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*****Opération“Šahrzād”(シェーラザード作戦)*****

First contact(最初の接触)

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 エマと一緒にカフェへ入る。
 街中だからか、普通にパリにでも有りそうな洒落たカフェ。
 俺はカモミール茶にパンケーキを頼んだが、エマが頼んだのはチキンライスとピザ、それに茹でアーモンド入りのアラブ式紅茶。
 そのチキンライスには、骨付きのモモ肉が一本丸ごと乗っていて、ボリュームの半端なさに驚いた。

「よく喰うな」

「ナトちゃんも、チャンと食べないと、いつ食べられなくなるか分からないんだから」
 そう言いながら「ちょっと味見」と言って、勝手に俺のパンケーキを取って食べた。
 それにしても、よく食べるものだ。
 エマが食べ終わったのを見計らって聞いた。

「なんで俺をパートナーに選んだ?」と。

「だって、ナトちゃんアラビア語ができるでしょ」
「アラビア語なら、国軍の中にも話せるやつはいる」

 はぐらかせられないように睨んで言うと、エマは諦めたように手を広げて降参の合図をした。

「正直言うと、アラビア語が出来れば誰でも良い訳じゃないの。危険な任務だから」
「それなら優秀なエージェントを連れてくれば良いだろ」
「んー。それはそうだけど……」

 その時、エマの頼んだ紅茶が運ばれてきたので、一旦会話を止めた。
 何故か俺の分の紅茶も運ばれてきたので、頼んでいないと、言うと「美女にサービスです」と言われた。

 それを見て、エマが紅茶に浮かんだアーモンドを摘まみながら「でしょう」と言う。
 なにが“でしょう”なのか分からないので聞き流すと「私、百合だから、こういう時には思いっきり美女じゃないと駄目なの」

 思わず口に運んだ紅茶を吹き出しそうになった。

「その顔にその体なら、別に百合にならなくても、引く手あまただろう」
 我ながら、言っていて恥ずかしい。

「そりゃあ、今迄何十人も、いやそれ以上の男と寝たわよ。だけど結局行きつく先は、同じ体と心を持った女性。ねえ、ナトちゃん――」
 そう言って、俺の手を握る。

 周りの客がニヤニヤと俺たちを見ている。

「出よう」

 そう言ってエマの手を取って店を出た。

 通りに出て、ぷらぷらと街を歩く。
 時刻はもう4時。
 もう少ししたら、アスル(遅い午後の礼拝)の時間だったので、モスクに向かって歩いた。

 時間が近くなるにつれ、同じ方向に向かう人が増えてくる。
 そして、そのうちの何人かが、俺たちを見ていた。
 エマが馬鹿な事ばかりするから、すっかり有名人になってしまったじゃないか。
 こんな状況で、潜入捜査などできるのか?

 モスクの近くまで来ると見慣れた車両が止まっていた。
 VBL装甲車が2台。
 国軍の最後のパトロール。

 ナカナカ良い所に目を付けたつもりかも知れないが、この大勢の中からバラクを見つけ出すのは大変だろうし、わざわざ人の目に付く所に現れるとも思えない。



 礼拝が終わり、2人で宿を探した。
 エマは交渉が上手い、地中海の見える綺麗な宿を格安で手に入れることが出来た。

 真っ白な建物に、真っ白な部屋。
 カーテン付きのダブルベッド。
 綺麗な青色の大きいバスタブに、お湯を張ると屹度小さな地中海になるのだろう。
 シミひとつないレースのカーテンを開くと、目の前に広がる青い地中海。
 真っ白な広いベランダには、真っ白な小さなテーブルと椅子が2脚。

 ベランダに出ると、心地好い風が額を撫でる。
 目を下に移すと、青い地中海の手前には、もう一つ青いプールがあった。

「凄い!凄い! 海の手前にプールがあるよ! 見て!見て! 地中海を船が走って行く!」
「嬉しい?」
「うん。すごく……」

 ソファーに腰掛けて微笑みかけるエマ。

 その笑顔は、小さな子を慈しむように優しい。
 そして俺ときたら、はしゃぎまくって、まるで子供。

「いや……ガキだったら、こんな風に騒ぎ出して煩いんだろうなと思って、マネをして見せてやっただけだ」
 咳払いをして、ベランダに肘をつく。

 エマがソファーを離れて近づいてくる。

「敵に見せる鷹のような鋭い瞳と、恋人に見せるドンチェリーのように甘い瞳。ボーイッシュに髪を短くしてみせても、可愛さは隠しきれないわね」
(※ドンチェリー = ケーキなどに使われる、さくらんぼの砂糖漬け)

「どっちのナトちゃんが、本当のナトちゃんなの?」

 俺の横に来て、真っ直ぐに俺の目を見て、そう尋ねてくる。
 そのチョコレート色の瞳をどう見返せば良いのだろうと戸惑い目を逸らすと、その隙を狙っていたかのようにエマの唇が俺の唇に重なる。

