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8.神隠し編
40答え合わせ:あなたの居場所はどこですか 中編
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とめどない雷は激しさを増し、黒猫のうめき声も、そして断末魔もかき消して――その姿を、黒い霧へと変えた。
さらさらと消え去っていく霧を見届けると、雷奈は体を折って、大きく息をついた。
「ふぅー……お、終わったっちゃか……?」
「ああ……終わったよ」
霊那が立ち上がって、雷奈のもとへ歩み寄ってきた。打った頭がふらつくのか、声は弱弱しいが、言葉はしっかりと紡いだ。
「まさか人間のあんたに助けられるとはね。ありがとう、雷奈。氷架璃と芽華実にも、礼を言うよ」
「霊那と撫恋は大丈夫っちゃか?」
「あたしは歩けるよ。打ち所が打ち所だから、帰ったら調べてもらったほうがいいけど。撫恋は動かないほうがいい。今は主体になってもらってるから、あたしが運ぶよ」
霊那の後方で、白い長毛の猫姿になった撫恋は、芽華実に心配そうに見守られている。霊那の術で傷はふさがったが、大事をとって安静に、ということだ。
「みんな」
涼やかな声に振り返ると、最後方で腰を下ろしていた日躍が、ゆっくりと歩み寄ってくるところだった。
「ありがとう、そしてお疲れさま。おかげで、もう妙な時空震は起きずに済みそうね。私は主にいい報告ができそうよ」
「こちらこそありがとう、日躍。あなたが時間ば操作してくれんかったら、勝機はなかったったい」
「作戦に気づいてくれたあなたにも感謝。お互い様よ」
上品に笑うと、日躍は雷奈の隣に立つ氷架璃に語りかけた。
「そして、あなたの目的も果たされたかしら? 危険を冒し、命を懸けてでも達成したかったこと。真実を知り、お母さんのかたきがいたら、恨み言の一つや二つ……だっけ?」
「そうだ……そうだよ!」
氷架璃の口元に笑みが浮かんだ。興奮気味にまくしたてる。
「言ってやったよ、聞いてたろ? 母さんを殺したあのチエアリに、言いたいことガツンと言って、あげく粛清してやった! あ、実際に手を下したのは雷奈だけど、きっかけを作ったのは私だから、一矢報いられたよな? よっしゃ、やったぞ! 母さんのかたき……を……」
笑みを作る頬に、しずくが流れた。一筋ではない。いくつも、いくつも。
氷架璃は、しばらく笑い顔のまま固まっていたが、ゆっくりとうつむき、拳で目元を覆った。その隙間から、新たな涙と、食いしばった歯が垣間見えた。
静まり返った焼け跡に、母の命が奪われたこの場所に、小さな嗚咽が落ちては消えた。まるで失ったあの時に戻ったような、けれど違う温度をした、最初で最後の涙。
乱れた呼吸の隙間、氷架璃は問うた。
「……なあ、日躍」
「……何?」
「ダメ元で聞くけどさぁ、もう少し前に時間飛躍して、母さんを助けられないのかな。爆発を止めろとは言わないよ。ただ母さんを、他の客たちも避難させて、壊れるのは建物だけにするとかさぁ」
目元をぬぐいながら、無理やり明るい声でそう言った氷架璃に、日躍は少しの間黙った後、首を振った。
「無理よ。……未来はいくつもの可能性によって、無数に分かれている。ここはその無限の一つ、あなたのお母さんが助からなかった世界。ジンズウがこの事件を起こし、あなたのお母さんを含む人間たちを死なせてしまうことが、元の絵として定着してしまっている世界なの。これは、変えてはいけない歴史なのよ」
今、難しい話をしてもダメかもしれない。錯乱させてしまうかもしれない。そう危ぶみながら言った日躍の言葉に、氷架璃は拳を下ろして、
「……だよな」
振り返ってそう言って、最後に一しずくだけ流しながら、ほほ笑んだ。
「ごめん、分かってたよ。……大丈夫、母さんの死は、あの時乗り越えたんだ。いろんな人に支えられて。そして今、ずっと感じてた事故の違和感の真相を知って、かたき討ちも果たせた。……もう、私は満足だよ」
そばで泣きそうな顔で見上げてくる雷奈の頭をぽんぽんと叩き、頬に残る一滴もぬぐうと、氷架璃は全員を見回した。
「さあ、帰ろう。リーフたちは助けられた。助けられる人は、もう助けきったんだ。……これ以上、ここでできることなんてないだろ」
