸ボーロで出来ていた。空腹が相まって、吾輩の涎は浦山ダムの放流の如く、夥しく流れる。
腹が減っては治る傷も治らない。
吾輩は猫故に、チョコレートのカフェインは体内で毒性に替わってしまう。だからこそ、丸ボーロテーブルからワッフルカーペット、そしてパンケーキソファーまで、小麦系の家具家電を中心に食べまくってやった。甘さで満ちていく胃袋が体内でねるねるねるね反応を起こし、脳内はハッピーがターンしまくる。乱気流に乗っていた吾輩の乱れた人生は幸福の飴玉となって心に降り注いだ。
話が長くなってしまったが、要するに美味しかったのだ。
俗に言う甘い物は別腹と言うが、たった今、吾輩が食べてしまった胃の中のお菓子達はいったいぜんたい、何処へ行ってしまったのだろう?
どれを食べても味にハズレが無い替わりに、食べても食べても満腹感が満たされない。
美味さに憑りつかれた吾輩は無意識の内、気付けば次のお菓子を右手で掴んでは口の中に放り込んでいた。
やめられない止まらない。
このままでは時間無制限で、終わりの見えないおやつバイキングが続いてしまう。
クッキーモンスター化した吾輩はエントランスからリビング、客間へと美味しいお菓子製の家具家電を食べ尽した。
そして尽きる事のない食欲の言い成りとなった暴君は新たな部屋に手を付ける。
ビスケット製のとっても立派な扉の取っ手を取って食べたらとっても美味しかったのでとっておこうと取っ手を戻し、扉を開いた。
部屋の先は寝室だった。
白い雲のように柔らかそうなクイーンベッドがドンと中央に置いてある。
吾輩の鼻息でベッドの表面のシーツがフワフワっと波を打った。
見る限りさぞ軽い素材で出来ているのであろう。食欲が脳を掻きむしる吾輩に、次は更なる睡眠欲が襲いかかってきた。
体を休ませなければ治る傷も治らない。
吾輩は猫故に一日十六時間は寝ないとストレスが溜まり、イラつきの余り、爪を研がずにはいられなくなるのだ。エッジが利いた吾輩の爪と癇癪が老若男女を傷付ける前に、出来る限りの対策を打たなければならない。
そう、吾輩は寝ないといけないのだ。
そして、目の前にはモクモクフワフワのベッドがドンと置いてある。
もはや必然だ。
くっつくなと言っても磁石のSとNが引っ付いてしまうように、吾輩がベッドの上で寝てしまうのはもはや避けられない。
きっと、この城の主様のベッドであろうが、吾輩が猫の神であると説得すれば、大抵のおバカでない限りきっとわかってくれるであろうぞ。ふぬふぬ。
吾輩は言葉巧みに並べた正当性で自身を納得させた。疲れも相まった体は、モクモクフワフワのベッド目掛け、水泳選手の飛び込み台の如く高々と宙を舞い、気持ちよさを全身で感じる為に潔くベッドにダイブした。
「んにゃぁー!」
結論から言うと、飛び込んで二秒までは気持ちよかった。
五秒後に正体を気付いた後は脳裏に後悔がダイブした。
吾輩は忘れていたのだ。ここはお菓子のお城。このモクモクフワフワなベッド。それは成分表示、砂糖百パーセントからなる綿飴であったのだ。
吾輩を優しく包み込んだベッド。きめ細やかな繊維は吾輩の体温で溶け、徐々にベッタベタに軟化し、粘着質な飴へと変わった。飴は吾輩自慢の猫毛に隙間なく絡み付き、身動きを奪った。それはまるで「雲」と「蜘蛛」の漢字をご丁寧に間違えてしまったと思う程に、吾輩は蜘蛛ベッドに囚われてしまったのだ。
「んにゃー!」
藻掻きに藻掻き、やっとの想いでベッドから抜け出すと、体は妖艶DVDのローション物作品の舞台裏の如く、ベッドベトのヘットヘト。体に纏わりつく不快感が相まって吾輩は苛立ちの余り、神あるまじき中指をベッドに向けて付き立てた。
畜生め!
