上 下
48 / 64
*****Opération“Šahrzād”(シェーラザード作戦)*****

恋人ごっこ

しおりを挟む
 ムサのお店を出る前に、エマに注意された。

 それは、言葉遣い。

“恋人の前では、女の子言葉を使う事。特に『俺』は禁止よ!これは任務成功のために行っていることだから、アドバイスではなくて命令として受け止めなさい。それから、恋人の前では可愛い女の子でいること。クールなハンスに思いっきり甘えるのよ。そうでないと偽物のカップルって直ぐにバレてしまうから”

 と、これも命令。

 女として生まれて、これまでに女言葉を使ったのはサオリたちと一緒に暮らした難民キャンプでの数年間しかない。

 それも、もう4年も前の事。

 言葉遣いは、その時の記憶をたどれば何とか出来そうな気もするけれど、人に甘えたことがないので、これは難しい。

 だけど、今更恥ずかしいが、命令と言われれば従うしかない。

 晴天の街中を歩いていて、通りすがる人たちからジロジロ見られるのには屹度訳がある。

“そうだヒジャブを付けていない!”

 そう思って、ブティックのある通りに寄り道をした。

 ハンスの手を引っ張って、入ったのは帽子屋さん。

「一体どうしたんだ?」

 俺の珍しい行動に、ハンスは少し戸惑っている。

「帽子を買う!」

「帽子?」

 お店に入って、いろいろな帽子を被ってはハンスに見せて「どう?」って聞いてみる。

 これは、ここに来てブティックに入ると必ずエマが俺の前で見せていたこと。

“早く決めろよ!”と思う反面、女の子らしくて羨ましかったので真似てみた。

 でもハンスったら、どれを見せても「似合うよ」って微笑んでくれるだけ。

“やっぱり面倒なのかな?”

 お店で白いベレー帽を買った。

 首に巻いていた青いスカーフを外してヒジャブのように頭に掛け、その上にベレー帽を被って見せると、ハンスが「Charming!」と言ってくれた。

“うん。ハンスも恋人らしくするように努力しているみたいだ”

 手持無沙汰で、なんとなく自動小銃を持ちたい衝動にかられ、それを我慢するために日傘を買った。

 ハンスの前で、それを開いて見せると「fantastic!」と、また無理に喜んでくれたので、お礼に傘を降りたたんで銃を撃つ格好に構えて「ズドン!」と言った。

 ハンスは「Oh,shit!」と言いながら、お腹に手を当ててヨロヨロと倒れそうになる。

 そして、手を当てているお腹からは何か赤い血のようなもの……。

“まさか、俺の言葉に合わせるように狙撃されたのか!?”

 少し浮かれていたが、ここは俺たちの戦場だ。

 慌てて倒れそうになるハンスを支えた。

 とにかく、ここではマズイ!

 どこか物陰に隠れないと。

 そう思って、撃たれてスッカリ力の抜けてしまったハンスを慌てて建物の隙間に引き込んだ。

「待ってろ!直ぐ救急車を呼んでくる」

 そう言って、出て行こうとする俺の肩をハンスの手が捕らえた。

 振り向いた俺の目の前にはハンスの顔。

「どうした――」

 最後まで言う前に、その言葉はハンスの唇で塞がれた。

 求められるまま、受け入れ、俺も求めた。

「いま、救急車を呼んでくるから、待っていて」

 激しいキスのあとでそう言うと、ハンスが目の前にチラチラと赤いハンカチを振る。

「……もしかして?」

「そう。その、もしかして」

 騙された。

 俺が血だと思ったものは、この赤いハンカチ。

 狭い建物の隙間でハンスの胸を打つ。

 その手は直ぐに掴まれて、またキスを奪われた。

 そしてハンスの胸に置いた手は、その脇の下を潜り抜け広く逞しい背中を抱いていた。

「意地悪ね……」

「仕掛けて来たのは、君のほうさ……」

“傘で自動小銃の真似をしたのがイケなかったのかな?”

 そこまでは考えることが出来たけど、直ぐにまた熱いキスをされ何も考えられなくなりそれを受け入れていた。



 建物の陰から通りの様子を伺い、人通りのない所を見計らうようにコッソリ通りに出る。

 通りに出たところで、また様子をうかがって、まだ建物の陰に居るハンスにGoの合図を送る。

 そうして二人肩を並べて、何もなかったような顔をして歩き出す。

 相変わらず、すれ違う人たちが俺たちを振り返る。

 少し前まではヒジャブをしていなかったからだと思っていた。

 でも今は代替えを使っているから違うと分かる。

 みんなが振り返る理由――それは屹度、注目のカップルだから。

 誰もが憧れるような、仲の好いカップル。

 自然に笑みが零れ、そして我慢できなくなり走り出す。

 人通りのない十字路のど真ん中で、ハンスの手を取りグルグルと回る。

 まるで地球を回る月のように? いいえ太陽を回る水星のように。

 ハンスと腕を組んで歩き、ジュースが飲みたくなったらお店に立ち寄り、綺麗な物や珍しい物を見つけるとハンスを引っ張ってそれを見る。

 全部エマの真似。

 カップルに見せるために真似をしているだけなのに、信じられないくらい楽しい。

 こんなに楽しいのは、サオリと一緒に居たとき以来。

 でも、あの時は全部サオリが導いてくれた楽しさだから、今の楽しさは少し違う。

 今の楽しさは、自分の魂の奥から湧き出てくる。

「楽しそうだな」

 時々、俺の突然の変わりように驚いたハンスがそう言う。

 俺は自然に言葉を返す。

「だって。カップルなんですもの。キスして頂戴」

 言葉の通りに、何度も立ち止まってはキスをした。

 もう周りの視線なんか目に入らないし、気にもならない。

 私の瞳の中に入るのはハンスだけ。

 出来ることなら、そのハンスを瞳の中に閉じ込めておきたい。

 ムサのお店を出たときは手を繋いでいただけ、それから腕を組むようになり、今ではハンスの逞しい腕に抱き着いてまるでぶら下っている感じ。

「若いカップルは、お盛んで良いのう」

 通りすがりのお爺さんが、すれ違いざまにそう言った。

 お爺さんは、最近では珍しくなってしまったガラベイヤを纏い、頭にはタギーヤではなくクフィーヤを白いイガールで止めて被っていたので顔も体つきも分からない。

 それよりも腰は曲がっているものの、体形や雰囲気がLéMATの隊員でお調子者の“トーニ”に似ていて可笑しくて「ねえねえ!今すれ違ったお爺さん、トーニに似ていなかった?」と腕を一段と強く抱きしめて言った。

「トーニなら、こんな綺麗なナトーを見たら、まとわりついてくるだろう」

 俺の言葉にそう返事を返したハンスは、珍しく無関心を装っているように見えた。



 この先の通りを曲がると、バラクの居る通りに出る。

 屹度、こんなスパイのような任務に緊張しているのだと思う。

 しかし、緊張なんかしていたら直ぐに何者か疑われてしまう。

 だから俺はハンスの手を引っ張って、塀の陰に入り、その唇を求めた。

「通りに入る前に、もう一度抱いて」

 俺の体は、ハンスに優しく包み込まれ、何度も熱い、熱いキスを交わした。
しおりを挟む

処理中です...