そう言って、建物の外へ歩き出す氷架璃を、一人、また一人と追って歩き出した。時間飛躍するには、元の時代でもひとけのないところである必要がある。あのアパート裏の袋小路はちょうどうってつけだったので、そこへ向かうことにした。
人払いが切れ、徐々に聞こえてくる人々の喧騒。それは、絶体絶命のクライマックスを乗り越えて終演を迎えた後、戻ってきた現実世界で飛び交う日常音に似ていた。
***
元の世界に戻ってきた後、雷奈たちは霊那にその場待機を命じられ、十番隊の到着を待ってそのまま治療される運びとなった。雷奈と芽華実はほとんど治癒し、氷架璃は右肩をしばらく労わってやれば大丈夫、とのことだった。
その後のことを霊那たちが話し合っている間に、疲れ果てた三人は寝入ってしまったようで、起きた時には希兵隊舎の医務室だった。
目を覚ました氷架璃と芽華実には、もれなく愛情たっぷり猫パンチが待っていた。
「心配したんだからね!? どれだけ心配したかわかる!? たい焼きにあんこ詰めすぎたら破れるでしょ!? あんな感じだよ!」
「ごめん、アワ。何がごめんって、言ってる意味が分からないのがごめん。焦るな、落ち着け」
「胸が張り裂けるかと思うくらい不安だったって言ってるんだよ! 無事に帰ってきてくれてありがとう!」
「最初からそう言え、どういたしまして」
カーテンで仕切られた隣でも、高い声が響く。
「もうっ、本当に気が気じゃなかったんだから! お母さんたちは、いろいろな事情を考慮すれば仕方ないけどって言ってくれたけど! でも本来あるまじきことだって、お母さんが言うくらいなんだから、あるまじきことなのよ!」
「そうね、心配かけてごめんね、フー。朝一番に、アワと一緒に駆けつけてくれたのね。ありがとう」
「あのー……」
その時、こほんと咳払いと共にカーテンがめくられた。カナリヤ色の髪にねずみ色の瞳をした十番隊の隊員、ラウラだ。
「お気持ちはわかるのですが……お静かに願います」
「あっ、ご、ごめんなさい」
慌てて謝ってから、ふと部屋を満たす日光が朝日の色をしていないことに気づいた。フーに聞けば、もう九時だという。家族には、一泊するとしか言っていないので、朝には帰ると思われているかもしれない。
世話になった礼を丁寧に述べて、帰宅する旨を申し出ると、ちょうど氷架璃も同じ返事をしていたので、一緒に帰ってはどうかと言われた。ちなみに、一足先に目覚めた雷奈は、二人によろしくと言って先に帰ってしまったそうだ。まだ寝ている二人を起こすのも悪いし、雷華に心配をかけたくなかったというのもあったらしい。
そうは言っても薄情だ、と意気込む氷架璃に引きずられるように、芽華実たちも神社へ向かった。出迎えた雷奈のけろっとした顔に、アワとフーは同時に愛情たっぷり猫パンチを叩き込んだ。便乗した氷架璃はこめかみにぐりぐり拳をねじりこみ、せっかくなのでと芽華実もほっぺを伸ばしてやった。
じゃれつくような粛清の後、雷華も交えて、人間組はアワとフーから後日談を聞くこととなった。
リーフたちは念術によって眠らされていたが、病院で目を覚まして、今日の早朝には帰宅したこと。いずれ、四人そろってお礼に訪れたいと言っていたこと。そして、日躍は今日、元の世界に戻っていくこと。
「ええっ、待てよ! 日躍にはまだ話があるんだよ。時間ループの謎について聞くまたとないチャンスじゃん!」
「私の選ばれとらんのに選ばれし人間っぽい理由も聞けたのに!」
「一応、月見山まで美雷が見送りにってるから、聞いてくれてるかもしれないけど……」
「でも、期待しないほうがいいと思うな。『主に無断で世界の真相を語ることはできない』ってことらしいし」
「ケチかよ」
氷架璃が行儀悪く、ケッと斜をむいた。
「……だが」
猫たちの四つの瞳を見つめた雷華が、口を開いた。
「日躍は、一年ループと今回の事件とは関係ないと明言した。もし、どちらも彼女のいざ知らぬことであれば、そんな断言はできぬはずだ。ということは……」
「うん……一年ループは、日躍が把握している現象。『主に無断で世界の真相を語ることはできない』って言葉からすると、その後ろの君臨者が大いに関係していそうったい」