抑えられない感情に流されたが、お菓子に罪はない。人様の家で許可なく好き勝手しては行けないと言う、一般的常識すら守れなかった吾輩が悪いのだ。冷静になった吾輩。だが、このベッドから受けたベッドベトの仕打ちは不快感極まりない。今すぐにでも体を洗いたかった。
吾輩は猫故に、風呂は大の嫌いである。ていうか、生まれてこの方風呂と言う物に浸かった事がない。以前天界の旅館での事、妻イシスが広くて気持ちがいい混浴風呂があると知り「一緒に入りましょうよ」っと甘い誘いを持ち掛けて来た事があったが、吾輩は断固拒否してきた。混浴と聞けば誰でも飛び込む猫と思うでない。飛び込むのはモフモフ子猫ちゃんの懐だけで十分だ。
まぁ、要するに、それほど吾輩は風呂が嫌いなのだ。故に、例えベトベトであろうが、ヘトヘトであろうが、吾輩が風呂に浸かって、体を洗うなど笑止千万。天地神明に誓っても風呂には入らぬのだ。
読者は不衛生極まりないと思い、不快に感じるかも知れぬが、心配いらん。
吾輩はとても綺麗好きである。
吾輩が持ち合わしておる、ザラザラの舌を使えばお手の物。手の先から足先まで、軟体な体で届く範囲は全て舐めれる。そして、届かぬ首は舌で湿らした手足を伸ばして拭き取り舐め取る。多少時間は掛かるものの、これを繰り返せば、どんな汚れでも舐めとってしまえるのだ。
今回は、全身の毛に絡みついた飴を舐め終えるのに約ニ十分掛かってしまったが、この綿飴、甘すぎず、コクもあり、中々の美味な飴であった。
そして、美味しい飴を拭き取る事で吾輩は己の体に異変が起こっていることに気が付いた。
「なんか、体大きくなってねぇ?」
今の今まで、お菓子に夢中で気付かなかったが、体長五十センチ程あった吾輩の体はまるで北アメリカのグリズリーの如く、二メートルを超える巨体に膨れ上がっていた。事実を受け止めるまでに数秒掛かったが、体が大きくなっても学がない吾輩。あの大量のお菓子を食べ続けていればこれくらいの大きさになっても問題ないだろうと納得した。
だが、異変は体の大きさだけでは無かった。
「なんだ? このスカーフは?」
なんの理由か分からぬが、菜の花色の布で出来たスカーフが吾輩の首を守るように巻きつけられていた。
そう言えば、吾輩は意識を失う前、喉に瀕死の重症を負っていたのだ。あの時の傷は何処へ? さては、誰かが吾輩を治療したのか?
吾輩は己の体を手探りで確認した。スカーフの隙間から手を入れ、喉仏の傷口があった場所を手探りで探した。
傷口は残ったままだが、血は止まり、痛みは全く感じない。どんな原理でどんな方法で治療したのか分からぬが、治療してくれた何処かの誰かに感謝し、祝杯の綿あめベッドを全て平らげた。
あれからどれ程の時間が経ち、意識を失っていたか分からぬが、どうやら吾輩はこのお菓子の城で何処かの誰かに保護され治療を受けておったのだろう。
吾輩に包帯替わりに巻かれたスカーフは麻布の様な通気性のよい素材だった。
だが、日頃、この手の首飾りを全く付けない吾輩。
首を動かすと、若干チクチクし、違和感に耐えられなかった。徐々に苛立ち、スカーフを取ろうと後ろ脚の爪で首を掻いて藻掻く。だが、なかなか取れない。
格闘する事数分。この格闘をレフェリーが止めるように、何処からか女の声が割って入った。
「こらこら、助けた私の許可なく勝手に死なれちゃ困るんだけど」
!? 声が聞こえる先、屋敷の吹抜け天井部分に目を向けると、重力を無視し、宙に逆さまで浮く真紅の座椅子。それに腰掛ける黒いトンビコートを纏った人族の女がこちらを見ていた。つばの広い三角帽子が妖気を漂わせ、如何にも常軌を逸する存在だった。
