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聖女様の献身〜聖女様の魔力が消えるとき本当の奇跡が生まれる
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これはむかーし、むかーしとある王国にいた聖女様のおはなし。
「⁉︎ もしかして魔力が発動してない?」
聖女ティナの異変は聖女の役目である教会での祈りの最中におきた。
「どうしたことでしょう。どうして急にわたしの魔力が? とにかく神官様に相談しなくては」
“聖女の魔力の消滅”
その知らせは王国中を一気に駆け巡った。
それは婚約者であるキース王子の耳にも。
「なに? ティナの魔力が消えただと」
ティナに相談された神官が神妙な顔つきで口を開く。
「どうやらそのようでして⋯⋯」
「本当かティナ?」
「はい。いつものように女神様に祈りを捧げていましたら、女神様が私に語りかけてきてくれなかったのです。それだけじゃありません。いつもは聞こえるはずの草木や花の楽しい唄や、吹き抜けていく風さんの心地よいメロディがまったく聞こえなかったのです」
「聖女のほとんどは18歳を過ぎるとその魔力を失われるといいます。ティナも19になりました。聖女のお役目はこれ以上果たせそうにありません」
「聖女は王国の宝だ。なら急いで新しい聖女を用意するんだ」
「はっ!」
「10年務めさせていただいた聖女のお役目を解かれるとのことでしたら、キース様の妃(きさき)として恥じぬようこれからは花嫁修業に精進させていただきます」
「その必要はない」
「なぜですか?」
「婚約破棄だ。ティナとは婚約破棄する。この王国の妃は聖女でなければならないのだ」
「だけどティナはキース様のことをお慕いもうしております」
「言わせるな。俺は聖女であること以外にティナに興味はない」
「⁉︎ そんな⋯⋯」
「だからといって民を無造作にポイ捨てすることは王子として失格だ。こういうのはどうだティナ」
「?」
「隣国との友好の証に隣国の公爵に嫁いでもらおう。その方は奥方を早くに亡くされた寡婦(やもめ)だ。その方の後添えになってやれ」
「キース様、急に言われましても心の整理が⋯⋯」
「少しくらい俺の役に立て。聖女なんて正直、祈っているだけの存在だ。この王国の建国当時から民の信仰を集めているから代々王族がそばに置いて重宝しているだけのこと。聖女じゃなくなったってことはつまりそういうことだ。ティナが未練に俺を思うことはない。馬車の用意はしておく。さっさと教会に戻って荷物をまとめるんだ」
***
その日の午後
聖女の追放はトントンと進む。
「ティナさん、今日から私が新しい聖女よ。とくに引き継ぐこともないと思うからこれでさよならだけど」
ティナの後任は幼いときから一緒に聖女候補として教会に育てられてきたローザ。
聖女は“癒し”“魅了”といった人々の心に作用するスピリチュアルな魔力を持つごく限られた女の子の中から選ばれる。
それもたったひとり。
そしてローザにはティナより魔力値がわずかに及ばなかったという理由で聖女に選ばれなかった経緯がある。
だがこの世界で魔力は概念的なものであって魔力そのものが存在するかは定かではない。
「お祈りの儀式はかかさずにお願いします。女神様にもよろしくお伝えください」
「はぁ?」
“聖女なんて毎朝のお祈りだけが仕事の特権階級じゃない!
