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battle in Paris(パリでの戦い)

[A dream that lasts less than a few seconds Ⅱ(数秒にも満たない夢)]

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 勘の鋭い奴。

 それも生き残るためには重要な要素。

 シュパンダウの言う通り、確かに以前の俺とは少しだが変わった。

 ジュリーがレジスタンスだと知った今、極力彼等との闘いは避けたかったし殺したくなかった。

 もし、殺した人の中にジュリーの大切な人が居たとしたら、彼女がどんなに悲しむか知っているから。

 だからこの戦場から逃げ出したかった。




 オスマン大尉と話したあと、提督府から配置換えの連絡が入った。

 明日の朝、俺達はここを離れ、13区にある‎ディタリー広場‎に移動する。

 ‎ディタリー広場‎は7つの主要道が集まる交通の要衝。

 そのうちの1つの道は、連合軍がパリに侵攻するときに使用されることが予想されるポルト・ディタリー 通り。

 そして1,5km隣には、もうひとつの進行ルート、ポルト・ドルレアン通りがある。

 移動するのは俺の分隊だけで、中隊はセーヌ川を挟んだ間反対の18区にあるパリ駅に移動する事が決められた。

 約2万人居るドイツ軍のパリ市内の守備隊の殆どは、北のパリ駅周辺と東のヴァンセンヌの森、そして西のブローニュの森に配置され、いずれもセーヌ川を挟んだ向こう岸に位置する。



 まるで“南口からお入りください”と言う様な布陣。



 やはり俺の予想通りコルティッツ将軍は、パリを連合軍に売るつもりに間違いない。

 そして俺たちの不可解な移動は、パリ警察の動きを封じ込めた報復処置。

 オスマン大尉と一緒に万が一の時にどうするかという事も考えたが、お互いの距離はセーヌ川を挟んだうえ尚も直線で7kmも離れているので直ぐには良い考えが浮かばなかった。

 今までレジスタンスの事を心配していたが、今度は俺や俺たちの分隊の事も考えないといけなくなった。

 ただ全力を尽くして戦うだけでは到底生き残る事は叶わないし、そうなればジュリーとの約束も果たせなくなってしまう。




 クリスマス……今年のクリスマスまでに、戦争は終わっているのだろうか?

 ふと流れ星に気を取られて、夜空を仰ぎ見る。





 まだ夏だと言うのに、まるで冬の様に澄み切った黒い空の色。


 再び目を地上に戻すと、そこはここではなくジャンヌ・ダルク広場の中に立つ約束した教会の手前。


 季節も何故か冬に変わり、薄っすらと雪化粧をした街並みが、おしとやかな表情を浮かべて迎えてくれる。


 クリスマスの飾りに覆われたモミの木。


『メリークリスマス!』


 どこかで誰かが大きく陽気な声を上げると、直ぐに若い男女のグループが笑い声をあげた。


 “平和”


 そう。


 もう戦争は終わったのだ。


 遠くから艶やかな紫色のイブニングドレスを纏った妖精を見つけた俺は、しばらくの間その神秘的な美しさに心を取られて近付きもせずにただ眺めていた。


 やがて約束の20時を告げる教会の鐘が鳴り、真っ暗なキャンバスに絵を描いていた星々が一斉に煌めき、降りてきた天使が俺の背中を押す。


 ようやく歩き出せた俺は、ゆっくりと一歩ずつ一目散に、妖精の下に歩み寄る。


『おまたせ』


『随分遅かったのね、レディーをこんなに待たすなんて、紳士じゃないわ』


 鼻先をツンと尖らせたジュリーが、眼をキラキラと光らせて俺に食いついてくる。


『俺は紳士じゃない。元は兵士だ』


『あら、昔の戦争では、アナタの様に勲章を沢山貰った英雄は男爵バロンの称号を授かったものよ。いつからオカシクなっちゃったのかしら?』


『この戦争から。工業の力が、人間の力を追い越してしまったからさ』


『ああ、ルッツ会いたかったわ』


 ジュリーは他愛もない会話を打ち切ると、愛しみに満ちた優しい表情を俺に向け、胸の中に飛び込んで来た。


『ああ、ジュリー俺も会いたかった』


 この雪化粧の街中でコートも纏っていない彼女の体はとても冷たく、俺は彼女の愛情と冷えた体を受け止めるために思いっきり深く抱き留めた。


『ああ、ルッツ、温かいわ。約束通り生きて会いに来てくれたのね』


『大切な約束だったからな』


『ごめんなさい……』


 俺の胸の中で泣き出してしまったジュリーを、黙ったまま俺はいつまでも抱きしめていた。






 顔を空に向けると、さっきの流れ星がまるで贈り物をばら撒くように綺麗な火の粉を散らしながら消えていった。

 景色は夏に戻り、抱いていたはずのジュリーは居ない。




 数秒にも満たない夢……。



 人の気配を感じて周囲を見渡す。

 誰だ!?

 殺気は感じない。



 ジュリー……!?



 セーヌ川を挟んだ向こう岸に立つ警察本部の3階の窓に、俺を見ている人の気配を感じた。

 灯りの灯っていない窓には人影も見えない。

 けれども彼女は確実にその窓辺に立っていて、俺を見ている。

「ジュリー……」

 視線が合ったのを感じて、小さくその愛しい名前を呟いた。
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