女は座椅子から立ち上がり、空中で前転三回転半回って吾輩の前に着地した。
そして、帽子の鍔の隙間から見えた容姿と姿見を確認した時、吾輩は恐怖し、全身の毛が逆立って身構えてしまった。
無理もない。何てったって今まで命さながら逃げていた吾輩の妻、女神イシスの容姿に瓜二つだったからだ。漆黒のロングストレート髪。金糸雀色の双眼。小麦色にテカる艶のある肌など怖い程そっくりだ。いや、まて、瓜二つは言い過ぎだ、余談だが、比率から考えると、胸のサイズだけはこちらの女の方が一回りも二回りも大きかった。
予想もしなかった所に突然現れる妻と瓜二つの女性。恐怖のあまり、吾輩の警戒レベルは最大に達し、本能的に牙と爪を突き立てて、臨戦態勢に入った。
「しゃーーー!」
「どうしたの? なんでそんなに毛を逆立てるの? 一応あたし、あなたを助けた恩人なんだけど、睨み付けるなんて失礼じゃない?」
女は冷静な眼差しで吾輩に対話を求めてきた。だが、吾輩の心情察するに対話する気など毛頭なかった。
「近寄るな! 女! どうせ、妻の入れ知恵なんだろ? は、分かったぞ、さては狐の神、英吉君を油揚げで買収したな! 化け術を使って吾輩を騙そうったって、その手には乗らんぞ!」
「何わけわかんない事言ってるの? 油揚げって何?」
「うるさい! 例え喉の傷を治しても、受けた心の痛みは忘れんからな! 吾輩は! 絶対に! 絶対に! 剥製になんてならんからな!」
女は襟足を掻きむしり苛立ちを露わにしていた。
「あー、めんどくさいわね。これじゃあ埒が明かないじゃん。……仕方ない。ちょっと黙ってあたしの話を聞きなさい」
そう言うと女は指をパッチンとならした。その音と同時に吾輩の喉に巻かれたスカーフが蛇のように伸び、吾輩の全身を締め上げるように絡み付いてきた。
「な、なんだこりゃ!? は、はなせー!」
強靭な力で縛り上げるスカーフは吾輩の力を前にしてもビクともしなかった。身動きが取れなくなった吾輩に女は顔を近け、鋭い八重歯を光らせ、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「ホントは順序良く説明するつもりだったのよ? あたしの話を聞かない。猫様がいけないの。と言うか、もう見た目が猫じゃなくて熊になってるし。熊様だね。ははは!」
そう言うと女は笑いながらパン生地をこねるかのように力ごなしに吾輩の頭を撫でた。
「とりあえず安心して。あたしはあなたの命は奪わないわ。っていうか、何をもって命の定義とすればいいか分からないけど、ちゃんと元通りに蘇生されたいなら、あたしと取引しましょうよ」
何を言っているんだ? この女は。
「蘇生だ? 意味が分からん。女よ、神である吾輩に生死などと言う概念はない。何処をどう見ても死んではおらん。この期に及んで生き返らせてやるとは偉そうに、一体、どう言う意味だ。猫にもわかるように説明しろ」
吾輩の言葉は女の感に触ったのだろう。表情には一切出さないが、女はチーターが獲物の首を刈る時のような、殺意に満ちた鋭い目付きで吾輩を睨んだ
「……偉そうにとは人聞き悪いわね。川の岬で蹲って死んでたあなたを助けてあげたのは誰だと思ってるの? おまけに、ちょっと目を離した隙にあたしの家の中、荒らしに荒らしまくりやがって。調子こいてるの一体どっちかしら? え? 言ってみぃ?」
キレた女は手を開き、再び見えない力を使い、吾輩の体に巻かれたスカーフを強く縛り上げた。うげげげげ!