それでいて民衆からは神のように崇められるはなんでもタダ。
なんでこの女が聖女に選ばれていたのかしら。
ほんとう教会の見る目はどうかしているわ“
「そうだわ!私、キース様と婚約したの」
ローザは勝ち誇った顔でティナを見下ろす。
「キース様と⋯⋯」
「私ってほら中身だけじゃなくて見た目にも恵まれているじゃない? それに“魅了”の聖女だから。キース様も鼻の下を伸ばされちゃってもう私に夢中よ。だからティナも安心して殿方のところへ嫁いでね」
「ローザお願い。キース様には」
ローザはティナの言葉に耳を貸さず馬車の扉を閉じた。
「行ってちょうだい」
馬車は動き出す。
「聖女、大変だけどがんばってローザ」
「なにそれ? 負け惜しみ?」
***
ティナを乗せた馬車はその日の夕方にはもう国境を越えて一晩で深い森を抜けた。
翌朝にはもう馬車は公爵が暮らすお屋敷の前にたどり着いた。
「お待ちしておりました」
馬車の扉が開くなり深くお辞儀したのは紺碧の瞳に金色の髪をうしろに縛った凛々しそうな女性。
公爵のメイドを務めるカミラ。
馬車を運転してきた御者は首を傾げた。
聖女ではなくなったとはいえ隣国からはるばる嫁ぎに来たティナをメイドたったひとりが出迎えたことに。
少なからずティナも違和感を覚えたはずだ。
「主人(あるじ)のフレッド様がお部屋でお待ちです」
「はい」
カミラに先導されながら屋敷の長い通路を進むティナ。
カミラがティナの顔をチラッと見て問いかける。
「フレッド様のことはどこまで?」
「行く馬車の中でフレッド様について書かれた書類に目を通しました。
音楽家でいらしてそれでいて情熱家だと書かれていました。
フレッド様がお作りになった曲『春庭』はわたくしがいた王国でも有名です」
「左様ですか。(小声で)読んでほしかったのはそこじゃなかったのですが」
「?」
「フレッド様は先の奥様が生きていた頃からつづけていらっしゃる習慣(ルーティーン)を
大事にされております。ティナ様にもお守りいただくようお願いいたします。ではこのお部屋です」
***
「失礼いたします。フレッド様、ティナ様をお連れしました」
「ありがとう。君がティナか。はるばる隣国からよくきてくれた」
「こちらこそフレッド公爵にお目にかかれて光栄です」
フレッド公爵はティナとはひと回り以上離れた歳上の男性。
前妻のフィオナはフレッドと同じく世界的に有名な歌手だった。
フレッドが演奏するピアノに合わせて歌うフィオナの歌は世界中の賞賛を集めた。
だが3年前にフィオナを亡くして以来、音楽に情熱的だったフレッドの姿はなりをひそめ、ついには
音楽家としての活動をやめてしまった。今では2人の思い出が詰まった部屋にこもって塞ぎ込んでいる。
「君とはあくまで政治的な事情で結婚というかたちとなった。
それ以上でもそれ以下でもない。君には悪いが私が愛するのは亡くなったフィオナただひとりだ。
お詫びにティナには自由に過ごせる屋敷を用意させる。それまでは賓客が寝泊まりする部屋を使ってくれ」
「フレッド様、私はフレッド様と夫婦(めおと)になるためにやってきました。
夫婦となったからにはフレッド様の妻らしく振る舞わせてください。
さっそく紅茶を入れて差し上げますのでそのままお待ちください」
「けっこうだ。まだ紅茶を嗜む時間ではないのでね」
「ご安心ください。教会にいた頃はわたしの入れる紅茶は美味しいと評判でした」
「カミラ」
「は!」
「彼女に教えてやれ」
「奥様、ちょっとよろしいですか」
「カミラさんも一緒に茶葉を探して下さるんですか?」
「そうではありません。ちょっと表へ」
***
「奥様はおとなしくしていてください」
「それではわたしが何のためにここへやってきたのかわかりません」
「いいですか。フレッド様の身の回りのお世話は私がやります。
奥様はなるべくお静かにお過ごしください」
聖女でなくなってからのティナは居場所はなくなるばかり。
おっとりとしているティナの心にも焦りが生まれる。
しかし多少のことではめげないのがティナだ。
***
翌朝
「フレッド様、今朝は目覚めに効くコーヒーとカリッと焼いたトーストをご用意致しました」