「やっぱり君臨者がループを起こしているのかしら。……だとしたら、どうして……?」
言葉の余韻がフェードアウトすると、和室は沈黙に支配された。しばらく思考時間が続いたが、たどり着いた結論は一人残らず同じだ。
「まあ、考えたところで分かるもんでもなかね。いつかわかる日ば待つったい」
「そうだな。いつになるやも知れぬがな。この状態が十年続くかもしれぬがな」
「そ、それは困る……」
雷華がどれくらいの本気を込めて言ったのかは本人にしか分からないことだが、ありえない話ではなさそうで雷奈はたじろいだ。
だが、同じ口から報告された、姉と妹の遺品整理が半分ほど進んだという知らせに、終わりの見えなかったトンネルの出口を見た気がした。
人生最大の非日常だった、今回の時間を超えた誘拐事件。それも乗り越えたのだから、きっと世界全体を飲み込むこの大事件も、いつかは。
くすぶり続ける不安を期待で覆い隠し、雷奈は開け放った戸から、今日も今日とて五月晴れの高い空を見上げた。
***
「もう時間のゆがみも生じていないみたいだし、安心して帰れるわ」
月見山頂上、ぽっかりと開けた野原で、黄金の猫は見送りに来た少女を見上げた。晴れ渡る空の下、猫の毛並みと似た色の髪を風にそよがせながら、少女は笑う。
「それは何よりだったわ。そして、本当にありがとうね、日躍ちゃん。みんなを助けてくれて」
「今回はお互い様よ。次に何かあっても、私が手助けに来るとは限らないわ。言ったと思うけど、基本的には私たちは不可侵だから」
「そうね、不可侵ね」
少女――美雷は笑みの形に細めた目を少し開いて、透き通った琥珀色を見せた。
「じゃあ、君臨者がこの世界の時間に何か手を加えている、ということもないわよね?」
日躍は表情も変えずに、黙って美雷を見つめ返した。美雷もまた、表情を変えたそぶりはない。だが、その瞳は、朗らかながらも得体のしれない重圧がこもっていた。
日躍はふっと静かに笑った。
「私から何も言うことはないわ」
「あら、どうしても?」
「どうしてもよ」
口調はやんわりとだが、短くそう言った日躍。ふと、彼女は宙を見つめた。何事か考えるようにしてから、ちらと美雷を見やる。
「しいていうなら……あなたに一つ質問していいかしら。それに嘘偽りなく答えてくれたら、考えてあげてもいいわよ」
「本当? 嬉しいわ」
口元に手を当てて、言葉を体現して見せる美雷を、日躍は微笑みを浮かべたまま見つめていた。人間姿の美雷と小さな猫の日躍では、こんなにも視線の高さが違うのに、日躍のまなざしは、まるで大人が小さな子供を見下ろすようなものだ。
「何が聞きたいのかしら。世界の秘密と引き換えになら、希兵隊の機密くらい教えてあげてもいいかもね」
「希兵隊ね。まあ、私に教えてくれたところで、安全面で何も変わることはないでしょう。私には奇襲をかける由もないし。でも、私は希兵隊の組織よりも、あなた個人に興味があるわ」
「なんだか照れてしまうわね。体重と年齢以外なら答えてあげてもよくってよ」
「ふふ、女性の鑑ね」
体重と年齢は乙女の秘密、という価値観は、どうやら神の使者にも通じるらしい。日躍は笑ってから言った。
「でも、残念。やっぱり教えられないわ」
「あら、どうして?」
美雷が小首をかしげる。
日躍は笑顔のまま、わずか――ほんのわずかに、笑みとは違う形に目を細めて。
「だって、私が知りたいのは、あなたの本当の年齢なんだもの」
美雷の面持ちは変わらない。変わらない――ように見えて、その朗色を宿したポーカーフェイスがコンマ一ミリだけ崩れたのを、金色がかった赤い瞳は見逃さなかった。
「ねえ、美雷。あなた、いくつなの?」
「いくつに見える?」
「わからないから聞いているのよ」
美雷はしばらく、弧を描いた口を閉ざしていた。日躍も微笑を浮かべたまま、神秘的な瞳で彼女の次の言葉を待っていた。けれど、その顔に期待の色は一つもなかった。
やがて、美雷は再び、少しだけ首を傾けた。
「交渉は決裂ね」
「そのようね」
日躍は平然と返すと、背中に生えた小ぶりの翼を変化させ、大きく開いた。前足を伸ばすと、空間がぐにゃりとゆがみ、そこに時空洞穴が出来上がる。
「君臨者さんによろしくね」
「ええ、伝えておくわ。あなたも、人間含めみんなによろしくね」