「おバカな猫様にあたしが分かりやすく教えてあげるわ」
女は手をかざすと、吾輩の体はミシミシ、バキバキと潰される。骨が砕かれるような悍ましい音を立て、ペットボトルをぐしゃりと踏み潰すように、圧倒的な圧縮力で吾輩の体は成形される。右手は明後日の方向に曲がり、左腕はジャバラに折り畳み、吾輩の二メートルをも超える巨体は無理やり一メートル四方の肉の塊に姿を変えられてしまった。
だが、不思議な事に、視界は見え、耳は聞こえ、声は使え、体の痛みや不調などは全く無かった。まだ生きていることが不思議なくらいだ。
「勘違いしないで。あたしは善意で行動するタイプじゃないの。これはビジネス。猫様が神様じゃなかったら。端から助けてすらないわ」
読者の参考に教えておくが、女の怒りとは色んなタイプが存在する。妻のようにヒステリックに癇癪を起こすタイプが仁王の阿形とすれば、この女は吽形。黙って、復讐と実害を与えてくる奇襲タイプだ。まぁ、どちらの女も厄介だから、出会った際には注意せよ。
「この状況で助けられたと思う奴のほうがどうかしておるぞ!」
「死者の意見を聞く意味なんてあるのかしら? 現状が理解出来ないならその身を使って体験すればいいんじゃない?」
すると、女は再び手をかざし、見えない力を使う。吾輩の体をバスケットボールサイズの球体に圧縮し、チョコレート外壁を使って壁当てドッチボールを始めた。
猫の命をもて遊ぶ悪魔の所業。こんなのトムとジェリーでしか見たことない。妻もサイコパスだが、この女も引きを取らないサイコパス。本当に妻とは無関係なのか? もしかして親戚? ……まあいい。見た目も相まって、もはや吾輩の中で二人は同音異義だ。
遠慮無しに三十回も連続で吾輩を壁打ちする女。体に痛みは感じないが身動きは取れんし、投げられ続けるのは実に不愉快だった。
女はアドレナリンに拍車が掛かり遠慮無し。回転の掛かった鋭いボールを連発する。当たったチョコレートの内壁が微粉砕するほどの剛速球だった。
だが、吾輩の体は痛みを感じず、三半規管も機能せず、全く酔わない。流石にここまでされたら吾輩の体が普通では無い事くらい理解できた。
「もういい。分かった。やめてくれ。女よ、吾輩は一体どうなってしまったのだ?」
吾輩の言葉に金剛力士は手を止め、吽形の口はやっと開いた。
「つまり、ゾンビ。あなたはゾンビなの」
「ぞんび?」
「そうよ。今、猫様の骨は折れ、血は渇き、筋肉、内臓、消化器官は完全に崩壊している。体は食べたお菓子と混ざって、簡単に言えば甘口ハンバーグ状態。でもね、そんな煮ても焼いても食えないし、ボールにも使いにくい体になっても、猫様は正気を保ち、死ぬことすらできない体なの」
女はリビング中央に飾られてある、口を開いたドラゴン頭部剥製に吾輩をスリーポイントシュートで投げ入れ、見事、口の中に入る。下顎の齧歯に吾輩の体が突き刺さり、球体形状の体はドーナッツのように穴が開く、だが、それでも吾輩は何にも感じなかったのだ。
吾輩は女の言っている事が事実なんだと悟った。神様である吾輩がものの見事に転落し、なんとも間抜けで情けない姿。心が付いてこない。目の前が真っ暗になる思いだった。
「吾輩は死体なのか……」
「そう、勘違いされてわ困るけど、わざとじゃないからね。ほれ、これがあんたを蝕んだ喉仏の毒」
すると女は吾輩の喉から取ったと言う喉仏を手のひらに乗せ、吾輩に見せてくれた。
喉仏には妻の千枚通しで打ち割れた打痕の穴。そしてその穴には悍ましい怨念が込められた瘴気が漂っていた。誰がこの毒を仕込んだかは言わんでも分かるだろう。
紛れもない妻のしわざだ。
女は吾輩を発見した時の状況を教えてくれた。
又、現実主義な残りの読者は「これは夢の中だ」と己を疑い。これ見よがしに自身の局部が正常か、縦縦横横丸書いてチョンで確認した事であろう。
恥ずかしがらんでいい。吾輩だってそうだった。
だが、腫れ上がるジョニーとは裏腹に現実は一味も二味も違った。
そう、味が違うのだ。