フレッドはティナが部屋に運んできた食事を不機嫌そうな顔で見る。
「ティナ様⁉︎ なにをなさっているのですか。フレッド様のモーニングのお食事は36度に温めたミルクとベーコンエッグと決まっています。
それに決まったお食事の時間まで30分もはやいです。昨日説明したではありませんか」
「ですが、フレッド様にも少しは新鮮なことを」
「なりません」
「なら仕方ありません。だったらこのお部屋のお掃除をします。フレッド様せっかくだから気分転換に家具の位置を変えてみるのはいかがですか」
「⁉︎」と、フレッド侯爵が目を見開いて驚く。
そして花瓶を持ち上げようとするティナをカミラが慌てて静止する。
「なりません! ティナ様いや奥様。家具などの配置は先の奥様が使っていたときのままにしているのです。余計なマネをしないでください」
「⋯⋯」
「ティナ。気持ちはうれしいが私はフィオナがいたときのままの生活をつづけたいんだ。
フィオナを忘れないためにも」
「フレッド様⋯⋯でしたらわたしにも歌を歌わせてください。こう見えてもわたし“癒し”の聖女だったんです」
ーー
聖女は歌が下手だった。
***
次の日ーー
フレッド公爵は寝込んでいた。
「フレッド様、いつものお食事をお持ちしました。食べられそうですか?」
「ああ」
「起き上がれますか?」
「大丈夫だ。それよりカミラ。窓の外を見てくれ」
「(小声で)たまには私のことも見てください」
「フィオナが手入れをしていた庭の大樹や花がフィオナが亡くなってからというもの枯れ続けている」
「俺の命もこの庭の命と一緒に尽きる。聖女がやってきてつくづく思った。
俺にフィオナがいなくなった世界で生き続けることは無理だったんだ」
「フレッド様⋯⋯」
***
聖女を追放して1週間が経った王国ではーー
「なんということだ⋯⋯」
教会内の図書室で古い文献を漁っていた神官は頭を抱えた。
王国内では疫病が蔓延し、キース王子も病に倒れた。
肝心の聖女ローザは特権階級にあぐらをかいて、服や装飾品を買い漁るなど日々贅沢三昧。
聖女の役目を軽んじていたローザは、ティナから託された女神への祈りを一日も行っていない。
「キース様、お身体の調子は良くなりましたか」
「ダメだ。日に日に重くなっていく⋯⋯」
「結婚式が間近だというのにいったいなぜ⋯⋯」
「紅茶だ。ティナが出してくれる紅茶を口にしなくなってから身体の調子がおかしい。
やはりあの紅茶には聖女の魔力が⋯⋯」
「⁉︎」
ローザはティナが王国を立つ前に何かを言いかけていたのを思い出した。
まさかあの言葉のつづきはキースに毎日、聖女の魔力がこもった紅茶を飲ませて
キースの身体をケアしろということだったのか。
ローザは焦燥する。
「キース様お待ちください。ローザがこれから紅茶を入れます。
最近わかったのですが、私の魔力はティナよりも強いのですよ。だから私の入れる紅茶はとても効きますから」
「ありがとう」
部屋を飛び出していったローザと入れ替わるように神官が入ってくる。
「キース様恐れならがら申し上げます」
「なにごとだ?」
「先日の聖女ティナの魔力が突然消えた件についてですが⋯⋯あれは私の勘違いにございました」
「なんだと?」
***
一方のティナは庭に生えている1本の大樹に祈りを捧げることが新たな日課となっていた。
「はい。今日もありがとうございますフィオナさん。ごめんなさいフレッド様の女神様でしたね」
***
「聖女の魔力は18歳を過ぎたところ減退いたします。ですがそれは一時的。
本当はそのあとから皮を破るように聖女の魔力が溢れ出して聖女は大聖女として進化を遂げるのです」
「大聖女⁉︎」
***
長い廊下を進むカミラはいつものように朝食を運んでいる。
それも朝食を定刻にフレッド公爵の前に出せるようにと計りながら。
そんなカミラはふと庭に目をやった。
「ティナ様。またあのような⋯⋯フレッド様をおしたいしている私がいくらフレッド様のなさりたいように
尽くしても主人とメイドの関係は変わらないというのに。突然やってきたあなたはなんなの?