うなずいて手を振る美雷に、日躍もしっぽを揺らして応えると、時空洞穴の中へと姿を消した。開いた時の逆再生のような動きで時空洞穴が閉じると、さわやかな風吹く山の頂上には、琥珀色の少女だけが残された。
さらさらと消え去っていく霧を見届けると、雷奈は体を折って、大きく息をついた。
「ふぅー……お、終わったっちゃか……?」
「ああ……終わったよ」
霊那が立ち上がって、雷奈のもとへ歩み寄ってきた。打った頭がふらつくのか、声は弱弱しいが、言葉はしっかりと紡いだ。
「まさか人間のあんたに助けられるとはね。ありがとう、雷奈。氷架璃と芽華実にも、礼を言うよ」
「霊那と撫恋は大丈夫っちゃか?」
「あたしは歩けるよ。打ち所が打ち所だから、帰ったら調べてもらったほうがいいけど。撫恋は動かないほうがいい。今は主体になってもらってるから、あたしが運ぶよ」
霊那の後方で、白い長毛の猫姿になった撫恋は、芽華実に心配そうに見守られている。霊那の術で傷はふさがったが、大事をとって安静に、ということだ。
「みんな」
涼やかな声に振り返ると、最後方で腰を下ろしていた日躍が、ゆっくりと歩み寄ってくるところだった。
「ありがとう、そしてお疲れさま。おかげで、もう妙な時空震は起きずに済みそうね。私は主にいい報告ができそうよ」
「こちらこそありがとう、日躍。あなたが時間ば操作してくれんかったら、勝機はなかったったい」
「作戦に気づいてくれたあなたにも感謝。お互い様よ」
上品に笑うと、日躍は雷奈の隣に立つ氷架璃に語りかけた。
「そして、あなたの目的も果たされたかしら? 危険を冒し、命を懸けてでも達成したかったこと。真実を知り、お母さんのかたきがいたら、恨み言の一つや二つ……だっけ?」
「そうだ……そうだよ!」
氷架璃の口元に笑みが浮かんだ。興奮気味にまくしたてる。
「言ってやったよ、聞いてたろ? 母さんを殺したあのチエアリに、言いたいことガツンと言って、あげく粛清してやった! あ、実際に手を下したのは雷奈だけど、きっかけを作ったのは私だから、一矢報いられたよな? よっしゃ、やったぞ! 母さんのかたき……を……」
笑みを作る頬に、しずくが流れた。一筋ではない。いくつも、いくつも。
氷架璃は、しばらく笑い顔のまま固まっていたが、ゆっくりとうつむき、拳で目元を覆った。その隙間から、新たな涙と、食いしばった歯が垣間見えた。
静まり返った焼け跡に、母の命が奪われたこの場所に、小さな嗚咽が落ちては消えた。まるで失ったあの時に戻ったような、けれど違う温度をした、最初で最後の涙。
乱れた呼吸の隙間、氷架璃は問うた。
「……なあ、日躍」
「……何?」
「ダメ元で聞くけどさぁ、もう少し前に時間飛躍して、母さんを助けられないのかな。爆発を止めろとは言わないよ。ただ母さんを、他の客たちも避難させて、壊れるのは建物だけにするとかさぁ」
目元をぬぐいながら、無理やり明るい声でそう言った氷架璃に、日躍は少しの間黙った後、首を振った。
「無理よ。……未来はいくつもの可能性によって、無数に分かれている。ここはその無限の一つ、あなたのお母さんが助からなかった世界。ジンズウがこの事件を起こし、あなたのお母さんを含む人間たちを死なせてしまうことが、元の絵として定着してしまっている世界なの。これは、変えてはいけない歴史なのよ」
今、難しい話をしてもダメかもしれない。錯乱させてしまうかもしれない。そう危ぶみながら言った日躍の言葉に、氷架璃は拳を下ろして、
「……だよな」
振り返ってそう言って、最後に一しずくだけ流しながら、ほほ笑んだ。
「ごめん、分かってたよ。……大丈夫、母さんの死は、あの時乗り越えたんだ。いろんな人に支えられて。そして今、ずっと感じてた事故の違和感の真相を知って、かたき討ちも果たせた。……もう、私は満足だよ」
そばで泣きそうな顔で見上げてくる雷奈の頭をぽんぽんと叩き、頬に残る一滴もぬぐうと、氷架璃は全員を見回した。
「さあ、帰ろう。リーフたちは助けられた。助けられる人は、もう助けきったんだ。……これ以上、ここでできることなんてないだろ」
そう言って、建物の外へ歩き出す氷架璃を、一人、また一人と追って歩き出した。時間飛躍するには、元の時代でもひとけのないところである必要がある。あのアパート裏の袋小路はちょうどうってつけだったので、そこへ向かうことにした。