吾輩が目覚めたこの城。モンサン・ミッシェルと名前を掛けて、モンブラン・ブレッセルとでも名付けようか。それはそれは大きな大きなお菓子で出来た城であった。
〇
天井が二十メートルはあろうか。広い吹き抜けと思い見上げれば、テカテカと茶光りする壁一面のレンガ。その全てはカカオ香る板チョコレート。間接照明は色彩豊かな水飴ガラス。小麦色したエントランステーブルは肘を付いたらめり込む程柔らかい丸ボーロで出来ていた。空腹が相まって、吾輩の涎は浦山ダムの放流の如く、夥しく流れる。
腹が減っては治る傷も治らない。
吾輩は猫故に、チョコレートのカフェインは体内で毒性に替わってしまう。だからこそ、丸ボーロテーブルからワッフルカーペット、そしてパンケーキソファーまで、小麦系の家具家電を中心に食べまくってやった。甘さで満ちていく胃袋が体内でねるねるねるね反応を起こし、脳内はハッピーがターンしまくる。乱気流に乗っていた吾輩の乱れた人生は幸福の飴玉となって心に降り注いだ。
話が長くなってしまったが、要するに美味しかったのだ。
俗に言う甘い物は別腹と言うが、たった今、吾輩が食べてしまった胃の中のお菓子達はいったいぜんたい、何処へ行ってしまったのだろう?
どれを食べても味にハズレが無い替わりに、食べても食べても満腹感が満たされない。
美味さに憑りつかれた吾輩は無意識の内、気付けば次のお菓子を右手で掴んでは口の中に放り込んでいた。
やめられない止まらない。
このままでは時間無制限で、終わりの見えないおやつバイキングが続いてしまう。
クッキーモンスター化した吾輩はエントランスからリビング、客間へと美味しいお菓子製の家具家電を食べ尽した。
そして尽きる事のない食欲の言い成りとなった暴君は新たな部屋に手を付ける。
ビスケット製のとっても立派な扉の取っ手を取って食べたらとっても美味しかったのでとっておこうと取っ手を戻し、扉を開いた。
部屋の先は寝室だった。
白い雲のように柔らかそうなクイーンベッドがドンと中央に置いてある。
吾輩の鼻息でベッドの表面のシーツがフワフワっと波を打った。
見る限りさぞ軽い素材で出来ているのであろう。食欲が脳を掻きむしる吾輩に、次は更なる睡眠欲が襲いかかってきた。
体を休ませなければ治る傷も治らない。
吾輩は猫故に一日十六時間は寝ないとストレスが溜まり、イラつきの余り、爪を研がずにはいられなくなるのだ。エッジが利いた吾輩の爪と癇癪が老若男女を傷付ける前に、出来る限りの対策を打たなければならない。
そう、吾輩は寝ないといけないのだ。
そして、目の前にはモクモクフワフワのベッドがドンと置いてある。
もはや必然だ。
くっつくなと言っても磁石のSとNが引っ付いてしまうように、吾輩がベッドの上で寝てしまうのはもはや避けられない。
きっと、この城の主様のベッドであろうが、吾輩が猫の神であると説得すれば、大抵のおバカでない限りきっとわかってくれるであろうぞ。ふぬふぬ。
吾輩は言葉巧みに並べた正当性で自身を納得させた。疲れも相まった体は、モクモクフワフワのベッド目掛け、水泳選手の飛び込み台の如く高々と宙を舞い、気持ちよさを全身で感じる為に潔くベッドにダイブした。
「んにゃぁー!」
結論から言うと、飛び込んで二秒までは気持ちよかった。
五秒後に正体を気付いた後は脳裏に後悔がダイブした。
吾輩は忘れていたのだ。ここはお菓子のお城。このモクモクフワフワなベッド。それは成分表示、砂糖百パーセントからなる綿飴であったのだ。
吾輩を優しく包み込んだベッド。きめ細やかな繊維は吾輩の体温で溶け、徐々にベッタベタに軟化し、粘着質な飴へと変わった。飴は吾輩自慢の猫毛に隙間なく絡み付き、身動きを奪った。それはまるで「雲」と「蜘蛛」の漢字をご丁寧に間違えてしまったと思う程に、吾輩は蜘蛛ベッドに囚われてしまったのだ。
「んにゃー!」
藻掻きに藻掻き、やっとの想いでベッドから抜け出すと、体は妖艶DVDのローション物作品の舞台裏の如く、ベッドベトのヘットヘト。体に纏わりつく不快感が相まって吾輩は苛立ちの余り、神あるまじき中指をベッドに向けて付き立てた。
畜生め!