私がずっとなりたかった関係になっているというのに、好き勝手フレッド様の気を揉むようなことばかり。許せない⋯⋯」
歯がゆく庭を見つめるカミラの頬に涙が伝ったときカミラは「⁉︎」と、ある変化に気づいた。
「あれは⁉︎」
***
「フレッド様!起きてください」
「カミラが定刻よりはやく私を起こしに来るなんて珍しいな」
「す、すみません! そんなことよりはやくカーテンを開けて庭を見てください」
「どうしたんだ。そんなにせかして⋯⋯ん⁉︎」
カミラがカーテンを開けて現れた光景にフレッド公爵が驚かされる。
「枯れた大樹から若葉が⋯⋯まさかありえない」
「ティナ様が毎朝祈りを捧げていました。魔力が消えたなんてウソ。あの方は紛れもない聖女ですよ」
***
「女神様⋯⋯フレッド様の心にもようやく晴れ間が見えましたよ。
私がこのお屋敷にやってきたばかり頃はフレッド様のお身体をすごく心配されていましたよね。
今はあなたの姿もはっきり見えます。安心してください。フレッド様はもう大丈夫ですよ」
***
「大聖女だと⋯⋯まさか」
「我が王国は聖女の魔力が生み出す平和と日常が当たり前になっていました。
いつのまにか聖女のおかげで生きているという大事な事実を忘れ、それは愚か聖女の存在そのものを軽んじるようになってしまっていたのです」
「この王国に古くから伝わる迷信や伝説の類とな」
「まさかこんなに急速に水は淀み、疫病が蔓延するとは⋯⋯やはり急ごしらえのかりそめの聖女ではダメでした」
「すべては俺の責任だ。この王国の成り立ちを軽んじた俺のな。祖先の王たちはいまごろ空から俺を見ながら愚者と罵っていることだろう」
キース王子は間もなくしてこの世を去った。
そして“魅了”の聖女ローザは民が困窮しているのを尻目に贅沢の限りを尽くしたとして、
一斉蜂起した民たちによって断頭台の前に立たされその首をはねられた。
***
「フレッド様、奥様を連れて参りました」
「ありがとうカミラ」
「これはなんなのですカミラ?」
「フレッド様が奥様のために新しい曲をお作りになったのです。
フレッド様がピアノをお弾きになられるのは先の奥様が病で倒れられる直前のコンサート以来」
「それじゃあ。生きる希望が」
「カミラ、1曲目は私に尽くしてくれた君に。そして2曲目はーー」
***
「それが曽祖母が目の当たりにした名曲『聖女』が誕生した瞬間でした」
「まさか先生のひいおばあ様が誰もが知る名曲誕生の場に立ち合っていたとわ」
「はい。子供の頃、寝る前に曽祖母が何度も聞かせてくれました」
「まさか僕が好きな曲『カミラ』が世界に名だたる指揮者ライネル先生のひいおばあ様のお名前だったとは非常に驚かされました」
「それはなにより」
「ですが、どうしてこんな貴重な話を突然私に?」
「支配人には今夜の演奏のためにぜひ、知っておいていただきたかったんですよ」
「知る?⋯⋯私が?⋯⋯そうか⁉︎ 今夜のコンサートのセトリ! これは!」
そう『聖女』をただ単純に観客に聴かせるだけではこの曲の本当の良さが伝わらない。
一曲目の『唐突』から『追放』『戸惑』『崩壊』『カミラ』と聖女ティナが駆け抜けた半生を追体験してもらってから奏でる『聖女』それこそがこのコンサート一番の魅力だ。
聖女は単発の曲ではなく組曲。
曽祖母の恋は叶わなかったけどそれはこの曲の真実を知る俺だけが振れるタクト。
道路を自動車が走り、人々が遠くに行くのも楽になった。
