絹色物語〜和の色が紡ぐ記憶の記録

辻堂安古市

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第三幕

第五帖「桃花色の産声」




「桃花色(ももはないろ)」は、春の盛りを告げる桃の花のような、明るく、それでいて少ししっとりとした露を帯びたような紅。「秋桜色」よりも少しだけ意志の強さを感じさせる、生命の息吹そのもののような色です。






 城下町の長い冬が終わり、水路の氷がさらさらと溶け出した頃。

 藍さんの店の暖簾をくぐったのは、一人の若い男性でした。彼は地元で小さな菓子屋を営んでいますが、その手は粉まみれで、表情には余裕のない焦燥感が滲んでいました。

「藍さん……。明日、娘が生まれて初めての桃の節句(ひな祭り)を迎えるんです。でも、お祝いに作るお菓子の色が、どうしても決まらなくて」

 彼は、何種類もの食紅で染めた餅や餡を持ってきていました。けれど、どれもが派手すぎたり、逆にくすんでしまったりして、彼が想い描く「娘の健やかな未来」とは程遠いものだったと言います。

「初めて娘を抱いた時の、あの柔らかくて温かい頬の赤みを……。ただの『可愛い』だけじゃない、一生懸命に生きようとするあの生命の色を、お菓子に込めたいんです」

 藍さんは、窓の外で今にもほころびそうな桃の蕾を指差しました。

「桃花色は、邪気を祓い、不老長寿をもたらすと言われる霊力のある色です。それは単なる飾りではなく、親が子を想う切実な『願い』そのものの色なのですよ」




 藍さんは、その日のために特別に用意していた最上級の紅を、清らかな雪解け水で丁寧に溶きました。

 染め上がったのは、ほんのりと黄みを帯びた、陽だまりのような温もりを持つ桃花色の小さな風呂敷でした。

 彼がその布を掌に載せた瞬間、冷え切っていた彼の指先に、じんわりと熱が戻ってきました。

「あ……、この温かさだ。この色なら、娘を守ってくれる気がします」

 彼はその布をじっと見つめ、何かを閃いたように店を飛び出していきました。






 翌日。

 彼の菓子屋の店先には、見たこともないほど瑞々しい桃花色の「ひな菓子」が並びました。

 それは、春の光を吸い込んで自ら輝いているようで、通りかかる人々が皆、吸い寄せられるように足を止め、笑顔になっていきます。

 その中には、無邪気な笑顔の幼い娘を抱いた彼と、晴れやかな顔をした奥様の姿もありました。

「桃花色は、愛されているという証拠の色ですね」

 藍さんは、遠くからその幸せな光景を眺めながら、自分自身の胸元に一輪、桃花色の花を挿しました。

 城下町全体が、まるで見えない桃の花びらに包まれたかのように、一気に春の色へと塗り替えられていきました。







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桃花色(ももはないろ)

特徴: 桃の花のような、明るく柔らかな紅。古来より「不老長寿」や「魔除け」の象徴とされています。

象徴: 慈しみ、邪気払い、健やかな成長、春の生命力。
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