抑えられない感情に流されたが、お菓子に罪はない。人様の家で許可なく好き勝手しては行けないと言う、一般的常識すら守れなかった吾輩が悪いのだ。冷静になった吾輩。だが、このベッドから受けたベッドベトの仕打ちは不快感極まりない。今すぐにでも体を洗いたかった。
吾輩は猫故に、風呂は大の嫌いである。ていうか、生まれてこの方風呂と言う物に浸かった事がない。以前天界の旅館での事、妻イシスが広くて気持ちがいい混浴風呂があると知り「一緒に入りましょうよ」っと甘い誘いを持ち掛けて来た事があったが、吾輩は断固拒否してきた。混浴と聞けば誰でも飛び込む猫と思うでない。飛び込むのはモフモフ子猫ちゃんの懐だけで十分だ。
まぁ、要するに、それほど吾輩は風呂が嫌いなのだ。故に、例えベトベトであろうが、ヘトヘトであろうが、吾輩が風呂に浸かって、体を洗うなど笑止千万。天地神明に誓っても風呂には入らぬのだ。
読者は不衛生極まりないと思い、不快に感じるかも知れぬが、心配いらん。
吾輩はとても綺麗好きである。
吾輩が持ち合わしておる、ザラザラの舌を使えばお手の物。手の先から足先まで、軟体な体で届く範囲は全て舐めれる。そして、届かぬ首は舌で湿らした手足を伸ばして拭き取り舐め取る。多少時間は掛かるものの、これを繰り返せば、どんな汚れでも舐めとってしまえるのだ。
今回は、全身の毛に絡みついた飴を舐め終えるのに約ニ十分掛かってしまったが、この綿飴、甘すぎず、コクもあり、中々の美味な飴であった。
そして、美味しい飴を拭き取る事で吾輩は己の体に異変が起こっていることに気が付いた。
「なんか、体大きくなってねぇ?」
今の今まで、お菓子に夢中で気付かなかったが、体長五十センチ程あった吾輩の体はまるで北アメリカのグリズリーの如く、二メートルを超える巨体に膨れ上がっていた。事実を受け止めるまでに数秒掛かったが、体が大きくなっても学がない吾輩。あの大量のお菓子を食べ続けていればこれくらいの大きさになっても問題ないだろうと納得した。
だが、異変は体の大きさだけでは無かった。
「なんだ? このスカーフは?」
なんの理由か分からぬが、菜の花色の布で出来たスカーフが吾輩の首を守るように巻きつけられていた。
そう言えば、吾輩は意識を失う前、喉に瀕死の重症を負っていたのだ。あの時の傷は何処へ? さては、誰かが吾輩を治療したのか?
