ガリンジュの森

みやぶち

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いざ王都へ

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「ねーちゃん、ホントに大丈夫なのか?」

入学試験を受ける為、貧しい農村という表現がぴったりの故郷を出る日の朝。村の出入口まで見送りについて来てくれた弟がおずおずと訊いてきた。普段は喧嘩ばかりだけど、やっぱり家族だ。心配してくれるような優しい一面があったことを知り、泣きそうになるのを堪えて笑顔を作る。

「大丈夫! 絶対入学して一人前の呪学師になるよ!」
「いや、そーじゃなくて。生命保険、まだ入ってなかったよな? 今からでも遅くないから入っとこうぜ。このまま入学試験か卒業試験でおっ死んだら本気の無駄死にになっちまうだろ。せめて最後くらい家族孝行――ぶぐぅ!」

弟に愛の拳骨をお見舞いして村を後にした。

駄目だ、本当に文字通りにしかあいつは事を受け止めていないらしい。どうして私が呪学校の入学試験に立候補したのか分かっちゃいない。あんなんでこれから大丈夫かな。

すぐ近くの森を抜けたところで呪学校の入試担当官が待っていてくれた。家族と別れがあるだろうと、彼は一足先に村を出ていたのだ。

「おはようございます!」

駆け寄りながら声を掛けると、担当官は頷いて挨拶を返した。

「おはようございます。もう宜しいのですか」
「はい。父さんと母さんとは昨日の内に色々話しました。弟は、ついさっきまで。見送りに来てくれたんです」
「そうですか。優しい弟さんですね」
「優しい……のかなぁ。お馬鹿さんなだけじゃないかな?」

首を傾げると彼は少し微笑んだ。村に来た時からずっと笑顔だったけれど、どこか作り物めいていて怖かった。今の笑い方は素に見えるし、こっちの方が私は好きだ。

「それでは参りましょう」

促されて馬車に乗り込む。担当官が軽く天井を叩くと馬車が動き始めた。十を数えた頃から街へカブを売りに通っている道。今度は私自身が売り物として歩くことになるだろうと覚悟していたこの道を、今は新たな可能性に向けて進んでいる。


呪学校の入試担当官は二日前、村を訪れた。初めて見る領主様の命で農作業を切り上げた大人達を前に、担当官は柔和な笑みを浮かべてこう言った。

「どなたか、呪学校の入学試験を受けてみませんか」

村を訪れる人は滅多にいない。遠巻きに子供達も見守る中、領主様の横で担当官は良く通る声で村人に語り始めた。呪学師になる為の学校である呪学校に勧誘に来たのだという。

「呪学師とはクライアントの望み通りの呪文を創生し納品する、呪文創りのプロフェッショナルのことです。戦が頻発する昨今、戦場に駆り出されることもなく、安全な場所で高みの見物をしながら大金を稼げます。都で最も人気が高い職業なのですよ。さぁ、明日の暮らしにも困る皆さん。どうです? 呪学師を目指してみませんか?」

字が読めなかろうとお金がなかろうと関係ない、自分の住む地域にこうして入試担当官が来ればいい。一声掛ければそれだけで入学試験を受けられる。受験料も、王都に行く足代も滞在費も食費も雑費もともかく全て無料、呪学校が負担してくれるのだと彼は話す。

但し注意しなければならないことがある。入学試験と卒業試験で命を落とす場合があるのだ。逆にいえば、試験さえ無事に済ませてしまえば後は放っておいてもお金が手に入るらしい。

「不安ならば試験を受ける前に生命保険にご加入下さい。銅貨一枚から入れます。万が一試験の際に死んだとしても、保険さえあれば遺された家族に金貨一枚が渡されます」

担当官の話を聞いて村に諦めの空気が漂った。税を納める時にしか見たことがない額をすぐに用意出来るわけもない。俯き、誰もが視線を逸らす。そんな大人達の顔を見渡し、担当官の笑顔が曇った。領主様に向き直って微かに首を振り、乗ってきた馬車に戻ろうとする。

どうにか日々を凌ぐのが精一杯の暮らしに文字を読む能力は必要ない。お金だって、物々交換で成り立つ農村でお目に掛かる機会はほとんどない。作物を街に売りに行った時に手にするぐらい。それだって近年ほとんどお金にならず、口減らしがあちこちで行われていた。この村とて例外ではない。

そんな中現れた入試担当官が立ち去ろうとしている。この毎日から救い出してくれるかもしれない人が。

「待って!」

思わず声を上げると村中の視線が私に集まった。父さんが慌ててこちらに走ってくるのが見える。母さんは真っ青になって硬直していた。

「あの、わ、私……受けます! その試験、私、受けます!」

そう宣言した私を五つ下の弟は、発言の意図も知らずに呑気に見上げていた。


「エトルさん?」

声を掛けられ我に返る。

「これをお渡ししようと思いまして」

急いで視線を担当官に向けると、見習いパスを寄越しながら彼が言った。これがあれば試験期間中はお金が掛からないらしい。

「へぇ! すっごく便利ですね!」
「命を預けて頂くわけですから、まぁそれぐらいはね。本気で目指してくれる人は今や貴重なんですよ。大概が怖いもの見たさだったり、誰かを見返してやりたいからだったり、ともかく下らない――失礼、不純な動機ばかりでして。あなたのように命を賭してまでお金を稼ぎたいという、純粋な受験者は昨今珍しいんです。ありがたいことですよ」
「はぁ……」
「そういう方であればある程、万が一のことが起きてもご遺族から文句は出ませんからね」

今回この地域からは私一人だけが受験するとのことで、他には誰も乗っていなかった。大概が銅貨一枚を用意出来ず断念するらしい。「生命保険抜きで志願した人は本当に久し振りです」と、担当官は本に視線を戻しながら言った。

「あの、大体どれぐらいですか?」

しまった、言葉足らずだった。言い直そうとした時、担当官が本から目を上げずに口を開いた。

「そうですねぇ、入学時は大体7割ですかねぇ――」

合格率、結構高い。何だ、余裕じゃないか。これは案外呪学師になって、故郷に錦を飾る日も遠くないかもしれない。

「――国許に亡骸が返されるのは」

前言撤回。ごめん、弟よ。ねーちゃんは金貨一枚すらない無言の帰途につくかもしれません。
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