人払いが切れ、徐々に聞こえてくる人々の喧騒。それは、絶体絶命のクライマックスを乗り越えて終演を迎えた後、戻ってきた現実世界で飛び交う日常音に似ていた。
***
元の世界に戻ってきた後、雷奈たちは霊那にその場待機を命じられ、十番隊の到着を待ってそのまま治療される運びとなった。雷奈と芽華実はほとんど治癒し、氷架璃は右肩をしばらく労わってやれば大丈夫、とのことだった。
その後のことを霊那たちが話し合っている間に、疲れ果てた三人は寝入ってしまったようで、起きた時には希兵隊舎の医務室だった。
目を覚ました氷架璃と芽華実には、もれなく愛情たっぷり猫パンチが待っていた。
「心配したんだからね!? どれだけ心配したかわかる!? たい焼きにあんこ詰めすぎたら破れるでしょ!? あんな感じだよ!」
「ごめん、アワ。何がごめんって、言ってる意味が分からないのがごめん。焦るな、落ち着け」
「胸が張り裂けるかと思うくらい不安だったって言ってるんだよ! 無事に帰ってきてくれてありがとう!」
「最初からそう言え、どういたしまして」
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「もうっ、本当に気が気じゃなかったんだから! お母さんたちは、いろいろな事情を考慮すれば仕方ないけどって言ってくれたけど! でも本来あるまじきことだって、お母さんが言うくらいなんだから、あるまじきことなのよ!」
「そうね、心配かけてごめんね、フー。朝一番に、アワと一緒に駆けつけてくれたのね。ありがとう」
「あのー……」
その時、こほんと咳払いと共にカーテンがめくられた。カナリヤ色の髪にねずみ色の瞳をした十番隊の隊員、ラウラだ。
「お気持ちはわかるのですが……お静かに願います」
「あっ、ご、ごめんなさい」
慌てて謝ってから、ふと部屋を満たす日光が朝日の色をしていないことに気づいた。フーに聞けば、もう九時だという。家族には、一泊するとしか言っていないので、朝には帰ると思われているかもしれない。
世話になった礼を丁寧に述べて、帰宅する旨を申し出ると、ちょうど氷架璃も同じ返事をしていたので、一緒に帰ってはどうかと言われた。ちなみに、一足先に目覚めた雷奈は、二人によろしくと言って先に帰ってしまったそうだ。まだ寝ている二人を起こすのも悪いし、雷華に心配をかけたくなかったというのもあったらしい。
そうは言っても薄情だ、と意気込む氷架璃に引きずられるように、芽華実たちも神社へ向かった。出迎えた雷奈のけろっとした顔に、アワとフーは同時に愛情たっぷり猫パンチを叩き込んだ。便乗した氷架璃はこめかみにぐりぐり拳をねじりこみ、せっかくなのでと芽華実もほっぺを伸ばしてやった。
じゃれつくような粛清の後、雷華も交えて、人間組はアワとフーから後日談を聞くこととなった。
リーフたちは念術によって眠らされていたが、病院で目を覚まして、今日の早朝には帰宅したこと。いずれ、四人そろってお礼に訪れたいと言っていたこと。そして、日躍は今日、元の世界に戻っていくこと。
「ええっ、待てよ! 日躍にはまだ話があるんだよ。時間ループの謎について聞くまたとないチャンスじゃん!」
「私の選ばれとらんのに選ばれし人間っぽい理由も聞けたのに!」
「一応、月見山まで美雷が見送りにってるから、聞いてくれてるかもしれないけど……」
「でも、期待しないほうがいいと思うな。『主に無断で世界の真相を語ることはできない』ってことらしいし」
「ケチかよ」
氷架璃が行儀悪く、ケッと斜をむいた。
「……だが」
猫たちの四つの瞳を見つめた雷華が、口を開いた。
「日躍は、一年ループと今回の事件とは関係ないと明言した。もし、どちらも彼女のいざ知らぬことであれば、そんな断言はできぬはずだ。ということは……」
「うん……一年ループは、日躍が把握している現象。『主に無断で世界の真相を語ることはできない』って言葉からすると、その後ろの君臨者が大いに関係していそうったい」
「やっぱり君臨者がループを起こしているのかしら。……だとしたら、どうして……?」