吾輩は己の体を手探りで確認した。スカーフの隙間から手を入れ、喉仏の傷口があった場所を手探りで探した。
傷口は残ったままだが、血は止まり、痛みは全く感じない。どんな原理でどんな方法で治療したのか分からぬが、治療してくれた何処かの誰かに感謝し、祝杯の綿あめベッドを全て平らげた。
あれからどれ程の時間が経ち、意識を失っていたか分からぬが、どうやら吾輩はこのお菓子の城で何処かの誰かに保護され治療を受けておったのだろう。
吾輩に包帯替わりに巻かれたスカーフは麻布の様な通気性のよい素材だった。
だが、日頃、この手の首飾りを全く付けない吾輩。
首を動かすと、若干チクチクし、違和感に耐えられなかった。徐々に苛立ち、スカーフを取ろうと後ろ脚の爪で首を掻いて藻掻く。だが、なかなか取れない。
格闘する事数分。この格闘をレフェリーが止めるように、何処からか女の声が割って入った。
「こらこら、助けた私の許可なく勝手に死なれちゃ困るんだけど」
!? 声が聞こえる先、屋敷の吹抜け天井部分に目を向けると、重力を無視し、宙に逆さまで浮く真紅の座椅子。それに腰掛ける黒いトンビコートを纏った人族の女がこちらを見ていた。つばの広い三角帽子が妖気を漂わせ、如何にも常軌を逸する存在だった。
女は座椅子から立ち上がり、空中で前転三回転半回って吾輩の前に着地した。
そして、帽子の鍔の隙間から見えた容姿と姿見を確認した時、吾輩は恐怖し、全身の毛が逆立って身構えてしまった。
無理もない。何てったって今まで命さながら逃げていた吾輩の妻、女神イシスの容姿に瓜二つだったからだ。漆黒のロングストレート髪。金糸雀色の双眼。小麦色にテカる艶のある肌など怖い程そっくりだ。いや、まて、瓜二つは言い過ぎだ、余談だが、比率から考えると、胸のサイズだけはこちらの女の方が一回りも二回りも大きかった。
予想もしなかった所に突然現れる妻と瓜二つの女性。恐怖のあまり、吾輩の警戒レベルは最大に達し、本能的に牙と爪を突き立てて、臨戦態勢に入った。
「しゃーーー!」
「どうしたの? なんでそんなに毛を逆立てるの? 一応あたし、あなたを助けた恩人なんだけど、睨み付けるなんて失礼じゃない?」
女は冷静な眼差しで吾輩に対話を求めてきた。だが、吾輩の心情察するに対話する気など毛頭なかった。
「近寄るな! 女! どうせ、妻の入れ知恵なんだろ? は、分かったぞ、さては狐の神、英吉君を油揚げで買収したな! 化け術を使って吾輩を騙そうったって、その手には乗らんぞ!」
「何わけわかんない事言ってるの? 油揚げって何?」
「うるさい! 例え喉の傷を治しても、受けた心の痛みは忘れんからな! 吾輩は! 絶対に! 絶対に! 剥製になんてならんからな!」
女は襟足を掻きむしり苛立ちを露わにしていた。
「あー、めんどくさいわね。これじゃあ埒が明かないじゃん。……仕方ない。ちょっと黙ってあたしの話を聞きなさい」
そう言うと女は指をパッチンとならした。その音と同時に吾輩の喉に巻かれたスカーフが蛇のように伸び、吾輩の全身を締め上げるように絡み付いてきた。
「な、なんだこりゃ!? は、はなせー!」
強靭な力で縛り上げるスカーフは吾輩の力を前にしてもビクともしなかった。身動きが取れなくなった吾輩に女は顔を近け、鋭い八重歯を光らせ、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「ホントは順序良く説明するつもりだったのよ? あたしの話を聞かない。猫様がいけないの。と言うか、もう見た目が猫じゃなくて熊になってるし。熊様だね。ははは!」
そう言うと女は笑いながらパン生地をこねるかのように力ごなしに吾輩の頭を撫でた。
「とりあえず安心して。あたしはあなたの命は奪わないわ。っていうか、何をもって命の定義とすればいいか分からないけど、ちゃんと元通りに蘇生されたいなら、あたしと取引しましょうよ」
何を言っているんだ? この女は。
「蘇生だ? 意味が分からん。女よ、神である吾輩に生死などと言う概念はない。何処をどう見ても死んではおらん。この期に及んで生き返らせてやるとは偉そうに、一体、どう言う意味だ。猫にもわかるように説明しろ」
吾輩の言葉は女の感に触ったのだろう。表情には一切出さないが、女はチーターが獲物の首を刈る時のような、殺意に満ちた鋭い目付きで吾輩を睨んだ
「……偉そうにとは人聞き悪いわね。川の岬で蹲って死んでたあなたを助けてあげたのは誰だと思ってるの? おまけに、ちょっと目を離した隙にあたしの家の中、荒らしに荒らしまくりやがって。調子こいてるの一体どっちかしら? え? 言ってみぃ?」
キレた女は手を開き、再び見えない力を使い、吾輩の体に巻かれたスカーフを強く縛り上げた。うげげげげ!