そして見上げた空には飛行機が人を乗せて飛んで行く。
時代が流れていくごとに人々の生活様式は変わる。
医療が発展し、真に聖女様を必要としなくなった世界。
しかし、聖女様の起こした奇跡。
その献身によって生まれた聖女と公爵2人の曲は変わることなく永遠に語り継がれる。
誰かがタクトを振るう限り。
おわり
「⁉︎ もしかして魔力が発動してない?」
聖女ティナの異変は聖女の役目である教会での祈りの最中におきた。
「どうしたことでしょう。どうして急にわたしの魔力が? とにかく神官様に相談しなくては」
“聖女の魔力の消滅”
その知らせは王国中を一気に駆け巡った。
それは婚約者であるキース王子の耳にも。
「なに? ティナの魔力が消えただと」
ティナに相談された神官が神妙な顔つきで口を開く。
「どうやらそのようでして⋯⋯」
「本当かティナ?」
「はい。いつものように女神様に祈りを捧げていましたら、女神様が私に語りかけてきてくれなかったのです。それだけじゃありません。いつもは聞こえるはずの草木や花の楽しい唄や、吹き抜けていく風さんの心地よいメロディがまったく聞こえなかったのです」
「聖女のほとんどは18歳を過ぎるとその魔力を失われるといいます。ティナも19になりました。聖女のお役目はこれ以上果たせそうにありません」
「聖女は王国の宝だ。なら急いで新しい聖女を用意するんだ」
「はっ!」
「10年務めさせていただいた聖女のお役目を解かれるとのことでしたら、キース様の妃(きさき)として恥じぬようこれからは花嫁修業に精進させていただきます」
「その必要はない」
「なぜですか?」
「婚約破棄だ。ティナとは婚約破棄する。この王国の妃は聖女でなければならないのだ」
「だけどティナはキース様のことをお慕いもうしております」
「言わせるな。俺は聖女であること以外にティナに興味はない」
「⁉︎ そんな⋯⋯」
「だからといって民を無造作にポイ捨てすることは王子として失格だ。こういうのはどうだティナ」
「?」
「隣国との友好の証に隣国の公爵に嫁いでもらおう。その方は奥方を早くに亡くされた寡婦(やもめ)だ。その方の後添えになってやれ」
「キース様、急に言われましても心の整理が⋯⋯」
「少しくらい俺の役に立て。聖女なんて正直、祈っているだけの存在だ。この王国の建国当時から民の信仰を集めているから代々王族がそばに置いて重宝しているだけのこと。聖女じゃなくなったってことはつまりそういうことだ。ティナが未練に俺を思うことはない。馬車の用意はしておく。さっさと教会に戻って荷物をまとめるんだ」
***
その日の午後
聖女の追放はトントンと進む。
「ティナさん、今日から私が新しい聖女よ。とくに引き継ぐこともないと思うからこれでさよならだけど」
ティナの後任は幼いときから一緒に聖女候補として教会に育てられてきたローザ。
聖女は“癒し”“魅了”といった人々の心に作用するスピリチュアルな魔力を持つごく限られた女の子の中から選ばれる。
それもたったひとり。
そしてローザにはティナより魔力値がわずかに及ばなかったという理由で聖女に選ばれなかった経緯がある。
だがこの世界で魔力は概念的なものであって魔力そのものが存在するかは定かではない。
「お祈りの儀式はかかさずにお願いします。女神様にもよろしくお伝えください」
「はぁ?」
“聖女なんて毎朝のお祈りだけが仕事の特権階級じゃない!