言葉の余韻がフェードアウトすると、和室は沈黙に支配された。しばらく思考時間が続いたが、たどり着いた結論は一人残らず同じだ。
「まあ、考えたところで分かるもんでもなかね。いつかわかる日ば待つったい」
「そうだな。いつになるやも知れぬがな。この状態が十年続くかもしれぬがな」
「そ、それは困る……」
雷華がどれくらいの本気を込めて言ったのかは本人にしか分からないことだが、ありえない話ではなさそうで雷奈はたじろいだ。
だが、同じ口から報告された、姉と妹の遺品整理が半分ほど進んだという知らせに、終わりの見えなかったトンネルの出口を見た気がした。
人生最大の非日常だった、今回の時間を超えた誘拐事件。それも乗り越えたのだから、きっと世界全体を飲み込むこの大事件も、いつかは。
くすぶり続ける不安を期待で覆い隠し、雷奈は開け放った戸から、今日も今日とて五月晴れの高い空を見上げた。
***
「もう時間のゆがみも生じていないみたいだし、安心して帰れるわ」
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日躍はふっと静かに笑った。
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口調はやんわりとだが、短くそう言った日躍。ふと、彼女は宙を見つめた。何事か考えるようにしてから、ちらと美雷を見やる。
「しいていうなら……あなたに一つ質問していいかしら。それに嘘偽りなく答えてくれたら、考えてあげてもいいわよ」
「本当? 嬉しいわ」
口元に手を当てて、言葉を体現して見せる美雷を、日躍は微笑みを浮かべたまま見つめていた。人間姿の美雷と小さな猫の日躍では、こんなにも視線の高さが違うのに、日躍のまなざしは、まるで大人が小さな子供を見下ろすようなものだ。
「何が聞きたいのかしら。世界の秘密と引き換えになら、希兵隊の機密くらい教えてあげてもいいかもね」
「希兵隊ね。まあ、私に教えてくれたところで、安全面で何も変わることはないでしょう。私には奇襲をかける由もないし。でも、私は希兵隊の組織よりも、あなた個人に興味があるわ」
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「ねえ、美雷。あなた、いくつなの?」
「いくつに見える?」
「わからないから聞いているのよ」
美雷はしばらく、弧を描いた口を閉ざしていた。日躍も微笑を浮かべたまま、神秘的な瞳で彼女の次の言葉を待っていた。けれど、その顔に期待の色は一つもなかった。
やがて、美雷は再び、少しだけ首を傾けた。
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「そのようね」
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「君臨者さんによろしくね」
「ええ、伝えておくわ。あなたも、人間含めみんなによろしくね」
うなずいて手を振る美雷に、日躍もしっぽを揺らして応えると、時空洞穴の中へと姿を消した。開いた時の逆再生のような動きで時空洞穴が閉じると、さわやかな風吹く山の頂上には、琥珀色の少女だけが残された。
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(表紙イラストは、ペケさんから戴きました)
*小説家になろう・ノベルアッププラスにも、同作品を掲載しております。
Chivalry - 異国のサムライ達 -
稲田シンタロウ(SAN値ぜろ!)
ファンタジー
シヴァリー(Chivalry)、それは主に騎士道を指し、時に武士道としても使われる言葉である。騎士道と武士道、両者はどこか似ている。強い精神をその根底に感じる。だが、士道は魔法使いが支配する世界でも通用するのだろうか?
これは魔法というものが絶対的な価値を持つ理不尽な世界で、士道を歩んだ者達の物語であり、その中でもアランという男の生き様に主眼を置いた大器晩成なる物語である。(他サイトとの重複投稿です。また、画像は全て配布サイトの規約に従って使用しています)
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