「おバカな猫様にあたしが分かりやすく教えてあげるわ」
女は手をかざすと、吾輩の体はミシミシ、バキバキと潰される。骨が砕かれるような悍ましい音を立て、ペットボトルをぐしゃりと踏み潰すように、圧倒的な圧縮力で吾輩の体は成形される。右手は明後日の方向に曲がり、左腕はジャバラに折り畳み、吾輩の二メートルをも超える巨体は無理やり一メートル四方の肉の塊に姿を変えられてしまった。
だが、不思議な事に、視界は見え、耳は聞こえ、声は使え、体の痛みや不調などは全く無かった。まだ生きていることが不思議なくらいだ。
「勘違いしないで。あたしは善意で行動するタイプじゃないの。これはビジネス。猫様が神様じゃなかったら。端から助けてすらないわ」
読者の参考に教えておくが、女の怒りとは色んなタイプが存在する。妻のようにヒステリックに癇癪を起こすタイプが仁王の阿形とすれば、この女は吽形。黙って、復讐と実害を与えてくる奇襲タイプだ。まぁ、どちらの女も厄介だから、出会った際には注意せよ。
「この状況で助けられたと思う奴のほうがどうかしておるぞ!」
「死者の意見を聞く意味なんてあるのかしら? 現状が理解出来ないならその身を使って体験すればいいんじゃない?」
すると、女は再び手をかざし、見えない力を使う。吾輩の体をバスケットボールサイズの球体に圧縮し、チョコレート外壁を使って壁当てドッチボールを始めた。
猫の命をもて遊ぶ悪魔の所業。こんなのトムとジェリーでしか見たことない。妻もサイコパスだが、この女も引きを取らないサイコパス。本当に妻とは無関係なのか? もしかして親戚? ……まあいい。見た目も相まって、もはや吾輩の中で二人は同音異義だ。
遠慮無しに三十回も連続で吾輩を壁打ちする女。体に痛みは感じないが身動きは取れんし、投げられ続けるのは実に不愉快だった。
女はアドレナリンに拍車が掛かり遠慮無し。回転の掛かった鋭いボールを連発する。当たったチョコレートの内壁が微粉砕するほどの剛速球だった。
だが、吾輩の体は痛みを感じず、三半規管も機能せず、全く酔わない。流石にここまでされたら吾輩の体が普通では無い事くらい理解できた。
「もういい。分かった。やめてくれ。女よ、吾輩は一体どうなってしまったのだ?」
吾輩の言葉に金剛力士は手を止め、吽形の口はやっと開いた。
「つまり、ゾンビ。あなたはゾンビなの」
「ぞんび?」
「そうよ。今、猫様の骨は折れ、血は渇き、筋肉、内臓、消化器官は完全に崩壊している。体は食べたお菓子と混ざって、簡単に言えば甘口ハンバーグ状態。でもね、そんな煮ても焼いても食えないし、ボールにも使いにくい体になっても、猫様は正気を保ち、死ぬことすらできない体なの」
女はリビング中央に飾られてある、口を開いたドラゴン頭部剥製に吾輩をスリーポイントシュートで投げ入れ、見事、口の中に入る。下顎の齧歯に吾輩の体が突き刺さり、球体形状の体はドーナッツのように穴が開く、だが、それでも吾輩は何にも感じなかったのだ。
吾輩は女の言っている事が事実なんだと悟った。神様である吾輩がものの見事に転落し、なんとも間抜けで情けない姿。心が付いてこない。目の前が真っ暗になる思いだった。
「吾輩は死体なのか……」
「そう、勘違いされてわ困るけど、わざとじゃないからね。ほれ、これがあんたを蝕んだ喉仏の毒」
すると女は吾輩の喉から取ったと言う喉仏を手のひらに乗せ、吾輩に見せてくれた。
喉仏には妻の千枚通しで打ち割れた打痕の穴。そしてその穴には悍ましい怨念が込められた瘴気が漂っていた。誰がこの毒を仕込んだかは言わんでも分かるだろう。
紛れもない妻のしわざだ。
女は吾輩を発見した時の状況を教えてくれた。
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