それでいて民衆からは神のように崇められるはなんでもタダ。
なんでこの女が聖女に選ばれていたのかしら。
ほんとう教会の見る目はどうかしているわ“
「そうだわ!私、キース様と婚約したの」
ローザは勝ち誇った顔でティナを見下ろす。
「キース様と⋯⋯」
「私ってほら中身だけじゃなくて見た目にも恵まれているじゃない? それに“魅了”の聖女だから。キース様も鼻の下を伸ばされちゃってもう私に夢中よ。だからティナも安心して殿方のところへ嫁いでね」
「ローザお願い。キース様には」
ローザはティナの言葉に耳を貸さず馬車の扉を閉じた。
「行ってちょうだい」
馬車は動き出す。
「聖女、大変だけどがんばってローザ」
「なにそれ? 負け惜しみ?」
***
ティナを乗せた馬車はその日の夕方にはもう国境を越えて一晩で深い森を抜けた。
翌朝にはもう馬車は公爵が暮らすお屋敷の前にたどり着いた。
「お待ちしておりました」
馬車の扉が開くなり深くお辞儀したのは紺碧の瞳に金色の髪をうしろに縛った凛々しそうな女性。
公爵のメイドを務めるカミラ。
馬車を運転してきた御者は首を傾げた。
聖女ではなくなったとはいえ隣国からはるばる嫁ぎに来たティナをメイドたったひとりが出迎えたことに。
少なからずティナも違和感を覚えたはずだ。
「主人(あるじ)のフレッド様がお部屋でお待ちです」
「はい」
カミラに先導されながら屋敷の長い通路を進むティナ。
カミラがティナの顔をチラッと見て問いかける。
「フレッド様のことはどこまで?」
「行く馬車の中でフレッド様について書かれた書類に目を通しました。
音楽家でいらしてそれでいて情熱家だと書かれていました。
フレッド様がお作りになった曲『春庭』はわたくしがいた王国でも有名です」
「左様ですか。(小声で)読んでほしかったのはそこじゃなかったのですが」
「?」
「フレッド様は先の奥様が生きていた頃からつづけていらっしゃる習慣(ルーティーン)を
大事にされております。ティナ様にもお守りいただくようお願いいたします。ではこのお部屋です」
***
「失礼いたします。フレッド様、ティナ様をお連れしました」
「ありがとう。君がティナか。はるばる隣国からよくきてくれた」
「こちらこそフレッド公爵にお目にかかれて光栄です」
フレッド公爵はティナとはひと回り以上離れた歳上の男性。
前妻のフィオナはフレッドと同じく世界的に有名な歌手だった。
フレッドが演奏するピアノに合わせて歌うフィオナの歌は世界中の賞賛を集めた。
だが3年前にフィオナを亡くして以来、音楽に情熱的だったフレッドの姿はなりをひそめ、ついには
音楽家としての活動をやめてしまった。今では2人の思い出が詰まった部屋にこもって塞ぎ込んでいる。
「君とはあくまで政治的な事情で結婚というかたちとなった。
それ以上でもそれ以下でもない。君には悪いが私が愛するのは亡くなったフィオナただひとりだ。
お詫びにティナには自由に過ごせる屋敷を用意させる。それまでは賓客が寝泊まりする部屋を使ってくれ」
「フレッド様、私はフレッド様と夫婦(めおと)になるためにやってきました。
夫婦となったからにはフレッド様の妻らしく振る舞わせてください。
さっそく紅茶を入れて差し上げますのでそのままお待ちください」
「けっこうだ。まだ紅茶を嗜む時間ではないのでね」
「ご安心ください。教会にいた頃はわたしの入れる紅茶は美味しいと評判でした」
「カミラ」
「は!」
「彼女に教えてやれ」
「奥様、ちょっとよろしいですか」
「カミラさんも一緒に茶葉を探して下さるんですか?」
「そうではありません。ちょっと表へ」
***
「奥様はおとなしくしていてください」
「それではわたしが何のためにここへやってきたのかわかりません」
「いいですか。フレッド様の身の回りのお世話は私がやります。
奥様はなるべくお静かにお過ごしください」
聖女でなくなってからのティナは居場所はなくなるばかり。
おっとりとしているティナの心にも焦りが生まれる。
しかし多少のことではめげないのがティナだ。
***
翌朝
「フレッド様、今朝は目覚めに効くコーヒーとカリッと焼いたトーストをご用意致しました」
フレッドはティナが部屋に運んできた食事を不機嫌そうな顔で見る。