 “やめろ”
 そう言いたくても、口を塞がれて言葉にならない。
 ベランダに寄り掛かっていた体は逃げ道を塞がれ、振り上げた拳はエマの逞しい手に捕まる。
 エマの温かさが体の奥に深く根を張るように侵入して、抵抗する力が徐々に奪われて行く。
 サオリと初めて濃厚なキスをした時と似ている。

 抗えない。
 屹度エマは俺の何かを知っている。
 そして。俺の攻め方も……。



 ベッドの上で、まるで猫のようにじゃれながらこれからの作戦を聞いていた。
 一番大事なことは、敬虔な信者である必要がある。
 神のもとで戦う彼らに近づくには、それが最も重要なこと。
 だから俺たちは、マグリブ(日没後の礼拝)に出て行った。



 マグリブを終えてエマが夕食にしようと言い出した。
 直ぐにイシャ―(就寝前の礼拝)だからどこも混むので、その後にしようと言うが聞き分けのない子供のように駄々をこねられ、仕方なしにモスクの近くにあった食堂に向かうとやはり混んでいた。

「やっぱり後にしよう」
「嫌々、エマ、どうしても食べたい。だってお腹ペコペコペコリンなんだもん」
 また始まった。

 それにしても、エマの変わりようときたら一体なんだ?
 基地ではミラー少佐の嫌味も軽く跳ね返してしまうほどの鉄の女のように見えたのに、今じゃただのデカい甘えん坊。
 しかも百合だし。

 仕方ないので、順番を待つことにした。
 待つ間も、つまらないからと言って、俺にベタベタとくっついて来て百合の花は満開で、周囲の男たちが面白がってニヤニヤしながら取り囲んで見ている。
 正直、この任務を承諾したハンスを恨む。

「お姉ちゃんたち、どこから来たんだ?」
 前に並んでいた男が声をかけてきた。

 二十代半ばの、背の高い調子のよさそうな男。
 フランスだと正直に答えようと思っていた俺の前にしゃしゃり出たエマが、シリアだと答えた。

「そうかい、あっちは大変だね」

「そうなのよ。まったく大統領と多国籍軍にはホント腹が立つわ。一体誰の国だと思っているのかしら」
 “おいおい、俺たちは、その多国籍軍の一味だぞ!”

「そうかい、じゃあ宗教派かい?」
「とんでもない。宗教派なんてまっぴらよ! あいつらアラーの面汚しよ。いったい何人処刑すれば気が済むのよ」

「じゃあザリバン?」
 男の声が、少しだけ小さくなった。

「だって、ザリバンくらいなものでしょ。ぶれずにチャンとアラーのために戦ってくれているの」
「気に入った!姉ちゃん俺たちの前に並べよ」
「あら、ありがとう」

 譲ってくれた男は「シリアから来た同胞だ! 誰か席を譲ってやろうっていう、粋な野郎はいねぇか!」
 と店内向けて大声を上げた。
 すると、直ぐに席を譲ってくれる人が現れて、俺たちは、まんまと直ぐに食事を済ますことが出来た。

 イシャ―を終えて、モスクからでると、さっき食堂で会った男が待っていた。

「姉ちゃんたち、どこに泊っているんだい?」

「海岸線のホテルよ」

「そうかい。あそこは高いだろう。で、いつまで居るんだい?」

「そうね、向こうが落ち着くまでは居たいと思っているんだけど、あとはお金次第ってところね」

 男は、エマの言葉を聞いて上機嫌になり「それなら、俺の知っている家を紹介するぜ。まあホテルに比べれば豪華じゃないが、頑固者だが頼りになる爺さんが経営する食堂の2階が開いている。よかったら明日ファジュル(早朝の礼拝)の時にでも声をかけてくれ。俺は明日もここに居るからもし見つけられなかったら俺の名を呼んでくれ。俺の名はセバ」

「ありがとう。今夜この子と相談して決めるね」
「ああ、じゃあな!」

 そう言って男は帰って行った。

 モスクを出てホテルに向かう道を黙って歩いた。
 久し振りにエマも黙っている。
 屹度、はしゃぎ過ぎて疲れたのだろう。
 日の落ちた道を一台の車がこっちに向かって走って来る。
 普通の車よりも高いシルエットにディーゼルエンジンの音。
 今日買ってもらった令式軽装甲機動車だ!

 合図を送ろうとした俺の腕をエマが掴んで、抱き着いてきた。
 驚きながらも車に目を移すと、フロントガラスに鼻の下を伸ばした間抜け面をしたトーニとモンタナが俺たちのほうを見て通り過ぎて行った。
 どうやら俺に気が付いていない様子。

 エマは軽くキスをして「帰りましょう♪」と言って放してくれた。
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