「ティナ様⁉︎ なにをなさっているのですか。フレッド様のモーニングのお食事は36度に温めたミルクとベーコンエッグと決まっています。
それに決まったお食事の時間まで30分もはやいです。昨日説明したではありませんか」
「ですが、フレッド様にも少しは新鮮なことを」
「なりません」
「なら仕方ありません。だったらこのお部屋のお掃除をします。フレッド様せっかくだから気分転換に家具の位置を変えてみるのはいかがですか」
「⁉︎」と、フレッド侯爵が目を見開いて驚く。
そして花瓶を持ち上げようとするティナをカミラが慌てて静止する。
「なりません! ティナ様いや奥様。家具などの配置は先の奥様が使っていたときのままにしているのです。余計なマネをしないでください」
「⋯⋯」
「ティナ。気持ちはうれしいが私はフィオナがいたときのままの生活をつづけたいんだ。
フィオナを忘れないためにも」
「フレッド様⋯⋯でしたらわたしにも歌を歌わせてください。こう見えてもわたし“癒し”の聖女だったんです」
ーー
聖女は歌が下手だった。
***
次の日ーー
フレッド公爵は寝込んでいた。
「フレッド様、いつものお食事をお持ちしました。食べられそうですか?」
「ああ」
「起き上がれますか?」
「大丈夫だ。それよりカミラ。窓の外を見てくれ」
「(小声で)たまには私のことも見てください」
「フィオナが手入れをしていた庭の大樹や花がフィオナが亡くなってからというもの枯れ続けている」
「俺の命もこの庭の命と一緒に尽きる。聖女がやってきてつくづく思った。
俺にフィオナがいなくなった世界で生き続けることは無理だったんだ」
「フレッド様⋯⋯」
***
聖女を追放して1週間が経った王国ではーー
「なんということだ⋯⋯」
教会内の図書室で古い文献を漁っていた神官は頭を抱えた。
王国内では疫病が蔓延し、キース王子も病に倒れた。
肝心の聖女ローザは特権階級にあぐらをかいて、服や装飾品を買い漁るなど日々贅沢三昧。
聖女の役目を軽んじていたローザは、ティナから託された女神への祈りを一日も行っていない。
「キース様、お身体の調子は良くなりましたか」
「ダメだ。日に日に重くなっていく⋯⋯」
「結婚式が間近だというのにいったいなぜ⋯⋯」
「紅茶だ。ティナが出してくれる紅茶を口にしなくなってから身体の調子がおかしい。
やはりあの紅茶には聖女の魔力が⋯⋯」
「⁉︎」
ローザはティナが王国を立つ前に何かを言いかけていたのを思い出した。
まさかあの言葉のつづきはキースに毎日、聖女の魔力がこもった紅茶を飲ませて
キースの身体をケアしろということだったのか。
ローザは焦燥する。
「キース様お待ちください。ローザがこれから紅茶を入れます。
最近わかったのですが、私の魔力はティナよりも強いのですよ。だから私の入れる紅茶はとても効きますから」
「ありがとう」
部屋を飛び出していったローザと入れ替わるように神官が入ってくる。
「キース様恐れならがら申し上げます」
「なにごとだ?」
「先日の聖女ティナの魔力が突然消えた件についてですが⋯⋯あれは私の勘違いにございました」
「なんだと?」
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一方のティナは庭に生えている1本の大樹に祈りを捧げることが新たな日課となっていた。
「はい。今日もありがとうございますフィオナさん。ごめんなさいフレッド様の女神様でしたね」
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「聖女の魔力は18歳を過ぎたところ減退いたします。ですがそれは一時的。
本当はそのあとから皮を破るように聖女の魔力が溢れ出して聖女は大聖女として進化を遂げるのです」
「大聖女⁉︎」
***
長い廊下を進むカミラはいつものように朝食を運んでいる。
それも朝食を定刻にフレッド公爵の前に出せるようにと計りながら。
そんなカミラはふと庭に目をやった。
「ティナ様。またあのような⋯⋯フレッド様をおしたいしている私がいくらフレッド様のなさりたいように
尽くしても主人とメイドの関係は変わらないというのに。突然やってきたあなたはなんなの?
私がずっとなりたかった関係になっているというのに、好き勝手フレッド様の気を揉むようなことばかり。許せない⋯⋯」
歯がゆく庭を見つめるカミラの頬に涙が伝ったときカミラは「⁉︎」と、ある変化に気づいた。
「あれは⁉︎」
***
「フレッド様!起きてください」
「カミラが定刻よりはやく私を起こしに来るなんて珍しいな」
「す、すみません! そんなことよりはやくカーテンを開けて庭を見てください」
「どうしたんだ。そんなにせかして⋯⋯ん⁉︎」
カミラがカーテンを開けて現れた光景にフレッド公爵が驚かされる。
「枯れた大樹から若葉が⋯⋯まさかありえない」
「ティナ様が毎朝祈りを捧げていました。魔力が消えたなんてウソ。あの方は紛れもない聖女ですよ」
***
「女神様⋯⋯フレッド様の心にもようやく晴れ間が見えましたよ。
私がこのお屋敷にやってきたばかり頃はフレッド様のお身体をすごく心配されていましたよね。
今はあなたの姿もはっきり見えます。安心してください。フレッド様はもう大丈夫ですよ」
***
「大聖女だと⋯⋯まさか」
「我が王国は聖女の魔力が生み出す平和と日常が当たり前になっていました。
いつのまにか聖女のおかげで生きているという大事な事実を忘れ、それは愚か聖女の存在そのものを軽んじるようになってしまっていたのです」
「この王国に古くから伝わる迷信や伝説の類とな」
「まさかこんなに急速に水は淀み、疫病が蔓延するとは⋯⋯やはり急ごしらえのかりそめの聖女ではダメでした」
「すべては俺の責任だ。この王国の成り立ちを軽んじた俺のな。祖先の王たちはいまごろ空から俺を見ながら愚者と罵っていることだろう」
キース王子は間もなくしてこの世を去った。
そして“魅了”の聖女ローザは民が困窮しているのを尻目に贅沢の限りを尽くしたとして、
一斉蜂起した民たちによって断頭台の前に立たされその首をはねられた。
***
「フレッド様、奥様を連れて参りました」
「ありがとうカミラ」
「これはなんなのですカミラ?」
「フレッド様が奥様のために新しい曲をお作りになったのです。
フレッド様がピアノをお弾きになられるのは先の奥様が病で倒れられる直前のコンサート以来」
「それじゃあ。生きる希望が」
「カミラ、1曲目は私に尽くしてくれた君に。そして2曲目はーー」
***
「それが曽祖母が目の当たりにした名曲『聖女』が誕生した瞬間でした」
「まさか先生のひいおばあ様が誰もが知る名曲誕生の場に立ち合っていたとわ」
「はい。子供の頃、寝る前に曽祖母が何度も聞かせてくれました」
「まさか僕が好きな曲『カミラ』が世界に名だたる指揮者ライネル先生のひいおばあ様のお名前だったとは非常に驚かされました」
「それはなにより」
「ですが、どうしてこんな貴重な話を突然私に?」
「支配人には今夜の演奏のためにぜひ、知っておいていただきたかったんですよ」
「知る?⋯⋯私が?⋯⋯そうか⁉︎ 今夜のコンサートのセトリ! これは!」
そう『聖女』をただ単純に観客に聴かせるだけではこの曲の本当の良さが伝わらない。
一曲目の『唐突』から『追放』『戸惑』『崩壊』『カミラ』と聖女ティナが駆け抜けた半生を追体験してもらってから奏でる『聖女』それこそがこのコンサート一番の魅力だ。
聖女は単発の曲ではなく組曲。
曽祖母の恋は叶わなかったけどそれはこの曲の真実を知る俺だけが振れるタクト。
道路を自動車が走り、人々が遠くに行くのも楽になった。
そして見上げた空には飛行機が人を乗せて飛んで行く。
時代が流れていくごとに人々の生活様式は変わる。
医療が発展し、真に聖女様を必要としなくなった世界。
しかし、聖女様の起こした奇跡。
その献身によって生まれた聖女と公爵2人の曲は変わることなく永遠に語り継がれる。
誰かがタクトを振るう限り。
おわり
応援ありがとうございます!
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